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25:お人好し吸血鬼、悩む

 きょとんとしているティーゲルの顔を見ていると、余計なお世話だっただろうか、とつい不安が首をもたげる。両手に持ったままのティッシュを、意味もなく畳んだり丸めたりを繰り返した。

「余計なお世話、なのかもですが、その、ちょっと前から気になるというか、心配でして……」


 ファリエは会議の終了後、休憩がてら疑似血液を摂取していた。疑似血液は中身の見えない銀色の袋に入っており、上部には小さな飲み口も設けられている。そのため何も知らなければ、風変わりな袋入り飲料を飲んでいるようにしか見えないのだ。

 情緒は一切ないものの、歩きながらでも人前でも、さっと飲める点は非常に手軽だったりする。


 元々吸血鬼には、食事をゆっくり楽しむという文化がない。栄養源である血液は、一食につきグラス一杯程度で済む。

 なのでファリエはパックの中身を一分弱で飲み切り、今日の昼食を完結させた。


 だが人間は違う。栄養バランスを考えて、日々の食事を摂る必要があるのだ。調理担当者がいない場合には、長々とした調理工程も設けなければいけない。

 にもかかわらずティーゲルは会議終了後も他の隊長と立ち話をして、トイレ休憩を挟んですぐにファリエとの巡回に出ていた。帰って来てからも、お茶や焼き菓子程度は口にしていたが、食事休憩は一度も取らず仕舞いである。


 つまり図らずもべったり帯同していた間、彼が食べたものはコロッケ二個とクッキー数枚、そしてシリルが半ば無理やり口へ流し込んだホウレンソウしか確認できていないのだ。

 トイレに立った三分弱の間に、何かを食べている可能性は――恐らくないだろう。人目のない個室でしか食事が出来ないような繊細さを、ティーゲルが持っているとは思えない。精肉店の軒先で、白昼堂々コロッケを二つも食べていたのだから。


 しばらく呆けたようにファリエを見上げるティーゲルだったが、彼女の不安を汲み取ってくれたらしい。にこり、と優しげな笑顔を作った。

「大丈夫。俺は合間につまみ食いもしているから、気にしないでくれ」

「つまみ食いって……それじゃあ、きちんとご飯を食べてないんですか……?」

 ファリエがうっすら青ざめる。


 他種族のため、偏った食生活が人体に及ぼす影響のほどは、よく分からない。

 だが毎日多忙なこの人が、おざなりな食事を続けることは――体にとんでもない悪影響を与える予感がしたのだ。

「あの、隊長、栄養失調で……倒れちゃったりしません?」

 もしくは自宅で突然死したり、とつい暗い未来を想像してしまい、彼の母親でもないのに涙目になってしまう。


 ファリエの声が上ずっていることに気付き、ティーゲルは一瞬ギョッと目をむいた。

「ファリエ嬢、なんで涙ぐんでるんだ?」

「だって隊長、あの……独身、ですよね?」

 思い切りプライベートに切り込む質問であるため、躊躇するものの思い切って問うた。


 質問の意図が読めず困惑した様子で、ティーゲルもうなずく。

「あ、ああ……そうだが」

「自宅でもし倒れちゃったら……誰が見つけて、お医者さんを呼んでくれるんですか?」

「うむ、まあ、それは……世間的にはまだ若いから、うん、大丈夫だろう!」

 返って来たのは根拠ゼロな、砂上の楼閣過ぎる謎の保証であった。


(どうしよう。ティーゲルさん、思ってたより生き方が雑なのかも!)

 ファリエが愕然としていると、少々浮ついた笑顔で笑い飛ばされる。

「一応、栄養バランスは考えているつもりだ。今日もコロッケと、シリル殿から押し付けられているホウレンソウの缶詰も食べたから、問題はないはずだ。安心してくれ」

 果たして揚げ物二つとホウレンソウの缶詰で、この代謝のよさそうな成人男性の体を維持できるのだろうか。


 安心など絶対出来ない、無理だろうという確信めいた予感がしたものの、生憎ファリエは彼の家族でも友人でもない。ただの部下であり、血をすすり・すすられるだけの殺伐とした間柄なのだ。

 気弱な彼女は、これ以上追及することにためらいを覚えた。そこまでする権利が、自分にあるとは思えないのだ。

 一瞬、彼へ苦言を呈すべきかと開きかけた口を歪め、不器用な愛想笑いに変える。


「分かり、ました……でも、お時間がある時はちゃんと、食堂でご飯、摂ってくださいね」

 ただそれでも、これだけはお願いせずにいられなかった。ティーゲルも彼女が引き下がってくれたのを感じ、申し訳なさそうに眉を下げる。

「うむ。出来るだけきちんと食事をするよう、努力はする」

「はい……ありがとうございます」

 あまりする気はなさそうであるが、ファリエもこくこくとうなずいて、この件はお開きとなった。


 その後、ファリエは執務室を先に出て、今日はきちんと私服に着替えてから職場を出た。本日はひまわり模様のワンピースを着ているので、アルマからは

「吸血鬼が太陽の方ばっか向くヒマワリ柄着るって、自虐ネタっぽくてなんかええな。おもろいで」

と妙に好評だった。後にそれを聞いていたヘイデンは、苦笑いだったけれども。


 夏本番のため、夜七時前だというのに空にはまだ夜のとばりが降りていない。夕暮れ真っ只中という状況なので、吸血鬼であるファリエは日傘を広げた。

 石畳の敷かれた大通りの端を進んで、市街地を一周する巡回バスの停留所へ到着した。


 五分ほどでバスがやって来て、ファリエは同じく仕事終わりらしいその他の客と共に乗り込んだ。大型の魔道具でもあるバスは、緩慢な動作で乗車口を閉めると静かに動き出す。

 乗車時に座席はいくつか空きがあったが、自宅最寄りの停留所までは十分程度である。大人しく吊革を選んだ。鈍くさいファリエの場合、吊革がないと転倒必至なため、これだけは譲れない。


 そして見るともなしに、窓の外を眺めた。日が落ちつつある街のあちこちで、ちょうど魔石灯が光り始めている。その下を歩く住人の中には、買い物袋を下げている者もちらほらいた。きっと夕食の材料を買った帰りだろう。


 ファリエも疑似血液とは別に、人間の料理を手ずから作って食べることはある。休みの日にはアルマをはじめとした女友達を自宅に招き、手料理を振舞うこともあった。

(もういっそ、ティーゲルさんのご飯も作ってあげようかな……ううん、それはやりすぎ)

 ふと湧いた考えに、すぐさま否を下す。

 友人でもない自分がそこまで手を出すのは、さすがに鬱陶しいと思われるだろう。なにせティーゲル本人に、そこまで改善の意思がないのだ。


 しかし一方でファリエは彼が、食事どころかロクに休みも取らずに働いていることを知っている。ファリエには巡回業務後、きっちり休憩を取らせているのに、だ。

 どこまで上司の食生活に干渉していいのか、社会人二年目のファリエには分からなかった。

(……こういう時は、先輩に訊こう)

 そう結論に達し、窓の外をにらんだまま小さくうなずいた。


 幸い自分には、同期だが社会人経験は彼女よりも長いアルマや、ニーマ市自警団での勤務歴も長い教育係のヘイデンがいる。二人に尋ねれば、最適解も分かるはずだ。

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