「うん、そう、無事転院済んだんだね、麗。良かった……」
『ここはすごく眺めのいいとこだね、有人さん。海が見える』
「空気もいいし、今度俺が日本に帰ったら、一緒に砂浜を散歩しようね」
『うん。早く帰ってきて……』
「ごめん、用事出来ちゃった。またかける」
『あ、』プツ。
A国の空港敷地内に設置されたGSS社本部指揮所脇のテントの影で、麗と電話をしていた神崎は、人の気配を感じて通話を切った。麗が何かを言いかけていたのが気になったが、後で聞いておけばいいだろう。
総司令官たる神崎は、どこにいても衆人環視の中にいる。周囲はうっとおしいほど人だらけだ。これでは昼寝はおろか、ラブコールですらまともに出来ない。しかし現状はあくまでも非常時、この危機的状況を立て直すまでは……。
休暇前の気楽な生活が、麗との安らかな日々が、とても遠くに感じる。百五十年求め続けたものが目の前にあるのに、時間潰しのための仕事が、身分が、自分を縛る。
神崎はぎり……と歯噛みをした。
自分は総司令官なのだから仕方がない。
神崎怜央の弟だから仕方がない。
社員のためだから仕方がない。
会社のためだから(以下略)。
と思えば思うほど、今度は自分のメンタルが危機的状況になりそうだ。ただでさえ吉岡の件で相当なダメージを負っている。自分がこれでは、本当に誰も救えなくなってしまう。
(ごめん……これ以上君の事を考えていたら、仕事にならないや……)
神崎は、麗への想いを追い払うように、頭を振って指揮所司令室に戻った。
◇
前日から、国境周辺での攻撃が活発化しており、現状では消耗戦の様相を呈している。せめて、今あるだけの戦力でもいいから国軍が出してくれれば、と誰もが呪わずにはいられなかった。
A国の国防大臣に対して、神崎は何度も支援要請をしているのに、国軍を動かす気は全くないようだ。
お前達がどうにかしろ、治安維持を委託する契約をしたろう、の一点張りで聞く耳を持たない。恐らく彼も大統領の甥御同様に、PMCなど捨て駒にしか思っていないのだろう。明確にGSS社とグループ企業だけを狙い撃ちにした攻撃ゆえか、国民が多少巻き込まれても介さぬと政府は態度で示している。
当の大統領は外遊先で足止めされており、暴走中の政府関係者を止める術がない。全てが終わってから帰国するか、このまま出先で消されるかの二択だ。
邦人が大量虐殺されてるにも関わらず、日本政府は専用機を派遣するなどの援助もなく、全く手を貸してくれる気配すらない。
元々日本政府がクチバシを突っ込んだ国なのに、その事実すら表沙汰にしたくはないというか。日本政府のために犠牲になっている日本人技術者がこんなにいるのに。連中には同胞を救いたい、という気持ちそのものが欠落している。
『そうこれは……クーデターだろうな』
ある程度の情報が揃えば、神崎がそう結論づけることは容易かったが、A国内の施設を死守せよとの厳命が神崎玲央から発令されている。GSSの社員たちは逃げることも叶わない。
この攻撃は、現職大統領の私兵たるPMCを駆除して国を乗っ取ろう、ということなのだろう。となれば次の問題はどこがバックについているか、だ。
だからか。日本政府が我関せずと名乗りを上げないのは。
巻き込まれたくないと。
だが、それはあまりにも卑怯ではないのか。
どうしてこうも人間は――。
同じ基地で暮らす国軍の兵士たちから、傷つき死にゆくGSS社員を同情する声が少なくなかったものの、新体制下では出撃はおろか医療活動の許可すら出されることはない。負傷者が出れば、それだけ戦力も削がれる。ジリ貧なことは間違いない。
「司令、何をなさっているんですか!」
救護テントの中で負傷者の応急処置を行っている神崎を、副官のレイコが咎める。赴任先によっては外科医として送り込まれることもある神崎は、医科大学に通いはしなかったが兄から教わった外科医療技術があった。
「見りゃ分かるだろ。医者が足りてねぇんだ」
「だからって、貴方が倒れたら元の木阿弥なんですよ。それ終わったら休んでもらいますからね」
「チッ……」
医療スタッフが非常に不足しており、現在は本社の系列病院からの志願者を募っている最中だという。
先だって神崎が調達をした武器弾薬は切れ目なく届いてはいる。しかし、それを運用するための人員や車両などが目下不足している。神崎がえらく痛い思いをして旅客機の中から招聘した武装社員が各国からパラパラと集まってはいるが、間引かれた側の部隊にだって都合はある。元々ムリに間引いているのだから、多少時間がかかるのは仕方がない。
神崎は懊悩する。
こんな稼業だから、誰もが不本意な事も理不尽な事も、覚悟の上で契約し、仕事をしている。だが、今回の事態は、契約よりも会社の都合が優先されている。一応、帰りたい者を募りはしたが、誰一人として立ち去る者はいなかった。皆、文句も言わず神崎の指示に従っている。それが彼にとっては心苦しかった。
『すり潰されてたまるか』
◇
「神崎司令、みんながんばってはいるのですが、さすがに内部的な不満が噴出しています。このままでは士気が維持出来ません。なんとか国軍の支援は得られないのでしょうか」
「アタマ抑えられてんだからムダだよ。大統領でも帰国しないことには」
現在、神崎の有能な副官として仕事をこなしている、玲央の秘書レイコが報告にやってきた。彼女もまた、神崎兄弟と同じく永久の時を生きる女である。
神崎はといえば、脳が煮えすぎて最早ヤケクソ状態で仕事をしている。いつ寝ているのかすら誰も分からない。
「つっても残るって言ってくれた連中でしょう? みんな会社のために頑張ってくれてると思ってたんだが」
「お金のために決まってるじゃないですか」
「マジで?」
「マジです」きっぱりとレイコは言った。「分かってて言わないでください。というか少しは寝たんですか?」
神崎は目の下のクマを隠そうともしない。
「へっ。んなことより、そんなにギャラ良かったっけ?」
「会長のメンツもかかっていますから割り増しされてますよ」
「そらそうだよな……会社の都合に付き合ってもらってんだからな。創業者一族としては、ひどく申し訳ないと思ってるんだよ」
しばし思案をする。――これしかないか。
「よし、単純な方法だが……向こう一ヶ月間、ギャラの五十%アップを周知しろ。支払いはこれで」
神崎は黒い金属のクレジットカードを差し出した。
「了解しました」
――これで多少はがんばってくれるといいのだが。
こちらとて、ムダ死にさせたいと思っているわけじゃないんだ。
でも、もう少しだけ……。
◇
神崎がポケットマネーで雇用環境の改善を要求するストライキを未然に防いだ翌日、指揮所のある空港では、支社の輸送機やチャーターした民間機がピストン輸送を行っていた。
諸国から募った補充要員や物資を降ろし、避難する非武装社員と
「守れなくて済まない……」
神崎は指令室を出て、滑走路に目をやる。
輸送機に積み込まれていく遺体の山に、敬礼をした。
やがて輸送機が護衛の戦闘機を伴って飛び立っていく。この最新鋭ステルス戦闘機も国軍のものではなく、GSS社の持ち出しだった。まったくもって理不尽にもほどがある。
兄が商売度外視で請け負っているのは一体何故なのだろう、と神崎は不思議に思っていたが、あるいは宮殿を護るため……だったりはしないだろうな、と。
いやそんなことは。
◇
二日経って、ようやくまとまった増援と追加の車両が到着した。目下指揮所周辺には、次々と増援部隊を収容するためのテントが建てられている。
増援の連中は皆、会社の一大事と聞いて最初からかなり気合いが入っていた。誰もが神崎と共に戦ったことのある、歴戦の勇士揃いだ。
急ごしらえのかきあつめ部隊だったが、今回の作戦で指揮を執るのが神崎だと聞いて喜び勇んでやってきたのだ。「祭の前夜」のように増援部隊は皆一様にテンションが高かった。
だが逆に、神崎自身のテンションは激しく下降、心身ともに疲弊していた。
「レイコ、ちょっと休ませてもらうよ……」
「はい。お疲れ様です、神崎司令」
司令室のモニターに二十時間ほども貼り付いていた神崎は、やっと到着した増援第一団の配置作業を終え、軽い頭痛を感じながら自室に逃げ込んだ。
全ての作業を自分一人で行うのは負担が大きかったが、非常にシビアでタイトな状況ゆえに、他人にこの組木細工のような緻密な作業を手伝わせることが出来なかったのだ。
強いストレスに苛まされていた彼は、自室のベッドに倒れ込むと深い眠りについた。
――ふと、携帯の着信音で目が覚めた。
手を伸ばして取ろうとして、もう少しで届くところで切れてしまった。
携帯の時間を見ると、部屋に来てから数時間が経過していた。
「ん……。麗かな……」
ねぼけまなこで着信履歴を見てみる。
――え……?
――履歴が……二百回を超えてる……?
神崎はここ数日、携帯を自室の充電器に差しっぱなしにしていたのだ。麗への連絡も外では他人の目もあるので、自室で電話をしようと思っていたのだが、いつも疲れ果ててベッドに倒れ込むと即寝てしまう。それの繰り返しだった。
早速、こわごわ麗の携帯に電話をかけてみると、ワンコールで繋がった。
「あ、麗? ごめん……ずっとかけられなくて」
『神崎さん、麗の母親です。よかった、やっと連絡取れて……』
「え、お母さんですか? ……あの、何かあったんですか?」
塩野義夫人の悲壮な声が、良からぬ事態を予感させた。
『麗の容態が、急変したんです……』
――なん……だって?
母親の話によれば、一昨日、麗の容態が悪化して、現在ICUで治療を受けている。これ以上状況が悪化した場合を考え、手術の用意もしているらしい。
転院させたことで、神崎はすっかり油断していた。麗はもう大丈夫なのだと。転院直後の精密検査では、急変するような兆候も見られなかったからだ。麗のために急ぎ日本に帰りたいが、全く身動きが取れない状態に神崎は歯噛みした。
母親との電話を切った後、メールの着信を調べてみた。
ずらりと並んだ未読のメール。
日に日に、呪詛の言葉に変わっていく件名――。
「俺は……なんてことをしてしまったんだ……」
忙しさにかまけて、麗をほったらかしにしていたことを激しく後悔した。彼はしばらくベッドの上で嗚咽を漏らしていたが、気を取り直して、麗からのメールを一件一件開いていった。
そこには、日に日に心細さが募っていく様が、生々しく綴られていた。
『麗からの返信』
===== ===== ===== =====
To Kanzaki From Urara
Subjekt ひどいよ
――――――――――――――――――
本当に私の病気は、新しい病院で治るのかな……
もしかしたら、このまま会えずに死んじゃうのかな……
新しい病院に来たのに、どんどん胸が苦しくなっていくよ……
私はあなたに見捨てられたのかな……
置いてくなんてひどいよ……
――――――――――――――――――
To Kanzaki From Urara
Subjekt どうして?
――――――――――――――――――
どうして貴方はいないの? どうして私のそばにいないの?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうし て?どうして?どうして?どう して?どうして? ど うして?どうして?どうして?どうして?ど うして?どうして?どうし て?どうして?どうして?どうして ?どうして?ど うして?どうして?どう して?
――――――――――――――――――
To Kanzaki From Urara
Subjekt 無題
――――――――――――――――――
助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて
===== ===== ===== =====
最後のメールを開いた途端、神崎は短い悲鳴をあげて携帯を床に落としてしまった。液晶画面いっぱいに、麗からのSOS、いや呪詛の声が綴られていたのだ。
希望を与えた分だけ、麗の心の闇もまた濃くなり、それが体をも蝕んでしまった。きっとそうだ、そうにちがいない。彼女が倒れたのは、自分のせいだ。
神崎は、ボロボロだった。
やり場のない無力感が体の中で暴れ回り、彼の心をズタズタに引き裂いていく。
どれだけ修羅場をくぐろうと、どれほど長く生きようと、そんなことは関係なかった。恋人が己のために苦しんでいる、その現実は、いとも容易く彼の心を打ち砕いた。
このまま彼女が死んでしまったら、自分を許せない――――。
何もかもが裏目に出てしまった――。
そして、こんな状況に追い込んだ兄を心底憎んだ。
◇
麗からのメールで魂の抜けた神崎は、ふらふらと部屋を出た。虚ろな目で、廊下の窓から外を見ると、うっすらと夜が明けかかっていた。
寝起きの神崎は、上半身Tシャツ一枚で少し肌寒かった。外は、たまに偵察の車が出入りする程度で、航空機の発着もなく静かだった。
途中彼は廊下で二人ほどの社員とすれ違った。挨拶をされたような気はしたが、どろりとした思考で「えっと……」と思っているうちに、相手は通り過ぎていった。
神崎はそのまま夢遊病患者のように、おぼつかない足取りで司令室にやって来た。ドアを開けると、一斉に彼に視線が集まり挨拶が飛んで来た。室内にはレイコとグレッグ、そして数人のオペレーターがいるのみ。OA機器や人の体温で内部は生暖かかった。
「グレッグ。俺、日本帰りたい。……どうしたらいい?」
神崎は俯いたまま、ハンバーガーをむさぼり食っているグレッグに訊ねた。
「まるでゾンビのようだな。何があったんだ?」
グレッグは破顔して、彼の頭をごしゃごしゃとなでてやった。そして、筋肉だらけの腕で、彼をぎゅっと抱き締めた。彼が落ち込むと、こうして慰めてやるのが倣いだった。どうしても淋しさに耐えられなくなる夜が、神崎には時折あったからだ。
「ボーイ、また落ち込んでるのか? 仕方ない奴だな。パパが慰めてやる」
「……いつものとは、違うんだ。淋しいからじゃない。ホントに、死にそうなんだ」
「どういうことだ?」
グレッグは彼を腕の中から解放すると、肩を掴んで顔を覗き込んだ。
「………………彼女が、死にそうなんだ。俺のせいで」
神崎は視線を床に落とし、ぽつぽつと事情を説明しはじめた。
レイコの淹れた珈琲で少し落ち着いた彼は、自分がひどく取り乱していたことを恥じていた。過去何度か彼の副官を務めたことのあるレイコも、ここまで落ち込んでいる彼を見るのは初めてで、相当なショックだったのだろう、と思った。
無論レイコもグレッグ同様、「神崎を慰める係」を担当した経験がある。
「見つかったんですか、白猫さん」
レイコが驚いている。絶望的だと思っていたからだ。
「ああ……なのに、こんな事になるなんて……」
マグカップを両手で包み、沈痛な面持ちで神崎は答えた。
「カンタンだろ? ちょっかい出してる連中を蹴散らして、首謀者とっ捕まえればいい」グレッグは食いかけのハンバーガーを食べながら言った。
「カンタンなわけあるか。毎日必死でやりくりしてるというのに。この脳筋め」
「憎まれ口を叩けるくらいには立ち直ったかい? ボーイ」
「おかげさんで」
と言って、神崎は鼻で笑ってみせた。
――ん?
神崎は何かに気が付いた。
焦りのために気付けなかった事だ。
彼はマグカップをレイコに渡し、自分のデスクの上の書類を手に取り、食い入るように見た。
それは前日と今日の荷物・人員の目録だった。
「ふーーむ…………」
神崎はしばらく思案した。
何かを思いついたのか、急に彼の顔に生気がもどって来た。
「……なるほどね」
「蹴散らしたら、帰ってもいいかな?」
「いいんじゃねぇか? また虫が沸いたら帰ってくりゃいいだろ。それまでは、俺らが面倒を見る」
グレッグはハンバーガーの包みを取り、「食うか?」と神崎に差し出した。
「いや結構」
とハンバーガーのお裾分けを丁重に断ると、
「レイコさん、増援第二陣は?」
「間もなく到着です」
「よし……、今すぐ蹴散らしてやる……」
神崎の顔は、知将のそれに戻っていた。