思いがけない荷物の差出人に、ファリエたちは黙りこくって視線を交わし合った。
たしかにファリエは、カーシュ議員を助けた。しかしそれは業務の一環である。視察当日は議員と雑談もしていたが、個人的に何かを送られるほどの仲ではないはずだ。
三人とも表情と言わず体全体で、そんな疑問を表現する。
ややあって、呼吸を整えたファリエが荷物を覆う包装紙を丁寧にはがし、中の箱も開けた。
箱の中で緩衝材に包まれていたのは、一本の日傘だった。
「あっ」
その日傘の生地を見て、ファリエは思わず声を上げた。議員の不可解な問いかけの意味が分かったのだ。
真っ白な生地は、赤い糸がつむぐ花柄の刺繍に縁取られている。なんとも可愛らしい。
たしかに軸がグニャグニャと蛇行してしまったファリエの日傘は、目下修理中である。吸血鬼仕様であるため遠方の業者まで修理に出すしかなかった上、殴打の衝撃で魔石も破損していたのだ。そのため修理が長引いている。
よってファリエは現在、外を歩く際には市販の安い日傘と帽子で間に合わせていた。
当初は軸を飴細工のようにした張本人のティーゲルが、修理代を肩代わりすると言ってくれたのだが、
「業務中の破損ですので、こちらは経費で落としましょう。身銭を切るのは勿体ないでしょう」
とシリルが提案してくれたおかげもあり、修理代は全て自警団持ちとなっている。
なおティーゲルは別途お詫びとして、帽子を買ってくれた。クローシェ帽と呼ばれる釣鐘型の、フェルト生地のものだ。こちらにも赤いリボンが巻かれている。
このように日傘は手元にないものの、修理の目途自体は立っていた。だから議員からの贈り物は、完全に想定外なのだ。
「素敵……でも、高そうです……」
よってファリエも日傘を広げ、可愛らしいデザインにうっとりしつつも困惑する。彼女を挟むように立つアルマとヘイデンも、箱に同梱されていたカードへ視線を落として困惑顔だ。
「高そう、やなくて絶対メチャクソ高いでこれ」
「うん……ファリエちゃん、ほらこれ」
そう言ってヘイデンは、同梱の小さなカードをファリエへ手渡す。そこには商品の素材や機能の説明書きがあった。
真っ白な生地も赤い刺繍糸も、耐火・防刃にも優れた大蜘蛛の糸製だった。もちろん衝撃にも強く、晴雨兼用でもある。
そして骨部分には、無敵の異名を誇るアダマス合金が使われているようだ。
柄にも純度の高い、紅茶色の魔石がはめ込まれていた。周囲の術式を読み取ったところ、障壁と電撃の二つの魔術が発動可能なようだ。
――至れり尽くせり、という表現がふさわしい日傘である。
生地の素材に気付いた辺りから震えだしたファリエは、術式を読み終わった際には掘削ドリルよろしくガクガク振動していた。
「いっ、いいいいっ、いくら、するんでしょ、うか……?」
声も震わせるファリエに、アルマも値段を想像して青い顔を向ける。
「……売ったらたぶん、三か月分の生活費ぐらいには……なるんちゃうかな」
「よしなよ、アルマちゃん」
たしなめるヘイデンの額には、暑くもないのに汗がにじんでいる。
「お、可愛らしい傘だな。新調することにしたのか?」
オフィスに戻って来たティーゲルが、三人とは対照的に朗らかな声で話しかけてきた。両手で持ったお盆には、人数分+αの取り皿とカトラリーが載っている。
ファリエたちは縋るような目を向け、実際に彼へと縋りついた。
「な、なんだ? どうしたんだ?」
三人の切羽詰まった雰囲気に飲まれ、ティーゲルもお盆を持ったままたじろぐ。
「隊長、どうしましょ……カーシュ議員から、日傘が届いたん、ですけど……」
「でもこれ、むちゃくちゃ高そうなんですわ。
「団の規定もありますし、受け取らない方がいいんでしょうか?」
ファリエを先頭に、三人で畳みかけるようにして諸々の意味でヤバい日傘が届いた、と訴える。
「ふむ……なるほど」
ティーゲルは花柄のレジャーシートにお盆を置き、ファリエが差し出したカードも見た。再度「ふむ」と呟いた末に
「まあ、いいんじゃないか?」
ものすごーく軽く、受け取り可と判断した。適当なことを答えてるじゃなかろうか、とファリエたちは疑惑の目で彼を見る。
部下たちの疑心暗鬼に気付き、ティーゲルは苦笑を浮かべた。
「たしかに住民からのプレゼントは個別に受け取るべきではない、と団の規約にもある。高額なプレゼントなら、余計にあれこれ言われかねないのも事実だ。ただ――」
次いでアルマとヘイデンが恐々と捧げ持っている日傘を指さした。
「ファリエ嬢がいなければ議員の命が危なかったのも事実であり、そういった背景があるのでプレゼントを贈りたい心情も分かる」
なので団としては、見なかったことにしてもよかろう――というのがティーゲルの持論だという。
そんなのでいいのか、と呆気に取られる三人に今度はにっかりと笑った。
「ちなみにこれは、どこに届いていたんだ?」
代表してヘイデンが答える。
「そうですね、団宛に届いていました。でも総務の方が宛名を見て、僕に持たせてくれたんです。『ファリエちゃんに直接渡してあげて』って、言われました」
「ならば総務部も今回は、見なかったことにしたんだろう。問題ありと判断されていれば、開封されているはずだからな」
そういえば、と三人も思い出す。
以前に住民からお菓子の詰め合わせが届いた際には、事前に総務部で開封された上で
「生ものなのでお渡ししますが、必ず役職なしの団員全員で食べること。また、役職付きの方は規定上、口に出来ませんので」
と諸々念押しされていた。
しかし今回は、ファリエ個人に渡すよう指示があったのだ。
はたと気付いた彼らを見渡し、ティーゲルは軽く手を広げた。
「というわけだから、そのまま受け取ってあげなさい」
「でっ、でも、お値段が……」
なおも涙目でアウアウと困っているファリエへ、ティーゲルは優しく目を細める。
「高級品なのは事実だが、ここまで上等な日傘は俺たち人間には不要だぞ? 宝の持ち腐れになるから、君が使うべきだ」
「はぁ……」
「それにカーシュ議員が選んでくれたものだ。きっと、ファリエ嬢によく似合うはずだ」
「あっ、ありがとう、ございます……」
ファリエは音を立てる勢いで顔を赤くして、小刻みにうなずいた。しかし表情は半泣きだった先ほどまでとは一変し、はにかみ笑顔である。彼女と目を合わせるティーゲルの笑みも、緩やかに甘さが増した。
二人のやり取りを眺め、アルマがニヤリと笑う。ヘイデンと二人でさり気なく出入口の方へ後ずさりしつつ、彼に耳打ちした。
「ファリエは小心者やから、隊長ぐらいガンガン行くタイプやないとあかんのやろうな」
ヘイデンも微笑む。
「そうだね。隊長はいつも自信たっぷりで、頼もしいからね」
「まあ、お互いに牽制し合ってなんもせんかった他のヤツらより、だいぶマシよな」
「その辺の情緒、隊長はないから……」
「あーうん……汚い食堂で告白するぐらいやもんなぁ……」
「えっ? それ、どういうこと?」
どうやら初耳だったらしいヘイデンが、ギョッと目を剥いた。
「また今度、詳しく話すわ。まあ……そんなトコで告白かます辺り、やっぱガッツと自信が有り余ってんやろうなぁ」
アルマはこう言って、肩をすくめる。
「ええぇぇ……」
情けない声を上げたヘイデンの胸で、ファリエの幸せのためにも恋路に反対すべきだろうか、と兄貴魂が一瞬だけうずいたものの。
当事者同士は今現在も幸せそうなので、「まあいいか」という結論にすぐさま落ち着く。
なによりヘイデンから見ても、並んで立つ二人の姿はしっくり来ていた。
彼が薄らぼんやりと納得していると、再度ドアが開いた。静かにティーワゴンを押すシリルが入って来る。
出入口の横に立っている二人の会話が聞こえていたのか、わずかに片方の眉を持ち上げて言った。
「隊長は事務仕事にさえ関わらなければ、無意味と思える程に自信家でいらっしゃいますので。基本的には自己肯定感の権化と考えて、問題ないでしょう」
副官のこんな言葉を耳にして、ティーゲルは一瞬目を丸くした後、大口を開けて笑った。
「無意味ではないぞ! 仕事でははったりも必要になるからな!」
「はったりはお控え下さい。常々、自信には根拠をお持ちいただくよう、お願いいたします」
朗らかな反論に、シリルはいつもの仏頂面でそう釘を刺した。ファリエも見慣れた、平常業務の一コマである。ために彼女も、アルマとヘイデンも止めない。苦笑いで、シリルに丸め込まれるティーゲルを見守る。
こうして緩やかに始まったお茶会は、事務員や魔術師からはもちろんのこと、屈強で肉好きな武官たちからも好評だった。
ファリエもせっせと皆に給仕をしながら楽しんだ。
シートの上に並ぶケーキもクッキーも紅茶も、彼女の空腹を満たすことは出来ないけれど。
今のファリエは幸福感に満ちていたので、何も問題はなかった。