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18:副隊長の可愛げ

 二人の微笑ましいやり取りを、一切の感情が窺えない真顔で眺めていたシリルだったが、突然何かを思い出したように肉の薄い両手を打ち付けた。

「そうでした。隊長に是非、お渡ししなければいけない贈り物がございました」

「贈り物? 君が、俺に?」

 たちまちティーゲルの顔と言わず、全身が強張る。

「ええ、勿論私個人からの、自費による贈り物でございます――はて、何をそんなに警戒されていらっしゃるのやら」

 白々しく小首をかしげるシリルを、ティーゲルは不信感みなぎる視線で見つめた。


「だって君……今まで上司や同僚に、何か贈ったことがあったか?」

「勿論ございません。私のお金は、私自身と愛する妻と子にのみ使う所存ですから」

 胸を張って言い切ったが、彼はすぐに自分の机に戻ってしゃがみこむ。

「ただ今回につきましては、必要経費であると判断いたしましたので、僭越せんえつながら私財を投げ打った次第です」


 一番下の引き出しを開け、シリルが取り出したのは缶詰だった。桃のシロップ漬けが入っていそうな、直径と高さのあるものだ。

 傍目にはただの大きな缶詰にしか見えないが、持っているのが不遜男のシリルであるため、ティーゲルは警戒態勢を解かない。なんだったら、ファリエを背後に隠して後ずさっている。


 急に視界を遮られて戸惑うファリエの前に立ちながら、ティーゲルは不信感丸出しで問う。

「……それは、食べ物で間違いないのか?」

 前提を疑われ、さすがにシリルも細い眉を不機嫌にひそめる。

「失礼ですね。自宅近所の食料品店で買い求めた、ホウレンソウの缶詰ですよ」


「ホウレンソウ? それが贈り物なのか?」

 贈り物として選ぶには随分と地味な代物のため、ティーゲルは猫目を丸くした。

「ええ。ホウレンソウは鉄分の補給に最適と伺いましたので。己の安眠のためにファリエさんへ血を捧げられる隊長には、まさにうってつけの贈り物でしょう?」


(こうやって改めて言われると、ティーゲルさんも割と身勝手なのかも)

 彼の背中に隠されたままのファリエは、シリルの声だけを拝聴しながらぼんやり考えた。たしかに安眠と吸血では、割に合わない気がする。ファリエがティーゲルの立場ならば、まず持ち掛けない取引だろう。治療院へ赴いて、専門家に睡眠薬の類を処方してもらうはずだ。


 なまじ健康で治療院とお世話にならずに生きてきたため、その発想に及んでいないティーゲルはと言うと、苦々しい表情になっていた。

「……鉄分補給なら、赤身肉をくれる方が嬉しいんだが」

 どうやらホウレンソウが、あまり好きでないらしい。

 ホウレンソウの缶詰を両手でもてあそびながら、シリルも渋面を浮かべる。


「赤身肉を机に保管しておくなんて、私が嫌なのですが。絶対に臭うでしょう」

 シリルの机に生肉を保管するということは、連動する悪臭問題にティーゲルとファリエも巻き込まれるわけで。

 たしかに嫌かも、とファリエはシリル同様の渋い顔となり、ティーゲルは腕を組んで低くうなった。

「それもそうだな……では食堂の冷蔵庫で、保管してもらえばいいじゃないか」

「どうして貴方のために、そこまでしなければならないのです。それにホウレンソウよりもずっと割高でしょう」


 呆れたように軽く肩をすくめ、ティーゲルまで歩み寄ったシリルが恭しくホウレンソウの缶詰を差し出した。

「赤身肉につきましては、是非ご自身のポケットマネーにてどうぞお買い求め下さいませ」

 なんだかんだと文句を言いつつ、ティーゲルは素直に缶詰を両手で受け取る。真面目くさった双方のやり取りは、卒業証書の授与式を彷彿とさせた。

「ああ、ありがとう。しかし君は、割とケチなんだな」

「私などより高給取りでいらっしゃるくせに、何を仰いますか」


 すまし顔で己と相手の役職差を盾にしたシリルに、ティーゲルはつい笑ってしまった。なにせ彼が隊長職に就いたのは、シリルが昇任を拒んだしわ寄せなのだから。

「自分で昇給チャンスを蹴ったのに、よく言うなぁ」

「私はこの世に生を受けて以来ずっと、いい性格をしておりますから。親からも幼少の折より、『黙るという行動を、君はいつになったら覚えるのだ』と口酸っぱく言われておりましたものです」

「なるほど。ご両親の苦労が目に浮かぶよ」

 しみじみ言いつつ、彼は今もクツクツと笑っている。そして、受け取った缶詰を軽く持ち上げた。


「とにかくこれは、ありがたくいただくよ」

「ええ、是非そうなさって下さい」

 うなずいたシリルのしかめっ面が、束の間和らぐ。

「私も貴方の死神のようなご面相や、日々雑になっていく生き様にはいささか不安を覚えておりましたから。たまにはご自愛くださいませ」

「ああ、ありがとう」


 口ではけちょんけちょんに言っているものの、シリルなりにティーゲルへ愛着を抱いているようだ。

 ファリエもほんのりと、口元を緩めて微笑む。

(副隊長は、少し素直じゃない人なのかな)


 口も性格も難あり、というファリエやその他大勢の団員が抱く印象に、間違いはないのだろうが。

 ただ想像していたよりも、実際は案外お茶目な人物であるらしい。

 補佐官として働く上での懸念事項の一つであった、彼への苦手意識も思いがけず和らいだ。


 その後、前任のやらかした書類未提出に関する謝罪ラッシュと、秘蔵していた備品の修理申請などの後始末、おまけに書類と一緒に引き継いだ汚机の掃除等々に追われつつ、ファリエの補佐官としての日々は始まったのであった。


 なお彼女とティーゲルが突貫工事で作った、賞与の査定にも使われる例の追加報告書であるが。

 土下座も覚悟して提出したティーゲルによると、総務部からは思いがけず好評だったらしい。曰く、

「他の部隊は冗長過ぎてイライラしていたから、これぐらい質素な方が逆に落ち着く」

なのだそうだ。怪我の功名であろう。


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