「……何だとっ! あり得ぬっ!」
ガシャンという、陶器の割れた音が辺りに響き渡る。
わなわなと、怒りに打ち震えながら、テーブルの上にあった飲みかけの紅茶をカップごと、下に落とした。
それを、
「……それは、本当なのかっ! 陛下が、あの小娘に古の森の砦を与えただけでも許せなかったというのにっ」
怒りで、荒げるような口調になるのは仕方が無い。
何年か前に、家族であそこの砦に夏の休暇を使って行った時、陛下は、確かに言ったのだ。
『この砦は、ウィリアムに与えてやってもいいな』と……。
私の可愛い可愛い一番目の、息子。
あの人の跡を継ぐことが、殆ど、決まっている我が子。
その言葉は、確かに強制力のあるものではなかった。
それでも、陛下の頭の中には、我が子に砦をプレゼントするというビジョンが確かにあったはずなのだ。
……それを、何故、あの小娘にっ。
それだけではない。……侍女の持ってきた話が本当ならば。
「陛下が、あの小娘のためにあの砦はアリスの物だから、と。
……何人たりとも、絶対に近づくことはないよう、わざわざ発言された、と?
しかも、今まで欠片も気にかけていなかったのに、ここに来て小娘に、年頃の近い少年を紹介して、傍にいることを許した、と?」
「その子どもの、素性は?」と、問いただす私に、誰一人反応がない。
……これだけいて、誰も答えられぬ、少年の素性。
(将来有望な、どこぞの秘蔵っ子だとでもいうのか?)
それならば何故、我が子では無くあの小娘にっ!
怒りに打ち震えながら、溢された一言に。
「で、ですが……テレーゼ様、そんなに心配されなくても大丈夫なのではっ?」
と、新米の侍女から、何の安心も出来ぬ慰めの一言が返ってきて怒りが倍増する。
新米である私の侍女ですら、その発言を知っているということは、わざわざその発言を隠すことも無く、それどころか知らしめるように、陛下が公の場でしたということだ。
――その発言の強制力、並びに影響力は計り知れない。
その事実が示すことは、ただ一つ。
もう私達ですら、あの砦に近づく事はかなわなくなったということ。
……そればかりか。陛下が所有する物の一つである砦をあの小娘にやり、気にかけているということがこれを機に瞬く間に世間に広がっていくだろう。
そうして、もう一つ。
……謎の少年の素性を気にかけて、あれこれ噂が立つであろうことも、最早、時間の問題だ。
だれも気にかけてなどおらぬが。
前皇后の、唯一の娘である、あの娘にも当然『王』になる資格がある。
――王になる、資格を持っているのだ……。
我が国の長い歴史の中で、女王が存在したことは未だかつてない。
……だが、なれぬというルールなどどこにも存在しない。
忌々しい紅をその身に宿す呪い子ではあるが、その血筋は誰よりも高い。
血統だけで言うのなら、憎いことに、我が子よりもあの小娘の方が上だ。
そうして、その『事実』は、どんなに頑張っても消してしまえるものではない。
(……どうせ、この事は、陛下の気紛れだ。気紛れに過ぎぬ)
だが、あの小娘の発言力が強まることは、なんとしても避けねばならぬだろう。
これで、調子に乗って、私達と敵対するなど、ゆめゆめ思わぬように。……出る杭にも満たぬが、それでも、なんとしてでも、封じておかねば。
そう、
「……あぁ、そうだ。ここ最近は大人しくなっていると聞いていたが。母親が亡くなり、傷ついて寂しくしておるのであろう?」
怒りに打ち震えている状況から、一変、口角を上げ穏やかに顔を上げて、にこりと笑顔を漏らす私に、周りに侍っていた新米の侍女が、意味が分からないというように、『は、……え?』と、混乱したような言葉を溢す。
(この役に立たぬ侍女を、あの小娘につけて近況を探るのも悪くはないが……)
――そうだな、面白い余興を思いついた。
パッと、持っていた扇子を開き、誰にも見えぬその下で、唇を歪めて、笑みを深くすれば、この場にいる誰よりもピシッと背筋を伸ばしている私の、一番古参の侍女が……。
「お優しいテレーゼ様、きっとその通りだと思います」
と、声をかけてくる。
「けれど、私がどんなに心配していても、私の施しだと思うと、アレは、素直には受けとらまい?私からと言わず、寂しくしておる子供に贈り物を届けたら喜んでくれるだろうか?」
――のう、どう思う?
と、声を上げれば……。
心得たとばかりに顔色一つ変えずに、私の一番の腹心は頷く。
「……
「私が懇意にしている貴族の一人に、そういうのが上手い者がいる。
……そうなれば、母がいないことに寂しくなって、後追いするかもしれぬな?
その心が乱れることのないように、しっかりとケアしておくれ」
「かしこまりました、直ぐに手配いたしましょう」
私の一言に、侍女がこくり、と頷いた。……扇の下の口元が歪む。
「……それより、そなた」
「……は、はいっ! 私でしょうか?」
「うむ、お前は、私の侍女は向いていないと思うのだが、だれがこんな野草のような人間を私の侍女にしたのだ?」
私の発言に、あちこちで新米意外の侍女達からクスクスと笑みを溢れていく。
馬鹿にしたその発言に、目の前の新米の顔が一気に
だが、皇后である私の侍女を諦めるという選択肢はこの侍女にはないだろう。
「申し訳ありません……もっと、お役に立てるように頑張ります」
そうして、慌てたようにがばりと頭を下げて声を溢す侍女にくつりと、表情を歪め……。
(確か、この娘は、家に莫大な借金があったはずだ。……クビになって宮を追い出されれば、それこそ、もうどこにも雇って貰えぬだろうな?)
と、即座に目の前の侍女のプロフィールを思い出し、座っていた椅子から立ち上がり、持っていた扇を閉じて、それを首元に突きつけながら……。
「私は、優しいから、一度の失敗くらいではクビにしたりしない。…
…お前にも、チャンスを与えてやろう」
――のう?
と、囁きかけるようにその耳元で声を溢せば、目の前の侍女は、私の言葉にびくりと反応し、一気にその身を固くしてしまった。