《本社・中東支社に通達》
A国、一昨日の夜間。
テロリストにより、同時多発的に自社複数拠点が奇襲を受け、甚大な被害が発生した。推定される敵の目的は、当社開発拠点、当社関係キャンプ破壊。そして非武装スタッフ・戦闘要員のせん滅。
国軍施設や市街地への攻撃は皆無、国民への被害は最小限である。
「ありたっけ弾持っていけ! 動ける奴はまだいるか!」
未明のGSS社指揮所前でグレッグ隊長の怒号が飛ぶ。
夜襲を受けた拠点から、負傷者が次々と運び込まれ、辺りは阿鼻叫喚となっている。直近の国軍基地に救援を要請するも、出動命令が下りず、負傷者の受け入れも拒否された。近隣病院は国軍が封鎖しており、重傷者の手当もままならず、死を待つだけの社員たちのうめき声がそこここから聞こえる。
指揮所ではグレッグに代わってマイケルが指揮を執っていた。
「ここが落ちたら終わりだ。航空機は中東支社へ一時退避を。ジェイクはパイロットを叩き起こしてくれ」
「了解!」
「アルトさんがこちらに向かっている。それまで持ちこたえなければ――」
スナイパーで、比較的沈着冷静なマイケルでも、ここまでの鉄火場を長時間捌くには無理があった。
◇◇◇
神崎は麗の入院する病院から空港に向かうヘリの中で、現地の状況報告と兄からの勅命を受けとった。
『総指揮を執り、我が社の現地施設を死守せよ』と。
【被害状況報告】
A国 新市街開発予定地にて奇襲を受ける。
非武装社員全員死亡。拠点壊滅。
警護部隊60%損耗。
敵部隊数不明。敵拠点不明。
歩兵と車両。
近隣テロリストの装備ではないロケット砲が使用される。
※GBI社製兵器と推測
A国 鉱山にて奇襲を受ける。
非武装社員18名死亡。拠点半壊。
警護部隊40%損耗。
敵部隊数不明。敵拠点不明。
歩兵約50。車両数不明。
近隣テロリストの装備ではなくロケット砲が使用される。
※GBI社製兵器と推測
A国 発電所建設予定地にて奇襲を受ける。
非武装社員10名死亡。
警護部隊90%損耗。
敵部隊数2。敵拠点不明。
歩兵約30。車両5。
近隣テロリストの装備ではなくナパーム弾が使用される。
※GBI社製兵器と推測
◇
神崎はA国に向かう旅客機でファーストクラスの隅の席に陣取り、ノートパソコンでネットに接続していた。現地のさらに詳しい被害状況を確認するため、機内からNYの本社サーバーにアクセスを開始。
「何がどうしてどうなってんだよ……。訳わかんねぇよ……」
現地の被害状況、発生原因、情報が出れば出るほど神崎は混乱した。
問い合わせのため、神崎は直接、グレッグのいる現場指揮所にメールを送信した。想像したとおりなら、おそらく返信には時間がかかるだろう。
なお、現状で分かった情報は以下の通り。
――国境付近を中心に突如として出現した、未確認武装勢力に攻撃を受けている。被害は日増しに激化しており、社員の被害も甚大である。
A国の資源埋蔵地域の被害が激しく、持ちこたえてはいるが長引けば撤退も考えなければならない。国軍に支援を求めるも動きなく。現在、我が社は孤立無援状態で――。
(最悪だな……。いくらグレッグが脳筋だからといって、ありえない状況だ……)
◇
神崎は関係方面への連絡が一段落したので、恋人に詫びのメールを打った。
『神崎から送信』
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To Urara From Kanzaki
Subjekt ごめんなさい
――――――――――――――――――
このメールを中東に向かう旅客機の中で打っています。
いま、東シナ海の上を飛んでいます。
黙って戻る僕を、どうか許して欲しい。
向こうでは、死者数十人を出す事故が発生しており、
事態の収拾のために、責任者の僕が帰らなくてはならないのです。
別れの挨拶をしなかったのは、
君に引き留められてしまったら、
僕には、その手を振り払うことが出来ない、と思ったから。
どうか、僕のわがままを許して下さい。
===== ===== ===== =====
5分もしないうちに。
「く……。麗から、もう返事が……」
『麗からの返信』
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To Kanzaki From Urara
Subjekt ひどいよ
――――――――――――――――――
どうして「いってらっしゃい」ってひとこと言わせてくれなかったの?
黙って置き去りにするなんて、寂しすぎるよ
あれからずっと、電話もつながらなかったし、
すごく寂しかったんだからね
でも……どうしよう
会う前は、有人さんがいないのを我慢出来たけど、
今はもう、日本にいないんだって思ったら、
気がおかしくなりそうだよ。どうしたらいいんだろう……
たすけて。こういうのって、禁断症状?
===== ===== ===== =====
神崎は手短に返事をした。
『神崎から送信』
===== ===== ===== =====
To Urara From Kanzaki
Subjekt 僕もです
――――――――――――――――――
僕もヘリで帰るあの時、断腸の思いだった。
本当に身を切られるような、とてもつらい気持ちでした。
電話の件はごめんなさい。電話の仕様が違うので、
しばらく繋がらなかったんだと思います。無論今も使えません。
恐らく、この先、ゲームにもしばらくログイン出来ないと思います。
電話も繋がりにくくなるかもしれません。
メールの返事も、なかなか返せなくなると思います。
でも、できるだけ早く君の所に戻れるよう努力するから、
待っていて下さい。ごめんなさい、今はそれしか言えません。
愛しています。僕を信じて。
===== ===== ===== =====
現場とのやりとりの合間に、神崎は麗へメールの返事を送ったが、はっきり言って不安要素しかなかった。
多分、恐れていた事態に発展するだろう……。
甘やかしすぎたツケが回ってくる。
彼女をとても苦しめる結果になる。
どうして、よりによってこんな時に事態が急変するんだ?
まだ彼女には、自分が必要だというのに。
あんな形で無理矢理引き離すことになるなんて……。
皆、自分のせいだ……。
神崎は、自分を激しく責めた。
『しかし、このままじゃ向こうも全部手遅れになるぞ』
それもまた然りだった。たった今も、多くの社員とスタッフたちが敵の攻撃による危険に晒されている。現地に戻ってから対策を講じていたのでは、後手に回ってしまう。状況は想像したよりもかなり悪い。
神崎はまず、いまできることから着手した。
――先方の能なし国防大臣に、ダメ元で至急国軍の出動と増援要請を打電、そして、先んじて補充要員の選別と武器の補給リスト作成。
現状ですぐに動かせる、近隣国に散らばった社員のリストが必要だった彼は。
(少々キツイが、時間が惜しい。――やるか)
緊急時でもなければ絶対やらない裏技を開始した。
神崎は首と指先をパキパキ鳴らし、スーツケースから携帯用VRゴーグルと手袋を取り出した。
手袋はシャツのポケットに詰め、ゴーグルから伸びた二本のケーブルの一方の端子をノートパソコンに接続した。
もう一方のケーブルの先は、太い針か目打ちのような形の金属で出来ており、一見したところ何に使うのか分からない。
「クソッタレ……」
そう呟くと、彼はハンカチを棒状に丸め口に咥えた。
そして――――するどく尖った端子の先端を、自分の延髄に、やや上方へ向けて深々と刺し込んだ。
「ぐぅっ、ぐぐぅ―――――!」
くぐもった呻き声を上げながら激痛にもだえる神崎。空いた手は、シートの端にツメを突き立てて握りしめている。
それ以上、食い込んだツメに力を込めれば、クッション材ごと高級シートをむしり取ってしまいそうだった。
途中、目打ちの先が、ガリっと骨をかすめる感触が、握りしめた手に伝わる。しかし、その感触に不快感を覚える余裕など彼にはなかった。太い針で首筋から頭部にかけて貫いているのだから。
ダイレクトに脊椎に打ち込まれた金属の目打ちは、通常の人間であれば神経を損傷して麻痺状態にするか、最悪死に至らしめる。だが人ならぬ彼の体の中では、微弱な電気信号を発する目打ちの周囲を神経が這い回り、密着し、擬似的な電子接続が始まっていた。
彼は体を強ばらせ、痛みに耐え、肩で息をしていた。そして痛みがやわらいでくると、歯形がつくほど強く咥えていたハンカチを吐き出し、大きく息を吸い込んで、吐いた。
彼はひどい目眩に襲われながら額にVRゴーグルをかけ、親指でくい、と少々持ち上げると、ゴーグルのスキマから手元のノートパソコンを覗き、キーを叩きはじめた。画面には、本社サーバーネットワークへの接続画面が表示されている。
「ぐぇ……めんどくさ……うぇぷ……う…ぐ」
痛みが引くと今度は酷い吐き気を催した。日頃彼がプレイしているゲームとは比べものにならないくらい、何重にもかけられたセキュリティを次々と解除していく。途中、吐きそうになって何度も手が止まった。
我ながら、こんな呪文のような大量のパスワードをよく覚えていられるものだ、と神崎は呆れた。
いまどき生体認証を使わないのは、死体を利用されることを想定してのこと。膨大な量のパスワードに加え、複数のランタイム認証が混ぜ込んであった。
やっとのことでパスワードを打ち込む作業が終わると、本社最高セキュリティのネットワーク深部への接続が完了した。
おつかれさまの丸っこい文字と気の抜けたファンファーレが鳴っている。このふざけた趣向は神崎の兄が考案したものだ。それを見る度に、神崎は兄を思い出して、二重にイラっとしてしまうのだ。
彼はシャツのポケットから手袋を取り出して、両手にはめた。はめずらいが、ぴったりと手に馴染む薄手のよく伸びる生地の上に、プリント基板のようなメタリックな線が幾重にも走っており、その起点となっている指先には、樹脂製のキャップがはまっていた。
この奇妙な手袋はVRゴーグルとセットになっており、仮想空間での作業を行うためのものだ。作業中、外からは空間を撫でているように見えるだろう。
神崎は本社サーバー最深部に接続すると、つぎは本社の軍事衛星とのリンクを開始した。ゴーグルに展開する大量のデータが脳にも同時に流れ込み酷いバーチャル酔いを催す。
そして、強引に神経を接続した結果、脳のあらぬ場所を刺激するのか彼の臓器にまで負荷がかかる。
このゴーグルや衛星リンクシステムは、軍事サイボーグが、前線で衛星や膨大な軍事用サーバーと通信するための特殊兵装である。したがって生身の人間が使用できるようには作られていない。
それを人外の彼が無理矢理脳神経に直接有機接続し、一時的にサーバーや衛星とリンクしている。長時間使用すれば神の身である彼とて無事では済まない。あくまでも、非常時の奥の手なのだ。
「ううぇ……ギボヂワル……ゲ、ゲロ袋どこ、どこだ……」
シートのポケットをごそごそと手さぐりする。一度つけたゴーグルを外すわけにもいかないので、手当たり次第にかき回す。
なんとか吐瀉袋を見つけると、彼はゴボゴボと腹の中身を吐き出した。
――鮮血だ。袋の中身は、腹の中の体液と彼の真っ赤な血液だった。
ひとしきり吐き出して多少スッキリしたのか、袋の口を折り返して足元に置くと、彼はペットボトルのミネラルウォーターを二、三口含んだ。
塩気と錆びた鉄の味がする。
これでは、ミネラル――ナトリウムと鉄分――過多だな、と思いながら、くちゅくちゅと口をゆすぎ、そのままゴクリと飲み下した。
その後、半分ほど残った水も飲み干した。
「ふう……」
神崎は、頸部の端子に気を付けながら、やわらかい皮の背もたれにぐっと体を預けた。仰いだ視界には、低い天井も白い雲海も見えず、暗く無機質な電脳空間が広がるばかりだった。
「麗……やっぱ、怒ってるかな……せめて挨拶だけでもしときゃ良かったろうか……。でも、今は少しでも早く帰れるようにがんばらないとな」
吐くモノを吐き、飲むモノを飲んでひと心地ついた彼は、両の頬を平手でバチンと叩き、気合いを入れ直した。
ゴーグルの視界には、現在本社サーバーと衛星にリンクした仮想モニターが視界いっぱいにぐるりと展開している。
神崎は、現在欧州中近東地域で配置されている、自社の全ての部隊の再編をオンライン上で始めた。全ての地域と作戦、警備計画に最適化された編成を行うのだ。
ざっと確認したところ、いまのGSS社だけで現状を立て直すには、あまりにも人員が足りなかった。しかし余所から応援を頼むには時間が足りない。
唯一潤沢なのは、武器だけだった。なにせ売るほどあるのだから。それ故に、地道な手段だが、少しづつ少しづつ、現地の作戦に支障を来さぬように集める。
――つまり、上手に間引くしかない。
数々の作戦を組み直し、現状で動いている部隊をシェイプアップし、全体から余剰人員をすこしづつかき集めていく――。
仮想空間で視覚化された部隊から、ゲームのコマのような人員を両手を使って動かすのだ。まるでオーケストラの
「ふ~~~……。やれやれ……」
彼がひととおりの作業を終えたのは、それから約三時間後。
肉体的にも限界だった。
「全てのコマンドを、
【GBI社副社長 神崎有人】の権限で、『最優先事項』として発動……と。
……これで、よし。ポチっとな」
何も存在しない空間を、指先でぷきゅっと押した。
ヘッドホンからクリック音が鳴る。
「そして、こいつも注文しとくか。念のために……」
彼は追加で、個人用装備をいくつか調達することにした。これは自分用だから、会社の金を使うのは憚られるので、自腹で注文することにした。
――至急搬送されたし。個人用装備として、電子戦用超高速並列分散型衛星制御卓一台、そして――
「仕込みはこのくらいでいいか……」
神崎はそう言うと、ゴーグルを外し、ぎぃぃ、と小さな悲鳴を上げて、首根っこから勢いよくケーブルを引き抜いた。
尖った針の先には血糊がつき、首筋に血液が溢れ始めた。彼は周囲に血が付着しないように急いで針先の血を舐め取ると、首筋をあわててハンカチで圧迫した。
(……数分で傷は塞がるだろう。便利だが難儀な体だ)
「しかし、まったくもってイヤな機械だぜ。いくら自分が戦神だからって、こんな周辺機器への接続なんか、設計時に考慮されてないっつうの。というよりも、神族って限りなくアナログな存在だったはずなのだが、一体どうしてこうなった? あ、アイツのせいか……。クソッタレ兄貴め」
仕事が終わったのを察したのか、キャビンアテンダントが飲み物のワゴンを押して近づいてきた。
この航空会社も無論、関連企業のひとつである。つまり身内だ。彼の仕事の邪魔にならぬよう、ファーストクラスを利用する他の客は、極力席を離してある。
傍らにやってきたキャビンアテンダントが、神崎の頸部を脱脂綿で消毒し、大きい絆創膏をペタリと貼り付けた。
そして、彼が足元に置いた血反吐の詰まった小袋と空のペットボトルを拾い上げ、ワゴン下部のゴミ箱に静かに収めた。
淹れたての香り高いコーヒーを飲みながら、現地キャンプからのメールを確認していると、新しいメールの着信を知らせるチャイムが鳴った。
「あ、もう麗からメール来てる……」
しかし、神崎は返事をしなかった。
すれば、彼女の苦しみが増えるだけだから。