……姫さんが、自発的に能力を使えるようになった。
一度の使用で負荷が大きいのか、姫さんの身体から力が抜け落ちて、がくりと身体が傾いたのを、咄嗟に受け止めた俺は……。
今、自分に起きていることが分からなさすぎて、混乱する。
姫さんが能力を使用、した時、なのだろう。
……多分、瞬きするほどの、
(俺は、確かに周囲の景色が停止するのを、見た)
そこから、ぐにゃりと視界が歪んだと、そう思った時には……。
(うむ、僕がほんの少し力を貸してやろう)
アルフレッドが、姫さんに向かって
――時間が、巻き戻っている。
そして、その状況を俺は、今、まさに体感していた。
だからこそ、俺は、姫さんの身体がいち早く倒れる瞬間に駆けつけることが出来た。
「……っ」
『能力者』に関しては、使える人間が本当に少なすぎて、未だその全てが解明されている訳ではなく、謎である部分の方が大きい。
(魔女とは、一体、何なのか……?)
『精霊と能力者が本来、共にあった』ということは、姫さんが眠ってから、早朝、アルフレッドから、馬車の中で聞かされていた。
精霊は、姫さんみたいな能力者の『澄み切った純粋な魂』というものが生きる糧になるらしい。
そして、大きな力を持つ能力者の身体は、力を使えば、使うだけ、その負荷に耐えきれず、反動で体内に
そのために、昔は、能力者と共にあった精霊が傷ついたその身体を癒やしていた、と。
(本当は、姫さんには、能力なんて使ってほしくなかった。例え、父親である皇帝からの命令でも。……自分の身体を率先して自分自身で傷つけるような、そんな、真似なんてしてほしくない)
でも、幾ら俺が、俺等がそう案じていても、姫さんの意思は固かった。
その姿は……。
――まるで、生き急いでいるみたい、で。
(自分の存在している意義が、そこにしかないみたいに)
能力を使うことが出来れば、少しでも役に立てると思っているのだろう。
姫さんのことを見向きもしない皇帝の、自分の父親のために、必死で役に立とうと努力して……。
十歳の少女が背負うには『あまりにも重たいもの』を、姫さんは平気そうな顔をしていつも、何でも無いことのように振る舞う。
(……何でもない、訳がない)
(……平気でいられる、訳がない)
なのに、俺達に心配をかけないようにと、幼き皇女様は、いつだって凜と背筋を伸ばして気丈に立っている。
(……あなたと、もしも契約したら、自分で自由に能力を使うことは出来ますか? 例えば、大切な人をどうしても守りたい時、とか?)
姫さんが、契約する前にアルフレッドに言っていた言葉が頭を過った。
『大切な人を守るため』
その中には、俺の事も多分、含まれているのだろう。
『打算で仕えてくれていい』と、俺には言うくせに……。
姫さんは、俺の事を、決して
――そんなの、
(セオドアさんが来てから、アリス様が色んな表情を見せてくれるようになったんです!
前までは、本当に、笑顔は見せてくれるのですが、距離を感じてて……。
でも、アリス様、今は、
とは、侍女さんの言葉だった。
ほんの少しでも、俺の存在が姫さんにとって特別であると思えて嬉しかった。
それと同時に、こんな時。
一人、孤独に頑張る姫さんの、何の力にもなってやれないことが悔しくてたまらなかった。
だが、俺は今……、確かに、姫さんが能力を使った瞬間に立ち会っていた。
あれは、一体、なんだったのか……。
もしも、俺の大事な主人を、もっと守れる方法があるのなら……。
――一人で、ふらふらになりながら、能力を使って
一人で傷ついて、人知れず悲しむ主人を、せめて、支えることが出来るなら、俺は……。
(……この現象が、分かりそうな奴は、一人しかいない)
『
俺の腕の中で、姫さんが気を失ったあと、ベッドに姫さんを寝かせてから……。
医者と侍女さんが、姫さんを心配して、その頭に冷たいタオルやらを置いて処置している間に、俺は、アルフレッドに近づいた。
「ちょっと、いいか?」
その顔を見てから、扉の方へ向けて目線をやり、着いてきてほしいことを視線だけで告げれば、アルフレッドは、姫さんの様子を一度そっと見遣ったあと、俺に向けて頷いた。
***********************
「……お前の聞きたいことに答えよう」
パタン、と扉を閉めて、長い廊下へと出たあと、手頃な場所で立ち止まると、アルフレッドが俺に対して、先に声をかけてきた。
その表情は、俺の言いたいことが何なのか、分かっているみたいだった。
「姫さんが、時間を巻き戻す瞬間、俺は
「そうであろうな」
やはりというか、何というか……。
俺の言葉にアルフレッドが、まるでそれが当たり前のことであるかのように頷く。
「あれは、一体、何だったんだ? 俺にも姫さんが巻き戻す瞬間が分かるのか?」
そうして、俺の問いかけに、アルフレッドは両の目で此方をジッと見つめてきたあとで。
「赤……。お前達人間の世界では、
と、そう言ってきた。
「……俺が……?」
力を持つ者ってのは、姫さんみたいにちゃんとした能力を持つ者のことだよな?
『じゃあ、もしかして、俺にも何か使える力が奥底に眠っているのか……?』
と、信じられない物を見る目でアルフレッドに視線をやれば……。
「うむ、身に覚えはないか?
アリスほどきっちりとした、特殊な能力を使えないにしても、自分の力が強かったり、例えば……身体能力が高かったりな」
と、ピンポイントで、ピタリと俺の状況を言い当てるアルフレッドに思わず息を呑む。
そうして、アルフレッドは、そんな俺を凝視したあと、何かを思い出すように何秒間か、考え込んで……。
「……ふむ、そう言えば……。
と、俺に向かって無邪気に声を出した。
……そんな、事まで、分かるのかよ、コイツっ!
「……っ、ノクス」
いや、分かるんじゃない、その口ぶりは最初から……。
「ああ、そうであった、ノクスだ。僕の記憶もまだまだ捨てたものじゃないな」
……俺等の存在を、ノクスの民のことを知っている者の口ぶり、だ。
「力を持った者同士、共鳴し合うことはある。お前もまた、アリスと共鳴し、アリスが能力を使用した瞬間が分かるようになったのだろう。
アリスの能力が、時を戻すものであるが故に。……大分、不思議な感覚がしただろうが、それは正常なものだ」
頭の中で、疑問に思っていたことが氷解して満足したのか、アルフレッドの瞳は無邪気さを帯びながら、次いで、俺の問いに対しての答えをはっきりと口にする。
「……お前、アリスのことを大切に思っているだろう?」
そうして、アルフレッドにそう言われて、俺は直ぐに「当たり前だ」と、声をあげた。
「俺が本当に心から仕える主人は、これから先も一生、姫さん以外にいない」
「うむ。それ故に、共鳴したのだろう。
精霊との契約だけでなく、力を持つ者同士がお互いを思いやっていると、互いの力が何処に働いているのか、感覚で掴めるようになる。ソレは、お前が、アリスのことを大事に思っているからこそ、分かる感覚、だ」
アルフレッドの言葉は、俺にとって納得のいくものだった。
それと同時に、一つの疑問が湧いてくる。
「一体、赤を持つものってのは、なんなんだ……?」
精霊と共に歩めるくらい『力』を持つもの。
そうじゃなくても、身体能力が高いもの。
……何のために、この世に生まれて、そうしてどうして迫害されなければいけなかったのか。
(そういうものだ、と一言で言われてしまえば、確かにそれまでなのかもしれない)
でも、俺は、自分のルーツを知りたいと、強く思う。
それが少しでも姫さんのためになるものなら、どんなものであれ、手を伸ばして掴み取ることに、躊躇などしない。
そうして、今この場所で、それに答えられるのは、アルフレッドしかいないだろう。
少年のような姿をしているが、目の前のコイツは俺等には想像も出来ないくらい途方もない歳月を過ごしてきたのだろうと思えるから。
そして、何より、コイツが生きてきたその長い時間の中で、『精霊とノクスの民』が交わった期間があるというのなら、それが、どういう物だったのか、俺は知りたい。
だけど……そんな、俺の視線に対して……。
「誇るがよい、お前達は神聖な力を持つ者だ」
と、アルフレッドから思ってもみなかった言葉が返ってきたことに、俺は、直ぐには納得出来なかった……。