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【2】キミが君でなくとも

「あ、繋がった」

「も、もしもし。アルです。いや、――神崎有人です。初めまして」

『あ……もしもし、かけさせちゃってごめんなさい……フラウです……』

 その名を他人の、女性の口から聞くと、胸がぎゅっと辛くなる。

 電話口から聞こえるその声は、鈴を転がしたような、可愛らしい声だった。背後で、ゲームのBGMがかすかに聞こえてくる。

「キミは無理に本名を名乗らなくてもいい。PC名だけで、かまわないから」

『ううん、私だけ名乗らないなんておかしいし。塩野義麗しおのぎうららっていいます』

(うらら、か。かわいい名前だな……)

「麗さん、か。いい名前だね」

『アルさんて、ほんとに「アル」なんだ。まんまだね。うふふ』

 屈託なく笑う様は、ゲームの中の彼女とまったく同じだった。彼女も、口に出すことをそのまま打ち込んでいたのか――。

「まぁ、名前とか考えるのめんどくさいでしょ。だから。……それはそうと、その……」

『めんどくさいですか? 私のこと構うの』

「えっ……。そんな、どストレートに」

『聞きたいことを、そのまま聞いた方が誤解ないでしょ?』

「……イヤなら、毎日毎日構ってなんかいないよ」

 たしかに、普段の彼女は裏表がなく、物言いが直球なことが多い。多少は分かっていたものの、こういうデリケートな話題の際は扱いに困ってしまう。

『こういうこと言われると、うれしいけど困るの?』

「いや……あ……うぅ……」

『やっぱホントは迷惑なんだ』

「えっ……、あ、そういう意味じゃなくて……。ああ、参ったな……ごめん、迷惑じゃないけど困ってる」

 すっかり麗にイニシアチブを取られ、しどろもどろになってしまった。しかし、相手が女の子で本当に良かった、と彼は心から思っていた。

『同じなんですね』

 そう言うと、麗はくすくすと笑った。

「な、なにが?」

『あっちでも、こっちでも、アルさんは同じ人なんだなって』

「あ……あはっはははははっ……、俺も、今全く同じこと考えてた」

 一気に力が抜けた。無論問題は何も解決してはいないのだが。

『表裏ある人キライだから、そのまま言っちゃうんだと思う、私』

「そっか。ところで今、病院、なんだよね。ケガ? 病気?」

 少し精神的余裕が出来たところで、彼女の様子をうかがってみた。

『中学上がる前くらいから、ずっと病気で。いま二十歳だから……、八年くらいかな』

「……そんなに長く……」

 神崎は思わず歯噛みをしていた。

『いつか、おうちに帰りたい。それが私の夢』

「そっか……。とりあえず、こっち一旦ログアウトするよ。電話は切らないからね」

『うん』


 神崎は手早くログアウト作業を行い、ノートパソコンを使って携帯の番号から契約者情報とGPSの位置情報を取得した。


 位置情報を東京・新宿のマップに乗せる……。

 確かに、入院施設のある病院だ。

(ん? ここは……もしかして)

 契約者は、こちらも間違いなく「塩野義しおのぎ うらら」二十歳、となっている。

 次いで、病院の入院患者情報を照会する。

 こちらにも、間違いなく同じ名前がある。循環器科入院。

(……ということは、もしかして彼女は心臓の疾患なのか……。クソッタレめ! 今はここまでくらいしか分からない。後で東京の菊池にでも調査を依頼するか……)

 病院に何年も閉じ込められて、仮想空間でしか自由を味わえないのか。

 そう思うと麗が気の毒でならなかった。

 いくら『心が不自由な方が、耐えられない』と言われても。


「麗さん、聞いてくれ」

『うん』

 彼はゴクリと唾を飲み込んだ。

「……俺」

『うん』

 実際に言おうとすると緊張が走る。

 ……やはり、言えない。

 身勝手に恋人代わりにしていたなんて、気持ちの悪いことを言えるわけがない。

 だが――言うべきだ。

「実は、何年も待っている恋人がいるんだ。でも、いつ戻ってくるのかもわからない。もう……来ないかもしれない」

 本音としては、今のままでいたい。

 しかし、もう潮時なのかもしれない。

 でも今彼女を悲しませるような事を言えば、病気が悪化するかも……。

『そう……なんだ。じゃ、……戻ってくるまで……とか?』

(ダメだ、こんなの……彼女が不憫すぎる)

 自分は、顔が見えないのをいいことに、麗を相手に恋人ごっこをしていただけなのだ。しかし、虚構の上塗りのようなマネをこれ以上続けるのも本意ではない。

『それなら……いい?』

 彼女の声音が、自分の同意を乞うているのが痛いほど分かる。

「……麗さん、本当の事を言うよ。俺は、君を恋人の身代わりにして、自分を慰めていた卑怯ものなんだ。だから……君に好いてもらう資格などない……」

 神崎は、ベッドの上で海老のように背を丸め、肩を震わせた。

 空いている方の手で口をふさいだ。 ――電話口に、嗚咽が漏れそうだったから。

『やさしいんだね、有人さんて』

「……優……しい?」

『それに、正直』

 麗の思いがけない言葉に、彼は戸惑った。

「……そうかな。だって、今まで隠れて君を慰みモノにしていた男なんだぞ?」

『私だって同じだし』

「え?」

『勝手に彼氏だってことにして、一緒にいたんだもん。有人さんと同じだよ』

「…………でも、俺の方が罪は重いよ。他人の代わりにしてたんだから」

『じゃ、お互い、勝手に一緒にいたり、代わりにすればいいじゃない。ね?』

(確かに、確かにそれはWIN WINではあるが……しかし……)

『だめ……なの?』

 今まで子供っぽかった麗の声音が、急にトーンがひとつ低くなった。


 だめじゃない。

 だめなんかじゃない。

 自分だって、このまま麗のことを好きになりたい。

 だが、卑怯者の自分が許せない。

『彼女』を裏切る後ろめたさ、麗を『彼女』の身代わりにした罪――。


 病気の娘を捕まえて無邪気に恋ができるほど、純粋でもなんでもない、自分勝手で薄汚い男なのだ。

 なのに、いまは喉から手が出るほど、麗が欲しかった。

 誰でもいいから心を寄せる対象が欲しかった。欲しくなってしまったのだ。

 そして、気付いたら、通りすがりの冒険者には戻れなくなっていた。


 ――――もう、一人は嫌だ……助けて


「俺……で、いいのか? 本当に」

『おせっかいやきなんでしょ?』

「え? ま、まあ……」

『だったら、もうすこしの間だけ、おせっかい焼いてよ、有人さん』

 麗の言葉に背中を押された気がした。

「ふう、……分かりましたよ。落ちてた猫を拾ったのは、確かに俺自身だ。君の気が済むまで面倒見ましょ」

『やったあ。ホントは面倒見たいくせに。素直じゃないんだから』

「な! 俺は……や、あ、あの……一応責任というか……」

『なによ、はっきり言ってよ有人さん』

「いや、そうなような、違うような……」

『も~めんどくさい人』ぼそりと麗は言った。

「あーもう、そうだよ! 俺はめんどくさい男だよ。面倒見たいよ。滅茶苦茶キミの面倒を見たいんだよ俺は! くそっ、後でめんどくさいとか嫌だとか言っても知らないからな! けっこう粘着なんだぞ、ほ、ホントにマジで知らないからな!」

 くす、くすくすくす……と、麗の笑い声。

『おじさんみたい』

「な! お、おおおおじさんって! そんなにおじさんじゃないモン! じゃー今から自撮り送るからな!」

『じゃーわたしもー』

 結局、互いの写真を交換して、気づけば日本では空が白んでくるまで話し込んでいた。


 二十歳だという彼女は、年よりもずっと幼く見えた。

 写真は、病院のテラスで看護師の女性と撮ったもののようだった。入院中なせいか、肩より少し長めの髪を、左右で分けて先から二十㎝ほどの所をゴムで結んでいた。色気のない髪型だと彼は思った。笑顔は可愛らしかったが、やはり病気のためか痩せていて血色が悪かった。

『彼女』の面影を彼女に見たが、そう思い込みたい気持ちが見せる幻だと、彼は自分に言い聞かせた。これは気のせいだと。精神が現実を歪ませることなど、いくらでも見てきたからだ。


『やっば、起床時間だ。検温に来ちゃう!』

 気づけば午前三時、日本時間で七時だった。病室を看護師が回って、入院患者の体温を測っているのだろう。日本の病院では習慣のように毎朝検温をしているが、さほど体温の記録が必要とも思えない科でも検温をしている。患者にとっても、看護師にとっても負担なだけだろう、と神崎は、小さくため息をついた。

「え、もうそんな時間なの? ああ~~、日本帰りたいなぁ」

『お休みいつ?』

「うーん……こっち来たばっかりだからなぁ。すぐには取れるかなぁ。でも、俺、こんなに日本に帰りたいって思ったことないよ」

 神崎は、本気で休暇を取りたいと思っていた。

『そうなの?』

「でも、帰りたいってのとも、ちょっと違うのかな……」

『じゃ、なに?』

「恥ずかしいから言いたくない」

『聞きたい』

「しょうがないなぁ…………。キミに逢いたい、から」

 悪気はないものの、結局神崎は麗の手中にまんまと落ちた形になった。

 でも、彼はそれでもいいと思っていた。

 いいかげん、悩むのにも疲れていたからだ。


『彼女』を待つのは、もうやめよう。

 待たせるお前が悪いんだ、そう思うことにしよう。


     ◇


『お前から電話してくるなんて、珍しいな、有人』

 神崎はその朝、事務室から東京支社にいる菊池に電話をかけた。それは、あくまでも私用の電話だった。

「ちょっとお願いがあるんです。東京で調べて欲しい人が」

『私用でか?』

「そうです。経費は、ギャラからでも差し引いておいて下さい」

『お前は滅多に頼み事をするような奴じゃないだろう。――相手はどこのVIPなんだ?』

 VIPと言えなくもない。少なくとも彼にとっては。

「ある病院の入院患者です。その人物の病状、病歴、入院中のデータをお願いしたい」

『病人……? もしかして、それが昔お前の言っていた『白猫』って奴なのか?』

「あくまでも、可能性があるだけです。まだ……、確証は、ありませんが……」

(そういうことにしておくか……)

『分かった。そっちは俺に全部任せろ』

「……ありがとうございます、菊池さん」

『二十四時間以内にレポートを送ろう。そいつは、何処の誰だ?』


 ――いいんだ。


 キミが君でなくとも。

 もう、待つのは諦めたんだ。……だから。ごめん。

 また……今度。次、こそは見つける、から。

 だから……許してくれ。

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