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12:隊長は怒ると黙るタイプ

 ティーゲルを絶妙な匙加減で褒めた後、シリルはつばガードもとい紙ファイルを突き出してギデオンへ追撃を行う。

「そもそも昨日の、貴方の一ヶ月遅れでの報告のお陰で、我々はあわや総務部から叱責を受けるところでしたね」

「うぐっ……」

 ギデオンの喉の奥が鳴る。彼が再び怯んだところへ、シリルは更に容赦なく斬り込んだ。

「あの追加報告書が、何に使われるかは貴方もご存知でしょう? 秋祭りの警備計画ならびに、我々第三部隊の賞与査定に使われるのですよ? つまり貴方の怠慢により、我々一同は賞与を減額――あるいは、支給そのものを取り消される憂き目に遭うところでした」


 にわかに部屋の外がざわついたのは、賞与のくだりが聞こえていたからだろうか。ファリエだって昨日は、血の気が引いたものだ。


 ここでシリルが一つ息を吸った後で、穏やかな声を作る。

「ですが貴方の日々のたゆまぬ妨害によって、元々低い事務処理能力が更に低下なさっていた隊長を救って下さる方が、昨日現れました」

「私は、妨害など――」

「その救世主こそがこちらの、ファリエさんです」

 わざとギデオンの言葉を遮り、シリルはファリエたちへ顔を向けた。そしてティーゲルを見据え、紙ファイルを閃かせて続きを促す。


 こくり、とティーゲルは首肯。どこか気の抜けていた様子から一転、軽く足を開いて姿勢も正す。

「うむ。ファリエ嬢には昨日、追加報告書作りを手伝ってもらったのだが、とても丁寧で正確な仕事ぶりだった。それに加えて俺や、他部署の面々も気付いていなかった記載ミスも看破してくれたので、大助かりだ」


 ファリエを補佐官に据えることによって、ティーゲルの乏しい事務処理能力の向上を図りつつ、ついでに悩みの種のギデオンも追い出す――それがシリルの狙いであるらしい。


「もしもファリエ嬢が補佐官に就いてくれるなら、俺としても願ったり叶ったりだ。彼女は魔術師としてだけでなく、補佐官としても優秀で信頼出来る人物だと思える」

 シリルの一挙両得作戦を察したティーゲルも、これに思い切り乗ることにした。両手を広げて、少し大げさなまでに彼女を褒めちぎる。


 なんとなく場の流れを察したファリエも、全力で己を卑下したい欲求をどうにか抑えこみつつ、ただ楚々そそとうつむいた。

 これは決して恐縮している素振りを見せているだけでなく、気恥ずかしさで顔が恐ろしく熱いためだ。絶対真っ赤になっている。

 褒め殺しに耐えるべく歯を食いしばって、白と水色のタイルの継ぎ目を視線でなぞっていた。


 ただ、昨日の疲れ切ったティーゲルの姿がちらついたので、ギデオンを擁護しようという気にはとてもなれなかった。お人好しな彼女とて、決して聖人ではないのだ。生きていれば腹が立つことなど、もちろん沢山ある。


 そしてギデオンも同じく、隊長と副隊長が二人揃って自分を追い出したいらしい、とここに来てようやく悟る。

 こちらは顔色を一気に青いものに変えて、うつむくファリエを指さした。

「そ、そんなのまぐれでしょう! こんな、新人に毛が生えた程度の小娘の業務など、道理も流れ分かっておらず、いい加減に決まっています!」

 おや、とシリルは頭をわずかに傾ける。一分の隙もなく整えられた黒髪は、そんな挙動にも一切崩れない。


「そうとも限りませんよ。だって何年も補佐官を務めている貴方の仕事が、非常に粗雑なのですから」

「それは……」

「残念ながら仕事の出来と、本人の職歴につきましては、イコールとはならないようですね」

 などとしみじみ言いつつ、表情は冷めたままなので余計に怖い。

 顔色を青から白へと変えて、額に脂汗をにじませているギデオンは、どう反論すべきか分からず口をハクハクと開閉させるばかりだった。


 実際のところ、上司が脳みそまで筋肉で出来ていそうなティーゲルに変わって以来、ギデオンが思い切り手を抜いて仕事をしていたのは事実だ。

 声がデカいうえに学もなく、ついでに諸々が雑な新しい上司を、どうにも敬う気になれなかった。

 また彼の、背が高くて容姿もそれなりに整っており、大らかな気質という長所も、小柄かつ貧相で狭量な己の劣等感を刺激してしまい、彼への軽視に拍車をかけていた。


 ただ自負した通り、彼の事務員としての経歴は長い。つまるところ、自警団内部への理解度も同様に深いのだ。

 だからよほどのこと――服務規定違反や犯罪など――をしでかさない限り、職を解かれることもないと知っていた。

 この事実に寄りかかって、彼へかなりの嫌がらせを続けた結果、突然の解任を迫られた。客観的に見れば、ギデオン一人の有責で間違いない。


 しかも舌戦の相手が、以前からなんとなく苦手意識を持っていたシリル副隊長である。理屈っぽくて弁が立ち、敵対者を追い込むことが大好きなため、鬼畜の異名を持つ副隊長なのだ。

 正直なところ、もう挽回の道が見えない。


「ギデオン。俺からも一ついいだろうか」

 絶望感で黙りこくったギデオンへ、ティーゲルがそう声をかけた。普段の明朗な口調とは真逆の、静かな声音だ。


 いつもニコニコしている彼にしては珍しい、朗らかさゼロの真顔となったティーゲルはじっと、ギデオンに射貫くような視線を注ぐ。


「ギデオン。君が個人的に俺を好ましく思っていないことは、もちろん俺も承知している。全ての人が仲のいい関係を築けるわけがないので、そこは仕方がない。俺だって、あまり君のことをよく思っていないしな。率直に言えば、君が嫌いだ」

 感情の抜け落ちた声だからこそ、本気でギデオンを嫌っていることが伺えた。


 嫌いと明言されたギデオンは、無言でティーゲルをにらんでいる。だが同時に彼の視線で押し負かされるように、じわりと後ずさってもいた。

 威嚇じみたギデオンの視線も真正面から受け止めて、ティーゲルは広い肩を一つすくめた。


「互いに嫌い合ってることは、この際そこまで問題じゃない。そういう私情を、仕事に持ち込むことが問題なんだ。嫌いな相手には手を抜いてもいいと考える補佐官を、申し訳ないが俺は信頼出来ないし、もちろん仕事だって任せられない」

 ごくり、とギデオンは唾を飲む。しかしティーゲルはそのまま静かに、彼へ宣告した。

「だから君には、補佐官の役目から降りてもらう。諦めてくれ」


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