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26:二重跳びはまだ出来ない

 巡回業務を担当していない部隊は、休日を取るかまたは、訓練に一日を費やすことになる。訓練組は緊急事態が発生した際の、予備戦力も兼ねている。

 本日の第三部隊には、その訓練日が割り当てられていた。直射日光を浴びなくて済む屋内訓練場で、ファリエは魔術の訓練や基礎トレーニングに時間を割いた。


 屋内での訓練はヘイデンと、もう一人の魔術師の三人で行った。第三部隊所属の魔術師はこの三人きりで、武官はそれの三・四倍ほどいる。人口辺りの魔術師の総数自体が少ないので、どの部隊もだいたい同じ人員構成だ。


 三人で柔軟体操や魔力の操作訓練、あるいは縄跳びやスクワットなどのひたすら地味なトレーニングを終え、息も絶え絶えになって訓練場の隅のベンチに座り込んだ。

 ファリエの運動能力はずば抜けて低いものの、残りの二人も筋肉量はさほど多くない。魔術師が物理的手段を用いて犯罪者と交戦することはまずないが、万が一あったとしても、筋肉量や身体能力は魔術である程度カバーが可能なのだ。


 なので魔術師は、筋肉モリモリマッチョマン体型でなくても問題ない。希望者のみ、マッチョになればいいのだ。

 しかしその一方で、魔術での底上げが難しいスタミナそのものが乏しければ、マッチョマン揃いな武官の行動に付いて行けなくなる。よって持久力ならびに基礎トレーニングだけは、どれだけ鈍くさかろうとも求められるのだ。


 ぐったりする三人のところに、屋外でのランニングや屋内での打ち合い・組み手を終えたアルマたち武官が数人やって来た。ファリエたち魔術師組はベンチの隅に寄って、空いたスペースにアルマたち武官組も座った。あぶれたものは、ワックスがけがされた木の床にそのまま座る。


「自分ら、体力なさすぎちゃう?」

 汗だくで疲れ切った魔術師トリオの姿に、ファリエの右隣に座ったアルマは呆れ顔になっていた。そんな彼女は汗こそたっぷりかいているものの、元気はつらつである。まだ十キロ程度なら余裕で走れそうだ。


「いやいや、これでもファリエちゃんなんて、昔よりずっと体力付いてるからね! スクワットも十回以上出来るようになったんだよ、凄いでしょ!」

 ファリエの左隣に座る、まだ辛うじて息のあるヘイデンが、ずれた眼鏡を直しながらそう反論した。二人に挟まれ、ベンチに突っ伏したまま動けないファリエは、声を出せるまで回復していないので、代わりに握りこぶしを作って弱々しく持ち上げた。自分はまだ生きてます、という証明も兼ねている。


 呆れ顔のアルマが、主にヘイデンを見据えて半眼になる。

「ファリエはまあ、鈍くさの国のお姫様やからしゃーないけど……ヘイデンはタッパもあるし若いんやから、もっと上目指しぃや。自分、ちゃんと腹筋割れてんの?」

 冷めた口調で問いつつ、ヘイデンの訓練着の上衣へ無慈悲に手を伸ばした。途端、彼がか細い悲鳴を上げる。

「きゃーっ! やめてよ、アルマちゃん! 僕はちゃんと現状維持してますし、我が家は『卵の殻以外は割るな』が家訓で――アーッ!」

 必死に抵抗するも、実は見事な四分割腹筋の持ち主であるアルマに敵うわけもなく。切ない叫び声を残し、思い切り上衣をめくり上げられた。


「うわっ、割れ目ゼロでツルッツルやん」

 無分割のお腹を、ファリエより先に回復した女性魔術師も覗き込む。もちろん元気が有り余っている、他の武官たちも。

「あらまあ、お肌キレイね」

「風呂上がりにボディクリーム塗るタイプだろ、お前」

「美意識高かったんだね。えらい」


 好き好きにお腹を鑑賞され、温厚で知られるヘイデンも声を張った。

「こういうの、相手が男の子でもやっちゃいけないと思いまーす! 犯罪ですー!」

「“子”って年齢とちゃうやろ」

 上衣から手を離したアルマが、軽く彼の頭を叩く。汗で濡れた髪からは、ぺちょん、と情けない音がした。


 ヘイデンは自分の体力を「現状維持」と言っていたが。

 立ち直りは魔術師の中で一番早いし、何より今も元気いっぱいに叫んで冗談交じりに怒っている。

(結構まだ、体力余ってそう……ヘイデンさん、すごい)

 恐らくかなり回復が早いタイプなのだろう、とベンチの背もたれからようやく起き上がれたファリエはしみじみ考える。


 死体もどき、あるいは干したまま一ヶ月ほど忘れ去られた雑巾のごとき有様だったファリエがめでたく生者に戻ったので、女性魔術師がグラスを差し出してくれた。

「お疲れ、ファリエちゃん。ほんとに動けるようになったよね」

 中には水が入っている。ベンチ近くの給水器から注いで来てくれたようだ。

「ありがとうございます。まだ全然、縄跳びで引っかかっちゃいますけど……」

「最初は一回も跳べなかったんだから、偉い偉い」


 素直に褒められ、はにかみつつグラスに口を付ける。冷えた水が喉を通っていく感覚に、心地よさを覚えた。

 ファリエが水を飲み切り、ようやく人心地ついたところを見計らって、右隣のアルマがもたれてきた。


「どうしました、アルマさん?」

 両手でグラスをもてあそびながら声をかけるも、アルマはしばらく無言のまま、肩口に頭をグリグリ押し付けてきた。アルマの額も汗ばんでいるが、それはファリエも同じ――というかここにいる全員が汗だくのため、特に気にならない。どうせ後で、シャワーも浴びるのだ。


「……なぁ、ファリエ……一個訊いてもいい? 嫌やったら、答えんでええからさ」

「いいですよ、どうぞ」

 ためらいの見える様子に笑顔で快諾すれば、彼女の体が離れた。代わりに強い力で、両肩を掴まれて顔も覗き込まれる。ちょっと痛いぐらいだ。


「あのさ……隊長の子守りって、その後どうなん? また変態ドM思考の妙な無茶ぶりとか、されてへん? 泣かされてへん?」

「へんたい、どえむ……」

 真剣そのものの紫の瞳に見据えられ、ファリエはやや呆気に取られてオウム返しをした。

 まだティーゲルの変態疑惑は、部下たちの中で払しょくされていなかったらしい。かわいそうに。


(折角だし。訂正ついでに、ティーゲルさんのご飯事情も相談しよう)

 そう決めたものの、どう切り出すのが最適か、とファリエは高い天井へ視線を向けて考えた。

 その間に周囲の休憩組が皆、彼女の返答を待つようにじわじわとにじり寄る。

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