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episode.07 お姉さまの婚約者


 翌日、約束どおり、姉ルルベルの婚約者であるアルベルト・ディジーが家に遊びにきた。

 訪問の報せを受けてルルベルとともに玄関へ向かうと、二人よりもはやく屋敷中の大型犬が彼めがけて集まっていた。温厚で柔和なアルベルトは、人間だけではなく犬にも大人気なのだ。


「ちょ、きみたちどうしたの! いつにもまして熱烈だなぁ。うれしいよ」


 玄関で犬に囲まれて顔中をなめられたりにおいを嗅がれたりしているアルベルトは、二人の姿を認めると苦笑いを零した。

 うしろからついてきたハルモニアは、大型犬たちの興奮具合にびっくりしてリリーのドレスの裾を掴む。


「アルベルト、大丈夫?」

「だ、大丈夫だ。ありがとう、ルルベル」


 ルルベルと一緒になって大型犬を一匹ずつ引き剥がす。ハルモニアも怖がりながらもリリーと一緒に犬を引っ張ってくれた。


「こら、お客さんを困らせないって何回言ったらわかるの」


 犬たちはルルベルに叱られて不満げに耳としっぽをたらしながらも、諦めきれないのかアルベルトのまわりをうろついている。

 ようやく落ちついたところで、アルベルトはもみくちゃになった衣服と髪を整えて、スっと立ち上がった。


「レイモンド公爵家の犬たちは人懐っこくてかわいいね」

「かわいいなんてもんじゃないわよ。でも、こんなに好かれているのはあなたくらいなのよ。なんでなのかしらね」


 ルルベルが肩をすくめてリリーに視線を寄越した。犬と仲がいいリリーも不思議で仕方がないので、首をかしげてアルベルトを見る。

 アルベルトは二人からじっと観察されて、シルバーブロンドのさらさらの長髪をかきあげた。

 紺のベストに同系色のパンツというシンプルで上品な衣装は、ディジー公爵家の次男にふさわしい。犬の毛にまみれてもなお清潔感に溢れ、リリーにはきらきらと輝いて見える。


 ――きっとアルベルトさまがかっこよくてやさしいから、犬たちも夢中なのよ。


 姉の婚約者のことが大好きなリリーは、心の中でそう結論づけて一人満足げにうなづいた。


「あ、リリーはバカンス中なんだっけ。どう?満喫している?」

「犬猫と遊んだり、ユナと外に出かけたりして楽しんでいます」

「そう、楽しんでいるならよかった。ところで今日は屋敷にずっといるの?」

「はい」

「そう! じゃああとでルルベルと遊びに行くからね」


 アルベルトに微笑まれ、リリーの頬はほんのりと熱くなる。

 二人のやり取りを見ていたルルベルは、「年の離れた兄妹みたいね」と微笑む。


「たしかにそうだね。僕は末っ子だから、妹ができてうれしいんだよ」


 アルベルトには年の離れた兄が一人いた。ディジー公爵家は、その長兄が跡を継ぐと聞いている。だから、アルベルトはルルベルと結婚してレイモンド公爵家に婿入し、跡を継いでもらう予定なのだ。

 ディジー公爵家とレイモンド公爵家は古くから親交がある。男児のいないレイモンド公爵家を見かねたディジー公爵家が婚約話を持ちかけたので、二人は幼いころから婚約関係にあった。

 リリーはむかしからやさしくて大好きなアルベルトが、大好きな姉と結婚してくれるのがうれしくて仕方がない。それに、近い将来、アルベルトがずっとこの屋敷にいてくれることになるのが楽しみなのだ。



   ***



 ルルベルとアルベルトと別れて自室に戻ると、ハルモニアが「ねえ」とリリーを見上げた。


「なあに?」

「リリーには婚約者っているの」

「いないわ」

「なんで?」


 無垢な瞳で見つめられ、リリーはうっと言葉に詰まる。

 リリーには、生まれてこの方婚約者という存在がいたことがなかった。家柄も性格も問題ないはずだし、容姿だって姉や母と比べるとぼんやり顔なものの、とりたててわるいわけではないはずなのだが……巷で流れる噂が邪魔しているとしか思えない。

 お人よし公爵令嬢。

 べつに悪い噂ではないはずなのだが、名門レイモンド公爵家に生まれながらに治癒魔法しか使えない落ちこぼれという事実も手伝って、人々からなんとなく敬遠されているのを感じる。

 でもあまり気にしているそぶりを見せると、ユナが怒って心配するので、のんびりしているように装うしかないのであった。


「……あまり私はできのいい子じゃないから、もらってくださる方がいないのよ」


 正直にそう言って笑うと、ハルモニアは首をかしげた。


「そんなことない」

「そう? うれしい」

「うん。そんなことないよ。リリーはすてきだもん」


 力強い声だった。驚いてハルモニアを見ると、頬を膨らませて怒っていた。

 ぷりぷりしているハルモニアがかわいくてつい頬ずりすると、ハルモニアは恥ずかしがって顔を真っ赤にした。


「ね、ねえ……リリーは、あの人のことが……」

「ん? なんて言ったかしら」


 ごにょごにょとしゃべるのでうまく聞き取れない。

 聞き返すと、ハルモニアは真っ赤な顏のまま「なんでもない」と言って、リリーの胸元に顔をうずめた。


「お嬢さま、失礼します。ってなにやってるんですか!」


 お茶を淹れに外していたユナは戻って来るやいなや、リリーがハルモニアにくっついている光景を見て大きな声を出す。


「ハルがかわいくって、つい」

「つい、じゃないです! 未婚の女性がそんなことをしてはいけません」

「まあまあ、ハルは子どもなんだからいいじゃない。そんなに声を荒らげないでよ」

「子どもって言いますけれど、もう十四歳ですよ!」


 ユナに叱られて、あらためてハルモニアをまじまじと見る。

 奴隷生活のせいで痩せこけていた身体は、徐々にまともになってきていて、頬なんかはだいぶふっくらしたように思える。よく見ると喉ぼとけが出ていて、首筋や手はごつごつしていて男性らしさを感じる。

 身長はまだリリーのほうが高いが、近いうちに抜かされるだろう。しかし、身体がいくら成長したとしても、その子犬のようなかわいい顔立ちのせいで、いつまでたっても年のわりには幼く感じるのだろう。

 じろじろと見ていると、ハルモニアはむっとした顏でリリーを睨んだ。


「……そうだよ。俺、十四歳だよ」

「あらまあ、ごめんなさいね」


 そんな表情もかわいくて仕方がないのだが。それを本人に言ったら怒るのは目に見えているので、リリーは素直に謝ることにした。


「あ、そういえば、ルルベルさまとアルベルトさまがお呼びでした。手が空いたら、ハルモニアと一緒に庭に来るようにと仰せつかっています」

「ハルモニアも一緒に?」

「はい」


 さっき玄関で迎えたときに、知らない子どもがいたことが気になったのだろうか。

 貴族の茶会なんて知らないハルモニアを巻き込むのはいささかかわいそうではあったが、アルベルトの頼みなら仕方がない。そもそもアルベルトはマナーがなんだといちいち言ってくるようなタイプではないから、問題はないだろうが……

 ハルモニアをちらりと見ると、「わかった」とうなずいた。

 どうせアルベルトにハルモニアのことを話さなければいけないので、ちょうどいい機会かもしれない。


「わかったわ。行きましょうか」


 そう言って、ソファから立ち上がる。

 今日はどこにもぶつからなかったと得意げになっていたリリーだったが、廊下に出た瞬間、ドレスの裾を踏んでよろめいたのであった。


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