そんなこんなでぶじにレイモンド公爵家に受け入れられたハルモニアだったが、どうやら人見知りが激しいようで、朝も夜もリリーにくっついて離れない。
リリーが家庭教師や習い事で席をはずそうとすると、ハルモニアはいまにも泣きそうな顔をするのだ。
「ハルモニア、あなたいい加減にしなさい! お嬢さまの勉強の邪魔をしたいのですか」
ハルモニアが屋敷に来て二週間が経ったころ。
自室で課題に取り組むリリーの隣に、当然のようにハルモニアが座っていた。それを見たユナが、ひな鳥のようにリリーのうしろをついてまわるハルモニアにとうとう我慢ができなくなったのか、声を荒らげた。
「こら、ユナ。大きい声を出さないの。私は邪魔に思っていないからいいのよ」
「ですが、いくらなんでもお嬢さまに懐きすぎです。というか、人見知りすぎですよ。学院の休みが明けたらどうするおつもりなんですか? さすがにハルモニアは連れていけませんよ」
たしかに、とリリーはうなる。
ハルモニアを買ったあとすぐに学院がバカンスに入ったから、リリーは一日中屋敷にいてハルモニアの相手をすることができていた。新学期になってリリーが家を空けることになったら大変かもしれない。
――泣かせちゃったらかわいそうよね。
ハルモニアをちらりと見ると、困り眉でリリーを見上げていた。
さいしょは怯えていたハルモニアだったが、いまではすっかりリリーに懐いていた。子犬のように好意を全面に出してあまえてくるので、リリーも悪い気はしていない。むしろ、年の離れた弟ができたようでうれしく思っているのだ。
リリーとハルモニアは二歳しか年が離れていないが、顔立ちのせいかハルモニアは年のわりには小柄で幼い印象。それもあってリリーは彼がかわいくて仕方がないのだ。
「ハル。私ね、学院に通っているの。あとひと月くらいで休みが明けるから、そうしたらハルは日中、お屋敷でお留守番することになるわ。できる?」
ハルモニアは長いからハルと呼んで、と本人に言われ、リリーはそれに従っていた。ほかの人には言ってないみたいで、何の気なしにユナが「ハル」と呼んだら、あからさまに嫌な顔をした。
あのときのハルモニアの顔を思い出して、リリーはつい微笑む。
「なんで笑ってるの?」
「思い出し笑いよ。で、ハル、お留守番できる?」
「お嬢さまが許しても、私が許しませんからね」
二人きりのときはよくしゃべるようになったハルモニアだったが、ほかの人の目があるとどうにも縮こまってしまう。
ユナが睨むと、ハルモニアは唇をぎゅっと結んだ。
「こら、ユナ。あんまり凄まないの」
たしなめると、ユナはハルモニアに舌をべーっと出す。
ハルモニアもわかりやすくむっとして、ユナを睨んだ。
出会って二週間足らず。二人はなぜかすでに犬猿の仲なのであった。
「でもほんとうにどうしましょうね。ハルモニアに読み書きを教えているけれど、そうすぐには学院に転入させることはできないでしょうし」
「そもそも、お嬢さまが通う学院は、よっぽどのことがないと転入できないんですよ」
「あらそうなの」
リリーが目を丸くすると、ユナはうなずく。
「ええ、貴族が多く通う学院ですからね。セキュリティとプライドの両面から、転入をあまり認めていないみたいです」
プライド、とリリーはつぶやく。
たしかにリリーの通う学院は、国の将来を担うようなエリートや、魔術や剣術に優れた学生が数多く在籍する名門校だ。もちろん、学生のほとんどが貴族階級。
リリーは家柄に加えて、治癒魔法が使えるのとそれなりに勉強ができるので、なんなく学院に入学することができた。しかし、現状、頭脳も家格もなにもないハルモニアには少々厳しいのかもしれない。
「例外はないの?」
「よっぽど優秀なら転入できるのかもしれませんが、私が知っているかぎり、過去にそんな事例があっただなんて聞いたことがありませんね」
「そう……」
物知りなユナが言うなら、ほんとうに転入は厳しいのかもしれない。
父親に宣言したとおり、リリーはハルモニアに勉強を教えていた。最初は文字を読んだり書いたりできなかったハルモニアだったが、二日もするとすらすらと読み書きができるようになった。いまでは初等部の子どもが読むくらいの本なら、なんなく読めるようになった。
スポンジのような吸収力に驚くリリーだったが、とはいえさすがにいますぐ学院に通えるような学力が手に入るとは思えない。
「まあ、ハルのことはおいおい考えましょうか。学校はほかにもあるのだし、べつにひと通りの読み書きと計算ができるようになれば、むりして学校に通う必要もないのだから。それよりも、ハルにやりたいことが見つかったら、それをすればいいのだし」
リリーがそう言うと、ハルモニアはこくりとうなずいた。
「公爵さまにご相談してもよいのではないでしょうか。たしか、このあとお話しするお約束をされていましたよね」
ユナに言われて、リリーはハッとする。
ハルモニアを屋敷に連れ帰ったあの日以来、父は仕事が忙しくてまともに話ができていなかったのだ。お金のことも、ハルモニアをどうするのかも、なにもかも相談できていない。
――とくにお金のことよ。一億なんてさすがに怒られるかしら……。でもハルモニアがかわいいんだからしょうがないじゃない!
掛け時計に目をやると、約束している時間の五分前だった。
「た、大変だわ! いますぐ行くわよ!」
勢いよく立ち上がると、足を思いっきり椅子にぶつけてしまい、リリーはうずくまった。
「お嬢さま!」
「リリー!」
「だ、大丈夫よ……」
日常茶飯事の光景だが、二人に心配されてさすがにはずかしくて顔が熱くなるリリーだった。