三人を追いかけて離れに隣接する訓練所に到着すると、ちょうどルルベルが使用人に頼んでいた模造刀が届いたところだった。
「長いのと短いの、どっちがいい?」
「俺はどちらでも。アルベルトさまが得意なほうでいいです」
「あ、そう? じゃあお言葉にあまえて僕は長剣にしようかな」
ハルモニアは手渡された短剣を、表情の読めない顏で見つめた。
「長剣のほうがいい?」
「いえ、かまいません」
ハルモニアはかぶりを振って、短剣を受け取る。
その手が震えているように見えて、リリーはますます心配に思う。
剣が扱えることを言わなかったのには、なにか事情があるのかもしれない。もしそうであれば、いま無理強いさせるべきではないのだろうか。
そう思うものの、リリーはなにも口を挟めない。ふだんは温厚なアルベルトだが、こういうときは自分のやりたいことを優先させる圧を放つのだ。ルルベルもそれを感じているのか、なにも言わない。
「ルルベル、合図をお願いしてもいいかな」
「はい」
ルルベルが二人の間に立つ。一歩うしろにさがって、すっと手を挙げた。
「はじめ」
そこからは一瞬だった。
アルベルトが振りおろした長剣が、目にもとまらぬ速さで宙を舞い、気がついたらアルベルトが尻もちをついていたのだ。
短剣をアルベルトに向け、見下ろすハルモニアの目は冷たい。
模造刀とはいえ、切っ先は鋭利だ。幸い落ちた先には誰もいなかったが、リリーやルルベル、野次馬の使用人たちは圧倒されて言葉が出ない。
室内は、水を打ったように静かだ。
リリーにはハルモニアが圧勝したこと以外、なにもわからなかった。
「はは、すごいな。きみ、剣の訓練を受けたことがあるのかい?」
「なくはないですけど……ほとんど見よう見まねです」
「そうか、筋がいいんだろうな」
アルベルトがのんきに笑うと、ようやく人々がざわめきだす。
リリーはアルベルトのもとへ駆け寄り、二人の間合いに入った。ハルモニアはぎょっとして短剣をしまう。
「アルベルトさま!」
「ああ、大丈夫だよ、リリー。あ、ちょっと喉が渇いたから、水をもらってきてくれないかい?」
「わかりました」
「おつかいを頼んでわるいね」
リリーは使用人を連れてぱたぱたと走り去っていった。
***
リリーのうしろ姿を目で追いかけていたハルモニアは、アルベルトが立ち上がったのに気づくと、彼に視線を向ける。
「リリーに聞かせられない話ですか」
アルベルトは目を丸くする。
「おまけに察しもいいときた。詮索するつもりはないけれど、きみはただの奴隷じゃないよね」
「……命令でなければ答えません」
ハルモニアの表情は固い。ただ、眉間にしわを寄せてアルベルトを睨んでいる。
「はは。いいね、リリーの前でのあまえた態度は気に食わなかったけど、そういう表情は嫌いじゃないよ」
そう言うこの男こそ、リリーの前ではいかにも善人ぶった態度をとっていて、ハルモニアは気に食わなかった。言葉には出さないものの、そんな気持ちで彼を見ると、すべて見透かされたように鼻で笑われる。
「どうだい、騎士団で訓練を受けてみないかい」
「は?」
思ってもみない提案に、ハルモニアは驚く。
「え……あの、俺はべつに、リリーと一緒にいられればそれでいいのですが」
「ただの子どものきみがずっとこの家にいられると思っているのであれば、いますぐそんな甘い考えは捨てなさい」
ハルモニアは目を見開いた。
「酷なことを言うようだけれど、現状のきみは持たざる者以外の何者でもないんだ。レイモンド卿もリリーもやさしいから、きみがなにも持たないただの子どもでもここに置いてくれるのだろうけど、たとえ彼らが許しても世間はゆるさない」
わかるだろう? とアルベルトは口の端をつりあげる。
「リリーの隣に立ち続けるには、それ相応の身分と実力が必要なんだよ。なんにも持たないただのガキなんて、レイモンド家をよく思わない人々からしたら悪い噂の種でしかない」
「悪い噂……」
リリーが「ろくに魔法が使えない落ちこぼれ」で「性格もちょっと変わっていて」、「お人好し公爵令嬢」だということを、屋敷の外の人々がおもしろおかしく話しているらしい。はじめてその話を聞いたとき、ハルモニアは全身の血が湧きたつような怒りを感じた。
本人だって気にしているようだが、家族や使用人の目を気にしていつもへらへらと笑っている。
――俺を助けてくれたあの人を馬鹿にするのは、誰だって許せない。
「きみはそれらの悪意からリリーを守れるの かい」
「……強くなる。紹介してください」
「物分りのいい子どもは好きだよ。騎士団長に手紙を書いておくから、よろしくね」
そう言って、アルベルトはウィンクした。
キザなしぐさに腹が立ったが、彼は彼でリリーのことを大切に思っているようなのでぐっとこらえて頭を下げる。
「あ、リリーだ」
アルベルトのつぶやきに顔を上げると、ちょうどリリーが訓練所に駆け込んできたところだった。水と救急セットとタオルと着替えを抱えているが、どたばたと慌てふためいていて、いまにも転びそうで危なっかしい。
ハルモニアがそわそわしていると、案の定リリーは盛大に転んで、手に持っていたものをぶちまけた。
ユナやほかの使用人が慌てて駆けつける。
「救急セット、リリーがいちばん必要じゃない」
これまで静観していた姉のルルベルもそばに寄り、呆れてそう言う。
「は、はは……」
「貸してちょうだい」
ユナがルルベルにガーゼと消毒液を手渡すと、彼女は慣れた手つきでリリーの怪我を消毒しはじめる。
「お姉さまもアルベルトさまも、すみません。ユナも付き合わせちゃってごめんね」
「いつものことじゃない」
「いつものことですから」
「はは、そうだね。水は無事だから問題ないよ。おつかいありがとう」
姉とアルベルト、ユナがリリーを囲んで笑い合う。
ハルモニアは、すこし離れたところでそれを眺めていた。