ゲートを十カ所ほど回ったころ、丁度昼メシの時間になったので俺とシスターベロニカは教会に戻ることにした。
結局、音の鳴るゲートは最初の一つだけ、ゲートの詩も一つだけしか収集出来なかった。
◇◇◇
食堂入り口に掲げられた、タムラさんの書いたホワイトボードの献立表では、今日の昼食は天津飯と唐揚げだ。俺得すぎるメニューで自然と顔がにやけてくる。
「たっだいまー」
俺は満面の笑みで食堂に入った。
もう俺の胃袋は天津飯ウエルカム状態、唐揚げスタンバイ完了だ!
食堂のわきの水道で手を洗うと、俺はトレーを持って配膳カウンターに向かった。すでに盛りつけてある天津飯の一つを取ろうとすると、
「ショウくんのはこっちだよ。たくさんお食べ」
と、タムラさんがでっかいどんぶりに盛った天津飯を出してくれた。
「どうせおかわりする気だったでしょ?」
「ええ、まあ。すいません」
俺は恐縮しながら特盛り天津飯と唐揚げの皿、たまごスープのお椀をトレーに乗せて、適当な席についた。
メシを食い終わり、テレビを見ながらシスターベロニカと二人でくつろいでいると、タムラさんが俺に声をかけてきた。
「ショウくん悪いんだけど、弓槻ちゃんにお昼持っていってあげてくれる? まだ出て来てくれないのよ」
口ぶりからすると、弓槻はまだ自室に引き籠もっているらしい。
「……へ? 俺が? うーん……」
俺は弓槻にはものすご~~~く嫌われている。適任とは思えないんだが……。
「みんな忙しいから、ね?」
と、半ば押し切られるような格好で、俺は弓槻に食事を届ける役目を仰せつかった。細心の注意を払いながら、片手でトレーを持って行こうとしたら、タムラさんが慌ててワゴンを押してきた。ルームサービス的なやつ。これなら安全に運べそうだ。
食堂からゴロゴロとワゴンを押しながら廊下を進み、弓槻の部屋までやってきた俺は、ひとつ深呼吸をしてからドアをノックした。
「弓槻ちゃん、お昼持って来た。開けて。今日は天津飯と唐揚げだぞ」
予想どおり返事はない。でも、中にいる気配はする。
「えっと……、じゃあここに置いていくから。寒いし、メシ冷めちゃうから、すぐ食うんだぞ。じゃあな」
部屋の中から、クチュン、とかわいらしいくしゃみが聞こえた。
返事がわりと解釈し、俺は報告のため食堂に戻った。
「あのー、一応置いてはきたんですけど……」
俺は、テーブルをぞうきんがけしていたタムラさんに、申し訳なさそうに声をかけた。
「いいよいいよ。ありがとねありがとね、ショウくん」
そう言いながら、タムラさんは俺の頭をポンポンと軽く叩いた。
彼女から見れば、俺も弓槻も息子や娘くらいの年頃だろう。
子供扱いされてもそんなにイヤな気分はしない。
◇
昼下がり、俺がまんじりとも出来ず自室でマンガを読んでいると誰かがドアを叩いた。時計を見ると、そろそろお茶の時間だった。
「はい、開いてますよー」
俺は返事をしてベッドから身を起こした。
「こんにちは~。多島君、ヒマ?」
ドアを開けて顔を覗かせたのは、海紘ちゃんだった。
「ああ、ども。ヒマだけど、なに? 今日はファッションショーはカンベンな」
「ちがうちがう。弓槻の様子見にきたの。ほら、ちゃんと寄せ餌も持ってきたんだから」
と、手にしたケーキの箱を持ち上げてみせた。
たぶん、五~六個は入りそうなやつだ。
「もしかして、俺のぶんもあったりしちゃう?」
「あるある」
海紘ちゃんはにっこり笑った。
「やったぁ! ……あ、やっぱ、ムリだわ」
「え? どうして?」
「今日も出て来ないんだ……。俺がいたら尚さらダメだろうな」
海紘ちゃんは、ふうん、と言って少々思案すると、こう言った。
「でも、きっと出てきてくれるよ! 私がダメもとで誘い出してみるから、多島君はお茶の用意をして待ってて」
「いやでも……俺はいない方が……」
「ダメよ。ケンカしたままはよくないわ。ちゃんと仲直りしないと。ね?」
「そういうわけじゃないんだけど…………わかったよ」
結局俺は押し切られる格好で海紘ちゃんのプランに乗ることになった。
二人一緒に部屋を出て、俺は食堂で紅茶の用意、そして海紘ちゃんは弓槻を部屋から誘い出す役、ってことで途中から別行動になった。
俺はまっすぐ食堂に向かい、暖房近くの席にお茶のセッティングをして二人を待った。
「こねぇなあ……。やっぱダメか」
なかなかやって来ないので、心配になって様子を見に行こうと食堂を出たところで、俺は二人に鉢合わせた。
「おまたせ~、連れてきたよ」と海紘ちゃん。
その海紘ちゃんに、お通夜みたいな顔で連行されてきた弓槻が俺の顔を見た途端、鷹の目でにらむ。しかし逃亡は許されない。俺は精一杯の愛想を振りまいた。
「や、やあ……お茶の用意、出来てる……よ」
銀色のお盆を持つ手が震える。
先日、彼女に剣先スコップで思いっきり殴られた記憶が蘇る。
やっぱり、直接顔を合わせると、気まずいというか少々怖いというか。
正直自分がこんなにビビリだとは思わなかった。
普段はクッソでかい異界獣も平気でブチ倒してる俺様なのに。
えらく滑稽な話だな。
弓槻も弓槻で、俺の顔を見て殴りかかったり、踵を返す様子がないところを見ると、やはり海紘ちゃんの説得なり脅迫なりが功を奏しているのだろう。
「ほらほら。席について~」
海紘ちゃんが弓槻の背中をぐいぐい押していった。
そして、俺がティーポットにティーバッグとお湯を入れている間、海紘ちゃんはケーキの箱を開けて弓槻に見せた。
「はーい、好きなの選んで~」
弓槻が箱を覗き込むと、ボソリとつぶやいた。
「――ずるいよ。全部好きなのじゃん……」
「うん、知ってる」といたずらっぽく笑う海紘ちゃん。「でも今日は二個までだよ。みんなで食べるんだから」
「む――――」と唸る弓槻。どうやら弓槻は全部食べたいみたいだ。
「んだよ、食欲ちゃんとあるじゃん」俺は、カップにお湯を注ぎながらぼやいた。
「この子もともと食いしん坊だもん、食べないでいられるわけないわよ」
「ちょ、ヘンなこと言わないでよ、海紘!」
弓槻がぷりぷり怒り出した。
でも、お通夜だったり睨んだりされるより、はるかにマシなのは確かだ。
あんなことさえなけりゃ、食い道楽な俺と気が合いそうだったのにな。
「あー、そんじゃ俺のはいいから。そしたら四つ食えるだろ? な?」
「べ、べつにあんたにくれなんて言ってないし、めぐんでほしくないし、そんな程度で許したりしないんだから」
お前はどこのツンデレだよ。
「そんな下心ねえよ。このケーキは海紘ちゃんがお前のために持って来たんだから、好きにすりゃいい」
そう言いながら、俺はみんなのカップのお湯を捨て、紅茶を注いだ。
「また持ってきてあげるから、今日は二個でがまんなさい、弓槻」
「しょ、しょうがないなあ……」弓槻がぷーっと頬をふくらませた。
二人がお皿にケーキを取ったあと、俺は弓槻の皿にもう一つケーキを乗せてやった。
「え、……いいの? 多島君」きょとんとした顔で俺を見る弓槻。
俺はこくりと頷くと、「初めて名前呼んでくれたな」と言った。
照れ隠しなのか何なのか、弓槻はまた不機嫌な顔になると、いただきますと手を合わせ、一口紅茶を啜ってからレアチーズケーキのセロハンを剥がし始めた。
「よかったね、一つ増えて」海紘ちゃんはニコニコしながら言った。
「食えるんなら、こっちも食っていいぞ。あんまメシ食ってないだろ?」
「……天津飯、食べたもん……」
弓槻は下を向きながら、レアチーズケーキを口に運んでいる。
「そっか。よかった」
あれから弓槻の部屋に行ってなかったので、完食したかどうかわからなかった。食べてくれたなら、それでいい。
ケーキを食べながら二人を観察していると、主に主導権を握っているのは海紘ちゃんのように見える。
きっと弓槻はお姉ちゃん子で、普段は姉の後にくっついて歩いて、外交的なことは姉任せにしていたクチかもしれない。
……なんて、想像でしかないんだけど。
二人はおやつを食いながら他愛のないおしゃべりを続けていたので、俺は部屋から読みかけのマンガを持ってきて、お茶を飲みながら続きを読んだ。
女子会に割って入れるような話題も持ってないし、感性も合いようがない。
でも席を外すと海紘ちゃんが怒るので、やむなく同席しつつ読書をしているわけで。
海紘ちゃんは俺と弓槻を仲直りさせたいんだろう。
そんな必要ないんだけど。だって俺、年明けまでここにいるかどうかわかんねぇし。俺なんか、さっさとここから消えた方が弓槻の、いやお互いのためだと思うけど、あいにく教団本部からは移動の命は出ていない。
恐らく、俺の回復を待って仕事に復帰するのを期待しているんだろう。それもそうか。いまこの街は、危機に見舞われているのだから。
日も暮れかけてきたので、女子会は終了。
俺は海紘ちゃんを家まで送ることにした。一緒に外に出ると、冷たい風が肌を切る。
ううっ、と震えていると、海紘ちゃんがペコリと俺にお辞儀をした。
「今日はありがとう」
「え、なんで? ごちそうになったこっちがありがとうだと思うんだけど……」
ううん、と首を振ると海紘ちゃんは言葉を続けた。
「あの子、少し元気になったから」
「俺なんもしてない。海紘ちゃんがケーキ持って来たからでしょ」
「お昼も食事運んでくれたっていうし、さっきもお茶いれてくれたし。気に掛けてくれてありがとう」
「いや……俺はそんな……そんなんじゃないから」
俺は、澄んだ目で俺を見つめる海紘ちゃんに申し訳なくて、顔を背けた。
「別に謙遜しなくても――」
「ホントにそうじゃないんだ。葬式のときの弓槻を見ただろ? あいつは俺を憎んでいるんだ。殺したい程な」
海紘ちゃんは弓槻のお姉さんの死因について、詳細を知らないはずだ。……多分。
「……あれって、八つ当たりしてたんじゃなかったの……?」
困惑する海紘ちゃん。君にはそういう風に見えてたのか。
「俺からは詳しく言えないけど、お姉さんの件で俺が恨みを買ってるのは確かだよ」
「ふうん……」
とそれだけ言うと、海紘ちゃんは追求してこなかった。時が来れば弓槻自身から話があるだろう、と思ったのかもしれない。
二人で雪の残った歩道を歩いていくと、あちこちにクリスマスのイルミネーションが瞬いていた。せっかくだから電飾を、というレベルじゃなくて、最早住民のみなさんは一体何と戦っているんだろう、ってくらい豪華絢爛だった。ここまで明るいと、ケモノもなかなか近寄らないような気がする。
「きれいね」
五分ほど歩いて、海紘ちゃんが口を開いた。帰り道だから、何度か見ているはずなのに、今初めて見たように言うのは何故だろう?
「そう……だね。あの――」
「ん?」
「危ないから、夜はあんまり出歩かないように」
海紘ちゃんはくすりと笑うと、
「お父さんみたいなこと言うのね」と言った。
「ホントに危ないから、暗い場所には絶対近づいたらダメだよ」
「なんでそんなに必死なの? ヘンなの」
「最近、いろいろ物騒だから」
物騒なんてもんじゃない。人が死んでいる。そして多分、これからもっと死ぬ。
……だから夜は、ダメだ。
いくらもしないうちに海紘ちゃんの家に着いた。
そこは交差点にほど近い、二車線の道路に面した三階建ての小洒落たケーキ屋だった。二階・三階は明かりが点いていなかったから、おそらく住居だと思われる。
店頭には三台分の駐車スペースとテラス席、店内にも数席のテーブルがあって、購入したケーキが食べられるイートインになっている。
俺が着いた時には、凍えるテラス席はカラッポだったが、店内では二組ほどの女性客がおしゃべりを楽しんでいた。
「レジの奥にいるのが、多分お父さんとお母さん?」
俺は訊ねた。娘の帰宅に気付いた彼等と目が合うと、軽く会釈をされたので、俺も会釈を返した。
「うん。コーヒーでも飲んでいく?」
「いや、いい。ここで帰るよ」
と俺が言うと、「そう」と少し残念そうに海紘ちゃんは言った。
じゃあ、と手を振って俺はそのまま歩き出した。
◇◇◇
俺はケーキ屋を後にして、その足である場所を目指していた。
――弓槻の姉、薙沙さんの惨殺現場だ。
なんでそこに行こうと思ったのか、正直自分でも分からない。
ただ自然とそちらに足が向いてしまっていた。
俺は途中、花屋に寄って花束を買い、事件以来初めて、あの惨劇の林にやってきた。日も暮れてきて周囲には誰もいない。
時折鳥が鳴いている。……ひどく静かだ。
あれからまた雪が多少降り積もったせいか、薙沙さんの血は綺麗に隠れて見えなくなっている。俺は、適当な木の根元に花束を供えると、手を合わせた。
十字を切らないのは、うちの教団がホントはそんなものを信仰も布教もしていないのを知ってるからだ。
聖紺碧女神教団が宗教団体を装っているのは、ただの隠れ蓑。
実際は秘密結社と言った方がふさわしいだろう。
異界獣を退治するための武装集団を組織したり、対異界獣用の特殊武器を開発したり……。その内実は、およそ宗教団体とは呼べない代物だ。
唯一そうと言える部分があるとすれば、異界獣の被害にあった人たちを救済することも、その使命としている点くらいだろう。
だから、弓槻と薙沙さんは両親の死後、無条件で教団に養育され、就職の斡旋もされたというわけだ。
成績が優秀で、かつ望めば教団の経営する大学にも進学することが出来るだろう。でもそれを薙沙さんがしなかったのは、やっぱり妹のためだったのだと思う。
「ごめんな……」
あの日の、薙沙さんのバラバラ死体が、脳裏に鮮明に焼き付いている。
もう取り返しがつかない。
「どうして待っててくれなかったんだよ……。あんたは死んじゃいけない人だったのに」
風は強くなったけど、答えは返ってこない。
俺は、懐からハーモニカを取り出し、彼女に送るレクイエムを奏でた。
「ごめんな。こんな物でしか聞かせてやれなくて。
異界獣の角で作られた笛、
そんな俺に開発部の人が作ってくれたのが、獣奏笛だった。それは見た目にも美しく、現存のどの楽器とも似ていない透明な音色を奏でる笛だ。
普段武器ばかりを作っている開発部の、ちょっとしたお遊びだったのかもしれないが、プロの本気遊びほど恐いものもない。芸術的とも言えるほどの精緻な造りのこの笛を、まだ手の小さい子供に与える方もどうかと思った。
加減一つで、魔寄せの笛にも、退魔の笛にもなる。
この笛を与えられた当時の俺には扱いがとても難しく、成長して吹きこなせる頃には、他の楽器をいくつもマスターしてしまっていた。
……ハーモニカもその一つだ。
「……弓槻を独りにして、済まなかった。せめてあんたの仇は、俺に討たせてくれ」
もう一度手を合わせてから、俺は現場の近くにあるカマキリの出現したゲートに向かった。このゲートに行くのはこれが初めてだ。
現場から数十mほど林を進むと、少し開けた場所にゲートを示すポールが立っていた。周囲の臭いを確認すると、異界獣の死臭がする。
もう生きている異界獣は存在しないようだ。
明かりを点けてゲートの周囲を照らすと大量の異界獣の死骸が転がっていた。
いずれも体を裂かれ、頭を食いちぎられていた。
――どうやら奴の好物は、頭のようだ。
俺に腕を落とされてから食い散らかしたのだろうが、どうせ体を修復する気なら綺麗に全部食べていけばいいのに、と思った。
そして薙沙さんが食われずに済んだのは、その前に俺が現場に到着出来たからだと思うが、間に合わなかったらと考えるだけでもゾっとする。
ただでさえ目の前で姉を惨殺された上に、ボリボリと頭を囓られる様を見るなんて、一生モノのトラウマだ。
微かに薬品のような匂いを感じたけど、気のせいかもしれない。
「……ん?」
俺はゲートから微かに音が漏れてくるのに気付いた。
――ゲートの詩だ。しかも、聞いたことのない詩だ。
俺は、詩をノートに手早く写し取ると、現場から全速力で走って教会に戻った。
腹が減ったからじゃない。
――吉富組に合流して狩りをするためだ。
俺は、薙沙さんのことを考えると、いてもたってもいられなかった。
すこしでも罪滅ぼしがしたくて、ムリを押してでも、今はカマキリを倒せなくても、とにかく一匹でも多くケモノを狩りたかった。