……それから、どれくらい経っただろう。
少しは打ち解けてきただろうかと思いながら、サンドイッチも食べ終わり、一息ついたところで『……そういや、姫さん、古の森に行くって言ってたよな』と、セオドアが確認するように私に問いかけてくる。
一瞬、なんで知ってるんだろうと思ったけど、騎士団に話を通しておくと、皇帝が言っていたから、それで知っていたのだろう。……別に隠している訳でもないので、私は正直に頷く。
「はい。あそこにある砦に用があるので、その間、セオドアには私の護衛をお願いしたいんです」
「あそこは、そう危なくない場所らしいから大丈夫だろうが。
一つだけ聞くぞ? もしかして、まさかとは思うが、行くのは、姫さんと俺だけのつもりか?」
「勿論、そのつもりです」
はっきりと出した肯定にセオドアが「マジか……」と、小さく呟いて、隣でローラが驚いたように声をあげた。
「そんな、アリス様っ、危険ですっ! 私も連れて行って下さい!」
当たり前のようにそう言われて、私は首を横に傾ける。
使われていない砦だから、ちょっとだけ能力の使用が出来るかどうかとか、色々確認したら、帰ろうと思っていたんだけど、何か問題があっただろうか?
二人の反応に、不思議に思っていると……。
「ああ、そうだよなぁ……姫さん、まだ子供だもんな」
と、呆れたような雰囲気のセオドアから、そう言われてしまった。
「あのなぁ、古の森を通り抜けて砦に行くまでも、かなり歩くと思うぞ。
大人ならまだしも、姫さんくらいの歳の歩幅を考えると、森で、野宿しないと行けない。
それも、一泊じゃなくて何泊も、だ。
……往復だけでどんだけ時間がかかると思ってんだ。
皇族なら尚更、何日間か、向こうで過ごすことになるから、普通は、身の回りの整理をする人間とかも大勢、引き連れて馬車でいくだろ」
「……っ!」
(……そんなっ!)
十六歳まで生きてきて、物の分別くらいは、なんとか出来ている自信があったのに……、あまりの自分の常識のなさ加減に、思わずショックを受けてしまう。
前の時も、自由気ままに外に出られる身じゃなかったから、移動時間のことなんて、なんとも思わなかった。
そっか、そういうことも含めて考えなければいけなかったんだっ……。
「知らなかった……」
思わずぽつり、と溢した一言にセオドアが苦笑する。
「護衛一人とだけで行こうとする、その積極的な姿勢は、褒めてやるけど……」
そうして、なんとかフォローしてくれようとしたのだろう。
慌ててそう言われて、私は更に撃沈してしまった。
(中身は、もう、いい大人なのに情けない……っ)
そういえば、皇帝には『護衛騎士と一緒にいけ』って言われたけど、身の回りの世話をする人間も連れていけとは、一言も言われなかった。
あれって、身の回りの世話をする人間のことを連れて行くのは当然のことだから、特に言及されなかっただけだったりするだろうか……。
何にせよ、自分一人では本当に何も出来ないなぁと、痛感してしまう……。
「セオドア……。
ローラと、セオドアと、私だけだと問題ありますか? もっと、人がいないといけない、とか……」
「……いや、護衛っていう観点でいうなら問題はねぇよ、侍女のあんたは?」
「問題ありません。アリス様の身の回りのことは全て私にお任せ下さい!
ですが、砦が今どういう状況なのかにもよりますね。確か、もう、随分長いこと使用されてなかったはずですから、手入れのされていない城にアリス様が滞在されるのが不安です」
「それなら、大丈夫」
……古の森の砦は、仮にも皇族が所有している物件のひとつだ。
調度品や、家具などは手つかずのまま残っているはずだし、少々、埃っぽくても特に気にならない。
なんと言っても私自身、巻き戻し前の軸は、処刑される感じで牢獄の中に入れられていた訳だし……。
どんな場所も、あそこまでは酷くはならないだろう。
「あと、これだけは絶対に譲れないのですが、ロイも連れていくことを許可して下さい」
それから、ローラにそう言われて……、そういえば、能力の使用で体調が悪くなった時のことを全く考えてなかったと、私は思い直した。
「……? 医者を?」
怪訝そうな顔をする、セオドアに『お嬢様は身体が弱いのです』と、ローラが私に代わって説明してくれた。
それから、私を守ってくれる騎士なのだから、セオドアにはちゃんと能力のことも、砦に行く目的も伝えておいた方がいいだろうと、思って……。
「はぁ⁉︎ 姫さん、身体が弱いのか? 大丈夫なのかよっ?」
改めて、一から説明しようとしたら、思った以上に心配そうに此方をみてくるセオドアに思わず、私はこくりと頷きながら『大丈夫です』 とはっきりと声に出した。
その言葉に『……何処がですかっ?』と、言わんばかりのローラの心配そうな視線とかちり、と目が合ったんだけど、思わずその視線に耐えきれなくてそっと目線を逸らせば……。
「っていうか、皇女様が身体が弱いなんて話、聞いたことねぇんだけど。
だとしたら、姫さん、何のために、砦に行くんだ?
療養か? 違うよな、歩いて行こうとしてたくらいだし」
と、今度はセオドアから質問されて、私は真面目な表情になりながら真実を話すことにした。
「表向きは、皇帝が私に所有している物件をくれたから、それの下見、という名目ですね」
「……表向き?」
「実際は私に、能力の発現があったので。それがどこまでの範囲で使えるか、試し打ちするために、お父様が砦を下さったんです」
隠すことでもないから、きっぱりと、セオドアに、自分のことを説明する。
ローラが、能力のことをセオドアに説明してよかったのかと、窺う様な視線を向けてきたけれど、砦にいる間中、ずっと、着いてきてくれる騎士にはどうせ、私の能力を隠し通せはしないだろう。
私がもしも、行き帰りの道中だけしか、任務を遂行しなさそうな騎士を選んでいれば別だったのかもしれないけど。
ちょっとの間しか、一緒にいなかったけど、セオドアは、多分、違う。
(決して真面目には見えないけど、でも、契約を不履行にするような人じゃない)
自分に与えられた任務はきちんとこなすタイプなんじゃないかな?
だからこそ、しっかりと伝えておいた方がいい。
「……能力の、発現……?」
それから……。
私の説明を聞いていたセオドアが、ゆっくり、と地を這うような声で一言だけ、言葉を溢したことに、思わず、反射的にビクッと肩を揺らした。
「……?」
何か、怒らすようなことをしてしまっただろうか?
と、セオドアの方をそっと窺うように見たけれど、その表情はいまいち読み取れずに更に困惑する。
「セオ、ド……? ……ひゃっ!」
手首を掴まれて反射的に上を見上げれば、真っ赤なその瞳が、真っ直ぐに、怒ったように私を見ていて、思わずたじろいでしまったのと同時に、混乱してしまった。
「……もしかして、私が本当に魔女だったから。 やっぱり、仕える気を無くした、とか……?」
考えられることは一つしかなくて、落ち込みつつ、尻すぼみになりながら声を溢す私に……。
「ちげぇよ……』 と、一度、否定して。
「……能力者が能力なんか使ったら、どんなことになるかなんて馬鹿でも分かる……。
それを皇帝が、実の父親がっ、娘を物みたいな扱いすんのかよ。
それで、姫さん自身にどんな反動が出るかも分かっていながら……っ?」
と、低く、問いかけるように吐き出された言葉に思わずこちらがびっくりしてしまう。
……そんな風に言われるとは、夢にも思っていなかったから、なんて言えばいいのか、咄嗟に言葉が出てこなくて。
『えっと……っ?』と、一人、しどろもどろになってしまっていると、セオドアは小さくため息をついて、握っていた私の手首をそっと離してくれた。
「……ノクスの民が、なんで放浪の民って呼ばれてるのか、姫さんは知ってるか?」
そうして、ふと思い立ったように、セオドアが声をかけてくる。
突然の話の転換に直ぐにはついていくことが出来なくて驚きつつ、ノクスの民のことは、詳しくは知らない私は、素直に首を横に振った。
「この、赤い眼のせいだ」
「眼……?」
首を傾げて、分からない事を伝え……。話の続きを促せば、一度頷いてから、セオドアはまるで自分自身を
その目はもう、さっきまでの、怒ったような表情から色を変えていて……。
「コイツがあるせいで、俺等は何処へ行っても爪弾きだ。
……そもそも、一箇所に留まること自体が危険なんだよ」
「……あぁ」
聞いて、納得する。……考えてみれば分かりそうなことだった。
だから、一箇所に留まること無く放浪しているのか。
(どこへ行っても、何もしなくても、そこに居るだけで嫌がられるから)
……その気持ちは、私にも痛いほど分かるものだった。
「俺等に人権なんてない。その上、身体能力だけ馬鹿高いと来た」
「…………」
「もしも、そんな奴が身近にいたら周囲はどうすると思う?」
「……奴隷、ですか?」
私の言葉に、セオドアは、一度頷いてから『ご名答』と自嘲するように声を上げた。
「捕まえたら、そこそこの高値で売れる。何してもいい、奴隷のできあがりだ」
――俺の価値なんて、そんなもんなんだよ。
そうして、セオドアは笑いながら、そう言ったあと、鋭い視線を此方に向けてくる。
「放浪なんて格好いいこと言ってるが、隠れて逃げ続ける毎日だった。こっちに向かってくる奴には容赦なく攻撃した」
……その視線が。
「それでも、どんなに向こうが先に手を出したとしても、俺らノクスが悪くなる。そんな毎日の中、ある日、シュタインベルク っていう国が、奴隷制度を完全に撤廃してるって聞いて、やってきた」
ただ真っ直ぐに、行き場を無くしたものの悲痛を伝えてくる。
「能力さえあれば、認めてくれるらしいって聞いて。難関って言われてる、入団試験に、死に物狂いで合格して入って。
……そういう意味で俺は確かに運が良かったのかもしれない。
この国にたどり着けもせずに死んでいく同胞も見てきたからな」
運が良かったと、私にそう伝えるセオドアの瞳には、けれど、否定の色が強く、濃く映っていた。
「だけど、結局ここも一緒だった。
表向き、綺麗に着飾ってるだけで、耳触りのいい言葉を並び立ててるだけで、中身が伴っちゃいない。
その視線も、その態度も、俺を人間として、同じ存在として見てはくれなかった。
まぁ、そりゃそうだよな、それが、この世界のおおよその人間の価値観だ」
ひとつ、そう言って言葉を句切ったあと。
「だけどな……」
と、セオドアは真っ直ぐに私を見つめてくる。
「絵本だって、なんだって。お姫様は、敬われてる。
五歳の餓鬼だって、国の王様、王子様、お姫様の存在が偉いんだってことくらい分かってるだろ。
それだけ、偉いはずの人間が、なんだって俺と……。
俺等と、同じなんだよ。あんたはもっと、敬われるべきだろう?」
……そこで、初めて、今、セオドアが、私に向けて言ってくれた言葉の意味を知る。
私が魔女であることも、気にしないで。
(私の心配を、さっきからずっとしてくれてたんだ)
自分の、多分、言いたくない過去を私に話してまで。
――そうして、私の代わりに憤ってくれている。
嗚呼……。
(彼は、私だ)
さきほど、騎士団で剣を振るセオドアを見てそう思ったことが……、無遠慮に、仲間意識を持ってしまったことが、どうしようもないほどに、今になって恥ずかしくなってきてしまった。
(セオドアは、私とは違う)
だって、どうにかしようと、必死で動いてきたんだ。
自分の人生を勝ち取るために努力して。
我が儘ばかりで癇癪を起こして、最期、手元には何も残らず殺された私とは、そもそもの土台が違う。
――眩しいな。
と、心の底から、そう思った。
(こんな風に、生きていたら少しは何か変わっただろうか)
大切な人は、もう作らないと決めたのに……、巻き戻す前の軸は、いなかった大切をまた……増やしてしまった。
「私の代わりに怒ってくれて、ありがとうございます」
ふわり、と穏やかにセオドアに笑いかければ、毒気を抜かれたように驚いた顔をして、ばつが悪そうにセオドアは私から顔を背けた。