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24:労わり吸血と疑惑

 ティーゲルが指摘していたように、ファリエは今なお吸血行為に抵抗があった。

 しかし彼女は人が好い上に馬鹿が付くほど真面目なため、自分の発言を覆すことにもまた、抵抗があったのだ。そのため業務終了後の今も、暗い顔で執務室に立っている。


 自席の赤いベロアが張られた椅子に座り、彼女と向かい合っているティーゲルは、暗雲立ち込める不景気面をしげしげ眺めて、少し眉根を寄せた。表情は申し訳なさ一色である。

「やはり今も、気が乗らないのだろうか?」

 かくり、とファリエの頭と肩が落ちる。脱力したようにしか見えないが、これでも一応うなずいたつもりだ。


「それは、はい……だって人間を食料だと思うな、と育てられた世代ですので」

 ティーゲルは頑健がんけんそうなあごを撫で、短くうなる。

「ふむ……食料である俺は、全く気にしていないのだが」

 もうちょっと気にしてくださいよ馬鹿、とシリルのように言えればどれだけよかったか。

(さすがに副隊長も、馬鹿は言わないかな……うん。きっと、もっとひどいことを言いそう)


 なおそのシリルは、先に退勤してくれている。いや、させた。

 平素から知的好奇心に満ち満ちた彼は、吸血行為にも興味津々なのだ。ファリエもティーゲルへの吸血自体は渋々受け入れているものの、それを第三者から間近で凝視されるのは受け入れ不可だった。彼に観察されながらの吸血など、傍から見れば特殊過ぎる何かのプレイでしかない。

 よって吸血はいつも、シリルの退勤後に行っている。


 嘆いていても仕方がない、とファリエが拳を握って腹をくくる。短く息を吸った。

「……はい、お待たせしてすみません。それではいきます」

「ああ、ぜひ頼む!」

 パッと表情の明るくなった彼の肩辺りに視線を止めたまま、ゆるゆると歩み寄る。


 なにせティーゲルは、普段は声の大きさや妙な押しの強さにかき消されているものの、顔がいい。黙っていれば街中でも、それなりに人目を惹く方なのだ――黙っていることは少ないので、たいていは別の意味で周囲の視線を釘付けにしているが。

 変わり者ではあるものの、男性との親密なお付き合い経験ゼロのファリエが、至近距離で見つめ合えるわけがないのだ。


「腕から血を吸われるのは、なんというか捕食されている感じがして、少し嫌かもしれない」

という食料改め、ティーゲル本人たっての要望により、吸血は初回通り首筋から行う。腕からでも首からでも、事実としてファリエに捕食されているのに。なんともこだわりの強い食料である。

 ティーゲルのシャツのボタンは既に外されており、かすかに震える手で更に襟を寛げて首筋を露出させた。思わずこくり、と生唾を飲みこんでしまう。


 それは捕食者としての本能からなのか、それとも異性に抱き着くことへの緊張からなのか――ファリエにも分からなかった。


 一方のティーゲルは、全身を強張らせているファリエの様子を見上げて、つい微苦笑。

「俺はいつでも大丈夫だから、思い切りやってくれ」

 首を傾けて、噛みつきやすい体勢で彼女を待つ。

「はっ、はいっ! 失礼……します」


(失礼します、も変かな……でも、いただきます、じゃそれこそ失礼な気もするし……あっ! ちゃんと歯磨いたよね、わたし……うん、大丈夫、磨いてる! フロスもしたもの!)

 脳内では案外うるさく慌てふためきながら、彼のがっしりした肩に手を置いて抱擁するように密着した。ファリエより高い体温に、一層どぎまぎする。


 このまま抱き着いたままでは心臓がやられそうなので、すぐさまガブリと一気に首へ噛みつく。ここで躊躇した方が痛いらしい、と二回目で学んだのだ。

「くっ……」

 ただどうしても皮膚に牙を突き立てるので、痛みは残る。吐息まじりの少し苦しげな声が、ティーゲルの引き結ばれ口から漏れ出た。


 顔がいいだけでなく、彼は声質も低くて素敵なのだ。なのでそんな、妙に色っぽい声を出されると余計にどぎまぎしてしまう。

 ティーゲルの声にやられてつい赤面してしまっているものの、それでも吸血鬼の本能は勤勉に働き、ゆっくりと血を吸い上げる。それに合わせてティーゲルの全身も弛緩した。


 ファリエも今は疑似血液パックに困っていないし、さほど空腹でもない。よって吸血量は、少量に留めた。相変わらず彼の血は美味しいため、吸い過ぎないよういつも注意している。


 甘美さへの名残惜しさから、吸血を終えた後は先ほどよりも緩慢な動作で体を離す。ティーゲルの机に置かれているティッシュで噛み痕を拭きつつ、治癒魔術も施した。

「あの……えっと、痛くなかった、ですか?」

 魔術を使いながらつい、毎回そう問うていた。


 ティーゲルも毎回、穏やかな表情で首を振る。

「いいや、それほど。噛まれる瞬間は少し痛いが、その後は脱力して気持ちいいぐらいなんだ。不思議なものだな」

 実は吸血鬼の唾液には麻酔や弛緩剤に似た成分が微量だが含まれており、それによって痛みを和らげ――と脱力の理由を説明したところで、彼の場合は困ってしまいそうなので

「よかった、です」

と、いつも照れつつうなずくだけにしていた。


 ただその時、ふと日中に二人で行った巡回業務と、その時に食べたコロッケのことが思い出された。同時にある一つの疑念が生まれた。

 いや、実のところは最初に吸血した時からずっと、気にはなっていたのだ。だが初回はそれこそファリエも空腹で頭が馬鹿になっていたため、細かいことはそっちのけだった。あの時は「ティーゲルさんの血が美味しい」しか頭になかった。


 そして馬鹿を卒業した二回目以降も諸々遠慮があった上、ファリエの勘違いあるいは早とちりの可能性もあったので、口にせず終えた。

 だが今日は、そんな遠慮を打ち砕ける確信があった。今日のファリエはティーゲルと終日、ほぼほぼ一緒にいたのだ。別に彼に張り付いていたいわけではなかったのだが、仕事上の都合により、幸か不幸かそうなった次第だ。


 なので二枚目のティッシュで自分の口元を拭いつつ、一歩下がってティーゲルへ尋ねた。

「……あの、隊長」

「うん? どうした?」

 シャツのボタンを締め直して、ティーゲルは首をかしげる。

「今日ってお昼、ちゃんと食べましたか?」

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