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第11話 セオドア



 ざわり……。


 私達がやってきたことで、突然の皇女の来訪を予期していなかった騎士達に動揺が広がったのが手に取るように理解出来た。


「お前達、皇女様が、訓練を見たいそうだ。……いつも通り鍛錬に励むように」


 一言だけ、そう言って。


 半ば、投げやりになった騎士団長を余所に私は一度、ぐるりと周囲を見渡した。


 我が儘を言ったからには、ここで自分の騎士になってくれる人をきちんと見つけなければならない。


 ――軽薄そうな、騎士……。


 さっきと同じように、ジッと、両目でくまなく訓練場を見渡してみたけれど、突然の私の来訪と、騎士団長がやってきたことにより、騎士達はみな一様に、鍛錬に取り組むフリをしていた。


 先ほどまで、地面にお尻をくっつけて喋っていた人間が何人もいたと思う。


 ……だけど、それが誰だったかまでは、私にも把握出来ていない。


(一瞬のことだったから)


 唇を、小さく噛んで、もう一度と、辺りを見渡せば、軽薄そうな顔をした、身なりの整ってない騎士は何人かいた。


 でも……、私の目を引いたのは、別にいた。


(この国では、|珍《・》|し《・》|い《・》|黒《・》)


 それだけで、人を惹きつけるには充分だったけど、目の前の騎士は、私が来たことにも気付いていないかのように、一心不乱に剣を振っていて……。


(どう見ても、ここにいる他の誰よりも劣っているようには見えない)


 ……それどころか。


 先ほど、皇帝が私用にと、間引いていた騎士達にも、彼は引けを取らないだろう。


 素人目にも、見ただけで、目の前の騎士が他とは一線を画するものだと、分かる。


(きれい……)


 決められた型でもあるのだろうか、流れるような剣さばきと、その立ち姿に。


 ――吸い込まれるように、目を引かれた。


「騎士団長、あの黒髪の騎士は……どういう人物なのですか?」


 私の問いかけに騎士団長の瞳が、一瞬にして、驚きに満ちた顔になったのを私は見逃さなかった。


 騎士団長は少々融通が利かない所があるけど、真面目だったという。


 彼の評判は、巻き戻す前の時間の私でもよく耳にしていたから知っている。


(誰にも分け隔て無く丁寧な人)


 誰かが話していた『噂話にも近いその発言』を思い出し、全く、当てにならないものだな、と内心で思った。


 驚きと共に、騎士団長の瞳に、一瞬だけ乗った侮蔑にも似た様なそんな表情。


(この人は、そんな表情をすることに、躊躇いのない人なんだ)


 この騎士団において、黒髪を持つ者は一人しかいないから、私と騎士団長の認識している人物が食い違っていることはないだろう。


「アイツは……ノクスの出身です」


 少しだけ、言いよどんだあと、騎士団長がそっと口を開く。


ノクス』を意味する彼らは、一箇所に留まることを嫌う放浪の民としても有名な異邦人だ。


 ――確か、の民族は、身体能力が、ずば抜けて高いんだったかな……。


(初めて見たから、分からなかった)


 なるほど、道理でこの国の人間とは違い、どこかエキゾチックな雰囲気が漂っている。


 よくよく見れば、確かに目の前の騎士がノクスの民であることが私にも目に見えて判断出来た。


 その黒髪と、赤色の瞳が、彼がノクスの民であることの何よりの証明だった。


『赤』


 思わず、小さく自虐するように、私は笑みを溢す。

 私の髪ほどではないけれど、身体的な特徴として、どこかに『赤を持つ者』は、それだけでこの世界の人間からは、忌避される存在である。


 どうして、放浪の民でもある彼が、この国に留まっているのかは分からない。


 だけど、一つだけ、確かなことがあった。


(彼も、また、私と一緒だ)


 ――何処へ行っても爪弾きの、異端者。


「あの黒髪の騎士にします」


 そう思った時にはもう、口から言葉が零れ落ちていた。


 私が望んでいた、軽薄な騎士のことなどはもうこの時点で頭から消えていた。


 ……シーン、と。


 まるで、時が止まったかのように、その場に静寂が訪れる。


 さっきまで、鍛錬していた騎士の動きも、今は面白いくらいに全員止まっていた。


 その中で、当事者である彼だけが、一切の乱れも見せずに剣の稽古に励んでいた。


「はっ? えっ? 皇女様……、それはっ」


 先ほどまで口に出しては言わないけれど、色々なことを呑み込んで、我慢していただろう騎士団長が、ここに来て、初めて慌てふためいたように声をあげた。


 私は、その言葉を無視して一歩、地を蹴って踏み出した。


 振り返ることもなく真っ直ぐ、二歩、三歩、四歩、と、ぐんぐん前へと進んでいく。


 距離はどんどん近くなっていくけれど、此方のことなどまるで眼中にないかのように、目の前の騎士は動きを止めない。


『ブン……!』


 という、鈍い音を立てて、空気を裂くような重い音が何度も何度もその場に響く。


 私は、彼の目の前で、ピタリ、と停止した。


「アリス様っ!」


 耳に届いた、ローラの声が悲鳴じみていて。


 ……どれくらい、そうしていたろうか。


 きっと、体感の時間がいつもよりもずっと、長く感じただけで、時間などあってないに等しい。


 ――


 黒髪の騎士が、剣を構えて、止めるまでの、その一秒にも満たない時間。


「……はっ、……無茶をする」


 目の前の騎士の口角が片方、面白いものを見るように吊り上がるのが見えた。


 彼の握っていた剣の切っ先が、私の頬、数センチの所でぎりぎり止まっている。


 そこで初めて、空気として、私は息を吸い込んだ。


「ここまで、しないと。

 私の騎士になってくれない気がしました」


 最悪、斬りつけられたその瞬間……。


 ぶっつけ本番で時間を巻き戻すことも、視野に入れていたけれど、そうならなかったことに、内心で安堵した。


「私の騎士になってくれますか?」


 はっきりと自分の希望を口に出せば、剣を鞘に収めた、目の前の騎士は、嫌悪感を隠そうともせず。


「否定出来る権利でも与えてくれるのか? 随分と、お優しいんだな」


 と、声に出す。


 ぶっきらぼうに吐き出されたその言葉には棘しかない。


「我が儘三昧だって聞いてたんだが。

 ……皇女様はどうやら、噂と違って、随分と博愛主義らしいな。俺が何者なのか分かってて勧誘してるのか?」


『疑心』


 それは、虐げられてきた者にしか分からない感覚だろう。


 伸ばされた手を素直に受け取るその前に、まず疑う。


 目の前の人物が、どういう意図で言葉を発しているのか、甘い言葉のその裏に、何が見え隠れしているのか……、だって、あとで、酷い目に遭うのは自分なのだから。


(だからこそ、本当に無償で手を差し伸べられていても、その手を取ることに躊躇する)


「それは、私も一緒です」


 はっきりと出した私の言葉に、驚いたように彼は目を見開いた。


 それ以上説明をしなくても、その言葉の意味は、誰よりも痛いほどに理解出来ると思う。


「魔女の騎士をしてみるつもりはありませんか?」


 彼がノクスの民である以上、騎士団での出世は望めないだろう。


 今の騎士団長が、人を選んでいるうちは、特に……。


 そうなのだとしたら、魔女である私の騎士にしてもいいのではないか。


 お飾りの皇女であろうと、魔女であろうと、一応、皇族の護衛騎士を経験していれば、箔【はく】がつくし、今よりも何倍も給金が支給される。


 何より、一度与えられた『騎士としての地位』を簡単に降格させることは出来ない。


 ――


(彼は、私だ)


 過去の私、そのもの。……だからこそ、こんな風に肩入れしていることに私自身が気付いている。


「……それで、あんたに、どんな利があるんだよ?」


「ノクスの民のずば抜けた、身体能力です。私が目の前に来た時に、一瞬で振り下ろしている最中の剣を止めるのは、並大抵のことでは出来ないでしょう?」


 そうして、私がそうだったように、懐疑的なその言葉には、『感情論』よりも、真っ直ぐに。


(あなたの持っている能力がほしい)


 と、本当のことを伝えた方が何よりも効果的だと思う。


「……っ」


 ここにきて、初めて。


 ……それ以上、言葉が出てこなくて、言いよどむ、目の前の騎士に私は笑った。


「情など欠片も持たなくていいのです。

 誰もやりたがらない仕事ですが、打算で就いて見る気はありませんか?」


 そうして、自信満々にそう伝えれば……。


「はっ、皇女とも思えねぇ、とんだ、誘い文句だな」


 と、暫くしてから、その唇が自嘲するように歪み、降参したような表情を一瞬見せたあと、真っ直ぐに私を見つめて。


「セオドア、だ。よろしくな、姫さん」


 と、彼は、自分の名前を簡潔に私に教えてくれた。





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