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8:隊長、連行される

 普段ならば怯えてしまうシリルの渋面も、ファリエには今、慈悲の微笑みに見えて仕方がなかった。

 何故なら平常運転で皮肉屋かつ冷淡な彼の出現に、騒いでいた団員達も皆、一斉に息をひそめて黙りこくっているのだ。

 この場で微塵も怯まないのは、彼の上司であるティーゲルぐらいであろう。


 実際彼は、少し困った表情を浮かべながらも、すぐさまシリルへ弁解している。

「大声を出したことは、本当にすまない。焦っていたため、つい声量が大きくなってしまったんだ」

「では、何を焦っていらっしゃったんです?」

 じろりと彼に見据えられ、困り顔のティーゲルはついファリエに視線を向けた。びくり、と肩を強張らせた彼女も、縋るような眼差しで見つめ返す。同時にぷんぷんと、懸命に首も振った。

 どうか吸血のことは言わないで下さい、という切なる思いを乗せて。


 彼女の視線の意味に気付いたらしく、ティーゲルは下唇を軽く噛んで腕を組み、しばし黙考。

「……聡い君なら気付いていただろうが、俺はここしばらく、不眠を患っていたんだ」

「はい、存じております。日に日に、死神のようなご面相になっていらっしゃったので」

「そこまで酷かったか? いや、うん、それはいいんだ……とにかくファリエ嬢が昨夜、とある方法で不眠を解消してくれたんだ。だからそれを、継続して実施してほしいと依頼していただけなんだ」


「ある方法、ですか?」

「うむ。ちょっとした、やや変わった方法というか……そういったものだな」

 ティーゲルの視線がそわそわと泳ぎ、語尾もどことなくゴニョゴニョと煮え切らない。

 彼に反して、シリルの灰色の目は厳しく細められた。


 ファリエの懇願は正しく伝わり、ティーゲルは吸血という単語を使わなかった。しかし徹底的にぼかしたことによって、かえって卑猥な裏事情を漂わせてしまっている。これでは完全なる逆効果、つまりは火に油を注ぐ愚行だ。

 あまりのいたたまれなさに、ファリエはうなだれて鼻をぐすん、と鳴らした。


 が、そこは聡いシリルなので。

 やっぱりエッチなことしたんだ、と平団員たちが嘆く中、ティーゲルのシャツに残った血痕に気付く。もちろん、襟から見え隠れする、首筋の噛み痕にも。

 彼は目を細めたまま、一つ息を吐いた。


「隊長、今の発言ではますます誤解を招きかねませんよ。上に立つ者として、己の発言には最大限の注意を払ってください」

「うむ……すまない」

「ひとまず言い訳の続きは、あちらで聴いて差し上げましょう。感謝して下さって、構いませんよ」

 言うや否や、ツカツカと小気味いい足音を奏でてティーゲルに肉薄。そのまま首根っこをむんずと掴んだ。さすがは団長にも忖度しない男、直属の上司など悪ガキ同然の扱いだ。


「いやいや、ちょっと待つんだシリル殿。俺は本当にやましい意図は全く――君結構、力持ちなんだな!」

 ティーゲルも一応の抵抗は見せたものの、存外膂力のあったシリルにそのまま引きずられて行く。どういうわけか、少し感心していた。


 自分より上背のある筋肉質男を引きずるシリルは、唖然となった部下たちが棒立ちで見送る中、先ほどと変わらぬ足取りでオフィスに入る。

 しばらくして遠くから、静かに扉を開閉する音もした。

 どうやらあのまま、執務室に連行したらしい。


 ファリエの全身から、たちまち力が抜け落ちた。

 思わずその場でしゃがみこむ。

 何も解決はしていないのだが、今はティーゲルと距離が生まれたことに、申し訳ないが安心を覚えたのだ。


 一方でしゃがみこんでしまった彼女に、周囲の団員は話しかけていいのだろうか、と顔を見合わせて迷った。

 もしもやっぱり、成人指定な出来事があったのならば……たかが職場の先輩でしかない自分たちが、容易に踏み込めるはずなどない。

 とりあえず医務室に連れていくべきだろうか、と頭を悩ませる。


 困り果てた彼らの後ろから、のんびりした男性の声がする。

「ねね、どうしたの? 部屋入らないの? ゴキブリでも出たの――えっ? ファリエちゃんと隊長がっ!?」

 のんびり声は小さくギャッと叫ぶや否や、小走りでファリエの元へ駆けつけた。仲良しの先輩のヘイデンだった。


「ファリエちゃん、大丈夫?」

 不安そうにファリエを覗き込む彼の傍らには、同期のアルマもいる。彼女もファリエの隣にしゃがんで、華奢な背中を優しくさすった。そして本土の西部訛りがある、独特の口調でファリエを励ます。

「ファリエ……自分、顔色酷いで? ほら、ゆっくり深呼吸して。とりあえず落ち着こ、な?」


 気心の知れた先輩と同期に挟まれ、ファリエの心にもようやく落ち着きが戻って来た。

 涙目のまま、大きく深呼吸をする。

「……ありがとうございます、もう平気です」

 ゆっくり呼吸を繰り返して、かそけき声で礼を言った。ヘイデンもアルマも、柔らかく笑い返す。


「副隊長がきっと、お灸をすえてくれるからね。ファリエちゃんは心配しないで。きっと大丈夫だよ」

 ヘイデンが励ますように、己の両手を握りしめて力説し、

「せや。しんどかったら、医務室で休んどき? なんやったらあたしが、被害届も作ったるから」

アルマもファリエの肩を抱いたまま、きりりと宣言する。


 彼女はファリエと同時期に入団したが、他市の自警団での勤務歴も持つゴリゴリの武官なのだ。だからその辺の男性よりも凛々しいし、頼もしいことがしばしばある。


 とはいえこのまま、本来被害者であるはずのティーゲルに、何十枚もの濡れ衣を着せるわけにはいかない。さすがの彼も、その重みで圧死してしまうだろう。

 切れ長の紫の瞳に怒りの炎を灯し、執務室へ殴り込みに行きそうな勢いすら見せるアルマへ、ファリエはふるふると首を振った。引き締まった腕も、やんわり引っ張る。


「いえ、隊長はほんとに、何も悪いことしてないんです。わたしが悪さしたのに、隊長がへん――大らか過ぎただけ、と言いますか……」

 変態という表現は、寸前のところで堪えた。

「えっ? じゃあやっぱり……ファリエちゃんが、襲ったの? 本当に?」

 ヘイデンは信じられない、と言いたげに穏やかな顔を思い切り歪めた。


「はい――あ、でも、そのままの意味ですから! 深い意味とか、比喩表現じゃなくて、文字通り物理的暴力で襲ったんです! もちろん隊長は、ほんとに落ち度、全然ありませんから! 真っ白で潔白ですから!」

 自分は何をフォローしているんだろう、と思いはしたが、お互いの尊厳のためにもしっかり強調する。


 とりあえずこの、泣き虫吸血鬼の貞操は守られているらしい、と安堵したヘイデンとアルマだったが、すぐに顔を見合わせて首をひねる。

「でも、それだったら余計に何があったの? だってほら、ファリエちゃんと隊長って別に仲悪くなかったし……それに隊長、ムキムキで強いよね?」

 魔術師然とした己の細い腕をさするヘイデンが、疑問だらけの状況にうめく。


 後頭部の高い位置でまとめた、茶色い髪の毛先をいじるアルマも吐息をこぼした。

「せやね。魔術で襲われたんやったら分からんけど……隊長が黙ってファリエに殴られるワケないし。見もせんと避けるか、この子つまんで、外に放り出して終わりちゃうかな」

 つまりファリエは家に入り込んだ、ヤモリと同レベルの脅威であるらしい。


 小難しい顔でアルマの言葉を咀嚼したヘイデンが、大きく目を見開いた。黒縁眼鏡もくい、と持ち上げる。

「だとしたら……考えられるのはまさか、闇討ち?」

「うん。不意打ちやったら、ファリエにもチャンスはあるんちゃうかな」

 妹分の暴挙を想像して激しく動揺するヘイデンに、アルマが重々しく沈んだ声で同意した。


 違う、と声を大にして言いたいファリエであったが、不意打ちという点は大正解のため、どう訂正すべきか分からない。思わず頭を抱えた。

 三人のやり取りを見守っていた団員も、同じように困り顔を浮かべる。

「でも襲われて、熟睡するか?」

「ファリエちゃんと喧嘩して、いい運動になったとか?」

「だったら別に相手がファリエちゃんじゃなくて、俺たちと稽古でもよくないか?」

「……ちょうどいい弱さだった、みたいな?」


 一人の推察に、周りが「あー」と低くうめいて同意。

「殺すつもりだったファリエちゃんからすりゃ、散々おちょくられた挙げ句に『またやろうぜ!』って言われても困るよなぁ」

「たしかに」

「そりゃ泣くよ。俺も泣くわ」

「隊長ひどい」


 快感が忘れられない、と絶叫したのがよろしくなかったのだろうか。いや、絶対これが原因に違いない。

 どう取り繕っても、ティーゲルの好感度が急降下している。

 これはもう、真実をつまびらかにするしかないようだ。諦めよう。


 両手を頭から離し、死んだ目のファリエは腹をくくった。

(逮捕されたら、アルマさんに聴取してもらおう……)

 昨晩は同僚のご厄介になるなんて避けたかったが、ここまで騒がせたとなると、事情を知っている同期にして友人のお世話になりたかった。

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