廊下の壁に手を突きながら、神崎は足をひきずってロッカールームに向かっていた。ほとんどの社員は出払っており途中誰ともすれ違うことはなく、手負いの姿を見られることもなかった。宿営地がカラになってしまう程、本当にギリギリの状態で戦っていたのだ。
ロッカールームに入ると、神崎は血に汚れたGSS社標準指揮者制服を脱ぎ捨てて紺色の戦闘服に着替え、夜間作戦用の装備を身につけ始めた。タクティカルベストには、マガジンを詰められるだけ詰め、弾薬やプラスチック爆薬、手榴弾などをバッグに押し込み、ヘルメットに暗視ゴーグルも取り付けた。
「これも……持ってくか」
そう呟くと、自分のロッカーから一本の日本刀を取り出した。
「最後に頼りになるのは、刃物だからな……」
神崎は単身カチコミをかけるつもりで装備品を身につけていた。ストラップをたすき掛けにして刀を背負っていると、背後から男の声がした。
「一人でどこ遊びに行くんだ? ボーイ。パパも連れていってくれよ」
そこにはちらりと犬歯を覗かせたグレッグと、
(そういえば、マイケルの班は、負傷者を回収して戻って来ていたはずだったな)
「ヒマそうだな。
神崎はやせがまんをして、二人に笑ってみせた。
「で、どこ遊びに行くんですか? マスター・ニンジャ」
マイケルは愛用の狙撃銃で自分の肩をトントン叩きながら、嬉しそうに訊いた。
「本丸だ。夜陰に紛れて、首級を取りにいくのさ。ニンジャはそういうもんだろ」
と神崎は自分の首を刎ねるマネをしてみせた。
「どこにいるか分かったのか?」
ニヤニヤしながらグレッグが言った。
瞳が薄暗いロッカールームの中で、妖しく光る。
「ああ。場所はついさっきわかったんだ。奴ら移動してたんだよ、今まで……」
神崎はこみ上げる胃液を押し戻すように、口を押さえて背中を丸めた。
「トレーラーとかか?」
夜間戦で圧倒的な強さを誇るこの人狼の男は、装備を着けながら言った。
夜目の効く彼なら、暗視ゴーグルなどという無粋なものは必要としない。
「近くで手の空いてる部隊が全くないんだ。今から手空きの誰かを回しても、遠くて間に合わない。だから俺が直行するんだ。一人で乗り込んで平気な奴は俺くらいだからな」
未だ気分の優れない神崎は、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
出血が酷かったためか、顔面は蒼白だ。
「逃がせば、今までの犠牲が全てムダになる」
「なるほど。じゃあ、僕もマスター・ニンジャにお供しましょう。報酬は、ジャーキーでいいですよ?」
マイケルは、まるでパブにでも付いて行くような口ぶりで言った。
「好きにしろ。戻ったら、十箱でも二十箱でもくれてやるよ」
神崎はニヤリと笑った。
◇
グレッグとマイケルの二人を加えた計三名の強襲部隊は、敵指揮車のある国境線付近までヘリで飛んだ。そして敵前線基地の裏山に降下し、そこから徒歩で接近を開始した頃には、太陽は稜線の向こうに沈み、夜の帳が降りていた。
「マイクは、照明及びその他の障害を排除。グレッグは、敵兵力を無力化しつつ速やかに敵電源施設を破壊。俺は真っ直ぐ指揮車両に向かいターゲットを確保する。電源が落ちれば奴らの行動は大幅に阻害できる。頼んだぞ」
「おうよ!」
「了解です! 陽動は任せて下さい」
薄闇の中を進み、三人が前線基地に接近すると、田舎の武装勢力には不釣り合いな新鋭車両や武器が周囲に並んでいた。
神崎の売った真新しい兵器もあれば、違うメーカーの製品もあった。見る者が見れば、何処の国の製品かはすぐに分かる。
神崎たちの攻勢で壊滅的打撃を受けた彼等は、待避先となったこの場所で宿営準備の真っ最中だった。
ほとんどの部隊は制圧済みだが、敵本部にまだこれだけの武器があることは十分に脅威である。
神崎一人で立てた、にわか仕込みの作戦で彼等を完全に叩くには程遠く、現実にはこれが限界だった。それでも一切の国軍の支援もなしに、持てる全てを出し切った自分たちは十分に健闘したと神崎は思っていた。
「奴らには過ぎたオモチャだな……」
グレッグが双眼鏡で内部の様子を覗き込んでいる。明らかにこの地域と関係のない白人も相当混じっており某大国のテコ入れの様子がうかがえた。
「ですねぇ」
マイケルは照明器具の場所を銃のスコープで確認し始めた。
「手短な所からバンバン落としていきますから、派手にやっちゃってくださいよ」
神崎とグレッグの二人は不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「じゃ、二人とも頼んだぞ。とにかく時間が惜しい」
神崎はそう言いながら、サブマシンガンを抱えて一人指揮車両のある方向に向かって走っていった。
(もう少しだ……。待ってろよ、麗。すぐ帰るよ……)
神崎が走り出すと同時に、マイケルが手当たり次第に照明を狙撃し始めた。
灯りを失ったテロリスト達は、大騒ぎをしながら右往左往している。あまりにも早く傭兵に見つかってしまった、その事が彼等に大きな恐怖を与えたのだ。
マイケルは微妙に移動しながら、次々と照明器具や車両を破壊していった。
その最中、神崎は夜陰に紛れてひたすら奥へと進んでいく。
別の場所から煙が上がっているのは、グレッグが暴れているせいだろう。発電施設や大型車両からも火の手が出ている。
少人数での襲撃は、敵から発見されにくく破壊工作を行いやすい。逆に襲われる側にとっては、これほど面倒な相手もいない。
一騎当千の彼等であれば、尚のことだ。ちらと後を振り返り、神崎は仲間たちのバックアップに心強さを覚えた。
(二人とも、ハデにやってくれてるな。頼むぞ……)
神崎は混乱に乗じ単身敵の指揮車に接近していった。
そこに甥御も黒幕もいるはずだ。
「あれか……」
積み上げられた木箱の陰から神崎が覗き込むと、暗視ゴーグル越しのその先には、トレーラー型の指揮車があった。
屋根には大型の衛星アンテナを備え、胴体に繋がれた幾本かの太い電源供給用ケーブルが、近くの電源車までの間を大蛇のようにのたくりながら繋いでいる。
周囲には頭に布を巻き付けた数名の兵士が、不安そうな顔でうろうろしていた。周囲の騒動に少なからず動揺している。
神崎はナイフを抜くと、彼等の背後から忍び寄った。
口を押さえて素早く物陰に引き摺り込み、喉を掻き切って静かに始末していく。
一人、また一人、と周囲にいた兵士を全て排除すると、神崎は音もなく指揮車に近づいた。
隠密行動は神崎の得意とする所、マイケルの言う「マスター・ニンジャ」も伊達ではない。
指揮車の後部ハッチは半ば開かれ、内部から灯りが漏れている。
人の声はしないが、何故か動物の鳴き声のような音が聞こえる。
野生動物でも入り込んだのだろうか。
――騒動の首謀者を生け捕りにして
と、思いつつ神崎は、暗視ゴーグルを額に押し上げ、裸眼で車内を覗き込んだ。
中では甥御が焼き豚のようにロープでぐるぐる巻きにされて、床に横たわり眠っていた。ガムテープで口を塞がれたまま、ムニャムニャ寝言を言っている。
全く呑気なものだ。
「なんだよ、こいつの寝言かよ。ったくもう」思わず呟いた。「さてと……間に合ったのはいいが、他の連中はどこだ?」
背後から気配がして神崎は振り返った。
その瞬間、周囲に叩きつけるように銃弾の雨が降った。
地面は抉られ、トレーラーのドアに幾つかの穴が穿たれた。
銃声に気付いた焼き豚男が芋虫のように床をのたうち回り、ふがふがと、くぐもった悲鳴を上げた。
銃声と共に神崎は横に飛び退いたが、避けきれず流れ弾が足をえぐる。
横目に見れば、銃弾は一丁のサブマシンガンからバラ撒かれていた。
――敵は一人だ。
神崎は暗い地面を転がり、小走りに移動しながらマズルフラッシュの瞬く方へと撃ち返す。周囲ではグレッグの手によって火災が発生し、散発的に爆発音や銃声が響いていた。
(グレッグやマイケルは大丈夫そうだ。まだこっちに増援がやって来る気配はない)
一層大きくなった火災の明かりで、敵の正体が分かった。
――腰巾着の猫背男だ!
「やっぱお前か猫背野郎! バカと一緒に焼き豚にしてやる!」
「ひっ、何で貴様が!」
神崎が銃口を向けると、猫背男はそばに止まっていたトラックの荷台の陰から銃弾を撒き散らし始めた。が、すぐに弾が切れ、男は舌打ちして銃ごと投げ捨てた。
神崎は猫背男に向かって発砲したが、男は体を翻してトラックの運転席側へと走っていった。
「どこへいく!」
神崎は車体ごと撃ち抜かんと、サブマシンガンで横薙ぎに撃った。
運転席の窓ガラスが粉々に砕け散る。
と同時に、男は車の陰から転がり出て二丁拳銃で乱射しはじめた。
「あの男は渡さんぞ! 傭兵め!」男が叫んだ。
甥御には、まだ使い道があるのかと一瞬、疑問が神崎の脳裏を過ぎった。
そのスキをつき、男は奇声を上げながら必死の形相で神崎に突進してきた。
一発の銃弾がタクティカルスーツの隙間から神崎の肩に入り込む。至近距離からの銃弾を彼の肌は弾くことは出来ず、その身に受けてしまう。
だが、神崎は倒れなかった。
「くたばるか! そんなもんでぇぇ!」
血煙を上げ、神崎は叫ぶ。
苦悶の表情を浮かべながら、神崎は背中から刀を鞘走らせた。
火災の光を受け、赤く輝く刀身は禍々しさを帯び、神崎の怒りを代弁していた。
彼は身を低くしながら駿足で駆け寄り、距離を詰め、刃を上へと振り上げた。
一斬目――
二丁の銃身が中程から断ち切られた。
ギラリと燃えさかる炎を反射させると、振り上げた刀身が男へと真っ直ぐ振り下ろされた。ぐきゃり、と鈍い音がする。
「うぎゃああああああああああああああああ――ッ」
猫背の男は肩口を押さえ、悲鳴を上げながら地面を転がり回っていた。
「峰打ちだ、安心しろ。まだ貴様を殺しはしない」
神崎の刀が、猫背男の鎖骨を打ち砕いたのだ。
そして、もう一撃。今度は男の足を砕いた。
「後で治療してもらえ」
と吐き捨てると、神崎はのたうち回る猫背男を拘束した。
指揮車の中を覗くと、焼き豚男以外は誰もいなかった。
恐らく本来の首謀者は既に逃走したのかもしれない。
猫背男に聞き出す前に、神崎は無線で二人に連絡をした。
「こちら神崎、どうやら黒幕には逃げられたようだが、ターゲットは拘束した。一段落ついたらこっち来てくれ」
はあ、とため息をつき、
「一杯食わされたかもしれん」
『そうでもないぞ』グレッグの低い声がインカムから聞こえてきた。
「どういう意味だ?」
『そのうち分かるさ』
交信を終了したあと、神崎は腑に落ちないまま彼等を待つことにした。
「さすがに、そろそろ誰か来るんじゃないのかなあ……」
近くの車から見つけたチョコバーを齧りながら、己の傷の手当てをしつつ待っているのだが、一向に現れる気配がない。
この騒ぎが始まってから30分ほど経っている。
いいかげん指示を仰ぎにやって来てもいい頃なのに、と神崎は思ってると、馬の蹄の音が近づいて来る。
素早く身を隠すと、指揮車の前に十数人の馬に乗った民兵がやってきた。
(ん? あれは……)
神崎が顔ぶれを見ると、いくつか見覚えのある男がいた。
「どうしたんですか、皆さん」
神崎はぽかんとした顔で、彼等の前に姿を現した。
「遅くなって済まない。皆、拘束されていたのだ」
そう答えた馬上の一人は、アジャッル元副司令だった。
その他にも、大統領府のパーティで見かけた長老や部族の世話役の男達がいた。
今回の政変を成功させるために、影響力のある古参の軍人や、地域の長老を押さえ込んでいたのだろう。
連れの若者たちが、トレーラーの中にいる大統領の甥を引き摺り出し、地面に転がった猫背男と一緒に拘束していた。
アジャッルが馬から降り、神崎のそばでひざまづいた。
「カンザキ君、今回は本当に申し訳ないことをした。我々が不甲斐ないばかりに、諸君らの多くを死に至らしめてしまった。心からお詫びをする」
「……ありがとうございます。どうか立って下さい、副司令」
「我々自身の不始末を全て君達に押しつけては、何のために独立したのか分からなくなってしまう。だから、ここからは我々も微力ながら戦わせて頂く。逃走中の首謀者達は、諸君からの連絡を受け、我々がさきほど取り押さえたところだ。どうか、安心してくれ」
「良かった……。これで俺も肩の荷が下ります……」
神崎は緊張が解け、大きく息を吐いた。それと同時に、猫背男に撃たれた傷がズキズキと痛み出した。王宮で出会った老大臣が馬を降り、神崎に手綱を差し出した。
「お身内が大変だと伺っております、アーシェク、いや神崎殿。どうか私の馬をお使い下され」
「お心遣い、感謝します! それでは!」
神崎は手綱を取り、炎を受けて黄金に輝く白馬に跨がった。