A国 翌日 空港
「誰だ! 一昨日GC社の要人行った奴! 出てこ――――い!」
神崎は日本から帰還早々、ドーハから乗って来た中東支社の輸送機から飛び出すと、そのまま空港内にあるGSS社の詰所に駆け込んで、ところ構わず怒鳴り散らしていた。
数日前の夜の襲撃で人が出払っているせいか、あまりに担当者が現れないので神崎は、仕方無く勤務表を見に本部指揮所に行く。
彼は部屋のドアを乱暴に蹴り開け、ドカドカと室内に入っていった。
「何だ、有人、やかましいぞ」
廊下での騒ぎを聞いていた警備責任者のグレッグ隊長が文句を言っている。それを無視して、神崎は指揮所のパソコンを勝手に操作して配置表を見ている。室内にいた他の社員は、部屋の隅で小さく固まって震えていた。
「おい有人、殺すなよ。わかってんだろ? ただでさえ今人手が足りないんだからな!」グレッグが吠える。
何かを見つけたのか、神崎は無言で、ドカドカ靴音を立てながら部屋を出て行った。時折遠くでギャッと、短い悲鳴が響いている。彼にぶつかった不幸な社員が蹴り飛ばされた際の声だろう。
「ったく、一体何があったんだ?」
ランニングシャツ一枚に作業ズボンという出で立ちのグレッグが、通信係のレイコに訊ねた。
「ああ……、会長の飲み友達でGCの吉岡というプロジェクトリーダーが先日の襲撃で亡くなったんですよ。こちらで有人さんと一緒に仕事していたんですが……仲良くなったばかりでこんなことに」
「それは、切ねえな」
建物の外に出た神崎は早速、トラックの積み込み作業員の中に、吉岡と同行していた社員を一人発見した。当時、同行したのは四人だったが、生きて帰れたのは二人だけだった。
「おい……数日前に、何があった」
神崎はその男に背後から接近し、腕を後ろ手にねじり上げて捕獲し低い声で訊ねた。頭に包帯をぐるぐる巻きにしていたその男=ジェイクは、グェっと小さく悲鳴を上げて苦悶の表情を浮かべた。彼は油断しており、いとも簡単に神崎に捕獲された。
「ほ、宝石の鉱山で奇襲部隊に出くわして――」
ジェイクに当時の詳細な情報を聞いて、やっぱり、という気持ちと、現状の混乱を引き起こした張本人への激しい怒りが沸いてきた。
――これがせめて、身代金目当ての誘拐だったなら……。
営利誘拐だったなら、きっと助けられたに違いない。しかし、実際には、宝石の鉱山を丸ごと奪いに来た山賊たちに皆殺しにされたのだ。
いずれこういう事になるだろうと思った神崎が、出がけにきっちりと監視計画を強化しておいたのに、夜陰に紛れた敵に襲撃されたのだ。一体誰が、我々の計画をかき回したのか。
「どうして死なせた?」
感情を廃した低い声で、神崎は訊ねた。
ねじり上げていたジェイクの腕を放し、彼の顎を蹴り上げた。ジェイクの大きな体が宙を舞い、そして土埃を巻き上げて地面に叩きつけられた。
「か、数が、数が多かったんだ、ものすごい数だったんだ……」
ジェイクは怯え切った顔で言い訳を始めた。
「何故お前は生きている?」
神崎はジェイクの胸ぐらを掴んで起こすと、二十発ほど殴る蹴るを続けた。ジェイクがどんなに悲鳴を上げても手を緩めず、神崎の白い顔とワイシャツの胸元と袖口には、大量の返り血がこびりついていた。周囲で見ていた社員は、巻き添えが恐ろしくて誰も止められなかった。
「何故お前は生きている?」
足元に無残に転がったジェイクを踏みつけ、神崎は再度訊ねた。しかし、その時にはもうジェイクは意識を失っていた。
「ち……、もう終わりか……」
そう言って、残りのもう一人を探そうと、ふらりと歩き出した。
次の瞬間、『パキン』と甲高い音が響き、神崎の体が横様に吹き飛んだ。
「おーい、そいつ拾ってこっち連れてこいやー」
指揮所の窓から、グレッグの怒鳴り声が駐車場に飛んで来た。
「ったく、あれじゃジェイクが使い物にならんじゃないか」
指揮所の窓際でグレッグが文句を垂れていた。そして、「よっこらしょ」と、窓から突き出した対物ライフルを持ち上げた。
神崎が目を覚ましたのは、グレッグに撃たれてから、約三時間後だった。指揮所の床の上に、ダンボールを敷いて、その上に寝かされていたようだ。上半身は剥かれて胴体には雑に包帯が巻かれていた。
「いつつ……」体を起こすと、横っ腹がしくしくと痛んだ。
貫通はしていないものの、出血を伴う程度の傷は負っていた。だが寝ている間にほとんど修復しているのは人外ゆえ。
「おう、目覚めたか、有人」神崎の声に気づいたグレッグが、事務椅子をクルリと回して床に座り込んでいる彼を見下ろした。
「……」自分を見下ろしている脳筋の筋肉ダルマ野郎に、無言で恨めしげな視線を送り返す。
「何か言いたそうだな」
「毎回毎回、対物ライフルでドつくの、やめてくれないか? いくら俺でも、けっこう痛いんだよ? せめて、スラッグ弾くらいにしといてくれよ……」ダンボールの上であぐらをかき、腹の包帯を外し始めた。
「じゃあ所構わず暴れまわってる貴様を、どうやって止めろっていうんだ?」
「それは…………」痛い所を突かれ、包帯を外す手が止まる。
「あれが一番手っ取り早くて楽なんだよ。撃たれたくなければ、いちいち暴れるな」
「はい……すいません…………」
グレッグに叱られて、ぐったりとうな垂れる。
神崎は、頭に血が昇ると歯止めが効かなくなることは自分でも重々承知している。そのため極力怒りに振り回されないように普段から気をつけている。
しかし、一旦怒りが発動してしまうと、なかなか止められなくて、正気に戻った後で自分のやらかした残骸を目の当たりにして、ひどく落ち込む。
そんなことを、何度も繰り返してきた。これはきっと、自分の忌々しい『戦神』の血のせいなんだろう、と漠然と思っている。好きで戦神の家に生まれたわけじゃないのに、と。
「そうそう、お兄ちゃんから直々に辞令が来てんぞ」
「もう受け取ってる」ふっと顔を上げてグレッグを見た。
「そうか。――じゃあ、今日からお前が、ここの総司令官だ」と、おそらく親会社からの辞令とみられるファックス用紙を、神崎の前でピラピラと振ってみせた。
「会長殿は『弊社の施設を全力で死守せよ』と仰せだ。……おうおうキッツイねぇ。これが、日本名物の『社畜』ってヤツか?」
グレッグはガハハハハ、と下品に笑った。
(俺を日本に帰さない気か、クソッタレめ……)
「ちょっと安置所行ってくる……」
「おう」軽く手を上げて、グレッグは机に向き直って、再び書類と格闘し始めた。
神崎はシャツと上着を着ると、ゆらりと立ち上がり部屋を出て行った。
空港の指揮所脇に、テントで死体安置所が作られていた。先日の鉱山襲撃以来、日に日に死体が増えている。いずれも、GSS社の傭兵とグループ社員たちだ。
神崎が中を覗くと、遺体を安置している大型テントの中に黒いボディバッグ(納体袋)が整然と並び、遺体を冷やすために仮設のクーラーが設えてあった。ざっと見たところ、三十はあろうか。避難する社員たちと共に中東支社に送られた死体も含めると更に数は増える。
――吉岡さんは、この国のために働いていたのに、この国に殺された
神崎は、やり場のない怒りに、体が震えた。
彼が枯れきった心に水を与えてくれた。……なのに、自分は護ってやることが出来なかった。
女に会いに行っていたからなんて、言い訳にもならない。
どうしようもなく申し訳が立たなくて、どうしようもなく何も出来なかった自分が、どうしようもなくどうしようもなく、本当にどうしようもなく、許せなかった。
神崎は力なく、共同墓地のように整然と並んだボディバッグの名札を、一つ一つ調べていく。
ボディバックの列がそろそろ終わりになろう、というところで、彼を見つけた。遺体の脇には、遺品と思しきスマホとカメラがあった。
神崎は、その場に膝から崩れ落ちた。
「吉岡さん……遅くなって……済みませんでした……」
彼は、遺体の納められた厚いビニールバッグのファスナーを開けた。
そこには、ほぼ五体満足な状態の吉岡が眠っていた。死因は、車が転倒した際に頭部を強打した時の脳挫傷だという。何かの破片が引っ掻いた細かい傷が、彼の顔にいくつもついていた。
吉岡の死に顔に対面し、神崎は嗚咽を漏らした。涙が幾筋も落ち、頬を濡らしていく。
「ごめん……な……さい、俺……何も出来なかった…………」
バッグの中の吉岡の頬を、静かに撫でる。傷を指でなぞり、髪をなでつける。
「だから言ったじゃないですか……『いつもいつも、自分の非力さを呪っています』って……」
ファスナーを全開にし、吉岡の遺体を露わにした。体のあちこちについた傷を、そっと手で撫でていく。少しずつ傷が塞がり、そしてきれいに無くなっていった。
「僕には……もう、こんなことくらいしか、してあげられない……」
『十分だよ。ありがとう』
「よ、吉岡……さん? え、まさか……幽霊?」
吉岡の声がした。
声は頭の中に聞こえ、気配が背後にあった。神崎は急いで振り返った。そこにはぼんやりと浮かんだ吉岡の姿があった。自分がオカルト的な存在のくせに、怪異現象にはほとんど遭遇したことがない彼は、吉岡の幽霊をにわかに信じられなかった。
『傷だらけのままじゃ、娘がびっくりしてしまうからね。綺麗に治してくれて助かるよ』
頭の中に響く吉岡の声は、いつも通りの優しい声だった。
「済みません……でした……護れなくて……」
吉岡は頭を左右に振った。
『貴方が高貴な心の持ち主だった理由が、今やっと分かったよ』
「そんなもの、何の役にも立たなかったじゃないですか……僕は……ぁぁ……」
ぼろぼろと零れた涙が、頬を伝って流れ落ちる。
『神様がそんなに自分を卑下したらダメだよ』
「……僕は、僕はもっと、貴方の造るものが見たかった、もっといろんな話を聞きたかった、もっと一緒に過ごしてみたかった……」
『貴方のような方にそう言ってもらえて、私は光栄だ』
「僕には……そんなことを言われる資格なんてない。僕は……非力で、時代に取り残された、ただの、旧い時代の滅びゆく種族なのだから……」
『最後に、自分の思っていたことが正しかったと、そう確信させてくれた。それだけで、今まで生きてきてよかったと思えたよ。貴方に会えてよかった、ありがとう』
「違う! 僕は――」
『生まれ変わったら、友達になってくださいね……』
言葉は小さくなっって、気配と共にかき消えていった。
「吉岡……さ……ん?」
答えは返って来なかった。
「い……やだ……やだよ……」
頭を小さく左右に何度も振った。
「まだなにも恩返し……出来てないのに」
横たわる吉岡の顔は、満足そうに見えた。安らかな死に顔だった。
神崎の肩は震え、嗚咽は徐々に大きくなっていった。
「うぅぅ……う……ああ、ああああぁぁ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっーーーーーーー………」
彼の声は、最後には絶叫に変わっていた。
神崎は吉岡の遺体にすがり、悲しさと絶望の混じった咆哮を、いつまでも上げていた。
『――俺は、今度は貴方を待っていよう』
そんな自分は、無力な旧き猫、
永久の時間を、絶望する野良猫。