「選べ。大人しく麗を治療させるか、ここで俺に頭を射抜かれるか!」
神崎は麗の父親の額に銃口を突きつけた。
父親は半ば悲鳴のように、裏返った声で神崎に噛みついた。
「お、俺を、殺す気か」
「俺は本気だ。――あんたのよく知っている『コントラクター』、なのだからな」
◇◇◇
「ただいま、麗」
神崎有人は、万感の思いで日本の地を踏みしめた。
自衛隊機に見送られ、神崎の乗った機体は神奈川県南西部にある獅子之宮総合病院付属湯河原総合病院に到着した。
彼は愛機を病院裏手のヘリポートに着陸させると、待ち構えていた病院スタッフたちと共に、麗のいる病棟に向かった。
神崎は白衣の職員達二名に肩を借りながら病院の廊下を手術室に向かって歩いていた。この数日間の想像を絶する激務と負傷、それに加えて長時間の長距離飛行の末だ。さすがの彼でも真っ直ぐ歩いているのが不思議なくらいだった。
「彼女の容態は」
神崎が背の高い方の職員に尋ねた。
「オペ開始から約二時間経過したところです。万全の体制で臨んでいますが、現在予断を許さない状況です。ただ今本院からの応援もこちらに向かっています」
「応援……?」
「麗さんの容体が急変したため、理事長がスケジュールを前倒しで臓器を創っておられます。間もなく来られるかと」
「そうか……」
三人は、赤いランプの点灯した手術室の前で立ち止まった。神崎は、手術中の文字を見つめ、「麗……済まない……」と呟くと、拳を握りしめた。
ふと、背後から誰かが恐る恐る声を掛けてきた。
「神崎君……なのか?」
「あ……はい……神崎です……」
ふらりと振り返り、力なく答えた。
神崎には、体力など少しも残っていなかった。気力だけで、麗を想う気持ちだけで、その場に立っていたのだ。
問いかけてきたのは、麗の父親だった。そして、傍らには麗の母親も寄り添っていた。しかし神崎は酷い頭痛と目眩で今にも倒れそうで、足元がふらつくと、メガネの方の職員が彼を支えた。
「済まない……大丈夫だ……」
神崎のコンディションは最悪だった。
流れ弾に当たった傷も痛かった。
自分で足に刺したナイフの傷も痛かった。
接続端子をブチこんだ首筋の神経もズキズキと痛かった。
……でも、麗が死んでしまうことと比べたら、そんなことはどうでもよかった。
麗の父親が、廊下の窓の外を指さした。
「もしかして、君はあれに乗って来たのか?」
彼の示す先には、病院のヘリポートがあった。
そして、神崎の乗ってきた機体もそのままだった。
どこからどう見てもそれは、金持ちの私物ではなく軍用機だ。
麗の父は、侮蔑の混ざった冷ややかな眼差しを、無遠慮に目の前の男に投げた。
神崎は、唇を噛んで俯くことしか出来なかった。
「中東にいたと言ってたが……、君は、GBI社の人間ではない」
「!」
神崎は、はっと顔を上げた。
「やはりそうなんだな。この間君の迎えのヘリが来た後、気になって色々と調べさせてもらったよ。翼の生えたライオンの」
父親の目は、目の前の疲れ果てた戦神を侮蔑しきっていた。
(……これは、ああいう時の目だ。そう、バケモノを見る目だ)
神崎は太古の時代、人間に差別され痛めつけられた大量の悲しみと苦しさがフラッシュバックし、息が苦しくなった。
「何を……ですか」
「民間軍事会社GSS社についてだ。その過程で、私はおかしなものを見つけた」
神崎の背筋に冷たいものが流れた。
「おかしな、とは」
「戦場ジャーナリストのインタビュー記事に写った、あるコントラクターの写真だ。そう、中東のテロ活動の頻発した場所で、今みたいに武装していた――君の写真を」
「っ………………」
現在の彼は、ほぼ丸腰とはいえ昨日の敵本拠地潜入の際に着ていた、紺の特殊部隊用装備を身に纏ったままだった。ナイフと拳銃も帯びている。所々汚れたり、血糊や硝煙の匂いが付いている。どうがんばっても言い逃れが出来なかった。
「何なの? その民間なんとかって」
麗の母親が夫に尋ねた。
「金で戦争を請け負う企業さ。こいつはコントラクター、
麗の父は、神崎に死刑宣告をするかのように、そう吐き捨てた。
神崎は首を絞められた心地がした。
「失礼ですが、有人様は――」
見かねた背の高い職員が、口を挟んできた。
神崎はそれを手で制し、
「やめろ。何を言ったって、言い訳にしかならん」と、苦々しく言った。
「ですが……」
何かを言いたそうにしながら職員は引き下がった。
「転院の件は感謝している。しかし麗には、これ以上ここで治療を受けさせるわけにはいかない。人を殺して作った金などいらん。手術が終わったら、娘を元の病院に連れて帰る」
「ちょっとまて、麗を殺す気か! ふざけるな!」
神崎が激高した。瞳が紅く染まる。
「何人もの人間を手にかけてきた君に、言われる筋合いはない」
「塩野義さん、考え直してください。いま動かせばお嬢さんが亡くなってしまう」
メガネも父親の説得に回った。誰がどう考えても、正気の沙汰ではなかった。
「俺は、人間風情に何と言われてもいい。しかし、麗を殺そうというのなら話は別だ」
神崎はそう言って、血の色に光る双眸で麗の父を睨め付け、さらに言葉を続けた。
「どんな金でも金は金だ。貴様は自分の下らない主義主張のために、娘を見殺しにするというのか? それこそ貴様のエゴだ!」
そう叫んで、父親を指さした。
「うるさい! 麗は俺の娘だ! どうしようと俺の勝手だ!」
と、父親も半狂乱で叫ぶ。
「あなたやめて。落ち着いて、ね?」
見かねた麗の母親が制止しようとするが、父親にはね飛ばされ、背の高い職員に抱きとめられた。
「麗は俺のものだ! 貴様なんかに殺されてたまるか! 本気で連れて帰る気なら、今ここで殺してやる!」
神崎は腰のベレッタPx4を抜き、父親に真っ直ぐ銃口を向けた。
ひっ、と小さく悲鳴を上げ、父親は一歩後ずさった。
「有人様、落ち着いてください! どうか銃を収めてください」
メガネが制止する。
「ど、どうせ威嚇だろう? ここは日本だからな」
そう言う父親の足は震えている。
次の瞬間彼のすぐ後の壁に一撃、弾丸が打ち込まれた。
無機質な病院の廊下に銃声が響く。
「選べ。大人しく麗を治療させるか、ここで俺に頭を射抜かれるか!」
神崎は数歩歩み寄り、父親の額に銃口を突きつけた。
「お、俺を、殺す気か」
半ば悲鳴のように、裏返った声で神崎に噛みついた。
「俺は本気だ。――あんたのよく知っている『コントラクター』、なのだからな」
神崎は低く、呻くように吐き捨てた。
「麗を……人殺しなんかに……渡してたまるか」
震える声で抵抗の意を告げる父親。
哀しみと絶望で、猛っていた神崎の心が黒く沈んでいく。
――なんで、こんなことになったんだ。
俺はただ、麗を救いたいだけなのに
人間なんか、クソッタレだ
麗は、貴様のモノじゃない。俺のモノなのに……
神崎の表情は、悔しさと悲しさでひどくゆがんでいた。
殺意の失せた神崎が、父親の額から銃を下ろそうとした、その時――
『バシュッッ!』
廊下の向こうで何かが破裂したような、大きな音が響いた。
「うがぁぁぁっっ!」
神崎は絶叫し、床に倒れ、痙攣……そして、動かなくなった。
ツカツカと靴音を響かせながら誰かが廊下の向こうから近づいてきたが、逆光でシルエットしか見えない。
手には保冷ケースと、もう片方の手にはテーザー銃――射出型スタンガン――を持っていた。
その先から放たれたワイヤーが、神崎の体に打ち込まれている。テーザー銃から強い電流を流し込まれた神崎は、痙攣を起こして倒れてしまった。
神崎を撃った男は、長身痩躯を白衣に包み、細いメタルフレームの眼鏡をかけていた。レンズの奥にある細い切れ長の目には、
倒れて動かなくなった神崎を一瞥すると、
「フン、この程度で動けなくなるとは嘆かわしい――」
と吐き捨て、テーザー銃を放り出すと、気絶して床に転がっている神崎を軽く蹴転がして仰向けにした。
「この『愚弟』めが」
「理事長! お待ちしておりました」
メガネの職員が男に駆け寄って保冷ケースを受け取り、手術室に入っていった。
男はつい、と指で眼鏡を上げ
「この私が、手ずから創った『臓器』だからな。間違いなどあり得ない」
と言ってフン、と鼻を鳴らした。
「にしても……」
床で寝ている神崎の頭を、つま先で軽く小突き、大きくため息をついた。
(全く、到着早々この面倒事の山は何だ。私が始末をつけねばならんのか……)
「この……能なし役立たずの愚弟め。あの国での不手際はこの際不問に付してやるが……。おい、ストレッチャーを持ってこい。このバカを片付けろ」
理事長と呼ばれた男の命で、背の高い職員が廊下の奥に駆けていった。
臓器の引き渡しは済んだ。あとはバカな弟のしでかしたポカを回収する仕事が残っている。
いくら父親が治療を快諾しても、大バカ弟に向かって「貴様のようなクズに娘はやらん」などと言われては、またクソバカ弟が暴れて、何をするかわかったものではない。全くもって、手間ばかりかけさせる奴だ。だが、そんなお前もまた、愛おしい。
男はそう思っていた。
手術室の前には、麗の両親とこの男、そして床の上の神崎が残された。
「愚弟……と言われましたが、貴方は?」
目の前でいっぺんに色んな事が発生して、麗の父親はキャパオーバー、母親はパニックを起こして床に座り込んでしまった。
「これはご挨拶が遅れました」
男は、麗の両親にうやうやしく礼をした。
「私は、この病院の理事長と、GBI社代表取締役社長兼、
麗の両親は目を丸くして、とんでもないセレブの登場に固まっていた。
「あ……こ、この度は、む、娘がお世話になり、ありがとうございます」
怜央は伊達眼鏡の向こうから麗の両親を静かに観察していた。
神崎はストレッチャーに乗せられ、ガラガラと処置室に連れて行かれた。
「少々、愚弟の件で誤解があるようなのですが、私からご説明をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
怜央はそう言うと、懐からスマホを取り出した。ついつい、と白い指先で操作をして、画面を麗の両親に向ける。
「どうぞ、こちらをご覧下さい」
両親が言われるまま画面を覗き込むと、そこにはつい昨日まで有人がいた小国のニュースが流れていた。
独立したばかりのこの国を、反政府勢力のテロが襲い多数の死傷者が出たが、国防軍によって鎮圧された、という内容だった。
「弟は、この国を護っていたのです。私の
怜央は、麗の両親を相手に、プレゼンを開始した。
弟を売り込むためのプレゼンを。
「じゃあ、この間急いで帰ったのは……この、テロリストの襲撃?」
父親が訊いた。
「お察しの通りです。この国への国際支援を水面下で行っている日本政府の意向で、我がグループでは復興再建と、周辺の武装勢力から国民を守るための治安維持業務を一手に請け負っておりました」
怜央は、極めて淡々と語り始めた。
「護る……ため」
麗の母親がぽつりと言った。
「PMC、正確には現在PMSCsと呼ばれていますが、単純に戦争を請け負う会社、というわけではありません。あくまでも各国政府からの要請によって、正規軍だけではまかないきれない警備や補給など、軍の後衛部分をバックアップするのが、我々の業務です。本来であれば自衛隊を派遣するべき所なのですが、国内世論や外交上の問題などもあって、思うように動けない。そこで我々、民間会社を利用することになったのです」
当たり障りなく、かつ、一般人に飲み込み易いよう、やれ警備だ、政府だ、支援だの要請だのと、弟は戦争屋ではないのだと、怜央は両親に言い聞かせた。
論理的思考のできる人間なら、これで納得できるはずだ。
「そうなんですか……政府の仕事、ですか」
麗の父は視線を足元に落とした。
自分の誤解で、娘の恋人を追い詰めてしまった罪悪感にかられていた。
怜央は眼鏡の細いフレームを指でつい、と上げて話を続けた。
「あくまでも、私達は日本政府の代行者であり、決して積極的に戦争をしに行ったわけではないのです。無論、武装勢力は綺麗事で済む相手ではありませんので、必然的に荒事も発生してしまいます。弟は長年、私の代わりにこの荒事に携わってきました」
怜央は悲しげな目をしながら目の前の夫婦に対して切々と訴えた。『弟を泣く泣く戦場に送る兄』の心情を込めて。
だが、弟が戦場に行くのは、あくまでも当人側の事情であって、わざわざ「行ってこい」と言った覚えは欠片もなかった。むしろ、自分の仕事の手伝いを嫌って、早々に子会社に出て行ってしまったくらいなのだから。
それ故、神崎有人には『GBI社副社長』と、『GSS社平社員』という二つの肩書きが存在しているのだ。
「私とて実の弟に汚れ仕事を押しつけることを、快く思っているわけではありません。しかし、大きな組織を動かしていく以上、どうしても信用のできる人物にしか頼めないこともあるのです。弟は不平一つ言わず、私のために身を粉にして働いてくれています。だから、せめて兄として、私は、弟が命よりも大切にしている女性を救ってやりたい。たった一人の家族である、弟の幸せを、私は護ってやりたい。塩野義さん、どうか、娘さんの治療を我々が継続することを、許して頂きたいのです」
弟に容赦なくスタンガンを撃つ冷血漢が、打って変わって、身内のために涙を流して見せた。明らかに泣き落としだった。
日頃、商売や交渉において『神技』を用いる怜央の演技は、まさに迫真だ。役者になったとしても、きっと名優として歴史に名を残すだろう。
「わかりました……こちらこそ、どうぞ、よろしくお願いします」
麗の父親は、怜央の熱演に感動し、治療続行を快諾した。
「塩野義さんに愚弟が銃を向けてしまったことは、本来許されざる行為です。しかし、娘さんの身を案じてのこと故、どうか許してやって頂けないでしょうか……」
「私こそ、何を血迷ったのか、あんなことを神崎君に言ってしまって、申し訳ないことをした……こちらこそ、どうか許して欲しい」
そう言って怜央に深々と頭を下げた。
「ところで、私の本業は、会社経営などではなく、我が社の基幹産業であるバイオテクノロジーの研究なのです。今日は、お嬢さんのために、私の造った移植用生体組織を持参しました。これで必ず良くなります。どうか安心して下さい」
怜央の本来の『神技』は、実は商売や交渉ではなく、生物を『創造』することだった。創造神たる彼が、臓器の「生体パーツ」を造ることなど朝飯前だったのだ。
◇
ひとしきり両親の説得に成功した怜央は、麗の手術を途中から執刀したあと、疲れた様子で処置室にやってきた。
十畳ほどの室内は殺風景で、採血や点滴用具、エコーなど最低限の機材が置いてある。寝台の上の神崎有人の他に現在は誰もいない。
(いつまでたっても子供みたいな顔してやがって……)
こうして、自分の弟の寝顔をまじまじと見るのは、いったいどの位ぶりだろうか。最早共に暮らすこともなくなって、長い時間が経っている。
仕事で弟をこき使うのも、塩野義に言ったとおり、他に信用できる者がいないからだ。
――人間なんて、すぐに死んでしまう。
だからこそ、目先の恐怖や欲望に踊らされ、とても簡単に裏切る。
これ以上、戦場で身を磨り減らして欲しくない。
だから営業の真似事をさせたのに。
誰も信じられないんだ。
だから、お前に帰って来て欲しい。
俺だって、ホントは淋しいんだ……。
怜央は切実に、そう思った。
玲央が神崎の体に巻かれた応急処置の包帯を剥がし、患部の上をゆっくり撫でていくと、傷口がみるみる癒えていった。うう、と神崎が小声でうめく。
「おい、愚弟。起きてるか。こんなにボロボロになりおって」
怜央は弟の頬を指でつついた。しかし返事はなかった。
「一度しか言わないから良く聞け」
弟の頭上からいつもの口調で語り出した。
「壁に穴を開けるな。病院に戦闘機なんかで乗り付けるな。あとで横田に移しておけ。大統領は外遊先の拉致現場でウチが確保した。関係各方面への連絡が面倒極まりない。父親は懐柔済みだ。説得が面倒だからこれ以上喧嘩を売るな。それから……」
怜央は弟の頭を数度撫でて、耳元で優しく囁いた。
「……良かったな、やっと『白猫』が見つかって」
そう言うと、怜央は白衣を翻して、静かに処置室を出て行った。
兄の靴音が遠ざかった後、有人は狭い寝台の上で体を震わせ、ずっと啜り泣いていた。そして、泣き疲れて、いつのまにか、また眠っていた。
猫のように体を丸めたまま。