ティーゲルは怖いぐらい真剣な顔のまま、続けた。
「もしもあの時、君が自分を盾にしてくれなければ、死傷者の数はもっと増えていたはずだ。もっとも……あんな光景を見るのは、二度と御免だが」
血まみれになったファリエを思い出したのか、ティーゲルは苦々しげにうつむいた。声も酷く暗い。
ファリエは胸の前で両手を重ね、いやいやとするように首を力なく振った。
「ご、ごめんなさっ……」
「いや、君を責めているわけではないんだ。むしろ、そんな無差別極まりない手段を選んだ連中に――ファリエ嬢?」
弁解しながら視線を上げたティーゲルは、途中で彼女の全身が震えていることに気付く。
大きな青い瞳に涙を湛え、真っ青になって震える姿にティーゲルは目を剥いた。次いで大慌てで椅子から立ち上がる。
「すまない、また無神経だった! 君が一番、痛い思いをしたというのに! 思い出させてしまい、申し訳ない!」
立ち上がったティーゲルは、テーブル沿いに歩いてファリエの方へと回り込んだ。彼女の隣にしゃがみこみ、労わるように背中をさする。
「ちっ、違うん、です……」
浅い息で、ファリエは途切れ途切れに言った。
「わたしがもし、いなかったら……た、隊長が、死んじゃってたかも……って考えちゃって……そしたら、今更、怖くなっちゃって……」
ティーゲルを心配させないよう、彼に笑いかけたいのに。ファリエの口角は不格好に引きつるばかりだ。とうとう涙もこぼれ落ちてしまう。
ファリエは静かに泣き続けた。
「わたし……隊長が無事なら、大怪我したって、平気です」
「いや、それでは俺の心が持たないんだが」
ぐすぐすと涙声での決意表明に、ティーゲルは苦虫を噛み潰した表情を浮かべて立ち上がった。次いで彼女の背に両手を回して、ファリエを怯えさせないようゆっくり抱き寄せた。
ファリエも素直にこてん、と彼のお腹に頭を預ける。
ティーゲルは優しい声で、しかししっかりと釘を刺した。
「ファリエ嬢、ここはあえて本音を言うが。俺にとってはカーシュ議員よりも君の安全の方が大事なんだ。さらに言えば、市民の平和も君の幸せが守られた上で、成り立つと考えている。市民百人の命で君が助かるなら、喜んで百人を見殺しにしよう」
「それは……ちょっと重い、です」
なのでファリエも、泣きながら素直な感想を伝える。せめて市民の優先順位は上げてほしい。
彼女に茶々を入れる余裕ぐらいはあることに、ティーゲルは小さく笑って安堵する。そして続けた。
「それぐらい、俺は君に惚れこんでいる。ファリエ嬢の優しさで生きながらえたおかげで、今の俺があるんだ。気持ちの重さだけは許してやってほしい。だから今後は、君自身の安全にも気を配ってくれ」
「が……頑張り、ます」
さらりと惚れられている旨を再認識させられ、ファリエの耳がほんのり赤くなった。食べちゃいたいぐらい可愛いとんがり耳の輪郭を、ティーゲルは優しく指でなぞった。
ぴくり、とファリエの体が一度跳ねる。しかしそのまま頬も撫でる彼の手を、拒むことはしなかった。薄く目を閉じ、されるがままである。
頬には彼が着ている、灰色のベストの固い布地の感触があり、触り心地はあまりよくない。だが自分を撫でる手がとても優しいので、そのまま身をゆだねたくなったのだ。
ファリエがもっと、と言う代わりに腹部に頬ずりをすれば、その両頬を彼の手で覆われた。ティーゲルはそのまま、再度身をかがめる。
ファリエと目線を合わせると、額も重ね合わせた。
まさかノーメイク状態で、こんな超至近距離で見つめ合うとは思わなかった。
ために数秒前までの甘い空気も吹き飛んで、ファリエは思い切り目を泳がせて、距離を取ろうともがく。
「あの、隊長……わたし、いま、酷い顔で……うぐぅっ、力強っ」
もちろん前世ドラゴンな彼の腕力に敵うはずもなく、顔は全く動かせなかったが。違う理由で泣けてきた。
ノーメイクを必死に隠そうとするファリエの努力を、ティーゲルは琥珀色の猫目を細めて笑い飛ばす。
「心配するな! 君は基本的に、生きているだけで既に可愛い!」
「わたし、ネコちゃんじゃないんですからっ」
ティーゲルのとんでもない買い被りと全肯定に、ファリエはなお慌てた。特に泣きじゃくった後の顔など、お見せできる代物でないだろうに。
一方のティーゲルは、終始笑顔のままだった。
「そうだな。たしかに君はネコより、ウサギに似ている気がする」
「どっちでも、あんまり変わりません……わたし、そんな可愛くない、です」
「俺にとってはそれぐらい可愛くて仕方がない、という話だ。君の意見は聞いていない」
柄にもなく傲慢に告げた後、ティーゲルは目を伏せた。
「ただ、それぐらい君に惚れこんでいるので、甚だ不本意だったとしても。これだけは、警護班の代表として是非言わせてくれ」
「な、なんでしょうか……?」
声に真剣さが戻ったので、ファリエももがくことを止め、拝聴の姿勢に入った。ティーゲルは伏し目のまま、打って変わって静かで優しい声音になる。
「昨日、俺たちを助けてくれてありがとう。君は命の恩人だ」
再度じわりと涙を浮かべ、ファリエもはにかんだ。
「わたしだって、警護班の一員です。お役に立てて……皆さんが無事で、よかったです」
二人の視線が、もう一度至近距離でかち合った。だが今度はファリエも観念して、照れたように彼と笑い合う。
その時外から、盛大な破裂音と歓声が響き渡った。