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【8】屍肉を拾う天使

 晩飯に弓槻は現れなかった。

 せっかくのご馳走だったのに。

 でも俺は食事を運びはしなかった。

 最早、俺の世話なんか迷惑でしかないだろう。

 ――そろそろ、気持ちを切り替えなければ。

 護りたいものも、護れない。


     ◇


 俺は平静を装いつつ、食堂で海鮮丼を食いながらシスターベロニカと話をした。

 何故か?

 絶対師匠に「ケンカしたろう」とか言われて面倒臭いことになるからだ!


 彼女がざっくり調査して分かった、この街についての話。

 古くから林業、製紙業が盛んだったこの街は、輸入材に圧された今では林業が廃れ、その代わりに印刷業が増えた。

 この間行った印刷工場の他に、いくつもの印刷工場が点在しているそうだ。

 その工場から廃棄された大量の印刷インクや溶剤の処理を、多くの産廃業者が請け負っていたが、不景気のせいもあってここんとこ手間賃を値切られていたとか。

 そこに来ての市営廃液処理場の処理手数料の値上げだ。

 ダブルパンチを受けた産廃業者が組織的かつ継続的に不法投棄を行うのは必然とも言えた。

 ゲートへの不法投棄が今回の異界獣大量発生のトリガーになったのは、ほぼ疑う余地はないけれど、結局ゲートのあっちの情報をほとんど持たない俺等にとって、数が増えたとか、ヘンな色がくっついた、以外の影響は、いくら外から調べても分かりはしなかった。

 教団からの圧力で、短期的に産廃処理料金の据え置きが急遽実施されたものの、数ヶ月に及ぶ化学薬品の大量投入をいまさら無かったことには出来ない。

 ……さて、悪魔の釜に毒を流し込んだ代償は、どれほどの物になるのか。

 カマキリの出現場所に関して、調査の結果、今のところ共通性が見当たらないとシスターベロニカは言っていたが、もしかしたら俺なら何か分かるかもしれないから、念のため見てきて欲しいと言われた。

 早速メシの後見に行くことにしよう。


 夕食後、俺は少し早めのパトロールに出かけることにした。

 昼間届いた高周波ブレードの初陣だ。

 異界獣にも十分効果があればいいんだけど。

 動きはするも、いまだ握力が完全に戻らない左手には、グリップ性の高いラバーつきグラブをはめ、右手には繊細な動きにも支障の少ない、しなやかな特殊素材のグラブをはめた。

 武器開発部に注文していた全身防具=防刃性の高い外骨格アーマーは、急かしていたせいか下半身分だけが夕方届けられ、仕方なくそれをインナーパンツの上から装備した。

 外骨格とはいえ、ハリウッド映画のアメコミヒーローのような、かなり体にフィットしたスーツだから、言うほど外骨格という感じはしない。

 防御力に加え、簡易パワーアシスト機能も併せ持っているから、カタログの文言を信用するならば、機動力が五十%はアップしている……ハズだ。

 ハズであって欲しい。

 だって俺の命がかかってるんだから。

 吉富組の掃討作業も粛々と進んでいる。

 食堂前の廊下に貼った作戦マップを見ると、かなりのエリアで処理済みの印が広がっている。

 彼等と俺は別々の色えんぴつでマップを塗りつぶしているから、なんだか陣取りゲームのような見栄えになっている。

 もちろん、今は彼等の色の面積の方が格段に大きい。


     ◇


 教会を出た俺は、カマキリの出現した場所を順に回った。

 一番最初は、薙沙さんの殺害現場。

 道路から奥まった林の中は、ほぼ真っ暗だ。

 ライトで照らして周囲を見たが、これといって変わったところはない。

 俺はさらに奥へと進み、すぐ近くにあるゲートに辿り着いた。

 先日来たときに散らばっていた、異界獣の食いかけ死体は半分くらいに減っていた。他の異界獣か、野生動物にでも食われたんだろう。それ以外の変化は見つけることが出来なかったので次の現場に移動することにした。


 途中、大きなトラックの屋根にでもこっそり乗っかって楽をしようと思ったけど、まだ通行量が多かったので仕方なく徒歩で移動だ。

 で、歩いてみると夕方届いたスーツ(下半身)のおかげで足はぽかぽか、パワーアシストで思いの外体力の消耗もなかったのは驚きだった。

 三十分ほど歩いて、俺はホームレスの惨殺現場に到着した。

 この現場は、川の冠水時に一時的に水をプールするための施設と、災害用の物資なんかが置いてある市の敷地内にある。

 もともと一般人があまり立ち入らない場所だから、ゲートの周囲を壁で封鎖して、注意しながら施設を使っていたようだ。

 そしてある日、寒さと雨露をしのぐために施設内に侵入したホームレスが、運悪くカマキリの餌食になってしまい、整備のためにやってきた役所の人に発見されたんだ。

 亡くなった人は、この街で印刷工をしていた中年男性で、不況の折に解雇され、再就職も叶わずこんなことになってしまった。

 彼の身の上を不憫に思った役所の人が、生活保護の手続きなどを手伝っていた矢先のことだった。

 たしかに、年々出版物の販売数は激減して本屋はどんどんつぶれるし、コンビニの本棚にも隙間がちらほら出現している。

 企業の数が減れば、そこで使う印刷物の仕事も自然と減っていく。

 結果、このホームレスの男性のように職を失う印刷工が増える一方ってことだけど、印刷業がメインの産業であるこの街は、この先どうなってしまうんだろう。

 俺は施設の入り口で警備員に門を開けてもらうと、困ったことに、警備員のおじさんと一緒にゲートに向かうことになってしまった。

「俺一人で大丈夫ですから」

 と言っても、子供一人で行かせる訳には、と警備員のおじさんは聞き入れてくれない。結局、何があっても自己責任ってことで渋々同行させることにした。

 二人揃って暗い敷地内を懐中電灯で照らしながら歩いていくと、現場には二分ほどで到着した。辺りには綺麗に刈り揃えられた低木が植えてあり一見普通の緑地のようにも見える中、白い鋼板で囲まれたゲート周辺だけが異物のように暗がりに浮かび上がっている。囲いの大きさは、プレハブ小屋四つ分くらいだろうか。

「裏を見て下さい」

 と警備員さんが懐中電灯を振って、俺を促した。

 言われるままに囲いの裏側に回ると、立ち入り禁止の黄色いテープが目に飛び込んできた。

 そして、何かで裂いたようにナナメに切れた鋼板の囲いと、血塗れのブルーシートやダンボールが散らばっていた。

 ――ヤツの仕業……なのか。

 確かに切り裂かれた鋼板、警察提供の現場写真で見た、輪切りにされた頭のないバラバラ死体、とカマキリの犯行を思わせる証拠は揃っている。

 囲いの内側は雑草が生え、ゲートの位置を示すポールが立っているだけだ。

 ざっと見たところ、ほかの異界獣の形跡はないが、囲いが破壊された時に外へと出て行ってしまったんだろう。

 幸い、その後カマキリ以外の連中が警備員さんに悪さをした様子がないので、敷地の外に散らばってしまったのか、カマキリに食われてしまったのかもしれない。

「……ん? ここでも音が……」

 ポールの辺りから、ゲートの詩が聞こえてきた。

 今はゲートそのものは薄くゆらぐだけではっきり目視は出来ない。

「どうかされましたか?」

「ちょっと……」

 どうせ音がするなんて言ったって、彼に聞こえはしない。

 俺はさらにゲートに近づき、耳を澄ませた。

 ……これは、薙沙さんの現場と同じ詩だ。

「んー…………」俺は腕組みをして考えこんだ。

 横で警備員さんが怪訝そうにしているが、そんなのはどうでもいい。

 ……これは、果たしてカマキリの手がかりになるのだろうか?

 結局、これ以上収穫がなさそうなので、俺はここでの捜査を打ち切った。


     ◇


 次の現場へのルート上に海紘ちゃんの家があるので、ついでに寄ることにした。

 あのイルミネーションをもう一回見たかったからだ。

 胸がチクリとしないこともないが、それでもやっぱり見たかった。

 ついでに俺は、ご近所の暗い道を五ブロックほど見回り、異界獣の小物を片っ端から殲滅していった。

 カマキリ退治も急務だけど、海紘ちゃんたちの安全も大事だからな。

 案の定、ちらほらと小物が暗がりでじゃれあっていた。

 普段なら保護色で目立たない連中だけど、今は不法投棄のインクのせいか、お菓子のようにカラフルだから、誰にでもすぐ居場所が分かってしまう。

 俺は、新型武器ではリーチが短いので、弓槻がポイしたエアガンと同じのをもう一丁、玉をしこたま詰めて両手に装備して撃ちまくった。

 さすがにプロな俺様が装備すれば、エアガンだって立派な異界獣殲滅兵器になるんだ。予備の玉は、四角いペットボトルにギッチリ詰めてきたから朝まで持つ。

 エアガンだから音も静かだし細かいケモノには効率いいんだけど、これの良さがわかんないなんて弓槻さんもまだまだだぜ。

 さらに前進して海紘ちゃんの家のある区域に近づいた。

 俺は弓槻とのことを思い出して、少し苦々しい気分になりながら歩いた。

「……ん?」

 俺はおかしなことに気付いた。

 ――近づくほどに、ケモノの匂いが濃くなっている。

 周囲は一軒家が多く、あちこちでクリスマスの電飾が光っているからひときわ眩しくて、ケモノどもがあまり近寄らないはずだ。

 ――どうして?

 嫌な予感がして、俺は海紘ちゃんの家まで走った。


『キャアアアアアア――――ッ!』


 道を渡ってもうすぐ、というところで女性の悲鳴が聞こえた。

 声は海紘ちゃんの家の方角からだ。

 俺は走る車の上を飛び越えて、道路を横切り一直線に駆けていった。

 道を渡ると、俺はゾクリとした。

 いるはずのない異界獣が、大量に沸いていたんだ。

 港の倉庫の中庭にいたような、小さくて極彩色な連中だ。

「いやああッ、あっち行ってええッ!」

 また悲鳴だ!

 駆けつけると、悲鳴の主は海紘ちゃんだった。

 店の裏側のゴミ置き場でモルモット大の小さなふわふわした異界獣に寄りつかれ、必死にホウキを振り回して追い払っている。

 普段ならそれほど獰猛な種類じゃないけど、今はどうなってるかわからない。

「大丈夫か!」

 お父さんが裏口のドアから出ようとして、ケモノの大群に驚いている。

「出ちゃだめだ、おじさん!」

 俺はケモノの群れに飛び込み、ドアを外からキックして、バタンと閉めた。

「ショウくん、なにこれっ、助けてぇぇっ」海紘ちゃんが半泣きで訴えた。

「任せろ! 海紘ちゃんは中に入ってろ!」

 俺は彼女からホウキを奪うと、小物どもを片っ端から敷地の外にバンバン掃き出した。店をケモノの臓物で汚したくはないからな。

 ……とはいうものの、建物の周囲を取り囲んだカラフルな毛玉たちを全員掃き出すのはあまりにも非効率なので、それ以外は始末後に水洗いする方針に切り替えた。

「くそッ、仕方無い。こうなりゃバクチだ! これを使うか――」

 俺はコートの中から獣奏笛リリコーンを取り出すと、まだ器用には動かない指で、魔寄せの音楽を奏で始めた。

 曲は、ゲートの詩の中でも、特にケモノを呼びやすい奴をチョイスした。


 ――さあ、おいで!


 音の届く範囲のケモノを呼び寄せてしまうから、俺は敷地の裏で控えめに演奏をした。ものの三十秒ほども吹くと、ほとんどのカラフルな毛玉たちが集まって、音に合わせてポンポン跳ねている。

(やべえ……超カワイイ)

 なまじメルヘンな絵面になってしまったせいで、大幅に戦意を削がれた俺だけど、そこは心を鬼にして、笛と武器とを持ち替えた。

 早速俺は、愛用の二本の電磁ウィップを神速で振り回し、普段どおり異界獣たちを粉砕しつつ、バカな頭で事の原因を考えた。

(んー………………………………)

 そして十秒ほど考えて、一つの結論に至った。


 ――――そうか! 奴らにとっちゃ、ここだけ暗闇なんだ!


 あたり中がライトアップされたこの区画は、ケモノにとっては眩しくてたまらない場所だ。例年、クリスマスになると住民は競うように家を飾る。

 そんな中、この建物だけが新型LEDの電飾に換えた。

 だから、奴らは暗がりを求めて集まってきた。

 今日の昼間までは、従来の電球を使ったイルミネーションを飾っていたが、新型が届いたので撤去してしまったんだ。

 ――俺とお父さんの二人で。

 俺もうっかりしていたが、電球の形はさほど変わったようには見えなかった。

 だからLEDになっていたなんて露程も気付かなかったんだ。

 もう、なんてこった!

 あらかた片付いたところで俺は近くに敵がいないことを確認し、裏口のドアを開けた。

「もう大丈夫。全部やっつけたから」

 こわごわ顔を出したのは海紘ちゃんのお父さんだった。

「ありがとう、多島君。君は無事か?」と、お父さん。

「こ、怖かったああぁ」戸口で海紘ちゃんがへたりこんでいた。

 海紘ちゃんの初めて接触した異界獣が、あんなぬいぐるみのようにカラフルでふわふわした奴らで良かった。

 アギトのようなグロい奴ならトラウマになったかもしれない。

 もっともカラフルなのは不法投棄された塗料のせいだけども……。

「もちろん無事ですよ。あの程度ものの数では……。それより、外の電飾を元の電球のやつに戻すか、今のと合わせて設置するか、どっちかにしないと、また来るかもしれない」

「どうしてだ?」お父さんが訊ねた。

「連中は日光や照明器具から発せられる紫外線が嫌いです。でも、紫外線を発しないLEDの明かりだけは感じない。暗いと認識してしまう。周りの家の電飾はほとんどが旧来の電球を使用しています。だから、LEDオンリーの電飾に交換してしまったこの建物の周囲にだけ、奴らが集まったんです」

「なるほど……。僕は自分で敵を引き寄せてしまったのか……」

 海紘ちゃんは何の話かさっぱり分からない、という風にぽかんとしている。

「とにかく、車のヘッドライトでも点けて一時的に明るくして、このスキに古い方を取り付けてしまいましょう、おじさん」

「よし、じゃあ準備をするから待っていてくれ」

 そう言って、お父さんは家の奥へと消えた。

「あの……ショウくん……」

「ん? どうした」

「ショウくんって何者なの? さっきのフワフワって一体なに?」

 あ……。そういやこいつだけ異界獣のこと知らないんだった。

 要説明って顔してんな。

「人間に害をなす自然災害みたいなもんだ。十何年かに一度、この街に沸くんだよ。俺はあいつら専門のハンターで、連中を討伐するために教団からこの街に派遣された」

「そ、そうなんだ……すごいんだね……」

 じろじろ俺を見ながら言う海紘ちゃん。なんだか目つきが怪しい……。

「あ、コートめくんなよぉ。装備品たくさんあるんだから触ったら危ないぞ。こらこらやめろってば。ケガしても知らないぞ」と注意しても、ベタベタ触りまくる海紘ちゃん。

「神父服もかっこよかったけど、これはこれで……」

 う~ん。武装した男に免疫があるってのも困ったもんだなぁ。というかコスプレみたいなもんと思われてんのか……。

「さーわーるーな! ダメぇ!」

 俺は海紘ちゃんの両手首を掴み、そのまま真上に持ち上げて壁に押しつけた。

 バンザイの格好で貼り付けになった状態だな。

 じたばたとムダな抵抗をしている。

「やだ~~~はなせ~~~」

「いたずらばっかするからダメー。オモチャじゃないんだぞ」

「そうだぞ海紘。多島君を困らせちゃダメだよ。彼は僕たちを怖いバケモノから救うためにわざわざ遠くからやってきた、プロフェッショナルなんだから」

 古い電飾の入った箱を抱えたお父さんが、ジャンパーを着込んで戻ってきた。

「そうなの?」と、俺をまじまじと見る海紘ちゃん。

 俺は三秒ほど考えてから答えた。

「んー、まあ今だからもうバラしちゃうけど、こないだの警官の猟奇殺人も、弓槻のお姉さんも、大きなバケモノにやられちゃったんだ」

「……ウソ……」

 海紘ちゃんの体から急に力が失せた。手首から先がだらりと下がっている。

 俺は彼女を戒めから解放した。

「弓槻が俺を恨んでる原因。それは、俺の到着が遅れてお姉さんを救えなかったことだ」

 海紘ちゃんが膝から崩れた。呆然としている。

「……だから、昼間お前に言えなかった。ごめんな……。じゃ、おじさん行きましょう」

 俺はお父さんと一緒に外に出た。

 これ以上、今は海紘ちゃんに言うことはない。

「多島君、言いにくいことを言わせてしまったようで……申し訳ない」

 お父さんは済まなそうな顔で言った。

「別にいいです。どうせ俺は、この仕事が終わったら街を出て行く身ですし。……かえって、海紘ちゃんにも弓槻にも、関わり過ぎた……」

 俺は周囲を警戒しながらお父さんに答えた。

 とりあえず、敵はいなさそうだ。

「俺は、みなさんと過ごすのが楽しくて、調子に乗りすぎてたんです。任務を果たせないつらさから逃げて、ご好意に甘え過ぎてしまった……。済みません」

 柄にもなく、人のぬくもりなんか求めるんじゃなかった。

 シスターベロニカさえいれば、俺は生きていけるんじゃなかったのか?

 俺はお父さんに深く頭を下げた。

「腕は……もう大丈夫なのかい?」

 俺は左手をぎゅっと握った。まだいくばくかの違和感が残る。

「おかげさまで、八割がたは機能が戻っていると思います。おじさんのお陰です」

「子供がそんなに改まるものではないよ、多島君。君は僕たちに出来ないことをやってくれる。身を犠牲にしてあのバケモノと戦ってくれる。感謝し切れるものじゃない。だから、せめてこの街にいる間だけでも、君に報いたい」

「ありがとうございます。――――それは、おじさんが十数年抱き続けてきた後悔を、俺で癒やしたい、俺に託したい……そういう意味に取ってもいいですか」

「ッ――」

 お父さんは言葉に詰まった。拳を握りしめている。

「我ながらきついことを言ってるとは思います。でも、もしそうなら、俺にしかおじさんの心を供養してやることは出来ない。だから、聞きます。俺も多分、おじさんと同じ気持ちだから」

 お父さんはフッと笑うと、俺の肩を叩いて言った。

「まったく君という奴は……。娘と同い年だというのに僕以上にプロフェッショナルだなんて。死線を何度もくぐったから出来る覚悟というやつなのかな。途中で職務を放り出してしまった僕には、一生勝てる気がしないよ。…………君の言うとおり、僕はずっと後悔し続けてきた。そして今回も、一矢報いることも出来ずに終わるのだろう。君に押しつけるようなものではないことは重々承知している。でも……、」

 お父さんは言葉を一旦切ると、俺の目を強い眼差しで見つめた。

「多島君、全て君に託す。どうか、僕や妻、死んでいった仲間たちのために、あのバケモノを残らず退治して欲しい。僕の代わりに、やっつけて欲しい。――お願いします」

 お父さんは、俺に頭を下げた。痛いほど気持ちが伝わってくる。

 この時俺は、お父さんの元同僚の言っていたことの意味が分かった。

 俺はすごく勘違いをしていた。俺はひどく間違っていた。

 異界獣を倒せたはずなのに、何らかの理由で倒せなかった方が悔しいんじゃない。

 倒せない方が、見ているだけで何も出来ない方が、何百倍も悔しいんだって分かった。

「異界獣ハンター、多島勝利が確かに請け負いました。――必ず殲滅します」

 俺は腰から二本の高周波ブレードを抜き、宣誓の意で、胸の前で交差させた。


     ◇


 海紘ちゃんのお父さんと電飾の付け直し作業をした後、予定どおり吉富組の鶴田さんが惨殺された現場に向かった。

 そこは、土木工事用の広い資材置き場だった。

 大きな土管や、地下坑に使うコンクリートのかたまりとか、砂利の山、フォークリフトなんかがあった。

 夜中の資材置き場ってのも、ちょっとしたホラー気分が味わえる。

 それらの中を通り抜け奥に進むと、何重かのバリケードで封鎖された場所に出た。

 一番奥は、鋼板で覆われている。

 左右を見ると、それぞれ端まで五十m以上はありそうだ。

 ずいぶんと大きな区画を隔離していることになる。

「私有地なのに随分と厳重な……」

 ここはゼネコンの土地だと聞いてたけども、どこぞの印刷会社と違って、管理者は異界獣の危険性を十分理解している人たちみたいだ。

 この中には、複数のゲートがあるんだから当たり前と言えば当たり前だが、なかなか理解してくれる地主は少ない。

「少しだけケモノの臭いはするけど……大物はいないようだな」

 あまり異界獣の気配がしないのは、きっと吉富組の駆除作業があらかた終わったあたりで、鶴田さんがカマキリに襲われたからだろう。

 その後、カマキリは一体どこに行ってしまったんだろうか。

 俺は助走をつけると、バリケードを軽々と飛び越え、敷地の中に侵入した。

 思いの外高く飛んでしまったのは、きっとスーツのパワーアシストのお陰だと思う。

 鋼板の囲いの内側に入ると、ゲートに続く舗装路以外は木や雑草が生えている。

 ご丁寧に道を舗装してあるのは、さすがゼネコンといったところか。

 今にして思えば、ゲートの扱いがいいのも、おおかた教団施設の仕事も請け負っているからなのかもしれない。

 ところどころに土の小山があるのはご愛敬だろう。

 なにせ他の用途には使えない土地なのだから、この程度は仕方ない。

 この区画にあるゲートは三つ。

 俺は念のため潜伏しているかもしれないカマキリに警戒しつつ、途中アギトを二匹ほど軽くナマス切りにしながら、一つ目のゲートに向かった。

 それにしても高周波ブレードの切れ味には本当に惚れ惚れする。

 アギトの舟盛りが出来そうなほどだ。

 とはいえ、アギトは食ってもマズイので俺的にはノーセンキュー。

 一つ目のゲートに到着したが、ここは特に異常はなさそうだ。

 剥き出しの地面の上にポツンとポールが立っているだけ。

 あとは、吉富さんたちが駆除したと思われる異界獣の骸が点々と転がっている程度。多少食いちぎられた跡があるのは、カラスか、さっき倒したアギトの仕業だろう。ゲートの詩もここでは聞こえない。

 二つ目のゲートに行くと、わずかに溶剤臭がしたが、他に変わった点は見当たらない。狩り残された小型のケモノを少々処理しつつ、俺は最後のゲートに移動した。

「これは……」

 三つ目のゲート付近には、惨劇の生々しい痕跡が残っていた。

 多分カマキリに切り倒された木や、鶴田さんのものと思しき人体の一部や散乱した装備品、食い散らかされたケモノの死骸。

 抉られたような地面は激しい銃撃戦の跡だろうか。

 周囲に異界獣の気配がないのを確認すると、俺は己の装備品の中からビニール袋を取り出して、鶴田さんの遺品と、吉富さんたちが回収しそこねた鶴田さんの一部を詰め込んだ。

(冬場で良かったな、鶴田さん。夏なら腐ってたぞ)

 袋詰めを終えた俺は、ゲートに近づいた。

 死骸はもっと離れた場所にあるのに、近づけば近づくほど薬品、いや有機溶剤臭が濃くなっていく。

 どこかと繋がってるのか?

「む。ここからも、ゲートの詩が。……さっきの場所と同じ、だと?」

 同じエリアに「ゲートの詩」を発するゲートが複数存在することそのものが稀であるのに、二種類のゲートの詩が存在し、そして同じ詩を発する複数のゲートもある。

 惨殺現場に近いゲートからは、同じゲートの詩が発生している。

(まさか、あいつは――――)

 俺はシスターベロニカを現場に呼ぶとともに、吉富組の連中に今すぐ狩りを中断するよう連絡してもらった。

 ゲートの外で待っていると、まもなく4WDの車とバイクがやってきた。

 シスターベロニカと吉富組の連中だ。

「ごくろうさまです。これが鶴田さんの遺品と遺体の一部です」

 俺は車から降りてきた吉富さんに、さっきのビニール袋を手渡した。

 他のメンバーも次々車から降りてきて、俺の周りに集まっている。

 シスターもバイクを停めてやってきた。

「狩りを中断しろとは、一体どういう事情なんだ?」

 咥えタバコの吉富さんが訊ねた。

「テトラマンティスの出現条件について、ある仮説が立ったんです。そのため、安全を確認出来るまで、一旦狩りを中断して下さい」

「その仮説というのは?」宝田さんが言った。

「こないだ、ゲート詩の話をしましたよね」

「ああ」

「何なんだ、そのゲートの詩ってのは」

 吉富さんがタバコを指先で弾き飛ばしながら宝田さんに訊ねた。

「人間には聞こえない周波数の旋律が、まれにゲートから聞こえてくるそうです。それを彼はゲートの詩と呼んでいる。そうだったな、勝利君」と宝田さん。

「はい。俺や異界獣には聞こえるんです。おそらくある種の動物にも。そのゲートの詩にはいくつか種類があるのですが、カマキリの出没した付近のゲートから――」

「同じゲートの詩が聞こえる。そうなんだな、勝利」

 シスターベロニカが言った。

「そのとおり。吉富組のみなさんに一旦引き上げてもらったのは、同じ音が出てこないのを確認したゲート周辺で作業をして欲しかったからです。もちろんヤツが他の場所にも出現しないとは言えませんが、予測の優先順位的にという話です」

「なるほど……」

 吉富さんが顎を撫でながら言った。「で、お前なられるのか?」

「今なら、きっと」

 俺は吉富さんを真っ直ぐ見て、そう言った。

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