麗の病状は予断を許さない状況で、神崎は一刻も早く彼女の元に戻りたかった。
しかし、今この国は大国の支援を受けた武装勢力により、再び戦乱に巻き込まれようとしていた。神崎たちが退くことは許されない。
◇◇◇
神崎は、アジャッル元副司令に大統領の甥の背後に何があるのかを探らせ、その報告を司令部で聞いていた。
甥は反政府勢力の武力と叔父の不在を利用して、国内が不安定なうちに権力を奪い取ろうとしていた。しかし、利用していたのは反政府勢力の方で、利用していたつもりが、実際はただの担がれた神輿だったのだ。
彼等は、甥を上手く操って神崎達の行動を制限し、その隙に乗じてPMCと資源拠点に攻撃を仕掛けてきていたのだ。
アジャッルの話と照らし合わせると、先日神崎が基地司令室で見た猫背の男が、甥を操っている組織の関係者だろう、と推察出来た。だが、神崎達が顧客を無視して独自に動き出したとなれば、彼等に甥は利用価値がないと判断され、最悪殺される可能性がある。その前に反逆者として生かして捕え、請求書も添付して帰国した大統領に突き出さなければ。
反逆者逮捕の手柄をアジャッル元副司令のものにすれば、きっと彼の復権も容易なはずだ。元司令は、残念ながら既に敵に捕縛されている。当然ながら、にわか仕立ての国防大臣も使い物にならない。
このような非常事態にも拘わらず、なぜ叔父である大統領一行が帰国出来ないのか。それは恐らく、敵の後についている大国の差し金であることは容易に想像がつく。どこかで監禁でもされているのだろう。
神崎たちは国を立て直す手伝いでやってきたはずなのに、今まで自分の売ってきた武器の多くは、現在テロリストの手に落ちている。己の手で敵を肥えさせ、数多くの味方を死に至らしめてきたのだと思うと、神崎はひどく憂鬱な気分になった。
アジャッルの報告の後、神崎はひとり思索に耽っていた。
考えれば考えるほど、胸糞の悪い想像ばかりが浮かんでくる。
とにかく、一刻も早く日本に帰らなければならない。そのためには。
――クズ野郎、落とし前をつけてもらうぞ――
◇
翌日。空港のGSS社指揮所。
『諸君。総司令の神崎だ。皆聞いて欲しい。……とても、プライベートなことだ』
神崎は、静かにマイクに向かって語りかけた。
この国にいる全GSS社々員に向けて、神崎は急ごしらえのオペレーションルームより一斉にメッセージを発信していた。
過去、彼がこのような放送を行ったことはなく、極めて異例な事態だった。短期決戦を決意した彼は、本来人種も国籍もバラバラな全軍の士気を上げるべく、演説が得意な兄に倣って、彼等の情にアピールすることにした。
いかにもお涙頂戴で、神崎本人は心苦しかったが、有能なレイコの勧めもあって実行することにしたのだ。
『婚約者が、今、死の淵にいる。俺はすぐにでも日本に帰りたい』
『だが、諸君を見捨てることは出来ない。だから、』
『今日一日だけでいい。俺に力を貸してくれ』
『その代わり、俺は全力で諸君を勝利に導く』
『頼む。皆の力で、俺を彼女の元に帰してやって欲しい』
切々と、目薬の涙まで流して語った神崎は、大きく息を吸い込み最後の仕上げをした。
――彼は、マイクに向かって叫んだ。
『諸君の命、ギャラ三倍で貸してくれ! 以上だ!』
オペレーションルーム内には拍手が起こり、基地中から歓声が沸き起こった。
出動済みのあちこちの車両からも、無線で奇声が上がっていた。
「よし、つかみはOKだな」
演説を終え、満足げな顔の神崎が言った。
「みんな、ギャラ三倍のとこだけ過剰反応してない?」
レイコが微妙な顔をしている。
「いいじゃぁねえか。大義名分ってのはな、あった方が盛り上がるんだよ!」
グレッグは、小さな星条旗と日の丸の旗を両手で振ってはしゃいでいる。
「みんな俺のポケットマネーだけどね。あ、支払いはこれで決済よろしく」
神崎青年は、内ポケットから、チタン製のカードを取り出し、レイコの机の上にパチリと置いた。
「そうそう、レイコさん、帰りの足の手配、出来てる?」
「既に発送済みですよ、神崎司令」
レイコは涼しげな笑顔で答えた。
◇
神崎の演説中、オペレーションルームでは既に作戦の準備が進められていた。イケメンゲルマン集団の丁稚ーズも、オペレーターとして席についている。本来の彼等の仕事はこのような通信管制や情報のモニタリングなのだ。決して伝票整理や神崎のお守りなどではない。
この作戦は完全に国軍の指揮を無視しての軍事行動なため、最小限の動きで、かつ全力を挙げて速やかに反政府ゲリラを排除し、首謀者を確保せねばならない。現在実権を握っている大統領の甥は逃亡している。
これまでのように、攻め込まれる度に対処療法的に応戦していては、いずれすり潰されてしまう。大統領の帰国が絶望的ないま、元から絶たなければならないのだ。
演説が終わった神崎は、オペレーションルームの片隅に置かれていた大きな金属ケースをずるずると引き摺って、机の上に載せた。
ケースには、『電子戦用超高速並列分散型衛星制御卓』と書かれている。
彼はケースのロックをバチンバチン、と外し、何かの操作パネルのようなものと、コードの繋がったVRゴーグルと操作用グローブを取り出した。
「何だこれ?」グレッグがのぞきに来た。
神崎は陰鬱そうな顔で、「バケモノが使う悪魔の道具だよ」と吐き捨てた。
「んじゃ俺等じゃねえのか?」
「いや、もっと禍々しい奴らさ……」
そう言いながら、パネルを組み立てて、あちこちにケーブルを接続させ、グローブを嵌めて、ゴーグルを頭に乗せた。
「神崎司令、全軍の配置完了しました」
オペレーターの一人がイスをクルリと回して報告した。
「了解っと、じゃ始めますか」
すう、と息を吸い込む神崎。そして高らかに宣言した。
「現時点より、オペレーション・チャリオットを開始する!」
一斉に、
オペレーション・チャリオットでは、軍事サイボーク用衛星指揮管制システムで広域支援AIを各部隊に紐づけ、全軍を同時に指揮することで一つの生物のように動かして敵をせん滅する。個々に部隊を動かすよりも格段の効果があることは言うまでもない。その指揮用端末が、GBI社が開発した、小型量子コンピューターを内蔵する電子戦用超高速並列分散型衛星制御卓である。
神崎は、自らが悪魔の道具と呼んだ制御卓を前に、どっかと椅子に座った。指と首をコキコキと鳴らし、丸めたハンカチを咥えると、右手でケーブルに繋がった太く長い金属製の針を首の後に突き立て、ズブズブと差し込み始めた。
彼が先日、旅客機の中で使ったものよりもさらに太く、らせん状に溝が切られており、禍々しい。
「ぐうううううううぅっっおおおおおおおおおおうううううううう――――ッ」
彼はくぐもった悲鳴を上げ、軍事サイボーグ用接続端子を延髄にねじ込んでいった。オペレーションルームの中にいた全員が、そのおぞましい光景に凍り付いている。中には嘔吐するものまでいた。針を差し込み終えると、神崎はしばらく苦しそうに肩で息をし、ゴーグルを下げた。
「だ、大丈夫か」
グレッグが不安そうに声をかける。
「一体何なんだこれは……」
「……兄貴が飼ってる薄気味悪い軍事サイボーグの使う道具、ウチの衛星とリンクして、一人で同時に百の部隊を指揮できるオペレーションマシンだよ。これを使って俺は小隊単位で指揮するんだ。ゲームみたいで楽しそうだろ。俺はシミュレーションはあまりプレイしないがな」
痛みに耐え、肩で息をしながら、ペットボトルの水をぐい、と飲み干す。
「……狂ってやがる……」
グレッグは吐き捨てるように言うと、神崎の襟元に零れた血を拭ってやった。
神崎は、頚椎内での接続端子の有機接続を確認すると、激しいバーチャル酔いに耐えながら、本社サーバーや軍事衛星への接続シークエンスを開始した。
ゴーグル内の視界には、専用サーバーへのログイン画面が表示されていた。
彼は仮想空間のキーボードを叩き、IDを入力した。
市販のノートパソコンではなく、本物の軍事用制御卓では、もはや物理キーボードを使用する必要はないのだ。
【コンダクター:
それは神崎の二つ名、ゼウスが娘アテナに授けたと言われる、最強の盾のことだ。本作戦の最高指揮官はコールサイン:AEGISで登録された。
サーバーへのログインが完了し、GSS社の所有する十基の軍事衛星とのリンクが開始された。視界には次々と衛星と本社サーバーから送られてくる膨大な情報が展開していった。一部の情報はオペレーションルームのモニターにも表示されている。
車両を始め、小隊の一人一人が装備する武装、リアルタイムの地形・気象情報、敵部隊の配置等々、一人の人間が扱う量を遙かに凌駕した情報が、無遠慮に流れてくる。
(よし……状況はわかった。たのむぞ、AIのみんな)
神崎は並列処理用のAIを起動させ、次々と方面ごとに紐づけしていく。百のAIたちは、いわば神崎のクローン、手足となって働く部下たちだ。「超高速並列分散型」と名にあるのは、このAIたちがあってこそだった。大まかな指揮は神崎が、衛星や指揮所からの情報によって細かい指揮はAIたちが自律的に行う仕組みだ。
「AEGISより通達。AI各員に小隊指揮を移行」
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《AI:01 指揮支援開始:東方面第一小隊オンライン》
《AI:02 指揮支援開始:東方面第二小隊オンライン》
《AI:03 指揮支援開始:東方面第三小隊オンライン》
《AI:04 指揮支援開始:東方面第四小隊オンライン》
《AI:05 指揮支援開始:東方面第五小隊オンライン》
《AI:06 指揮支援開始:東方面攻撃車両部隊オンライン》
《AI:07 指揮支援開始:東方面補給部隊オンライン》
《AI:08 指揮支援開始:南東方面第一小隊オンライン》
《AI:09 指揮支援開始:南東方面第二小隊オンライン》
《AI:10 指揮支援開始:南東方面第三小隊オンライン》
《AI:11 指揮支援開始:南東方面第四小隊オンライン》
《AI:12 指揮支援開始:南東方面第五小隊オンライン》
《AI:13 指揮支援開始:南東方面攻撃車両部隊オンライン》
《AI:14 指揮支援開始:南東方面補給部隊オンライン》
《AI:15 指揮支援開始:南東方面輸送部隊オンライン》
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《AI:65 指揮支援開始:山岳十九地区方面小隊オンライン》
《AI:66 指揮支援開始:山岳二十地区方面小隊オンライン》
《AI:67 指揮支援開始:山岳二十一地区方面小隊オンライン》
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《AI:95 指揮支援開始:北部第一鉱山方面第一小隊オンライン》
《AI:96 指揮支援開始:北部第一鉱山方面第二小隊オンライン》
《AI:97 指揮支援開始:北西部発電所方面第一小隊オンライン》
《AI:98 指揮支援開始:北西部発電所方面第二小隊オンライン》
《AI:99 指揮支援開始:北西部発電所方面第三小隊オンライン》
《AI:100 指揮支援開始:本部ヘリ輸送部隊オンライン》
►《AI:全小隊アイハブコントロール》
「AEGISより全軍各員に通達、AI音声指揮と位置情報に従い、敵を撃滅せよ」
「AEGISよりAI各員に通達。これより指揮を開始する」
►《AI:アイコピー》
「レイコさん、カウントダウン開始!」
「了解です」
彼の使う、この制御卓の使用限界は六十分だ。
神崎は、国内に展開した百近くに及ぶGSS社の全小隊とリンクし、索敵データを送りながらリアルタイムで作戦指揮を開始した。
眼前の暗がりに浮かぶ地図上に、敵部隊と自軍の位置が光点で表示されている。
元々散発的な攻撃ばかり繰り返していたテロリスト共に、統制の取れた行動は望むべくもない。不意打ちや騙し討ちで、自分たちや国軍を翻弄してきただけだ。
一方、最新鋭の武器を携え、兵士一人一人に至るまで全ての部隊が有機的に結合し、的確に行動している、ハイテク部隊のGSS社武装警備員たちとでは、格が違いすぎる。
数さえまとまれば、敵を国外に追い返すことも不可能ではない。
神崎は、その『数』が揃うのを、ずっと待っていたのだ。
日々、不利な状況に翻弄されながら。
――――今度は、彼のターンなのだ。
空を叩き、払って、爪弾いていく。
これほどの数の小隊を一人で制御する様は、まさにオーケストラを前にした
高速処理された情報をリアルタイムで共有するGSS社の部隊は、衛星軌道上からのバックアップを受けながら相互に補完しつつ確実に敵を殲滅していった。
神の目を持ち有機的に絡み合って動いていく彼等に死角はなく、少ない人員数ながら何倍ものポテンシャルを発揮し敵を蹴散らしている。
「あと……十五分……」
神崎の顔に汗が浮かび、鼻血が流れ始めた。
唇を噛みしめながら、残された時間を数百倍にも駆使して情報を送り続けている。体への負荷が益々大きくなり、呼吸が浅くなっていった。
「ごふっ……ぐうっ」
ふいに、操作パネルの上に、大量の血を吐き出した。神崎はグラブの甲で口元を拭い、また吐きを繰り返しながら、ひたすら操作を続けた。
PCに接続して使用する簡易型と比べ、本物の制御卓は更に数倍の負荷がかかる。彼にとって非常に危険なシステムだった。
時間を越えて使えば、待っているのは精神崩壊だ。
「あ……あと、十分…………」
敵の拠点を数カ所壊滅させ、国境線から大きく後退させた。
手の空いた部隊を敵の多い地域へ、次から次へと投入していく。
そして、安全が確保された所から、各方面へ補給物資の輸送も開始した。
複数の衛星とリンクした、神崎の操る軍の圧倒的火力と寸分違わぬ正確な攻撃に、敵は瞬く間になし崩しになっていった。
見た目だけなら、細かいグラフィックのストラテジーゲームだ。
しかし、そこで動いているコマは、本物の人間、車両、部隊だ。光点が消えれば、命が消えたのと同じ。仮想空間にありながら、全てはリアルなのだ。
こんなリアリティのない戦争などに、何の意味があるのか。
造り物の兵士があらゆるものを破壊する世界。それこそ、全てが茶番になってしまうじゃないか。だから神崎は、兄の進める軍事サイボーグのプロジェクトが不愉快でたまらないのだ。
(くそ……目が……霞んできやがった…………)
遠のきそうな意識を戻すため、彼は腰のナイフを抜き、太股に突き立てた。
「ぐああぁっ、……くくく、くく……」
猛烈なスピードで、残り時間を示すカウンターが回る。
神崎は自分の精神と引き替えに、更に部隊への指示スピードを加速させていく。
敵部隊への打撃は十分効果があったものの、肝心の敵首謀者がいまだ発見出来ていない。このままでは最悪、詰みになってしまう。
「AEGISより全軍各員に通達:衛星による自動支援は残り五分で終了する。AI支援は司令部オペレーターに移管。その後は各自の能力に委ねる」
神崎は指揮を執りながら、衛星画像で裏切り者たちを探していた。
「あ! 見つけたぞ……あのクソ野郎め!」
彼は、最後の最後に敵本拠地を見つけ出した。
周辺の詳細情報を取得、逃走中の大統領の甥を発見、拘束のための部隊を差し向けようとしたが、手空きの部隊は一つもなかったところで、タイムアップとなった。
「クソッタレェェ――――――ッ!」
神崎は叫び、制御卓を叩いた。
制御卓の天板に零れた鮮血が、両の拳で弾かれて周囲に飛び散った。
神崎のシャツも赤い飛沫を浴び、ゴーグルや頬には血で描いた筋が幾重も流れていた。
神崎は、血飛沫を撒き散らしながら、一斉に衛星リンクをシャットダウンし、ログアウトを開始した。
◇
全てが終わり、数分ほど放心状態になっていた神崎が、我にかえりゴーグルを外すと、目の前と足元が血の海となっていた。
未だ精神へのダメージが回復していないせいか、意識が混濁している。
自分の衣服も、あちこち毒々しい飛沫模様が描かれ、操作パネルも真っ赤に染まり所々血糊が乾き始めていた。
彼はグラブを外し、目を閉じて大きく息を吸い込んだ。
「うう……ぐああああああああッ」
彼は首を引きちぎられるような痛みに、悲鳴をあげた。
意を決して首の後の端子をひと思いに引き抜くと、鋭く尖った端子を投げ捨てた。針に纏わり付いた己の神経を引きちぎったのだから、ただ抜くより何倍もの激痛が走る。痛みは激しいが、おかげで混濁していた意識が少しハッキリしてきた。
べったりと赤黒い液体を纏った端子は、高い金属音を響かせながら床に落ち、端子に繋がっている血糊だらけのケーブルが、手負いのヘビが這い回ったような跡を床の上に幾重も描いていた。
すでに痛みすら感じていなかった、太股に突き立てられたままのナイフも引き抜かれ、甲高い金属音をたてて床にうち捨てられた。
意識がはっきりしてきたためか、痛みが強くなってきた。
恐らく、鈍化していた感覚が戻ってきたのだろう。
「大丈夫か?」グレッグが心配そうに声をかけた。
「ああ、生きてる……まだ作戦中だ。そっちを心配しててくれ、グレッグ」
「わ、分かった」
と言ってグレッグはオペレーター席へと去っていった。
「奴等を……奴等を捕えなければ」うわごとのように呟く。
椅子の上で神崎がぐったりしていると、レイコが黙って首筋と太股の処置を始めた。
「すまん、レイコさん。急いでるんだ……適当でいいよ」
「そうですか……」
レイコに簡単な処置を受けた後、神崎はおぼつかない足取りで部屋を出ていった。
「すまん……後片付け、よろしくな……」
――奴等を逃せば、俺達全員が賊軍になってしまう!!