第一印象は、世間で言われているような、我が儘で癇癪持ちの、手がつけられない皇女様っていうよりは……。
――変わり者、だった
「私の騎士になってくれますか?」
真っ直ぐ、揺るぎない瞳でそう問いかけてくる、この国の皇女様に 、最初は何の冗談か、それとも気紛れかと思った。
だが、初対面で、剣を振るう俺の目の前に来た度胸。
それだけで、少なくとも話を聞く気にはなった。
「否定出来る権利でも与えてくれるのか? 随分と、お優しいんだな」
けれど、話を聞く気になっただけだ。
『ノクスの民』である俺等はいつだって、何処にいたって、虐げられてきた。
そもそも、俺を含めて、ここにいる騎士達は、皇女様の騎士選びの候補にすら挙がってなかった。
選抜された奴らは皇女様が来るからといって、他で訓練をしていたはずで、それなのにわざわざ、選抜されてない人間の方を見に来た挙げ句……。
(このお姫様は、俺を選んだ)
これだけの騎士がいる中で、たった一人、俺に目を向ける理由がどこにある?
チャンスというよりも、まず疑った。
……どういう意図で、何を目的として、俺を選んだのか。
それが、分からない以上、その手を取ることは出来ない。
だが……。
「魔女の騎士をしてみるつもりはありませんか?」
姫さんが、俺にそう言った時。
『嗚呼、コイツも俺と同じなんだ』と、直感的にそう思った。
……真っ赤に染まる、
『身体の何処かに『赤』を持つ』
それが、この世界の人間にとって、どういう意味をもたらすのか、俺は身を以て知っている。
(世間様から、色々言われて、育ってきたんだろう)
――悪意も、敵意も。
例え、こんなに身分が偉い御方でも、それら全てを全部、遮断するのは難しい。
だから、俺に目を向けたのか。
(自分と、一緒だと思って……?)
いや、俺ほど嫌な思いはしてないだろう。
泥をすすって、喰ったような経験がある訳でもない。
手を伸ばせば、いつだって、このお嬢様は、欲しいものが手に入る地位にいる。
それでも、自分を『魔女』だと率先として自嘲する、目の前にいる少女に興味を持ったのは事実。
「……それで、あんたに、どんな利があるんだよ?」
「ノクスの民のずば抜けた、身体能力です。私が目の前に来た時に一瞬で振り下ろしている最中の剣を止めるのは、並大抵のことでは出来ないでしょう?」
しかも、どうやら、皇女様は、俺の能力を認めてくれているらしい。
……聞けば、聞くほどに、どう考えたってこの話は、俺にとってかなり条件が良すぎる契約だ。
こういうことでも無い限り、この国の騎士団での出世は望めないだろう。
しかも、目の前のお姫様が『打算』で任務についてくれていいと言っているのだ。
(|主《あるじ》に忠誠を誓って死ね)
と、言われている訳じゃ無い。
――こんな、美味い話。
いつもだったら、絶対に乗らなかっただろう。
……どこかに、絶対罠があると思うから。
『騎士になってくれますか?』
という、言葉は、決して強制じゃなく、そこに俺が断れるだけの余白がある。
だが、その感情が、姫さんと俺の、赤を持つ者という共通点によって、ほんの少し混じる『虐げられる者』への同情であるのならば、その誘いに乗ってみるのも、悪くないと思えた。
(言ってみれば、ただの気紛れだ)
「本当に、コイツで宜しいんですか、皇女様っ」
それからは、あっという間だった。
渋る騎士団長を尻目に、皇帝が用意したという契約書に目を通して、サインを交わした俺は、姫さんに連れられて、騎士になって初めて宮に足を踏み入れた。
異常だと気付いたのは、それから暫くも経たない内だった。
最初のうちは『やけに静かになったな』っていうそれだけの感覚だったのに。
姫さんの部屋に着く頃には、静かを通り越して、姫さんと、侍女と、俺の三人以外、誰ひとりとして人の影が無い。
(……っ)
部屋に入ったら何か変わるかと思いきや、姫さんの部屋は思った以上にシンプルで、かなり、すっきりとした印象だった。
(上手く言えねぇけど。皇族なら、こう、もっと。……キラキラとした部屋に住んでるんじゃねぇのかよ)
確かに、目に見える範囲で高そうな物は置いてあった。
この部屋にある家具や、調度品も含めてどれをとっても一級品なのだろう。
だが、枕元に大事そうに置かれた熊のぬいぐるみは、市井でも買える既製品だったはずだし。
(あそこにある、ちょっとくたびれた絵本も、そうだな)
……部屋の中にちょこちょこと混じってる、俺等でも手が届くような物の方が大事にされていそうなのは、何なんだ?
不躾に辺りを見渡してたら、姫さんが俺を昼食に誘った。
あり得ない現象は、ここでも起きた。
「まだ、お昼ごはん食べていませんよね」
と、事も無げにそう言われて、座るように促されたのは部屋の中にあった椅子だ。
もしかして、まさかとは思うが……。
(此処で、従者と一緒に飯食うのかよ?)
あり得ない。……あり得なかった、何もかもが……。
そうして、大人しく椅子に座った俺に『侍女のローラ、医者のロイ、そして、セオドア。私の部屋に出入りする人間の全てです』と、姫さんは、俺がここに来てから感じた違和感をあっさりと説明した。
簡潔に何でも無いことのように言ってるが、それが当たり前でいいはずが無い。
俺の目の前にいるのは、この国でもトップクラスに偉いはずの人間なのだ。
「……随分、少数精鋭なんだな」
一言、出した自分の言葉は、姫さんの今の状況を皮肉るような物言いになった。
「お飾りの皇女なので」
それを怒ることもなく、当然のように受け流す少女は、確かまだ十歳だったはずだ。
(皇女様は我が儘で、手がつけられないんじゃなかったのかよ)
噂とは当てにならないものだと、ここにきて感じていた。
十歳にしては、その言動があまりにも大人びすぎている。
挙げ句の果てに姫さんは、俺の給金や待遇の心配をし出す始末、だ。
「あんた、皇女だろう?」
思わず、本音が口をついて出た。
契約書はきっちり交わしている。
それなのに、その契約書を……、皇帝の名も記されている最上級の契約書を、不履行にする奴がいるのか、と。
……驚く俺に、小さなお姫様は、何でも無いかのように頷く。
それは、今までもそういうことがあったと言わんばかりの反応だ。
そうして、それは、誰よりも『お飾りの皇女……』その言葉の意味を、まだ幼いはずのこの少女が、理解してるってことに他ならない。
騎士団にいりゃ、否応なしにこの国の情勢は耳に入ってくる。
(確か、ちょっと前に誘拐されて、母親を殺されたんだよな)
――犯人は、魔女狩り信仰の過激派、だったか。
いずれにせよ、十歳の子供が、経験するには、あまりにも重い内容だ。
その上、喪が明けるその前に、第二妃が、皇后に正式に繰り上げられた。
なんてことは、特に情報規制もされてない、この国にいる人間なら誰もが知ってることだ。
(しかも、国民の大半は、不謹慎にも、その報道に喜んだという)
『その事実』を、こんなにも幼いお姫様が全部受け止めて、その上でこんな風に毅然としているっていうのかよ。
信じられないものを見る目で、目の前の少女を見つめていると、姫さんの侍女がタイミングよく紅茶を持って帰ってきた。
そうして、軽食であるホットサンドが皿に三人分綺麗に並べられて、まるで何でもないことのように机に置かれていく。
侍女のものも、俺のものも、姫さんのものも、見た目からはそこに特別な違いなど見当たらない。
「アリス様、どうぞ、お召し上がり下さい」
……それを、侍女も目の前のお姫様も、当たり前のように手を伸ばして一緒に食事をとっている。
(どう考えても、やっぱり中身も一緒だ)
姫さんと侍女が食べているのはハムとチーズが挟まった、庶民にもよく食べられているようなサンドイッチだった。
食事を一緒にとるにしても、その食事内容が従者と姫さんで全く一緒なことも、俺には違和感でしかない。
「……まさかとは思ったが、従者と一緒に同じ飯食うんだな」
当たり前のようにそうしてるってことは、普段からそうだということの、何よりの証明に他ならない。
俺の問いかけに、姫さんがこくりと頷いて。
「一人で食べても美味しくないので、一緒に食べて貰っているんです」
と、説明してくれる。
「……一人で? ほかの皇族は?」
「私を抜いて、他は一緒に食べているはずです」
そうして何でも無いように吐き出された言葉に思わず息を呑んで、眉間に皺を寄せた。
(こんなにも幼いのに、誰も味方じゃねぇのか……?)
実の母じゃない、今の皇后と。……半分しか血のつながりのない二人の兄。
そして、実の父であるはずの皇帝。……誰も、彼もが……。
(まだ、幼い、このお姫様のことを放置してるっていうのかよ)
「……ありえねぇ」
思わず、自分の口から零れ落ちた、言葉が聞き取れなかったのか。
「……? セオドア? 今、何か言いましたか?」
と、姫さんが首を傾げて、俺に問いかけてくる。
「なんでもねぇよ」
と、その場では茶を濁したが、心の中に生まれたもやもやとした澱みは晴れずにいて、話を変えようとしたのが失敗だった。
最初のうちはよかったのだ。
そもそも、この小さな皇女様が何故、騎士をつけるのか。
皇女様が来る前に騎士団長から全員に通達があって、その目的は聞いてたから、古の森の砦に行くということを思い出して、俺はそれを聞いただけ。
なんていうか、こう、従者と一緒に食事することも躊躇わない少女なのだから、もしかしてと……、『俺と二人で行くつもりか』と、冗談交じりに聞いてみただけだった。
そしたら、本当にそのつもりだったらしく、ここにきて初めてあどけなさの残る、その困惑した様な表情に一般常識を説明してやると、分かりやすく姫さんは落ち込んでしまった。
「知らなかった……」
思わずぽつり、と溢したその一言が、どこまでも幼く見えて。
周囲の勝手で振り回されて……、年齢以上に背伸びしているだけで、姫さんにも、年相応に可愛いところがあるのだと微笑ましく思っていた。
(ずっと、そういう顔をしていられりゃ、いいんだろうけど)
「あと、これだけは絶対に譲れないのですが、ロイも連れていくことを許可して下さい」
だが、侍女が一言、口に出した言葉に、その状況が一変した。
『ロイ』っていうのは、姫さんがさっき口にしてた医者のことか?
どういうつもりで、医者を連れて行くんだ……と、そう思っていたら。
「お嬢様は身体が弱いのです」
と、侍女が説明してくれた。
「はぁ⁉︎ 姫さん、身体が弱いのかっ! 大丈夫なのかよ⁉︎」
自分でも、想像した以上に心配する声が出た。
「っていうか、皇女様が身体弱いなんて話、聞いたことねぇんだけど。だとしたら、姫さん、何のために、砦に行くんだ? …… 療養か? 違うよな、歩いて行こうとしてたくらいだし」
思わず、矢継ぎ早に俺の口から質問が飛び出たのを、侍女はあまりいい顔はしなかったが。
「表向きは、皇帝が私に所有している物件をくれたから、それの下見。という名目ですね」
と、当の本人である姫さんは、どこまでもあっけらかんとしていた。
「……表向き?」
そうして、表向きというまたちょっと不穏な単語に俺が反応すれば……。
「実際は、私に、能力の発現があったので。
それが、どこまでの範囲で使えるか、試し打ちするために、お父様が砦を下さったのです」
と、姫さんは、また、重要なことを話してるとは全く思えない口ぶりで、俺にそう告げた。
あまりにも、軽い口調で言われたから『ノウリョクのハツゲン』ってのは、何だったか……と。
一瞬、その意味を分かっていながら、頭の中で思い出そうとした。
今、姫さん、能力の発現、つったよな?
(……その上、それがどこまでの範囲で使えるか、試し打ちするために砦をくれただと?)
――誰が?
お父様っていうことは、そんなのに該当する人間は、どう考えても、この世界で一人しかいない。
(……実の娘をっ、一体、何だと思っていやがるっ!)
「……能力の、発現……?」
理解した瞬間、自分でも思った以上に低い声が、出た。
自分のことでもないのに、瞬間的に湧き上がってきた強い怒りで、目の前が沸騰しそうだった。
姫さんの、その細っこい手首を反射的に掴むくらいには、周りの状況を冷静には見れていなかった。
だが、掴んだ瞬間に、ハッとした。
今にも、折れてしまいそうなくらい、か弱いその腕は、全く以て頼りない。
こんなにも、非力な少女じゃねぇか……。
「……もしかして、私が本当に魔女だったから。 やっぱり、仕える気を無くした、とか……?」
そうして、姫さんがおろおろと、絞り出すような声で俺にそう言った時。
俺は、この幼い少女が、今の自分を必死で受け入れて、抗える術も持たずにいることに、どうしようもないほどの、痛みを感じた。
(目の前の、少女は俺だ)
――何が、俺よりいい暮らしをしているだよ?
――何が、泥をすすったことなんてない、だよ?
確かに目の前の少女は、良い暮らしをしているのだろう。
泥だって、すすったことなんて、一度もないのだろう。
だけど……。どんなに、綺麗に着飾ったって。
どんなに、身の回りを高価な物で埋めたって。
(こんなもん生殺しの……、中身のねぇ、張りぼてじゃねぇか)
頼りになるのは本当にさっき、姫さんが言ったとおりの人間しかいないのだろう。
――たった、三人しかいない
……それも、多分、俺は含まれていないから、二人。
(それが、今の姫さんにとって、心の底から信頼出来る人間の数)
姫さんの、不安そうな声に『ちげぇよ』と、一度、強く否定して。
「……能力者が能力使ったら、どんなことになるかなんて馬鹿でも分かる……。
それを、皇帝が、実の父親がっ、娘を物みたいな扱いすんのかよ。それで、姫さん自身に……どんな反動が出るかも、分かっていながらっ?」
と、声を出さずにはいられなかった。
――実の父親ですら、そうなのか、と。
俺の言葉に、びくり、と、姫さんの身体が一度、震えて、強ばるように固くなる。
「えっと……っ?」
しどろもどろに、なんて応えていいか分からない少女の腕を、俺は、そっと離した。
――姫さんに、言ったって、そりゃ、応えられる訳がねぇよな
半分は、自分自身が信じたかったものが、裏切られたという、強い思いからだった。
(言い換えれば、こんなのただの八つ当たりでしかない)
ノクスの民である、俺は、ずっと虐げられてきた。
赤い眼を持って生まれたってだけで、人様には言えないような『人生』だった。
誰かから、怯えて過ごす毎日。
常に、死の危険か、奴隷になるかの二択と隣り合わせで、逃げて、逃げて、逃げ抜いたその先に、『シュタインベルク』っていう、国が、奴隷制度を完全に撤廃してるっていうから、だから、やってきた。
少しでも、今の自分を良くしたくて。
……それなのに。
(結局、この国も、根元【ねもと】から腐ってやがる)
一番、大事にされなければいけないお姫様が、大切にされてねぇんだから……。
その事実を、在り在りと突きつけられたようで。
自分という人間が『無価値』である、とレッテルを貼られたような、そんな、気持ちになる。
俺は、それでもまだ、大人だ。歯を食いしばって、全てを呑み込むことくらい、出来る。
それなのに……。
全てを呑みこんで全部を消化しちまうには、あまりにも幼い、十歳の少女は、そんな俺を見て、ふわり、と、穏やかに微笑んで……。
「私の代わりに怒ってくれて、ありがとうございます」
と、本当にそう思っているのだろう、柔らかい笑顔で、俺に礼を述べてくる。
流石に、その発言には、一瞬、時が止まった。
ここに来ても、このお姫様は自分のことなんて欠片も考えていない。
(嗚呼……)
もう、自分でも気付いてた。
どうしようもない程に、今。……俺が、この小さな皇女様に肩入れしてることを。
(情など欠片も持たなくていいのです。
誰もやりたがらない仕事ですが、打算で就いて見る気はありませんか?)
(打算……)
その言葉に、俺は確かにあの時、主に忠誠を誓わなくていいと、そう思った。
でも、このお姫様が、俺を必要としてくれるなら。
――他の誰でも無い、俺の、忠誠も、俺の命も……
(この、小さな、お姫様のもんだ)