ゆるり、と唇が歪んでいく。
赤いルージュをその口に引いて
記憶の中の母は、いつも
……孤独に、嗤っていた。
『
『蛙の子は蛙』
『私が悪魔だというのなら……』
『ねぇ、アリス』
『私の可愛いアリス』
――あなたが悪魔じゃない訳 、無いわよね?
***********************
……呆然と鏡の前に立ち尽くしていた。
気付いたら、ローラがお医者さんを連れて戻ってきていて、心配された
確か、お医者さんの名前は……ロイと言っていたような気がする。
よっぽど、真っ青な顔をしていたのだろうか。
お医者さんであるロイが慌てたように私の顔を覗き込み、ローラと一緒に心配そうな顔をする。
「アリス様、誘拐されたことは覚えていますか?」
聞かれたことに、私は素直にこくりと頷いた。
十歳の、夏だった。
その日、私は普段、滅多に外に出ることがないお母様に手を引かれ歩いていた。
皇女という『立場上』皇后だったお母様と同じように、頻繁に外に出られる生活を送っていなかった皇女の私は、母がどこへ行くのか、何をするのか、不安と、そうして期待に満ちていたと思う。
外に出なくても、望む物なら、おおよそ何でも手に入った。
……お母様も、そうして私も。
欲しいものがあるのならば、皇帝陛下、お父様に頼めば、大抵のものは買って貰うことも出来た。
でも、『外』は、私にとっては未知のもの。望んでも、なかなか行けるものではなかった。
ましてや、母と出かけるなんて初めてのことで、……そうだ、柄にもなく確かに私は浮かれていたのだと思う。
それが、全ての始まりで、
「お母様と、出かけたあと、買い物帰りに乗っていた馬車が事故に遭って」
「そうです……!」
「そのあと、誘拐されたんだ……。
ああ、そうだった、確か犯人は、第二妃のテレーゼ様が皇后になるべきだからと、私と、お母様に
「……っ!」
事実を口に出しただけだったのに、痛ましい者を見るような瞳で見られて思わず口を噤【つぐ】む。
何か、問題発言をしてしまっただろうか。
……まぁ、実際この件は、皇室とは無関係の貴族でも何でも無いただの一般人が犯人だったから、乾いた笑いしか漏れないんだけど。
『どれほど、周囲から自分が嫌われていたのかが、この事件一つとっても、客観的に分かってしまう』
そうして、薄らぼんやりと、事件の全容を思い出してから……。
「そのあとのことは……。その後のことは、覚えていらっしゃいますか?」
と、問われて、……嗚呼、と、納得した。
「……お母様……」
そうだった。
この事件で私は誘拐されて、そうして助かったけれど、お母様は、亡くなってしまったんだった。
『紅色の髪は魔女の証』
『蛙の子は蛙』
『私が悪魔だというのなら……』
『ねぇ、アリス』
『私の可愛いアリス』
――あなたが悪魔じゃ無い訳、ないわよね?
ぶわり、と鮮明に記憶が蘇る。
洗っても、洗っても、消えない言霊みたいに。
蛙の子は蛙とは、良く言ったものだな、と今は思う。
もしも、今、この瞬間が『私の過去』を再びなぞっているのなら。
母の喪が明けるその前に、皇帝陛下であるお父様から、正式に、私の継母でもあるテレーゼ様を第二妃の立場から、皇后に繰り上げることが発表されたはず。
私が起きた時には既に、それは決まっていて、その決定が覆ることはなかったと思う。
だからこそ、今後、より一層『魔女狩りの勢力、貴族達の発言権』が強まることは分かっている。
「申し訳ありませんっ、アリス様。
……手は尽くしましたが、皇后様は、お亡くなりに」
私のぽつりと溢した呟きに、ロイがなんとも言いにくそうに言葉を並べた。
一度、経験していることだから、私自身、予想以上に冷静だった。
「ありがとう」
小さく述べたお礼は、このお医者さんが私達のことを偏見の目でみることなく、常に皇族として、この事件のあとも何かと気にかけてくれていた分のお礼も入っている。
それに、もしも仮にこの事件が無かったとしても、母は短命だっただろう。
十六歳の時に、異母兄弟であるお兄様の手で殺された……。
――私が、そうだったように
「……ありがとう。最期まで、お母様に手を尽くしてくれて」
……そうして。
「テレーゼ様が、皇后になることが決まったんですね?」
一言、事実を口にすれば、ロイの顔のみならずローラの表情も一気に強ばったのが見てとれた。
言いにくいことを口に出させるのは
――父は、母と政略結婚だった。
『この世界では、紅色の髪を持つものは、特殊な能力を持つ魔女だとされた』
誰がそう言いだしたのかは分からない。
だけど、決まって証が現れるのは女性であり、彼女らは不思議な力を持っていた。
あるときは、
また、あるときは、
その力は、人々によくないもの物をもたらす呪いだとこの世界では信じられている。
実際、力を持つ人達はみんな『短命』であり、身内にまで不幸が及ぶと言われていた。
だからこそ、紅色の髪を持つものは人々に忌避される存在である。
能力を持っていても、持っていなくても、関係ない。
『紅色の髪を持つ者がこの世界の魔女であり、絶対的な悪だった』
それは、公爵家に生まれた母も例外ではなかった。
だけど、生まれる前から母は、五歳違いの、当時皇太子であった現皇帝の許嫁と決まっていた。
(お母様は、能力は持っていなかったけど、世間から後ろ指をさされて、魔女扱いされて、そうして不運なことに皇后だった)
生まれながらに悪を背負わされたものが、当然支持などされるはずもない。
それでも、権力を持ち、それを振りかざすだけの力は母に与えられた。
……そして、私にも。
考えれば、考えるほどに、その事実こそ『皇室の間違いだった』と今なら分かる。
「アリス様……」
ローラが気遣うように私の事を見てくれる。
私はそれに大丈夫だと、口元を緩めて穏やかに笑ってみせた。
――すごく、不思議な気分だった。
自分自身でも驚くほどに、物に対する執着が消えていた。
殺される前までは、色んな物に執着していた。
どれほど焦がれても、手に入らない物には、特に……。
『自由に外を歩き回ること』
『誰にも縛られない人生』
そして……。
『誰かから与えて貰える、無条件の愛』
……私には、どれも、何一つ。
結局、最期まで、手に入らなかった物だった。