振り向いて……。
「……ああ、ローラ」
と、いつものように名前を言いかけた所で止まる。
そういえば、もっと、子供らしく出来るようにならないといけないな、と考えてから……。
「ローラ」
結局、どうしていいか分からず、その名前だけを呼んだ私は、意気消沈してしまう。
ローラやロイは私のことを思ってくれているのが分かるからまだいいと思うけど、今後周りから見ても変な子供に映るだろうし、それだけは避けたい。
……いや、既に第二皇子であるギゼルお兄様にやらかしてしまったことを考えると、頭が痛いな。
(もういっそ。開き直ってこのままでいようか)
一度目の人生を思い出してみたけれど。
目に見える全ての人が敵だったから、誰も信用出来なくて、されたことに関して同じように振る舞って……、手当たり次第に文句を言っていた自分を思い出して、なんの参考にもならなかったので、早々に諦めた。
(どうせ、出来ないものは出来ないし……)
ローラやロイみたいに親身になってくれる身近な人間もそういない。
前では、素の自分というものが何だか段々分からなくなって、投げかけられる理不尽な言葉の暴力に、周りにいる全ての人が私に対の敵だったということもあって、ローラやロイといった本当に私のことを見てくれる数少ない人の優しさに気付くことも出来ずに、何かを言われる前に自分から人を突っぱねて遠ざけるようなことをしていたけれど……。
今は、周りにも期待しなくなったし、それ以上に、私の傍にいてくれる身近にいる人を大切にしたくて、そういうふうに壁を作って、自分を武装していた部分が消え去ったことで、大分、本来の自分に近くなっていると思う。
それに、二番目の兄に刺し殺されて後悔したことを思えば、前までのように振る舞うのは、凄く嫌だし……。
あまり深い知り合いではない人間にはとりあえず、お父様やお兄様に話していたように敬語でも喋っておけば、少なくとも傲慢で我が儘な皇女というイメージは避けられるかも。
……半ば、なげやりにそんなことを考えていると。
「お洋服、ご自分で着替えられたのですかっ」
と、ちょっとガッカリした雰囲気を醸し出しているローラと目があった。
「ああ、うん、変……かな?」
「いえっ! とても、お似合いです。ですが、私もいましたのにっ」
――遠慮なく、呼んで下さればっ!
と、声をかけてくるローラに私は思わず苦笑する。
「うん、でも、一人で、何でも出来るようにしたいんだ。なるべく、誰の手も
(いつまでも、ローラが私の傍についてくれる訳じゃないから……)
という、一言は決して声には出さなかった。
彼女を信頼していない訳じゃなく、その逆で……。
私が死ぬその瞬間には、ローラも、私を慕う数少ないであろう人間は全て、居ない方がいいにきまってる。
だから私は時期が来たら、ローラを解雇するつもりでいる。
せめて、身ぎれいにしておけば、私が死ぬだけですむだろう。
今後の目標は、ひとまず、それだ。
その前に、少しでも、『あの日の恩返し』が出来たならいいと思う。
もしも、二度目のこの人生に意味があるのなら、私は今度こそ間違えない。
今度こそ……。
(私は、私の大切な人だけでも、せめて守れるようにしておかねば……)
そのためには、巻き戻し前の人生のように振る舞っていてはダメだ。
――例え、同じ場所で、同じ日に、死ぬ事になろうとも ……。
私の言葉に一つ、息を詰まらせたようにひゅっと、声にならない声を出したあと。
「それでも、私がいる時は呼んでほしいです、アリス様」
と、ローラが声をかけてくれる。
……本当に、私には勿体ない従者を持ったと思う。
たった一人でもそういう風に言ってくれる人がいるだけで全然違う。
「わかった。今度からまたお願いするね」
「明日からです」
「……こん、」
「あ・し・たっ!」
「……明日から……」
「はいっ!」
言いながら、すごく嬉しそうに口元を緩め……。
「今日のお洋服には、どの、おりぼんを、合わせましょうか?」
と、声をあげながら……。触れることも嫌がらずに、私の髪を結わえてくれるローラに合わせるようにして、私は小さく笑みを溢した。
「これがいい」
指さした先にあるのは、お母様が唯一私にくれた自分の好みを前面に押し出したものでも、皇帝であるお父様が購入してくれた華美なリボンでもなくて。
――本当は『時間が戻る前』一番といってもいいほどに気に入っていたのに。
(市井の物でお恥ずかしいのですが、アリス様にお似合いだと思って)
と渡されて、皇女という安いプライドのせいで一度も身につけなかった、ローラからのプレゼントだった。
私の一言に、驚いたように目を見開いた彼女は……。
「はいっ! 絶対に似合うと思いますっ」
と、そのあと、パッと笑って、弾んだ声を出してくれる。
……それから、どれくらい経っただろう。
他愛ない話の切れ間……。
「そういえば花瓶のお花、しおれちゃっていますね」
と、声をあげたローラは……。
「明日、新しいお花を持ってきますね、ついでに今綺麗にしてしまいましょう」
と、一度、私から離れて、部屋に飾ってある花瓶へと向かっていく。
そうして、花瓶を持った、その瞬間……。
ずるり、と床から足が滑ってローラの身体が傾くのが見えた。
『危ない!』と咄嗟に、そう思った刹那……。
――ぎゅるり、と体内の、とでも言えばいいのか。
周囲の、とでも言えばいいのか。
空間が、よじれて……。
【「そういえば花瓶のお花、しおれちゃってますね」】
――
そうして、『あっ!』と思う間もなく……。
【「明日、新しいお花を持ってきますね、」】
と、声をあげながら、私から離れていく。
「ローラっ!」
反射的に、声をあげた。
『ついでに……』と声を続けそうになったローラの足がぴたり、と止まり。
「どうか、しましたか?」
と、此方へと振り向いてくる。
「ううん、……なんでもない」
一言だけ、そう言った私の言葉にローラが穏やかに微笑んで、もう一度、花瓶にむかって、手を伸ばす。
今度はその足が滑って転ぶことはなく。
「今、綺麗にしちゃいますね」
と、嬉しそうに彼女が花瓶に手をやりながら再度、此方に振り向いて笑う。
「……っ! アリス様っ」
その瞬間、笑顔だったローラの顔が次第に曇り……。
そうして引きつった顔になるのを、私はどこか遠い頭の中で認識していた、と思う。
がしゃんっ! と何かが落ちて、激しい音が辺りに響き渡る。
(あれは、かびんが、落ちた……おと?)
――ごぽ、り。
それと、同時に、
――嗚呼、本当に……。
なんの、因果なのだろう?
(前に生きていた時、あれだけ傾倒したというのに……)
今。……目覚めたとでも言うのだろうか。
――魔女の能力に……。