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【4】街の噂、震える人々、戦えない俺

 朝食までの間、ひと眠りしようと思っていたら、なんと夕方まで寝てしまった。

 やっぱりというか、濡れたズボンで夜中ウロウロしてたから、軽く風邪でもひいてたらしい。

 おかげで、朝の練習すっぽかした件で弓槻にはドヤされるし、ズボンの汚れがちっとも取れないと若いシスターにドヤされるし、まったくもって今日はいい事ナシだよ。

 とりあえず、不義理は少しでも減らしたい俺としては、海紘ちゃんちの手伝いだけでもと思い、そそくさと日の落ち始めた町に出かけたわけだ。


「あー、遅くなってすみません。手伝いに来ましたー……あ?」

 俺がカウベルをカラコロと鳴らして店のドアを開けると、店内の空気が異常なことに気が付いた。海紘ちゃんのご両親と、お客さんたち、そして隣のクリーニング屋のおばさんまで、みんなで顔を付き合わせて何かを話していたんだ。

「……どうかしたんですか?」俺は訊ねた。

 みんな、俺の方を向いたまま顔が固まっていた。

 昨日はあんなに元気そうだった海紘ちゃんの両親も、俺に声をかけてくれた隣のクリーニング屋のおばさんも、寒い中テラス席で楽しそうにくっちゃべっていた常連の女性客たちも、みんな青い顔をしていた。

 俺が寝ていた間に、一体何が起こったんだろう?

 海紘ちゃんのお父さんが代表で口を開いた。

「昨日の晩、港で警官の惨殺事件が起こったんだ」

 お父さんの顔には、『君は何か知っているか?』とセリフの続きが書いてあった。

 俺には当事者意識というのが欠落していて、あんな事件が発生したら住民が恐怖に震える、という事実をすっかり失念していたんだ。

 そりゃそうだ。そんな御都合をいちいち考えながらじゃ仕事にならないし、住民対応なんて俺のすること、考えることじゃあない。

 せいぜい、騒ぎにならないようになるべく内密に仕事を進めるという程度にしか普段から考えてはいないんだ。

 事件の隠蔽とかそういうのは、教団の一般職とか、地元警察の仕事だから。

「そう……なんですか。恐いですね……」わざと神妙そうな顔を作って、俺は答えた。

 この場では、そんな気の抜けた答えしか出来なかった。出来ようもない。

 お巡りさんが食われた一部始終を目の当たりにしていたなんて。

 頭からバクリと食われたなんて。

 臓物を引き出され、血の海を作ったなんて。

 食った張本人を、俺がグチャグチャに始末したなんて、どうして言える?

 俺はすぐ、お父さんに店の奥に連れていかれた。

 無論尋問されるからに決まっている。

 普通なら異界獣がらみの事件は隠蔽されるものだけど、俺の手ぬきのせいもあって、運悪く警察よりも先に、大量の一般人に現場を発見され、情報が拡散してしまった。

 濡れたズボンに気を取られてなければ、もっと早く報告して事件の隠蔽がスムーズに出来たかもしれない。

 これは、俺の無神経さが招いた事態なのは間違いなさそうだ。

 店にみんなが集まっていたのは、お父さんの前職が警察官だからというのが大きい。

 彼なら何か事情を知っているんじゃないか。

 みなそう思って集まってきたようだ。

 でも、すでに一般人となったお父さんには、捜査上の情報がそうそう流れてくることもない。

 お父さんは、憶測で噂話しをしつつ不安を増幅しているみんなに混ざって、少しでもみんなを安心させようと、猟奇殺人者やテロリストの存在をでっち上げ、バケモノの存在を隠そうと努力していたらしい。

 この日、一番の障害はクリーニング屋のおばさんだった。

 彼女もかつて、この街を襲った異界獣を目撃した数少ない生存者だからだ。

 異界獣を目撃した人には、警察から箝口令が引かれるのが常だ。

 理由はもちろん、無用の混乱を防ぐため。

 おばさんだって、それは重々承知しているけれど、十数年前の惨劇を思い出せば口に出したくもなる。

 お父さんが席を外す際、おばさんにクギを刺すのは忘れていなかった。


「多島君、無理を言っているのは承知の上だが、何か知っていることがあれば、可能な範囲で教えて欲しい」

「……そうですね……」

 俺は、何と言ったらいいか、少し考えた。

「あの若いお巡りさんを食った奴は、弓槻のお姉さんをやった奴ではありません。大型犬くらいの奴です。そいつらは俺が始末しました。普段なら、港にはもう沸かない……と言いたいけど、今回は何かが違う。だから……はっきりと、もう沸かないとは言えません」

「ありがとう。それだけ分かれば十分だよ」

「あの……」

「どうしたんだ、多島君」

「済みません。俺がもう少し早く始末していれば街の人を怖がらせずに済んだのに……」

 お父さんは、にっこり笑って俺の肩をポンと叩いた。

「君は何も悪くはない。ちゃんとバケモノを退治してくれたじゃないか。一つも気に病む必要なんてないんだよ。むしろ、被害を減らしていることを我々は感謝すべき立場だ」

「そう……ですか……」そう言われたって、やっぱ罪悪感は拭えない。

 今日は海紘ちゃんの姿が見えなかったが、あまり事件のことを聞かせたくないからと、適当に理由をつけて近所の友達と隣町のアウトレットモールに遊びに行かせたそうだ。子を持つ親というのも、何かと大変なんだな、と思った。


 結局、夕食の時間までのものの小一時間ほど、俺は厨房で海紘ちゃんのお父さんの手伝いをし、お土産をもらって教会に帰った。

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