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9:副隊長の事情聴取

「あの、闇討ちとも、ちょっとだけ違いまして……」

 ファリエはうなだれつつ、空き巣に入られた時に疑似血液が入ったパックを根こそぎ盗まれたこと、魔力切れによってとんでもない空腹に襲われたこと、そして残業中に我を忘れてティーゲルに噛みつき血を吸ってしまったことを、素直にゲロった。


 廊下でぶちまけるのは恥ずかしかったので、第三部隊のオフィス内に入り、自分の席に座りながらの告解だ。彼女の周りを、同僚たちが半円状に囲っている。

 彼らは揃って小難しい顔を浮かべ、ファリエの説明を静かに拝聴していた。


「――それで、血を吸われてぐったりしたから、そのまま熟睡できたみたいでして。なので、また吸ってほしいって……」

「いや、おかしいやろ。やっぱ隊長、ただのド変態やん」

 アルマの冷ややかな結論に、全員大きくうなずいた。


「隊長の神経、どうなってんの?」

「相手が友達でも恋人でも、普通はちょっとぐらいビビるだろ」

 この意見には加害者であるファリエも、全く持って同意しかない。肩を丸めて、弱々しく首を上下する。


「そうですよね……わたし、ほんとに申し訳なくて。だから、逮捕されても仕方ないって、覚悟してて……でもどうしても、その前に謝りたくて」

「なのにもう一回血を吸ってくれって迫られたから、思わず泣いちゃったんだね?」

 彼女のそばにしゃがみこんだヘイデンが、困り笑顔でこう尋ねた。こくり、とファリエももう一度うなずく。


「なのでひょっとすると、わたしが変な病気に感染させたのかもしれないです」

「あー……それはたぶん……隊長の持って生まれた資質だと思うから、気にしなくていいんじゃないかな? ね?」

 言葉を選びつつ、ヘイデンも「隊長が生まれつきヤバいだけ」とファリエを励ました。そもそも、そんな未知の病原菌を持っていたら、半年に一回の健康診断で必ず引っかかるだろう。


 ファリエとティーゲルの間にただれた関係性など一切ないことは証明され、そしてティーゲルの変態疑惑だけは深まったところで。

 今まで閉ざされていた、執務室の扉が開いた。反射的に、ファリエが顔を跳ね上げてそちらを向く。

 半端に開かれた扉から顔をのぞかせているのは、シリルだった。


 彼は同僚たちの中心にいるファリエへ視線を定め、普段通りの渋面のまま、ひらひらと手招きする。

「ファリエさん。上司の狂った言動に、打ちひしがれていらっしゃるところを失礼いたします。少しこちらへ来ていただいても、よろしいでしょうか?」

「え、あ……」

 脳裏にティーゲルに迫られたことがよぎり、答えに躊躇していると、シリルが生真面目顔でうなずいた。


「ご安心ください。貴方の上司でしたら現在、念のため手錠をかけておりますので」

 ファリエの上司はすなわち、シリルの上司でもあるのだが。

 そしてわざわざ上司ことティーゲルに、手錠までかける必要があるのだろうか。

 第三部隊の面々は、それぞれ黙って同じことを疑問視した。ただ、シリルの揚げ足を取ろうものなら、倍にして返されるので誰も何も言わない。


 またファリエは、シリルが一応気遣いらしい処置を施してくれたのなら、とおずおずと席を立つことにした。ヘイデンとアルマは不安げな表情を浮かべていたものの、ここは大人しく彼女を見送ることにした。

 おっかなびっくり自分へ近づくファリエに、シリルは満足げにうなずいた。


「貴方は素直で扱いやすいので、大変助かります」

「は、はぁ……恐縮です」

 へどもどと頭を下げると、シリルがドアを更に広く開けて招き入れた。

「それではどうぞ。ご不安でしたら、ドアは開けたままでも結構ですので」

「あ、はい。ありがとう、ございます」

 この気遣いには、素直に感謝した。やはりまだ、先ほどの快感発言が尾を引いているので、扉は猫一匹程度が通れる幅に開いたまま固定することにした。


 扉の下にストッパーを挟んでから振り返ると、自身の机のそばにティーゲルが立っていた。シリルの宣言通り、後ろ手に手錠をかけられているらしい。両手を背中側へ回したまま、ぴょんぴょん飛び跳ねている。

 相変わらず血痕付きのシャツ姿であるものの、ボサボサだった赤髪だけは束ね直されていた。普段と比べても見事かつ丁寧にまとめられているので、見かねたシリルの仕業かもしれない。


 ティーゲルは拘束された状態のまま、跳ねてファリエの方へ近づいた。それでも青ざめている彼女に配慮してくれたらしく、五歩ほど離れた場所で止まった。

「ファリエ嬢、先ほどはすまなかった! 久しぶりに熟睡出来たから、嬉しくてつい興奮してしまったんだ!」

 しかし相変わらず、声が馬鹿みたいに大きいし、よく通る。やっぱり執務室の扉は、きちんと閉めるべきかもしれない。せっかくの密室なのに、彼の声は筒抜けだろう。


「い、いえ……」

 彼の大音声だいおんじょうに飲まれ、あわあわとのけぞるしかなかったファリエだが、途中でハッと我に返る。ティーゲルも出会い頭よりは冷静なようなので、改めて深々と頭を下げて謝罪した。


「わたしこそ、昨日はほんとに酷いことをしてしまいました。空腹に負けて隊長の血を吸って、そのまま逃げてしまって……申し訳ありません」

 精一杯丁寧に謝罪しつつ、流れるような所作しょさで土下座体勢に移ろうとする彼女を、自席に戻ったシリルがかざした手と、淡白な声で押しとどめる。


「隊長を襲ってしまった件につきましては、一切気になさらないで下さい。もちろん、彼以外が対象となった場合には、即刻逮捕事案となります。その際は私直々に、貴方を捕らえる算段ですので」

「ひゃ、ひゃい……」

 膝を中途半端に折り曲げたまま、一気に涙目になったファリエはぷるぷる震えた。この常時しかめっ面の副隊長が、実は入団当初からかなり苦手なのだ。


 だが部下に苦手意識を持たれるのに慣れているのか、はたまた欠片かけらも気にしていないのか。シリルは静かに、ティーゲルとファリエを順繰りに見た。

「一方で、ただでさえ事務処理能力に問題を抱えていた隊長が、寝不足によって更に稼働効率を低下させていた事実は、私も憂慮しておりました。たまに会議中も白目をむいて、居眠りをなさっていましたので」


「……そういう時は、起こして欲しいのだが」

 じっとりと恨みがましい目でティーゲルがぼそり、と呟いた。シリルは当然のように、この呟きを無視する。

「にもかかわらず昨夜のファリエさんの尽力ならびに突発的な事故により、本日午前中に提出必須の、例の報告書は既に完成しております」

 ファリエのたれ目が、大きく見開かれた。


 どうやら昨日、二人で頑張った報告書は無事に出来上がったらしい。安堵と嬉しさによって、通勤以来青ざめっぱなしだった顔に血の気が戻る。

 ようやく生きた心地を覚えたため、たまらず胸に手を当てて、深々と息も吐いた。


 ホッと気の抜けた彼女の様子を気にも留めず、シリルは更に淡々と続ける。

「これは今までの隊長の所業や業務効率をかんがみれば、まるで奇跡のような状況なのです。つきましてはファリエさん」

 だが、ここで一度言葉を切った。次いでシリルはにこり、とファリエに微笑みかけたのだ。


「私からも一つ、お願いがございます」

 入団して一年ほど経つが、初めて見る彼の笑顔である。

 団歴の長いティーゲルにとっても珍しいらしく、猫目をまん丸にして彼を凝視していた。


 そんな珍しい笑顔を、間近で拝めたというのに。何故だろう、お得感が全くない。

 むしろ真逆の、嫌な予感がしていた。

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