この場で、絶対的な権力を持つ、突然の第三者の介入に、私が答えるよりも先にお兄様が……。
「躾のなっていない、飼い犬が俺に牙を剥いてきたので。
少し相手をしようと熱くなってしまいました、申し訳ありません、父上」
と、声をあげる。
「確かに、私の騎士がお兄様に対して剣を向けたのは事実です。
本当に、申し訳ありませんでした。
ですが、お父様っ、これは……私の騎士が私を守ろうとしてくれただけなのです。
今後は二度とそのようなことは、させないことを誓います……。
だからっ……、私の騎士に罰を与えるのは、どうかやめて下さいっ。……おねがい、しますっ!」
……私の必死な嘆願に、お父様の視線が状況を見渡すように視線を一周させる。
どう考えても、セオドアが剣をウィリアムお兄様に向けていることは隠しようもない事実だ。
そうして、一度眉間の皺を深めた、お父様、皇帝は、ふぅ、と一つため息をついたあと。
「……とりあえず、縋るように騎士の服を掴んでいるその手を離しなさい」
と、私に言ってくる。
もしかして、『はしたない』とでも、思われてしまったのだろうか。
皇帝からの言葉に、ぎゅっと握ったままだったセオドアの服から指を外せば、セオドアが、苦い顔をしながら、兄に向けていたその剣を鞘にそっと納めてくれた。
「……守ろうとした、とは?」
そうして、そのことを見届けてから、皇帝が私に問いかけるように聞いてくる。
とりあえず、一方的に兄の話だけを信じずに、こちらの意見も聞いてくれようとするその姿にホッと安堵しながらも……。
「お父様に私が嘘をついて気を引いていると、お兄様が私に言った言葉で。……私の騎士が私のために怒ってくれたのです」
と口にする。
……こんな状態で嘘なんか吐いても仕方がないから、私は正直に現在の状況の説明をすることにした。
……正直、旗色はそれでもこちらの分が悪いだろうということは分かっていた。
(こんなことを言っても無駄かもしれない)
でも、言わないでおくよりは、少しでもきちんと、現状を伝えておいた方がマシだ。
「嘘をついて、気を引いている、と。
……アリスはそう言っているが? ウィリアム、その言葉をアリスに伝えたのは本当か?」
「ええ、間違いありません。……ですが、父上、俺は事実を述べたまでです」
「……そもそも、アリス。お前はなぜこんな所にいるんだ?
ここにいるということは、私に何か用事があったのではないか?」
「……はい、お父様にお聞きしたいことが幾つかあって、訪問する途中でお兄様に偶然出くわしたんです。
お忙しいお父様に代わって、話を聞いてくれることになったお兄様に事情を説明していたのですが、その、些細な行き違いで……」
「……行き違い?」
「まず、一つめにお父様の発言で、侍女が私の元にやってくるのを聞いていなかった私が、それを聞きにきたこと。
……それに関してはお兄様に直接、お父様が朝食時にそういった発言をしていたことを知ったので、そこまでは良かったのですが。
もうひとつ。……そのっ、こちらの缶が今日、貴族の方からプレゼントとして届けられたのですが、中に入っているクッキーに毒が入っていて」
一番上の兄がいる状況で、恐る恐る出した私の説明に、分かりやすく皇帝の眉間の皺が深くなる。
「……恐らく、お兄様は皇族の検閲が、きちんとされていないことなどあり得ないとお考えになり、私の発言を嘘だと断定されたのだと思います……。
ですが……っ、これは、アルにも見て貰って、きちんと毒が入っていることを確認した上で、お父様を訪問しているものです。……疑われているのならば、幾らでも調べて頂いて構いません」
そうして、片手に持っていたクッキーの缶を皇帝に見せれば、皇帝は、アルと私に視線を向けたあとで、次いでセオドアを見て、最後に兄に視線を向けたあと。
「ウィリアム、アリスが言っていることは本当か?」
「えぇ、それが、
「そうか。
……ならば、その騎士がお前に剣を向けたことは不問とする」
と、はっきりと声を溢した。
その思いがけない発言に、いつもあまり動くことのない一番上の兄の表情がほんの少し驚きに見開かれるのが分かった。
それと同時に私自身も、今、皇帝が出した発言が信じられなくて驚愕に目を見開いた。
たとえ、譲歩はしてくれても……。
――丸ごと、許してもらえるなんてそんなこと、思いもしなかった。
「父上……。アリスの言っていることを信じると?」
「……これ以上は、くどいぞ。
それより、アリスが私の元を訪ねてきたというのにお前はそれを、下らない物だと勝手に判断して私の代わりにアリスの話を聞こうとしたのだろう?
……いつ、
「……それは。
いえ、出過ぎた真似をし、申し訳ありませんでした、父上」
「それに私は今日、アリスには一番に伝令しに行くようにと、朝の時点で確かに命じておいたはずだが、ハーロック」
――どうなっている?
という、皇帝の発言に、その後ろに影のようにずっとついていた執事が、慌てて、お父様に頭を下げるのが見えた。
「申し訳ありません、陛下。……侍女長が伝令を伝える過程でどこかで行き違いが生じたのでしょう。彼女には私から必ずや言い含めておきますのでっ」
「……仕事も出来ぬ者に、ここにいる資格などない。
それがどんなに、長と役職のついている者であろうともな」
「……はい、心得ております」
「心得ているのならば、なぜそんな簡単な伝令すら滞るのだ?
まさか私が全てを知らないとでも?
侍女長は私が何も言わないことを良いことに、アリスに、わざと伝令すらしなかったのではあるまいな?」
皇帝のその発言に、ひゅっと、息を殺したようにハーロックが声なき声を溢して表情を硬くする。
「……皇女というお立場であるお嬢様に対し、そのようなことは決してあってはならぬことです。
必ずや、私が、侍女長にきちんと、今後二度とそのようなことが起こらぬよう伝えておきます」
「……お父様、本当に伝令がどこかで止まってしまい、滞ってしまっただけだと思います。あまり、ハーロックに対しても、侍女長に対してもきつく言われなくても……」
皇帝のどこまでも底冷えするような冷たい視線に耐えかねて、目の前で絞られている執事をそっと助けるように発言すれば。
「……お嬢様っ……っ」
と、どこまでも恭しくしていたハーロックが私の方へとツイッと視線を向けて感動したように声を溢すのが聞こえてきた。
というか、こういうのなんて日常茶飯事なのに……。
どうして今更、お父様がこんなにも怒っているのか理解出来ない。
……まさか、こういうことが起こっていることを把握していなかったとでも言うのだろうか?
それならば、皇族の威信自体が穢されたと思って、怒るのも分からなくはない。
私だからというよりも『高貴な皇族への対応としてはあってはならない』という考えなのだろう。
それよりも、お父様がセオドアのやったことを、丸ごと不問にしてくれて本当に助かった。
やっぱり、精霊王であるアルもちゃんと毒のことを認識してくれていたことが、功を奏したのだと思う。
アルがこの場にいてくれなかったらと思うと、セオドアは間違い無く罪に問われていただろうし。
そうなれば、私では、セオドアのことをちゃんと守ってあげられなかっただろうということは想像に難くない。
……思わず、一番最悪なシナリオが頭の中を過り、ゾッとした。
(セオドアが、私の事を思って義兄と敵対してくれた時、本当は凄く嬉しかった)
でも、それ以上に……。
――セオドアが私の傍から居なくなってしまうことが、恐怖でたまらなかった
そうなったら、多分戻れるだけ、……何度も繰り返し時間を巻き戻して、事が起こる前まで遡ろうと能力を使ってたと思う。
本当にアルが、傍についていてくれて、良かった。
「アリス、毒の件も含めて、詳しい話が聞きたい。
……ここでは、どこに目があるかも分からぬからな、後のことは私の執務室で話そう」
そうして、皇帝にそう言われて私はこくりと、頷いたあと。
……セオドアに対して、先ほど向けていた挑発するような表情も、こちらに対して向けられる失望したような表情も、皇帝の対応に僅かに驚きの表情を見せていたことも全て、今ではすっかりと鳴りを潜めて。
元の、あまり動くことのない無機質な表情に戻っている兄に視線を向けた。
(あんな風に、挑発するような視線を向けてくるお兄様初めて見た……)
「お兄様、今回のことは本当に、些細な行き違いで申し訳ありませんでした」
そうして、誠心誠意、今自分に出来る限りの謝罪はしておく。
……これで、兄にセオドアが目をつけられてしまったら最悪だ。
『些細な行き違い』ということを強調することで、兄のお父様を思うその気持ちも分かっているということを、きちんと言葉の裏にのせておき。
私から先に謝罪することで、今回の件で私の事を兄が必要以上に憎むことがないようにと願掛けのように願いをこめる。
どんなに姑息な手であろうとも、私を憎むのは構わないけど、セオドアとアルに悪感情を向けられることは、できるだけ避けておきたい。
私の謝罪に、兄は一度此方を真っ直ぐに見つめてきたあと。
「父上が決めたことだ。……お前が俺に謝る必要など、どこにもない」
と、そう言って、次の瞬間には……。
その表情はもう、興味を失ったように私の方を向いてはいなかった。
「……父上、俺はこれで失礼します」
それから、一言だけ、皇帝にそう声をかけたあとで、兄の姿が遠ざかっていく。
そのあと、私は皇帝に執務室へと入るよう促され、兄に背を向け、反対方向へと歩き出した……。