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【4】饗されるは天使の肉

 雪の降りしきる中、颯爽と遠ざかるシスターベロニカのバイクを見送った俺は、敷地の外に出てフェンス脇を走る道路から麓の街を見た。

「うわ……こりゃひどい……」

 街中のゲートから生えてる光の柱はそのままに、あちこちで火災が発生している。ときおり小さな爆発が起こっているのは、多分銃撃戦をやってるんだろう。

 ゲートを作った奴の意図だろうが、この街は東西を大きな川に、北が山で南が海に面していて、山側さえ押さえれば、水を嫌う異界獣が閉じ込められる格好になっている。

 別の街に避難するには、東西の川を跨ぐ四本の大橋を渡るのが一般的な方法だ。

 港から海路だと船に乗せられる人数に限りがあるし、山を越境するコースは移動にとても時間がかかる。

 だから、市民は警察の誘導で一斉に東西の橋に殺到しているはずだ。

 そのうち、北東にある一本の橋の近くに運悪くゲートが存在し、湧き出したケモノに取り囲まれた市民が、引くも進むも出来ずに立ち往生している。

 そして、何とか退路を作るため、やつらに応戦している教団関係者の中に、きっと弓槻もいる。

 シスターのバイクでも間に合う保証はない。

 俺のこの翼で空を飛べたなら、すぐ駆けつけることも出来たのだけど、あいにくこいつは格好だけで、そんな芸当は出来ない。

「う~~ん……、つつ……」

 俺は大きく伸びをした。

 まだ痛むけど、肩の傷はだいたい塞がっていた。

 とにかく橋にいる連中を助けなきゃ。弓槻を、助けなきゃ。

 そのために、いまの俺に出来ることと言えば――

「これしかない!」

 俺はコートを脱いでガードレールにかけ、ボディスーツの脇のファスナーから手をつっこんで背中のハーネスの留め具を外した。宝田さんにセクハラされた、あのハーネスだ。スーツの開口部から、まるで着替えの女子がブラでも抜き取るように、ハーネスをバンドごとずるずると引っこ抜いた。

 そいつをそこらに放り投げると、俺は地面に突き立てた大剣の柄頭を握り、肩甲骨のあたりに意識を集中した。

「ぐ……ッ」

 皮膚を裂く痛みが、背中に走る。

「これだからヤなんだよ……つつ……。なんて言ってらんねえな。あいつのためだ!」

 俺は大きく息を吸い込んで、背中のブツに力を込めた。

「でやああああぁぁッ!」


 ………………バサッッ!


 俺の背に純白の翼が広がった。

 日中ならば、さぞや神々しい姿だろう。

 翼を広げた衝撃で飛び散った細かい羽が、綿雪に混ざって舞っている。

 ぶっつけ本番だったけど、翼はスーツの背中のスリットから上手い具合に飛び出してくれた。きっと開発部の人は、こんな事態も想定していたんだろう。

 正直、痛い。多分出血もしてると思う。

「はあ、はあ、はあ…………さて。橋はどっちだろ?」

『ガスッ!』

 俺は橋の方角を見定めると、アスファルトの上に、さっきみたいに大剣を突き立てた。そして、深く深く、苦しくなるほど息を吸い込んで、柄頭をぎゅっと握り、これ以上ない程デカい声で俺は歌った。ゲートの詩を。


 ――橋まで届け、と願いながら。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――ッ!」

 俺の声は山々にこだました。

 歌というより、むしろ絶叫と呼ぶ方が近いだろう。

 クソでかい声を出したから、喉がいっぺんでヤられちまった。

 さっき毒性のある煙をたくさん吸い込んでしまったせいかもしれない。

 もう、ここまで大きな声は出せそうにないな。

 この声を聞きつけて、間もなく街中のケモノたちが俺を目がけて集まってくるはずだ。

 翼を出したのは、声を最大限に拡散させるため。

 そして、ケモノが俺を見失わないためだ。

 俺の翼は奴らにとって、格好のご馳走なんだ。何でか分からないけどな。

 けほ、けほ、と咽せていると、

「て、天使……ほんものだあ……」

「へ?」

 誰もいないはずの山で、女の子の声がした。

 まさか、妖怪?

(ど、どうしよう……)

 俺は恐る恐る、声のする方を見た。


 ――――――え?


「ええええええええええええええええええええええ!?」

「えへへ……」

「なんで……いんの、お前……」

 そこには、両手を祈るように組んで弓槻が突っ立っていた。

「ごめん。……来ちゃった」

 ………………は?

「き、来ちゃったじゃねえだろ! 何だよその、遠距離恋愛してる彼氏んちに黙ってやってきた彼女みたいなセリフ言いやがって! どーして逃げてないんだよ! バカああ!」

 あまりの突飛な状況に、つい声が裏返ってしまった。

「……ひどいよぉ……みんな、多島君を置き去りにして」

 弓槻がいじけた。

「置き去りって、しょうがないだろ。みんなには仕事があんだから」

「途中で他の車が交差点で事故起こしてて、通れなくて止まったとき勝手に降りてきちゃった。やっぱり多島君を一人になんて出来ないよ。だって、あたしの復讐なんだし……」

「うあぁ……なんてこった」

 俺がうう~ん、と呻きながら頭を抱えて仰け反ると、弓槻が涙目で睨んだ。

 なんでコイツを降ろしちまったんだ、あのおっさんたちは。

 首に縄を着けてでも連れ帰って欲しかったのに。

 それともそんなにひどい事故だったのか。

「そ、それはそうと、弓槻、お前早くここから逃げないと」

「え?」

「まったくもう……。お前が橋で立ち往生してると思って俺は……」

「え? 橋ぃ?」

 雪の積もったケープを揺らしながら、首を傾げる弓槻。

「いいか、よく聞け。橋を異界獣に塞がれて、避難出来ない市民がいる。俺が翼を出し、ゲートの詩を歌ってしまった今、街に沸いた異界獣が全部こっちに押し寄せて来るんだ。そのスキに皆には逃げてもらおうと思っていたのに、ったくこのバカ野郎!」

「ええええええええッ」

 両手で頭を抱える弓槻。頭抱えたいのはこっちの方だ。

「奴らにたかられれば、俺は骨まで食い尽くされるかもしれない。お前がまだ橋の方にいれば巻き込まれずに済んだだろうが、今からじゃあ、どこに逃げればいいか俺にも正直分からねえ。この際、山の向こうでもなんでもいい。とにかくここから急いで離れろ。いずれ教団の衛星から爆弾が降ってくる。――溢れかえったケモノを焼き払うためにな」

 真っ青な顔になった弓槻を逃がすために、俺はコートを彼女に突き出した。

「はい、俺と心中したくなければこれ持っていけ。ポケットを漁って発煙筒とか、携帯トーチとか、懐中電灯とか、銃とか、とにかく使えそうなものを駆使してここから逃げろ」

「そ、そんなあ。だって多島君、羽あるんだから、飛んで逃げられるんでしょ? なんでだまって食べられないといけないのよ?」


 ……まあ、ごもっともな疑問ですが。


「俺、飛べないの。これ、飾り。だから今すぐダッシュで逃げろっつってんだよバカ!」

「うそお……」

 涙目の弓槻。泣きたいのはこっちだよ。

「うそじゃねえ! は・や・く! に・げ・ろ! お前も食われるから!」

 俺はダンダンと足踏みをして弓槻に強く訴えた。

「なによ! 人が心配して、途中までパトカーヒッチハイクしてここに来たってのに!」

「……わかってるよ」

 駄々をこねる彼女を俺は抱き締め、翼で包み込んだ。

「あ…………」

 手間のかかる子だ。

 ぎゅってしてやったら、すぐフリーズして大人しくなった。

「しょうがない奴だなあ、お前は」

「ごめんなさい……もう逢えないかもって思って……」涙声で言う弓槻。

「俺も、もう逢えないかと思ってた。だから……本音言うと、顔が見れて嬉しかった」

「ホント?」

「うん。ていうかお前さあ、俺のこと、怒ってたんじゃなかったんかよ」

「あれは! ……あれは、ついカッとなって……その……」

「ま、まさか、それで俺殺されそうになったの?」

 つい、で殺されてはたまらない。

「……ごめん」

「ま、いいよもう。俺も悪かったから。それに、ちゃんと奴は始末したから安心しろ」

「ホントに?!」

「ああ、ホントだ」

「お、お姉ちゃんの仇、ホントにとってくれたんだ……」

「おう。ちゃんと、とったぞ」

「ありがとう……」

 彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「で、奴の首をシスターベロニカに預けて、お前に渡してもらうはずだったんだけど」

「や、やだ、きもちわるい! そんなのいらないわよっ」

「ええ!? ふざけんな。ちゃんと約束を守った証拠なんだから、きちんと受領しろよ」

「わ、わかったわよ……」

「じゃ、ご褒美くれる?」

「ご褒美って?」

 俺は弓槻の顎を指先でつい、と持ち上げてキスをした。

 彼女の唇は寒さで冷たかったけど、多分俺も冷たいだろうからおあいこだ。


 そして、二度目だけど、多分これが最後のキス。

 俺は冥土の土産とばかりに、彼女の唇の感触をしっかり味わった。


 ……ああ、もったいないなあ……。これで最後だなんて。


 あーあ、せっかく相思相愛になったのに、まったくもってもったいないなあ。

 でも、冥土の土産が出来たと思って喜ぶべきかな。

 俺は見納めだから、彼女の顔を見つめた。

 寒さで頬を赤く染め、白い息を吐いている。

 好きな女の子との今生の別れ、なんてのを体験するなんて、夢にも思わなかったよ。そして、俺は弓槻を縛めから解いて言った。

「こんなクリスマスイブにして、済まなかったな、弓槻」

「多島君のせいじゃない」

「姉貴のことは俺のせいにしたくせに」

「……ごめん」

 弓槻は、バツの悪そうな顔でボソリと言った。

 口を尖らせて言う弓槻が、可愛くてしょうがなく思えるのは、やっぱ愛情補正なのかな。

「……じゃ、いい子だから、もう逃げてくれ」

「いや! 多島君と一緒にいる!」

 弓槻は俺の腰にしがみついた。

「気持ちは嬉しいけど、お前まで死んじまったら、お姉さんにあの世で顔向け出来ない」

「でもぉ……」

「お前のこと好きだから、死んで欲しくないんだ。頼むから聞き分けてくれ」

「あたしだって好きだもん! ここにいる!」

 死んでも離さないと言わんがばかりに、ギューギューに俺の胴を締め上げている。

 これが、ついさっきまで俺を殺そうとしていた女の子なのかよ。

「ったくもう。グダグダ言わずに行けよ。それに、俺だって必ず死ぬとは――」


 ――と、その時。


「ほらあ。お前がもたクサしてっから、来ちゃったじゃねえかよ……」

 ゾワゾワとケモノが集まる感触がした。

 鼻はもう煙とかガスとかでおかしくなってるが、肌の感触はまだ無事だ。

 ちゃんと俺の声と、この翼に反応して、ケモノたちが集まってきているんだ。

 よかった。これでみんな助かる。作戦はうまくいきそうだ。


 でも――


「ど、どうしよう、道路のあっちもこっちも、すごい数いるよ……」

 極彩色な異界獣たちが、俺達の周囲にじわじわと集まってきた。

 雪で白くなった道路の上には、詰む寸前の落ちゲーよろしくカラフルなケモノがぎっしりだ。

 弓槻だけなら、ひたすら山の向こうに逃げる手もある。

 でも市民の避難が終わるまで、やつらを限界まで引き付けなければならない以上、俺がここを動くわけにはいかない。

 いま俺がウロウロすれば、せっかく集まってきた連中がハンパにバラけて拡散してしまうか、ゾロゾロと引き回してしまうだけだろう。

 なんとかしてこいつの退路を作ってやりたいが……


 ――そんじゃあ、覚悟決めるか。


「弓槻、お前は俺が護る。絶対に俺から離れるなよ」

「うん!」

 なんだよその嬉しそうな顔は。死ぬかもしれねえんだぞ?

「じゃ、まずそのコート着ろ。多少は攻撃を防げる」

「わかった!」

「あと、余計なことすんな。加勢もすんな。俺がやられても一切、手を出すな。俺が食われたら食い尽くされる前に逃げろ」

「ええぇ……」

「えーじゃねえ! 手なんか出したらお前死ぬからな。教官の言うことは聞け」

「こんな時だけ教官づらしないでよ」

「やかましい、早く着ろ。それに、今よか暖かいだろうしな」

「わかったわよぅ……」

ぶつくさ言いながらコートに袖を通す弓槻。オーバーサイズで、オバケのようにコートの袖をだらんと垂らしている。

「……コゲ臭い」

「黙って着てろ!」

 さて、避難が終わるのに、どのくらい時間かかんだ?

 その間持ちこたえられっかな……

『アーアー・キコエマスカ・マスター』

 いきなり大剣から電子音声が聞こえた。

「きゃっ! な、なんかしゃべった!」

「……ああ、聞こえてる。……これ、AIついてんの?」

 うちの開発部の連中は、頭がイカれてんのが多いから、この程度じゃ驚かねえな。

『マスター・ガ・ツバサヲダシテイル・トイウコトハ・ピンチ・デスネ』

「わ、わかってんじゃんよ。……で、なんだよ」

『ワタシハ・コノヨウナジタイニ・タイオウスベク・ツクラレマシタアハハハハハ』

「……キショい。笑うな。で? お前の作り主からなんか聞いてんの?」

『ワタシハ・マスターノハネ・ヲカテニ・イカイジュウ・ヲ・フンサイシマス』

「粉砕?」

『ラグエルシステム・キドウ・シマシタ』

 ガスン、と音を立て、大剣は微妙に形状を変えた。

 あちこちのスリットが多少大きくなったように思える。そして表面を葉脈のように走っている光が、より強くなった。

 なんだかわからんシステムを起動されましても……。

 でも強くなるんならいいや。

「俺の羽、ねえ?」

 ちらと己の翼を見ると、いつの間にか細かい光の粒子を纏っている。

「……ん? キラキラを大剣が吸い込んでいるぞ。……まさか、お前食ってるの?」

 うええ……。背筋が寒くなってきたぞ。

 横で弓槻がイヤそうな顔をしている。

『マスター・ノハネガ・マルボウズ・ニナルマデ・コウカハ・ジゾクシマスクククク』

「ちょ、俺の翼が丸坊主になったら、ただの手羽先じゃねえか! 冗談じゃねえ!」

 この野郎、俺の羽を分解・吸収してやがる。

 なんて気色の悪い機能だ。

 俺はすぐさま剣をアスファルトから引き抜いた。

「で、粉砕って、どうなるんだい?」

 俺は剣に訊ねた。

『トリセツヲヨンデクダサイ・トリセツヲヨンデクダサイ』

 ……殺す。開発者、ぜってえ殺す。

「俺は、取説読まない主義なんだよ!」

 ムカつくインテリジェンスソード《腐れ剣》をブン、と振り、俺は大見得を切った。

 その途端、腐れ剣からまっすぐに衝撃波が放たれると、モップで拭き取ったみたいに、その軌跡上の雪が舞い上がり、道路いっぱいのケモノたちが一瞬で消し飛んだ。

「……な、何だコレ!」

 こんな俺が言うのもナンセンスだけど、普段あまり非常識な武器を使ってこなかった俺は、目の前の光景がにわかに信じられなかった。

「カッコイイ……」

 弓槻が感嘆の声を上げ、ぱちぱちと手を叩いた。

「お、おう。……って、モタモタしてると羽なくなっちゃう!」

 俺は気色の悪い剣を振り回し、急いで迫り来る大量の異界獣を文字通り薙ぎ払いまくった。

 ひと薙ぎするだけで、目の前のケモノたちが面白いように砕け散っていく。

 調子に乗った俺は、バンバン剣を振り回し、ケモノの大群を駆逐した。

 そして集まったケモノがバラけないよう気をつけながら、少しづつ移動して峠への道を掃除していったんだ。

 急に動くと俺の位置をやつらが見失ってしまうからな。


 なんだか楽しい。

 不謹慎なのは分かってる。

 でもしょうがないじゃん。すげえ爽快感なんだから。


「すごいよ多島君! みんな粉雪みたいになってく!」

 おいおい、なんだか弓槻まで興奮気味だ。

「これなら、集めたケモノが全部、さっさと始末出来るかもしれないぞ!」

「ホント!?」

「おう!」

 なんて軽口を叩いてみるが気分が良かったのは始めの方だけで、実際には斬っても斬っても敵が減るどころか麓からどんどんおかわりが沸いて、結局進んだぶん戻るハメに。

 弓槻の退路を切り開くどころじゃなくなって、このままじゃジリ貧なのは間違いない。

 いつになったら信号弾が上がるんだろ。早くしてくれよ。

 じゃないとこいつを連れて山の向こうに逃げられなくなる。俺だって、本音を言えば、ここで心中なんかしたくない。


 ――ところが。


「た、たたた多島君、あれ見て!」

 傍らで弓槻が叫んだ。

「うおっ、なんじゃありゃあ! ……まさかこんな規模で共食いが起こるなんて……」

 トドくらいでっかいナマコのようなものが、あちこちで発生し、そして細かいケモノを飲み込んで、そのナマコ同士が共食いをして……という風にどんどん巨大化していく。

 まさに地獄絵図だった。

 そこここで躍り食い祭が繰り広げられている。

 蹴散らそうにも密集したやつらがその輪を狭くしてくるので、どこから手をつければいいのやら。

 これはきっとゲートから立ち上る虹の柱のせいかもしれない。

 降りが強くなった綿雪に光が反射して、柱が余計に太くなったようにも思える。

 試しに大剣を振って衝撃波を喰らわせてみたが、街中の異界獣がどんどん集まっているからか、一向にナマコの壁は無くなりそうにない。

 今は何故か共食いに夢中になってるが、あんなのが一斉にこちらに向かって来たら。そう思うと俺は戦慄した。これじゃあ、一点突破も難しい。

 どうやって弓槻を逃がせばいいのか。俺は本気で分からなくなってきた。

 ――クソッ、こんなことなら飛ぶ練習でもしとくんだった!


『ドド――――ンッ』


 ビチビチと雪の上を跳ね回る巨大ナマコに恐怖していると、背後から爆発音が響いた。

「うわあッ!」「きゃあッ」

 振り返ると、虹の柱の方角からメキメキバキバキと木をなぎ倒すような音が迫り、それが近くなるとフェンスをブチ破ってデカくて長いヤツが飛び出して来た。

 そいつがずるずると道路を這い、周囲の巨大なナマコを飲み込み始めた。

 どうやらソレは、今しがたゲートから湧き出した巨大なヘビのような異界獣だった。

 太さは三、四mくらい、長さはよくわからない。

 体は脱皮した皮の方みたいに半透明だ。

 飲み込んだナマコがヤツの腹の中に溜まっていくのが外から見てとれる。

 ――これじゃまるで、オケアノスやリヴァイアサンじゃないか。

 益々弓槻を逃がすどころじゃなくなってしまった。

「竜……なの?」

 弓槻の声が震えている。誰だってこんなの見たら怯えるさ。

「蛇、かな」

 俺は怯える弓槻を抱き寄せた。

「こんなものまで呼び出すなんて……。人は、滅びたがっているのか?」

「というよりも、呼んだの多島君なんじゃないの?」

「俺のせいかよ! でも、あの爆発でゲートの径が広がっちゃったんなら、おかしくないのかもしれないな……」

 不本意だけどな。

「じゃ、ゲートで爆発起こしたのが犯人?」

「んまあ、そういうことになるんだろな。この場合」

 雪がさらに強くなってきた。もう麓の方は真っ白で何も見えない。

 これじゃあ信号弾を打ち上げても、ここから見えないかもしれない。

 通信機の類いは光の柱の発する何かのせいか、通じる気配はないし、唯一使えそうだった携帯電話は、弓槻も俺も持ってない。

 ――詰んだな。せめてこいつだけでも救わないと。

 そして、一旦麓の方まで行ったかと思ったら、そこらのナマコを食い尽くしたのか、俺に向かって山の端をずるずると這い上がってきた。

 冷えた空気が震え、足元にも振動が伝わってくる。

 最終的に奴は直径五mくらい、長さは多分百mくらい? にデカくなった。

「どうしよう、こっち来る。……すごい大きいよ……」

「分かってる。ヤツは最後に、俺を喰らう気だ」

 弓槻が急に俺の腕を掴んで引っ張った。

「逃げよう! いくらなんでも、こんな大きいのなんか倒せないよ! もう下の方の避難だってきっと終わってる! だから早く逃げよう!」

「逃げ終わらなかったらどうする。今、こいつを足止め出来るのは俺だけなんだ。橋の爆破がまだだったら、こいつは他の街も襲うんだぞ。だから、どうにかなるまで、俺はここを動くわけにはいかないんだ」

「じゃああたしもここにいる!」

 俺は弓槻の手を振り払った。

「……弓槻、今のうちに逃げろ。もう道路にはケモノはいないはずだ。峠への道も今なら通れる。もし他の連中に連絡出来そうならしてくれ。俺がここでヤツを足止めしてると」

 初めのうち、ヤツの胴で塞がれていた峠への道は、一旦ヤツが麓の方まで移動したせいで、今は通れるようになっている。

 多少、路面がガタガタになってはいるだろうが。

「……」

 弓槻は無言で俺の腕を再び掴んだ。

 俺はその手をそっと外した。

「今が最後のチャンスなんだ。峠の先にトンネルがある。そこで落ち合おう。いいな?」

「……」

「弾倉がカラになるまで、俺を蜂の巣にするんだろ。お前が殺すまで、俺は死なない」

 弓槻がじっと俺を見る。今にも泣き出しそうなヒドい顔だ。

「……必ず、来てよ。あんたを殺すのは、あたしなんだから」

「そうだ。だから、俺を殺すまで、お前も死ぬな。さあ、行け!」

 そう言って、俺は弓槻のケツを叩いた。

「絶対だからぁ!」

 そう叫ぶと、弓槻は峠の方へと走り出した。

 俺は、泣きながら夜道を駆けていく弓槻の後ろ姿を見送った。

 だが五十mほど駆けていったところで、

「……あ、転んだ。大丈夫か、あいつ……」

 生きて帰れたら、女性用装備のヒールの高さを変更するよう、上申するしかないな。

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