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21:街の名物奇祭

一時は睡魔に対して劣勢のティーゲルであったが、どうにか定例報告も無事に成し遂げ、会議を切り抜けることが出来た。

 短い休憩の間にトイレを済ませた後は、ファリエと共に街の巡回へ出る。


 事務員出身の補佐官であれば、巡回や訓練に帯同することはない。彼らには自衛手段がないため、特に巡回に連れて行くなどもってのほかだろう。基本的に顔を合わせるのは、オフィスに居残っている間だけである。

 だが現場出身のファリエの場合は、巡回中にも打合せや相談を行える。これは、予想外のメリットである。


 今日も夏の溌剌はつらつとした日差しが降り注ぐニーマ市内の繁華街を、二人で見回りながら会議の延長戦を行った。彼女の歩幅に合わせているため、大通りの歩道に敷かれた石畳を歩く、二人の足音も重なっていた。


 歩道を行き交う人出は多く、また車道もひっきりなしにバスや自動車が走り抜けていく。


 ニーマ市は一年を通して穏やかな気候のため、夏季も本土と比べればずっと涼しいらしい。ティーゲルはニーマ市のある諸島育ちのため、実際のところは知らないのだが。

 だが穏やかであろうとも、吸血鬼のファリエにとって太陽光は天敵だ。直射日光を浴びないよう、彼女の斜め前を歩くティーゲルはさり気なく日よけにもなる。


 ファリエは日傘を差しつつ、器用に自分が取ったノートをめくっていた。日傘は白色で、縁には同色のレースが縫い付けられている。可愛らしいデザインのため、のほほんと夢見がちな雰囲気の彼女によく似合っていた。


「えっと……次の会議の日にちが変更になったので、隊長のシフトも替えておきました。さっきグレンさんに確認したら、『交代できますよ』とのことでしたので」

 グレンとは第三部隊の男性隊員だ。短い休憩中にそこまで手回しをしてくれたなんて、とティーゲルは陽光の眩しさに細めていた猫目を束の間丸くした。

「もう変更済みなのか! ありがとう!」

「い、いえっ、ちょうどグレンさんも休憩中だったので……」


 へどもどとノートで顔の下半分を隠しつつ、ファリエは続けた。

「……あと、食堂の清掃当番のことも、ミランダさんたちに相談済み、です。当番表を作って下さるそうです。あ、周知用ポスターも貼っておきました」

「なんと!」

 ミランダとはファリエを娘 (の幼い頃)のように心配してくれている、女性事務員のことだ。

 隊員たちの食堂の使い方があまりにも乱雑で、業者だけでは掃除が追いつかないから各部隊でもやれ、とこの度副団長からお達しがあったのだ。自警団団員は人のふりをした、野生動物が多いのだろうか。


 休憩中のわずかな間にそちらも解決済みとは思わず、もはやティーゲルは感嘆のうなり声を垂れ流すしか出来なかった。

「君が先回りして動いてくれるから、本当に助かるよ。ファリエ嬢は優秀だな」

「いえ、そんなっ、わたしなんて、全然……あと、あの……」

 先の尖ったファリエの耳まで赤くなっているのは、夏の暑さだけが原因ではないだろう。とうとう額以外がノートに隠れてしまったファリエだったが、それでもか細い声でこう言い添える。


「……たぶん、他の補佐官さんも、これぐらいは普通にやってる、と思います……」

「うむ……そこはちょっと、否定しづらいな」

 たしかに彼女を絶賛し過ぎるのは、彼女および他の補佐官に対してあまりにも失礼かもしれない。ティーゲルも苦い顔でうなずいた。


「それでも君のおかげで、俺が助かってるのは事実だ。本当にありがとう」

「えっと、よかったです……」

 ようやく青い大きな瞳をのぞかせ、どうやらファリエもはにかんだらしい。割と鈍くさい彼女が、ノートで視界を覆ったまま歩くことに不安を覚えていたため、ティーゲルも安堵して笑う。


「ところで、なんですが」

 ノートを閉じて、肩から斜めに下げたショルダーバッグにしまった彼女が、ためらいがちにティーゲルを見上げる。

「うん?」

「お祭り前はいつもこんな風に、団内もバタバタされてるんですか?」

「それは――ああ、そうか」

 君も去年経験済みだろう、と答えようとして、ティーゲルはすぐに納得する。周囲にトラブルがないかと視線を巡らせつつ、一つうなずいた。


「去年、君はずっと本部で待機していたんだったな」

「はい。迷子のお世話で精一杯だったので、お祭りの詳しい様子も何も分からなくて」

 ファリエもキョロキョロ見渡しつつ、申し訳なさそうに眉を下げる。


 新人を本部に待機させて、迷子の遊び相手や遺失物の管理を担当させるのは、ニーマ市自警団の通例だった。鳴り物入りで入団した彼女とて、例外ではない。

 平素より人口密度が上がっている市内を警備するに当たって、新人がいては正直足手まといになるのだ。


「ふむ……祭りの内容が、内容だからな。どうしても祭りの期間中もその前後も、街の治安は乱れがちだ。だからどうしても、準備も念入りになってしまう」

「なるほどです……」

 彼の回答に、ファリエもしみじみと相槌を打った。

 ニーマ市の秋祭りは別名、「拳闘祭」とも呼ばれている。むしろニーマ市以外の地域ではこちらの名称の方が通りもいいようだ。


 元々この街は、魔石の取れる鉱山を中心に発展してきた。その頃、腕っぷし自慢の鉱員の娯楽として始まったのが、拳闘祭であると言われている。

 発足当時は市内の乱暴者同士で賞金を懸けて殴り合っていたようだが、その後は国内外からも腕に覚えのある筋肉たちが寄り集まる、一大祭典へと変貌していった。


 大勢の観光客と、そして衆人環視のリングの中で喧嘩をしたい剛腕どもが集まるため、開催日周辺はトラブルも多発するのだ。


 ちなみに、祭りの起源に関わる鉱山は採石量の減少により、とっくの昔に廃坑となった。

 ニーマ市の現在の主産業は魔道具に変わっているけれど、魔道具工房にいる職人たちもそれなりに気性が荒いようで。

 何故か拳闘祭だけは、勝手に受け継がれて現在に至っているのだ。


「こんな祭り、とっとと廃止してくれても、俺は一向に構わないんだが」

 ティーゲルは不満顔で腕を組み、ぼそりと呟いた。

 もちろん斜め後ろのファリエにはばっちり聞こえており、彼女は思わず笑い声を上げる。


「隊長はお祭りが、あんまり好きじゃないんですね」

「うーむ……街の人には悪いが、どちらかというと嫌いだな」

「あら」

 しばらくうなってから返すと、ファリエは目と口を丸くして思わず立ち止まる。ティーゲルも合わせて立ち止まり、さり気なく道の脇へと立ち位置を変えた。

「恨みもない相手とわざわざ殴り合う意味も分からないし、隊長職に就いてからますます嫌いになった」

「それは会議が多いから、ですか?」

 ファリエが小首をかしげる。


「うむ」

 気難しい顔のまま重々しく同意すれば、再度ファリエは鈴の鳴るような声で笑った。歩みも再開する。

「でもお祭りで、街の財政も潤いますから」

 次いで穏やかかつ理性的な口調で、拳闘祭がちっぽけな地方都市にもたらす経済効果を指摘した。


 物わかりの悪い教え子を、優しく諭す教師のような声音だったため、今度はティーゲルが笑ってしまった。大きな笑い声にファリエと、すれ違った通行人の肩が一瞬飛び跳ねた。

「恐れ入った! 全く持ってその通りだ! 年下の君の方が、その辺りは冷静なんだな」

「い、いえ、そんな……」

 再度照れた彼女が、視線を斜め右下に下げる。


 その時だった。

 視線の反対方向である彼女の左側から、子どもたちの集団が路地から飛び出して来たのだ。

 前も見ずに走っていた彼らは、思い切りファリエの腰に体当たりをかました。

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