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68:市民からも目つぶしパレードと呼ばれている

 窓の外から聞こえて来た物騒な物音と謎の歓声に、ファリエは全身を一度跳ねさせた。彼女がもしもネコやウサギなら、驚きと緊張で毛が逆立っていただろう。

「なななっ、何があったんでしょう……?」

 また襲撃事件が起きたのでは、と怯えを隠せずにいる彼女とは対照的に、ティーゲルは安穏と笑っている。

「うむ。おそらく拳闘大会の、優勝者が決まったんだろう。たしかここの窓からなら、会場も見えるんじゃないか?」


 ティーゲルの言葉に促され、二人で港に面した居間の窓際へと移動した。ティーゲルは重い遮光カーテンをちろりと持ち上げ、外を見る。ファリエはティーゲルの背後に隠されたまま、直射日光を浴びないよう気を付けての覗き見だ。


 窓から見渡せる港の左端に、秋祭りの二日間のためだけに建てられた巨大なテントがあった。そこが拳闘大会の会場である。

 ティーゲルの指摘通り、歓声はそこから聞こえているようだ。テントの周囲に群がる屋台からも、喝采や拍手が届いていた。先ほどの破裂音は、優勝者決定を祝う祝砲や花火の類だろうか。


「わぁ。ほんとに大人気なんですね」

 ファリエはティーゲルの背中越しに港の様子を眺め、そう感嘆した。自警団などという物騒な仕事に就いているが、彼女は誰かと殴り合うのも、また殴り合いを鑑賞する趣味もなかった。今まで割と、拳闘大会への興味が薄かったのだ。


 ファリエ同様に私生活での暴力は敬遠しがちなティーゲルも、半ば呆れた顔でわずかに眉を寄せた。

「仕事でもないのに殴り合って、何が楽しいんだろうな」

「それ言っちゃったら、元も子もないですよ」

 ファリエはつい苦笑した。やんわりティーゲルをたしなめつつ、巨大テントの周囲も観察する。


 そしてテントと屋台の群れの間に停車する、パレード用のフロート車に気付いた。突然ビカビカと発光を始めたので、嫌でも目に付いたのだ。

「あの、隊長。優勝者の方が乗る車、急に光って……」

 おっかなびっくり指さすファリエへ一度振り返り、ティーゲルは肩をすくめる。

「パレードは夜間にあるからな。とにかく光らせて、とにかく目立たせるんだ。今から試運転でも始めるんじゃないだろうか」

「はぁ……派手ですねぇ……」

「市内の魔道具工房も、宣伝を兼ねて派手に飾り立てているからな」


 なるほど、とファリエは呟いて再度しげしげ見つめる。

 暗がりであれと相対しようものなら、眩しさで視覚をやられそうである。だって日中の今ですら、虹色の輝きが嫌というほど目立っているのだ。夜目の利くファリエにとっては、文字通り“目の毒”であろう。


「……あれだけピカピカだと、優勝者の顔もよく分からないんじゃないですか?」

 なのでつい、どうしても気になったことを口にした。それを聞いたティーゲルが、背中全体を震わせて低く笑った。

「そうだな。実は俺も毎年、そこが気になって仕方がないんだ」

 ファリエと同じく移住者組のティーゲルも、似たり寄ったりの感想をお持ちだったようだ。内心でホッとしつつ、ファリエも笑った。

「それじゃあ去年以前も、ああなんですね」

「うむ。俺が知る限り、ずっと直視できない仕様だな。が、今のところは改善される様子もないので、当事者は満更でもないんだろう」

「えっと、色々、変わってますね」

「拳闘大会そのものが、まず変わった行事だからな。それは仕方がない」


 拳闘大会のあおりを食らう職業の従事者らしい感想を残し、ティーゲルは遮光カーテンを再度閉じた。

 彼はくるりと振り返ると、遠慮がちにファリエの頬に触れる。途端に彼女の顔全体が赤くなったが、ティーゲルに触れられること自体は嫌でないので、もじもじ照れつつも好きにさせることにした。


 頬を撫で、銀色のボブカットの毛先をもてあそんだ指先が、そのままファリエのぽってりとした唇をなぞった。ケーキを楽しんだ時に口紅も取れ、本来の淡いピンク色に戻った唇をふにふにと押しながら、ティーゲルは軽く息を吸う。

「情緒がない、のは重々承知なのだが……先ほどの続きをしては駄目、だろうか?」

 唇に触れる指先は熱く、ティーゲルの視線もとろりとした光を帯びている。甘い眼差しを向けられたファリエは、束の間体を強張らせて、つい窓の方へ視線を走らせた。


 幸いにして、遮光カーテンは再びぴっちり閉じられている。誰かに見られる可能性はない。

 それに今は吸血もしていない。さっきタルトと紅茶はしっかり食べたけれど、それはお互い様である。


 ならいいか、とファリエは視線を下げて、おずおずうなずいた。

 途端にティーゲルが笑みを浮かべる。視線同様に甘い笑顔だ。向かい合った状況で、こんな笑みを与えられたら、落ちない方が無理難題というもの。ファリエも顔と言わず、首まで真っ赤になった。

 それでも逃げようとせず、健気に待つ姿にティーゲルが薄く微笑み、彼女のあごをくすぐった。

「ここに越して来て初めて、秋祭りの恩恵を受けた気がする」

「お、おおげさ、ですよ、隊長……」


 へどもどと答えるファリエを見つめるティーゲルが、少し悪戯っぽい表情に変わる。

「ところで、なのだが。俺たちは恋人同士になった、という認識で合っているよな?」

「え、あっ、はい……なって、ますし、合って……ます」

 改めて言葉にされると気恥ずかしく、ファリエはもじもじと落ち着かなくなった。

「なのにもう、ファリエ嬢は俺を名前で呼んでくれないのか?」

「うっ」

 ファリエはうなるような声を上げ、たじろいだ。


 ティーゲルが役職者になって以来、彼女も意識的に隊長と呼ぶように努めてきたのだ。

 ただ焦ったり、無意識が先行する場合は以前の慣習に引っ張られて名前で呼んでしまっていたが。別にあえて呼んでいたわけではない。

 それにわざわざ、名前呼びをねだられると――途方もなく照れる。


 あー、うー、としばらく弱々しい声でうなった末、ファリエは観念した。

「えっと……ティーゲル、さん……」

 視線は泳ぎがちだったものの、名前を呼ばれたティーゲルはたちまち破顔する。笑顔のまま、ファリエのあごをそっと持ち上げて身をかがめる。

 ファリエが照れくささで目を固くつぶったところで、唇が触れ合った。


 今度はほんのりと甘い、果物と紅茶の香りがする優しいキスだった。

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