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【9】サンタを待つこどもたち

 俺達は一旦教会に戻った。

 そして、例の詩が出ているゲート、出ていないゲート、不明なゲートの情報を整理した。その後、俺とシスターベロニカは、日が出てからいくつかの不明なゲートを回り、詩の有無をチェックしていった。

 基本的に、ハンターは同じ現場を最低二回は間を空けて見回り、そして駆除を行うから、この作業は吉富組の連中の安全のためにも重要な任務ではある。しかし色々なイレギュラーの発生しているこの街では、それもどこまで信用していいのか俺には分からない。

 通勤時間になり、さすがに人目が気になりだしたので、俺等は教会に戻ることにした。ここまでの成果はというと、詩の聞こえるゲートはゼロだった。そして俺は部屋に戻るなり、そのままバッタリ眠ってしまった。


 外が騒がしいので目を覚ますと、もう昼過ぎだった。

 教会の庭で近所の子供らがシスターと一緒に雪だるまを作って遊んでいたんだ。

 柵に沿って、子ダルマがずらっと並んでいた。

 マトリョーシカみたいだなあ、と寝ぼけた頭でぼんやり考えながら、それをしばらく眺めていた。

 俺もガキの頃、あんな風に教団の施設でシスターや他の子供たちと、雪だるまをたくさん作ったことを思い出す。

 雪だるまは見飽きたし腹も減ったので、何かないかと食堂にやって来ると、シスターたちと弓槻と、シスターベロニカまで集まって何かの作業をしている。


「みんな、何してんの?」

「もうじきクリスマス会だから、プレゼントの包装をやってるのよ」

 と代表でシスター長さんがにっこり微笑みながら答えた。

 見ればテーブルの上には、包装紙やリボン、セロテープにシールが。

 包装済みのプレゼントと包装待ちのオモチャは、床に置かれたダンボール箱の中に分別して詰めてある。

 外で遊んでいるガキどもも、きっと楽しみにしているんだろうな。

「俺も手伝います……が、何か食うものあります? 今起きたんで……」

 と言うと、タムラさんが残りモノで何か作ってくれるそうだ。

 ありがたい。

 まあ、なければないでコンビニにでも行こうと思ってたんだけど。

 ギフト包装は昔からよく手伝わされてきたから、俺にとっちゃ朝飯前だ。

 複雑なリボンの結び方も任せろだぜ。

 この特技があれば、盆暮れのデパートでバイトが出来る。

 メシの用意が出来るまで少しでも包もうかと席につくと、はす向かいの席で作業中の弓槻がぷい、と横を向く。

 あーあ、すっかり嫌われてしまったようだな。

 三つほど包みを作ったところでメシが出来た。

 俺は別のテーブルに移って、出来たての開化丼とたぬきうどんに七味をガンガンぶっかけて食い始めた。

 食事の後、作業は一時間ほどで完了した。左手の動きは、ほぼほぼ戻った。握力は9割くらいか。まあ、いける。悪くない。

 作業が終わると、弓槻は逃げるように食堂から出ていった。

 そんなに俺と口をきくのがイヤなのかなあ。

 割り切ろうと思っても、こうも見せつけられると正直堪える。

「勝利、ちょっと来い」

 作業後の一服とばかりに、コーヒーカップを手にしたシスターベロニカが俺を呼ぶ。

「なんすか」

「今朝方、お前の代わりに私が弓槻の指導をしたのだが……どういうことだ?」

「え?」

「お前が午前様で朝練に出られないから、代わりに私に指導を頼め、と指示されたと彼女は言っていたのだが……。おまけに、どうしてエアガンではなく実弾を使ってるんだ?」

「は――――――……」

 俺は、大きくため息をついた。

「俺、そんなこと言ってない。銃を変えたのは訳があって……」

 確かに黙って銃を換えてしまったのは俺の独断だけど、やらなきゃやらないで弓槻が機嫌を損ねてしまうし……とシスターベロニカに、かくかくしかじかと事情を説明した。

 シスターは腕組みをして、俺の話をじっとだまって聞いていた。

 話し終わると、シスターはゆっくり口を開いた。

「勝利、お前がそこまで背負う必要など、ないんだぞ……」

 俺は、胸が詰まって、苦しくなって、……歯を食いしばった。

 そんなの分かってる。

 俺に一ミリも責任なんかないって。

 十分、分かってる。

「お前は、許されたいだけなのだ。あの娘に」

 何でそれを言っちゃうんだ、って、言い返せなかった。

 確かに、ソレもデカいのは分かってる。ああ、分かってるよ。

「……かも……しれないけど……」

「お前のそれは同情だ。自分の境遇とあの娘の境遇を、そしてケーキ屋夫妻の境遇を重ねているに過ぎない。それはいずれも無関係、ただの虚構、お前の思い込みだ」

 正論過ぎてぐうの音も出ない。しかし。

「……思い込んじゃいけないのかよ。おじさんの無念を晴らしちゃいけないのかよ。弓槻のお姉さんの仇を討っちゃいけないのかよ。だって俺にしか出来ないのに!」

 シスターベロニカは、ふう、と小さくため息をつくと、こう言った。

「情に流されると死ぬぞ」

「――ッ!」

「お前が死ねば、私と教団との契約は、自動的に解消される。私がこの国が気に入っているのは知ってるだろう? だから、長居をさせておくれ。出来るだけ、な」

「もうちょっとマシな言い方出来ねえのかよ……」

 声が震えた。

「私は言葉を選ぶのが苦手だ」

 そう言って、シスターは苦笑いをした。

「ああ。知ってる」

 だってあんたの息子だからな。

 俺はそれだけ言うと、席を立ち、背を向けたまま軽く手を振って、食堂を出た。


     ◇


 気分転換に外にでも出ようと、着替えて玄関へ行くと、ダンボール箱を抱えた海紘ちゃんと鉢合わせた。

「ショウくん、こんにちは。お出かけ?」

 昨夜の事は微塵も気にした様子はなく、海紘ちゃんはいつもの調子で俺に声をかけてきた。きっとお父さんがナイスフォローをしたんだろう。

「べつに。散歩に行こうとしてた。えっと、その荷物なに? 持ってやるよ」

「クリスマス会で使う焼き菓子のたぐいよ。先に運んでおいた方が当日楽だから」

「ああ、なるほど。どこ持っていけばいい?」

 俺は箱を海紘ちゃんから受け取った。中身はクッキーとかマカロンとか、ちょっとしたプレゼントらしいのでけっこう軽い。

「こっちよ、ショウくん」

 勝手知ったるなんとやらでスイスイ歩いて行く海紘ちゃん。

 その後を箱のせいで足元がおぼつかない俺は、廊下の壁にガンガンぶつかりつつ、ふらふらとくっついて行った。

 箱を教会の倉庫に運び込むと、海紘ちゃんが、

「ショウくんは、弓槻に何をプレゼントするの?」

 と聞いてきた。

「いやあ……なにも。また嫌われたみたいだし……」

「じゃ、仲直りのためにも何かプレゼントした方がいいんじゃないのかなあ」

「でも……ここにはそう長くないから、俺、このままでいいと思ってる」

「…………いなくなっちゃうの?」

 海紘ちゃんが悲しそうな顔で言った。

 今の仕事が終わったら、別の街に移動してしまうんだってことを理解してもらうのに、少々時間がかかった。

 駆除対象がなくなれば、ハンターなんかに用はないんだ。

「それなら、尚さら仲直りしないとだめだよ。ケンカしたままお別れなんか絶対にだめ。だから、一緒にプレゼント買いに行こう。ね、ショウくん」

 イエスかはいで答えろと、海紘ちゃんの目が訴えている。

「うーん……海紘ちゃんがそこまで言うんなら……行くよ」

 渋々承知した俺は、彼女と一緒に「クリスマス・イブ」前日のショッピングモールに買い物に出かけることになった。


     ◇


 猟奇殺人騒ぎの最中なのに、モール内は買い物客でごった返していた。

 多分、教団の情報統制の結果なのか、市民を見る限り、あまり不安を感じている様子はない。

 海紘ちゃんのアドバイスに従って、俺たちはアクセサリーショップにやって来た。

 店内は若い女の子でごったがえしていた。

 彼女連れでもなければ、とても野郎が足を踏み込めないような恐怖のエリアに、今俺は戦慄を覚えている。

「あー…………なんかどれも同じに見えるよ、海紘ちゃん……」

 最早俺様のMPは一桁にまで減少している。

 このままでは、比較的豊富なはずのSAN値までがなくなってしまうのは時間の問題だろう。

 というか早く帰りたい。

「あのねショウくん弓槻は天使が大好きなんだよ。正確には天使の羽のモチーフだけど」

「……そうなのか?」


 俺は、心臓が止まるような衝撃を受けた。

 いま俺は、自分の罪の深さを知った。

 彼女の愛する天使が、彼女の愛する姉を奪ったのだ、と。

 俺は、二重の意味で彼女を傷付けてしまったんだ、と。


「どうしたの? ショウくん、何かへんだよ?」

「俺は……なんてことを……」

 俺は肩を震わせ、人目も憚らずに泣いた。

 慌てた海紘ちゃんが俺を店から連れ出し、人気のない屋外休憩所までやってきた。

「俺は……俺は…………」

 両手で顔を覆い、冷たいベンチで尻を冷やしながら、垂れたさきから鼻水を冷やしながら、俺はどうしようもなく、みっともなく、子供のように泣いた。


 どうして俺は、弓槻に向かって、

『俺が天使だから、いけないのか?』

 ――なんて言っちまったんだ。

 あの日の俺を不謹慎罪で十回死刑にしたい。


「一体どうしたの? ショウくん……。私、気に障ること言ったかな……」

「言ってない……」

 俺は、頭をブンブン振った。「海紘ちゃんは悪くない……」

「じゃあなんで……」

 海紘ちゃんは俺の背中をさすりながら言った。

「俺が……悪いんだ」

「お姉さんのことなら、ショウくんは悪くないよ。しょうがないもん……」

 俺はまた、頭をブンブン振った。 

「俺はあいつを裏切ったんだ。だから……悪い」

 海紘ちゃんは、ため息をつくと、いきなり俺に頭突きをしてきた。

「いってええ!」「った――――ッ」

 ほぼ同時に頭を抱え、俺たちはベンチの上でうずくまった。

「もう十分反省したんでしょ! ならもういいじゃない! どのみちショウくんの出来ることは、今日ここでプレゼントを買って弓槻に渡すことと、カマキリさんをやっつけることだけなんだよ! もしそれ以上を弓槻が求めるんなら、それは弓槻が悪いの!」

「は……はい」

 海紘ちゃんに一気にまくし立てられた俺は、返事をするので精一杯だった。

 よくよく考えれば言ってることがよくわかんないんだけど、海紘ちゃんのシンプル思考は、色々と考え過ぎてがんじがらめになっていた俺にとって、ある意味で救いだった。そもそも俺、そんなに複雑なことを考えるのは得意じゃなかった。


 買い物から教会に戻ると、開発部から上半身のスーツが届いていた。

 で、現在その試着中だ。

 体にフィットして動きやすい。

 そして、なぜか背中に不可思議でSF的なスリット状のラインが二本走っている。着用者を意識した意匠デザインってことなのか。それとも――

 ……まるで、ここから羽でも生やして下さいと言わんがばかりだ。

 でもさ、出したらダメなんだ。出したら最後なんだ。

 出したらどうなるか? 俺が死ぬような目に遭うのさ。だからうっかり飛び出さないように、常時ハーネスしてんだよ。

 最新鋭の双剣は未着ながらも、これだけ揃っていればあいつに勝てそうな気がする。

 ……というか、最新鋭の武器ってどんなもんなのか、俺にもよくわかんないけど。

 いつも開発部で新しい武器が出来ると、俺にテスト役の任が下る。

 何かの手違いで武器が吹っ飛んでも俺なら少々のことでは死なないから、という非常にイヤな理由だ。

 しかし今回に関して言えば、あのカマキリに勝てるのなら俺は何でもする。

 セミやイモムシを食えと言われれば食ってやる。

 市内の公衆便所を全て掃除しろと言われればする。

 ……俺は本気だ。超本気。かなりガチだ。

 そりゃそうだよ。

 惚れた女の命がかかってんだ。体張って当然じゃんか。

 それにしても、これだけ俺や吉富さんたちが市内を駆け回っているのに、鶴田さんの件以来カマキリのカの字も出やしねえ。

 被害情報どころか目撃情報すらない。きっとゲートの中に引き籠もっているんだろう。

 出現数もかなり少ない種類だから、生態に関する情報も限りなくゼロに近い。

 ただ、おびき寄せる方法に関しては、もうすぐ手がかりが掴めそうな気がするんだ。

 夜の本番に備えて、俺は食堂に晩飯を食いに行こうと部屋を出た。

 ちゃんと飯を食わないと途中で腹が減ってしまって、コンビニとかで買い食いするハメになったりもするからね。

 俺、空腹には結構弱いんだよ。弓槻同様、食いしん坊だから。

 食堂に行くと、吉富さんたちが騒いでいる。

「あれ、どうしたんすか?」

「おお少年。シスター長さんにサンタ役を頼まれちまってなあ。ほら、明日はクリスマス会だろ?」

 と、吉富さん。サンタ服の試着をしている。

 さすがの傭兵でも、シスター長さんには逆らえない。

 これは教団の不文律でもある。

「ぷぷ、似合ってるじゃないですか」

 でもサンタにしてはマッチョだな。

「笑うなよ。ガラじゃないのは自分が一番良く分かってんだから」

 他のメンバーもクスクス笑っている。爆笑しないのはリーダーへの遠慮だろうか。

「ま、がんばってくださいよ。ぷぷ……」

 派遣先でクリスマスを迎えると、高確率で俺がサンタ役を押しつけられる。

 今回は俺よりもずっと適任者がいたおかげで、ハデな格好をしなくても済むのは正直助かる。

 クリスマス時期に仕事のなかった時は、必ずシスターベロニカがどこかの高級レストランを予約して盛大に祝っていた。

 家族に不自由していたのは俺だけでなく彼女も同じで、クリスマスにはあまりいい思い出がなかったらしい。

 そのせいか、ことさらハデにやらかすんだ。

 毎度毎度、酔いつぶれるまで飲んだくれるので、あの図体を担いで帰るのが大変だったけど、親孝行と思えば大したことはない。

 だから、今回の仕事が長引いているのが、シスターベロニカにとっては、いたくご不満なのさ。別に正月でも誕生日でも祝う(飲む)機会ならいくらでもあるのにね。

 今晩の食事は、普段より質素。というか、ほぼセルフサービスだな。そのぶんを量で補っていたけども。原因は、明日のクリスマス会で出す大量の料理の仕込み。

 これには誰も文句は言えない。

 海鮮バイキングという名の、ただの刺身の山をがっつり堪能した俺とシスターベロニカは、ひさびさに二人で仕事に出かけた。

 今の俺なら、何かあっても彼女を守れる。

 その確信がなかったから、俺は腕が治るまでずっと一人で出かけていたんだ。


 今夜は、今朝の探索モードの続きだ。

 シスターのバイクに二ケツをし、市内を走り回ってゲートのチェック、そしてカマキリの行方を探すことにした。

 明日はクリスマス・イブ。

 事態を知らない浮かれた市民が夜の町に繰り出してしまう。

 出るなと言えば、大パニックになるだろう。

 俺もこの町で結構な数の大物を仕留めてきたけど、あいつに比べれば全部ザコだ。

 たいがいの大物はゲートから出現した後、人のいる場所までやってきて虐殺の限りを尽くしたり、気まぐれに人を食ったりすものだ。

 しかし、カマキリの手口と思われる事件は、弓槻のお姉さん、吉富組の鶴田さん、そしてホームレスが一人、と少ない。

 そして、それ以外の中型、大型は、おおむね俺等や吉富さんたちが始末している。

 当初予測していたよりも、はるかに市民への被害は少なく抑えられているのは、やはり吉富組が優秀なチームであるからに他ならない。

 俺は腕のせいで序盤からサボっていたから、この街の実質的な護りは彼等の実績だ。

 カマキリがあまり外を出歩いていないのは、本当にゲートの詩のせいなのか。

 それとも腕を切り落とされて、その修復に時間がかかっているだけなのか。

 その修復の材料を俺等がバリバリ狩りまくっているから、なかなか出て来られないのか。

 バカな頭ではあまりよく分からない。

 ただでさえ、詳細不明な異界獣だからな、テトラマンティスは。

 逆に言えば、これからあいつとの戦争が本格的に始まるわけだ。

 どうせなら、せめてクリスマスが終わるまでゆっくり待っていてくれればいいんだけど。

「どうだ?」

 まだ駆除の終わっていない空白地帯までやってきた俺達は、一旦バイクを路肩に停めて周囲の気配を伺った。当然だけどゲートのそばにも行ったことはない。

 冷たい風の中を走ってきたから、鼻が痛い。

 俺は手のひらで鼻を覆った。

 足を踏み入れていない以上、中にヤツがいる可能性は高い。

 せめて匂いでヤツの気配を探ろうとしている俺だけど――

「………………もうちょっと待って。鼻暖めてるから……」

「いい加減フルフェイスのメットに換えないか?」

「イヤですうー」

「だったらせめてマスクくらいしなさい、勝利」

「うー…………」

 あとでコンビニに寄るから、マスクを買ってつけなさいとシスターに怒られた。

 確かに作業に支障を来してるのは理解してるけど、顔を覆われるのはイヤなんだよ。

 そんな調子で、徐々に移動をしながら途中コンビニに寄りつつ、ゲートの探索をした。

 でも空白地帯をしらみつぶしに走り回っても、ゲートの詩も沸いてなければ、奴の気配も全く掴めなかった。

 ――つまり、どこにもヤツがいなかったんだ。


「どうなってんだ……」

 俺はガードレールに腰掛けて、頭を抱えた。

 別に鼻だけで探しているわけじゃないから、俺の体調はあまり関係がない……はずだ。

「我々は何か考え違いでもしているのだろうか。化学薬品の件もあるしな……」

 同じくガードレールに腰掛けて、缶コーヒーを飲む俺のママン。

 かなり絵になる。

「俺に腕を切られたショックで、ゲートのあっちに帰ったり……してないか」

「以前沸いた場所に戻っている可能性もあるかもしれん……」

「…………」「…………」

「「は――…………」」

 親子二人して、ケツを冷やしながらデカいため息をついた。

 Wでテンションを下げていても仕方ないので、深夜営業のラーメン屋で一服の後、気分を切り替えて「フツーに」空白地域に戻って駆除作業を始めた。

 そして大した戦果もなく通常業務をこなした俺等は、もう一度カマキリの沸いた場所を見回り、ヤツがいないのを確認して、空が白みかける前に教会に戻った。


 余計な残業をしないのは翌日のコンディションのため。

 別に手抜きじゃないさ。

 ……俺等は、もしかしてカマキリに化かされているんじゃないか。

 そんな考えが頭をよぎる。

 もうこちらの世界のどこにもいないんじゃないか。

 向こうの世界に帰ってしまって、戻って来ないんじゃないか。

 そんな気さえしてくる。

 だが、そんなの絶対に許さない。

 戻って来い。テトラマンティス。


 廊下に貼った地図に、色鉛筆で作業をした区域を塗りつぶす。そして、細いペンでゲートの情報とか、カンタンに倒した奴の種類や数を書き込む。

 俺とシスターの二人だけなら記録や報告はシスターが全部やってたから、こんな面倒な作業はあまり必要ない。

 でも、今回は吉富組のみんなと手分けして作業をしてるから、駆除作業の効率や安全面から考えても、この記録作業がとても重要なのは分かるよな。

「あ、おかえりなさい。ショウくん」

「ただいまです」

 自分の肩をトントン叩きながらやってきたのは、白衣に三角巾をしたメガネシスターだった。目の下にクマを作っている。

「まさか、今まで仕込みを?」

「そうなのよ。材料の到着が遅れて手間取っちゃったの」

「うわあ、ご苦労様です」

「ショウくんたちに比べたら、私たち一般職の苦労なんか比べものにはならないわ」

「そんなことないですよ。一般職の皆さんだって立派な仕事です」

 俺は満面の笑みで彼女に言った。

 もちろん本気だ。

 人には出来ることと出来ないことがある。その範囲でベストを尽くすことに、貴賤はない。

 俺はシスターベロニカからそう教わった。

「じゃあ、ごちそう楽しみにしててね!」

「はーい。お休みなさーい」

 そう言って、メガネシスターは手を振りながら去って行った。

 薙沙さんだって、あんな風に一般職でいたなら、俺が間に合っていたなら、今頃は弓槻と一緒にクリスマス会の準備でもしていたろうに。

 いつまでも、何回も、同じ後悔を繰り返すのは良くないって分かってるけど、記憶を風化させる程には、時間が足りない。

 今まで目の前で、いくら人が死んでも俺が悩まずいられたのは、全てを人ごとだと綺麗に切り分けることが出来たからだろう。


 ――実は案外冷たい男なんだよ、俺。

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