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【1】聖夜のデートは死に装束で

 目覚まし時計が鳴った。


 二度空振りし、三度目に叩いてやっと止まった。


 クリスマスイブの朝。

 寝不足の朝。……と言うにはもう遅いか。

 布団からもそもそ這い出し、眠い目をこすって起きると、もうじき昼だ。

 外を見ると最近にしては、めずらしくきれいに晴れている。

 普段は目覚ましをあまり使わないけど今日は特別だ。

 じきクリスマス会が始まる。

 集まった近所の子供たちの中には、海紘ちゃんのお父さんの知り合いの子もいるのだろう。

 俺は顔を洗い、例の樟脳臭い神父服を着て、クリスマス会会場となっている礼拝堂に向かった。

 ポケットに弓槻へのプレゼントを忍ばせて。

 今日の俺の役目は、オルガンを弾く係だ。

 左手が治らなければスルー出来たのに、なんて一瞬だけ思ったけど、実際ほとんど準備を手伝ってなかったんだから、このくらいはやらないとヤバいよな。

 鍵盤楽器なら、足踏みオルガンでも電子オルガンでもパイプオルガンでもピアノでもハープシコードでもピアニカでも弾ける。

 弾けないのは大正琴くらいだろうか。

 宿舎から礼拝堂への渡り廊下に入る手前で、イス用の座布団をたくさん抱えた弓槻を発見した。多分食堂で使ってたやつを礼拝堂に持っていくんだろう。

「あ、弓槻。あの……」

 俺は、彼女に怖々と声をかけた。

 弓槻は俺を見た途端、顔を引きつらせ、その場に固まった。

 この格好がいけなかったのか……。

 お姉さんの葬儀を思い出させちまったかな……。

 彼女に近寄ると、硝煙の匂いがした。

「今朝も練習してたのか」

 弓槻は顔を背け、「なによ。文句あんの」と、ボソリと言った。

「ひとりでやったら危ないだろ? お前の身に何かあったらどうすんだよ」

「うるさいわね! あたしに指図しないでよ!」

「うわっ!」

 怒鳴られた挙げ句、座布団の束をまるごとブン投げられた。

「いや、あの――そうじゃなくて……」

 何か言おうとしたけど、弓槻はバタバタと足音を立てて走り去ってしまった。

「……やっちまった。ったく。何やってんだ俺は……」

 謝ろうと思ったのに……。

 何で俺はいきなりあいつを責めてんだよ。俺のバカ。

 廊下に散らばった座布団を拾い集め、俺は礼拝堂に向かった。


『ギャギャギャキイィィィィィィィ――――――ボボボボボボ……』

「ひぃぃぃっ!」


 礼拝堂に入ると、そんなバカでかい騒音が耳に刺さった。

 もう、右から左に特急電車が二十両編成で通過する勢いだ。

 俺は思わず抱えていた座布団を床に放り出し、両手で耳を塞いだ。

 そしてめまいがしてきて、そのまま床にうずくまってしまった。

 原因はすぐ分かったよ。

 シスターたちが音響のテストを行っていたんだ。

 いわゆるマイクのハウリングってやつ。

「ああ、ごめんなさい、ショウくん!」

 と、最年少のお下げのシスターがマイク越しに叫んだ。

 やめて未調整マイクマジやめて。

 死ぬ。死ねる。

 人間さんより可聴音域広いうえにセンサーの感度が違うんで、マジで俺キツイ。

「だ、だいじょぶ……あはは……」

 ウソです。まだ耳がキンキンして頭がクラクラします。

 演台でテストをしていたシスターたちが慌てて駆け寄ってきて、俺を引き起こしたり、俺が床にバラ撒いた座布団を拾ってくれた。

 普段の礼拝堂にはベンチ式のイスがずらっと並んでいるけど、ウチの教会のは全部可動式で、各種イベントなどに使えるようになっている。

 たまに同人誌即売会なんてのもやったりするけど、ちょっとやり過ぎじゃないか?

 そんなこんなで開場時間になったので、子供たちがドヤドヤ入ってきた。

 ハデな飾り付けやデカいクリスマスツリー、高く積み上げられたプレゼントや海紘パパ渾身のクリスマスケーキを見て、ガキ共は一気にテンション爆上げの大興奮状態になった。俺もツリーの下敷きになった甲斐があったってもんだな。

 昼間は教会でクリスマス会やって、夜は夜で各自の家庭で第二部をやるんだから、この町の子供らは恵まれてやがるな。

 というか、ウチの教団の教会のあるエリアは全部だな。

 こんだけのもてなしをして、子供は参加費タダ。

 我が教団はどんだけ地域の皆様に貢献してるのやら。

 確かに吉富さんの言うとおり、民衆を籠絡するには子供から、というのは万国共通だね。

 ……でも、真っ先に異界獣の餌食になるのも町の人だから、果たしてこんな程度の事で報いや償いになるのかどうか。

 それを思うと、微妙な気分になるな。

 俺は、シスターたちのゴスペルの伴奏をしたり、給仕の手伝いをしたり、ガキをトイレに案内したり、そこそこ忙しく働いていた。

 だから場内の隅っこで俺の視界から隠れてるつもりの弓槻のことを考えるヒマも、海紘ちゃんの盗撮を咎めるヒマもなかった。

 ふと、場内が暗くなり、ミラーボールが回り始めた。

 ざわつく子供たち。


『では、サンタさんの登場でーす!! 大きな拍手を!』


 進行役のおさげシスターが袖の方に手を差し出す。

 スポットライトが当たって、奥からトナカイの着ぐるみを着た吉富組の連中のひくソリの上で、サンタ服に身を包んだ吉富さんが大きく手を振ってやってきた。

 普段より恰幅かっぷくよく見えるのは、服の中に詰め物をしてるせいだろう。

「くくく……あははは」

 悪いけど、つい笑ってしまった。

 だって、ボスのサンタ姿を失笑しながら見ていた連中が、まさか自分たちまで恥ずかしい格好をさせられるとは思ってなかっただろうからさ。

 チビッコへのプレゼント配布が始まったので、俺はゆっくりとメシを食い始めた。

 すると海紘ちゃんがこっそり隣に来て座った。

「ねえねえ、もう弓槻にプレゼント渡した?」

「それが……昼間渡そうと思ったんだけど、つまんない事言って怒らせちまった……」

「バカね、もう。じゃあなんとかするから、クリスマス会が終わったら、あの子を外に連れ出すのよ。夜景を見せるとか何とか言って。いいわね?」

 相変わらず仕切りやさんだ。

「えー……そんなんうまくいかないよ。さっきだって座布団投げつけられたしさ」

「甘えてるだけよ。すぐかんしゃく起こすんだから、あの子は。お姉ちゃんがいなくなって、それに歯止めがかからなくなったの。ごめんね、扱いづらい子で」

「別に海紘ちゃんが謝ることじゃないだろ。……いいんだよ。別に俺は許してもらおうとか思ってないし。ただ……」

「ただ?」

 復讐なんて諦めて欲しい、と本当のことは言えなかった。

 弓槻に危険が迫っている、なんて海紘ちゃんに言ったら、かなり面倒なことになるだろう。現時点でも面倒なことは違いないだろうけど。

「何でもない。……じゃあ、終わったら外に連れ出せばいいんだな?」

 海紘ちゃんは、にっこり笑って大きくうなづいた。

「任せて、私たちの救世主サマ。絶対うまくやるから」

 海紘ちゃんは俺の肩をポンポン、と叩くと席を立って去っていった。


     ◇


 クリスマス会が終わり、撤収作業が完了する頃には、太陽が傾き始めていた。

 青空は既にオレンジ色に染まり、山裾の方に向かって赤紫色のグラデーションを作っている。

 俺は、一旦自分の部屋に行って大急ぎでに着替えると、また礼拝堂に戻って、作業疲れで座り込んでいる弓槻に声をかけた。

「お疲れさま。……ちょっと、お茶でも飲みにいかないか? おごるよ」

「……なに企んでるのよ、あんたたち」

 上目遣いに俺を睨むと、弓槻は上から下まで舐めるように俺を見て、何かを勝手に納得したような顔をした。

「その格好でお茶とか、本気で言ってんなら、お薬出してもらった方がいいわよ」

「ひ、ひどいなあ……。別に何もないよ。ただ労をねぎらおうと……」

 どこかでプレゼントを渡したいけど、夜道は危険だし、いつカマキリが出てもいいようにフル装備してきただけなのに。

 ……それとも俺の方が非常識?

 弓槻はふー、っと大きくため息をつくと、

「どこに連れ出す気か知らないけど……海紘の顔を立てて行ってあげる。上着持って来るから玄関で待ってて」

 と言って、仏頂面のまま礼拝堂を出て行った。

 俺は先に玄関に行って、彼女を待つことにした。

 上着を取ってくるだけ、と言ってたはずなのに、随分待たされた気がしてきた頃、弓槻はやってきた。

「お待たせ」

「……え」

 俺は絶句した。

 何故なら俺には、彼女のなりが死に装束にしか見えなかったからだ。

 弓槻は上着どころか、頭の上からつま先まで、衣服を全て着替えていた。


 ――をする教団職員の正装に。


 漆黒のシスター装束……ではあるものの、それは、明確に着用者を異界獣から守護するための防具に他ならなかった。

 全身をピッタリ覆う漆黒のボディスーツの上に着込まれた、俺のコートと同じく防御力の高い素材で作られ、動きやすさを重視してスリットを多く入れたワンピース。

 聖別された太い糸でグラフィカルな魔法障壁陣を縫い込んだ、たっぷりとした袖口の詰め襟ボレロ。

 そして、同じ糸で教団エンブレムの刺しゅうを施したベール……。


 華麗な見た目とは裏腹に、科学と魔法の混在する教団独自のテクノロジーで作られた、高性能かつ高価な装束だ。

 正式名称、武装職員用金剛型正式装具一式。

「どうして………………」

「遺品よ。何か問題でも?」

 そう言うと、弓槻は唇を横一文字に固く結んだ。

 いまこいつが着ている装束一式は、恐らくお姉さんの保管していた予備だろう。

 確かにお姉さんは監視員だから、こうした装備品が支給されるのは分かってる。

 でも、弓槻のお姉さんを護るには至らなかった。

「いや、だって……だってお前……」

 弓槻はお姉さんとよく似ていて、生前きっとこんな風だったんだろうけど、どうしてもバラバラ死体のお姉さんが脳裏に浮かんでしまう。

 雪の上でほほえんでいた薙沙さんが。

 ――同じ運命を辿るなど、絶対にあっちゃいけない。

「自分の格好を、そこの姿見で映してみなさいよ」

「見なくても分かってる。……どういうつもりなんだよ、弓槻」

「それはこっちのセリフよ。私が喜ぶ場所に連れてってくれるんでしょ? あいつを狩りに。……ねえ多島君」


 海紘ちゃんは一体どういう口説き方をしたんだ?

 ったくもう……。参ったな。

 しょうがない。なるようになるさ。こうなりゃ博打だ。

 大丈夫。俺が命を賭けて護ればいいだけだ。


「……そうだな。さあ、狩りへ行こう。お手をどうぞ、お嬢さん」

 そう言って俺は、黒衣の弓槻に手を差し伸べた。

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