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第36話 クッキーと侍女



 とりあえず彼女には、今日はもういいから、明日から来てほしいという約束を取り付けたあと、初々しい雰囲気で、皇族に対する最上級の礼をされ、扉を閉めて去っていったのを確認して、私は自分の中に大きな疲労感を感じながら、自室にある椅子の背もたれにもたれかかり、小さくため息を溢した。


「しかし、突然人を寄越すだなんて、一体何を考えているのだ?」


「もしかして、アルフレッドと姫さんが契約したことが関係してんのか?」


 ……アルの率直な疑問に、セオドアがそっと私達に向かって今、考えられるであろう答えを返してくる。


 客観的にこの状況を見てくれているセオドアですらも、やっぱり、そうとしか考えられないのなら、いよいよ、な気がしてきた。


「うん、多分そうだと思う。

……それと能力が使えるようになったことも含めて。

 監視の意味合いもこめて、過度な力を持った私のことを、定期的に見張っておきたいのだと思う」


 私がお父様、皇帝の考えそうなことを先回りしてそう言えば、目の前でアルが嫌悪感を隠そうともせずに、大袈裟に顔を顰めるのが見えた。


「ふむ、そういえばお前の父親は、たまにでいいから私の元に来なさい、と自分のところにお前が来るよう誘導していたもんな。

 用事があるのなら自分から来れば良いものを。

 ……わざわざ、呼びつけるあたり、気に食わぬ」


「……アル、怒ってくれてありがとう……」


 そうして、そんな私達の遣り取りを聞いたあと、ローラが寂しそうな顔をしながら、悔しさの滲んだ声色で……。


「陛下は、侍女が私だけでは、アリス様に力不足だと考えられたのでしょうね」


 と、声を溢してくる。


 その言葉は、私に向けた物では無く皇帝に向けたものだったけど、私はローラのその言葉にすぐさま、ううん、と首を横に振ってそれを否定するように声をあげた。


「他の誰もが分かっていなくても、ローラが私のことを思って色々としてくれているのは、私自身が一番、知ってるよ。

 ……いつも、私のために本当にありがとう。

 それに、どっちみちローラの仕事量のことを考えたら、遅かれ早かれ誰かには来て貰う必要があったと思うから、完全に悪い話ではないと思う」


 そもそも、私に仕えてくれている侍女がローラ、ただ一人であることも可笑しいんだけど、その他の人達は私がベルで呼ばない限り、来てくれさえしないのだからどうしようもない。


 最近は、どこに行ったのか常駐すらしてないように見えるから、ついつい私もローラに頼り切ってしまっているんだけど。


 これで、一人、私の侍女が増えたということで、ローラの負担を減らせると思えば、そこまで悪い話な訳じゃないと、ポジティブに考えることにした。


 なるべく、明るく出した私の一言に、「確かにそうかもしれぬが……」と、アルが呟いてから、『だが、あの女はお前に、どこか仕えるのを嫌がっているような素振りだったろう?』と、言ってくる。


 そこは、素直に否定することが出来なかったから、私は苦笑しながらも頷いた。


「仕方がないよ。

 本来みんなみたいに、私のことを大切に思って傍にいてくれる人の方が稀だから……」


 期待していない分だけ、最初から諦めている私の言葉に「むぅ……っ!」と、取り繕うこともせずに唇をとがらせて、不満そうな表情を浮かべるアルに、何でも無いように取り繕ってふわりと微笑めば……。


「お前はそれでいいのかもしれぬが、僕はお前が傷つくのを見るのは嫌だ」


 と、アルが言ってくれる。


 アルにせよ、セオドアにせよ、ローラにせよ、私は、私の身の回りにいてくれる人達が隠しもせずに出してくれる、その気持ちが聞けただけで、本当に充分、嬉しかった。


「……あと、このクッキーも、どうしましょう?」


 それから、ほんの少し経ってから、戸惑った表情のローラにそう言われて、『そうだった。……そっちの問題もまだ片付いていないんだった』と、私は頭を悩ませる。


 これはこの場で捨ててしまった方が良いんじゃないかと思っていたけれど、一応皇帝に見て貰って、報告は入れておいた方がいいだろうか。


「あぁ、うん、そうだよね。

 新しい侍女のことと、そのクッキー缶のことも含めて……。

 今日直ぐに会って話を聞いて貰えるかは分からないけど、これから一度お父様に会いにいってみようと思う。

 そうなれば、もしかしたら、私に贈られる貴族からのプレゼント自体、今後一切廃止にしてくれるかもしれないし」


 私の一言に、アルの表情が更に不快感を隠しもせずにぐっと渋いものに変わっていくのが見えた。


 それを、私が、疑問に思うよりも先に……。


「アリス。

 ……例え、殺すという明確な殺意がなくとも、これは最早、悪戯の範疇はんちゅうをとっくに超しているぞ。

 それを根本から断つには、プレゼントを贈るという制度自体を廃止にするよりも、元凶を見つけて、断罪するのが道理ではないのか?」


 と、先手を打たれるかのように、そう言われてしまった。


「うん、アル、心配してくれてありがとう。……でも、それは、皇帝が決めることだから」


 正論ともとれるようなアルの言葉に、私は苦い笑みを溢す。


 皇帝であるあの人に、本当のことを伝えた所で、どういう風に動いてくれるかなんて自分にも全く予測がつかない。


 もしも、ミュラトール伯爵の今までにしてきた功績が大きいものだとしたら、お父様が使えると判断している自分の手駒を、だろうか?


 私が幾ら、皇女であろうとも、その肩書きは何の意味ももたらさない。


 そんなことは、ずっと前からもう分かっていたことだった。


 だからこそ、伯爵のことは公に罰することはせず、大した刑もなく終わらせてしまうことも有り得る話で……。


(それに、最初から希望なんて持たなければ後で傷つくこともない)


 だから……。


 無意識のうちに、お父様が私に少しでも配慮してくれるなら、と、一番、現実的に考えられそうな物を選んで、口にしただけだったけど。


 私のその後ろ向きな発言が原因で、アルを怒らせてしまったかもしれない。


 はっきりと言いたいことを、いつだって我慢することもなく真っ直ぐに伝えてくれるアルだから、こういう考え自体に、納得がいかないのも理解出来る。


『間違っている』と真正面から伝えてくれるのも、私の為を思って言ってくれているのが分かるから、だから、こんな風に顔を顰めさせてしまったことに、内心でしょんぼりしながら。


「ごめんね」


 と、申し訳なさから謝罪すれば、アルはそんな私を見てぐっと押し黙ってしまった。


 そうして、私はクッキーの入った缶をそっと持って、これから、お父様のところに向かうことを決めた。


 遅くなればなるほどに、行きたくなくなる思いも強くなってしまうだろう。


 そんなことになる前に、思い立ったときに動いた方がまだ、精神的にマシだ。


 どっちみち、約束を取り付けていない以上、会って貰えるかすらも分からないんだけど……。


(そもそも、まともに伝令が来てないこと自体がどう考えても、あちらの不手際なのに)


 と、内心で少し恨めしい気持ちになりながらも、こんなことで、驚くことすら無くなっている自分自身に笑ってしまった。


『誰かから、伝令がないことも』


『決まったことを、一人だけ教えて貰えていないことも』


『いつの間にか、部屋から物が消えていることも』


『堂々と、耳に入るような声量でわざわざ貶されることも』


そうして……。


『……本当のことを言っても信じて貰えない、ことも』


 ――その全てが、日常茶飯事だったから。


 こんなの、今更だ。


 私が、意を決して立ち上がれば、セオドアがそっと、私の動きに合わせてくれる。


 アルも、私の動きを見てから一度頷いてくれたから、きっと着いてきてくれるつもりなのだろう。


(……今の軸では、そうやって私のことを思って動いてくれる人がいる)


 一人じゃ無い、それだけで……。


 ――こんなにも、心強い。


 それから私は、心配そうなローラに見送られて、重たい足取りで自室から廊下へと続く扉を開けた。





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