『――白猫なんて、いるのかな? いっそ茶猫でも、いいかもね?』
そんな自分は、百万回迷う猫、
永劫の時を、ふて腐れ歩く野良猫。
◇◇◇
先日の補給で、おにぎりのラインナップも増えて食生活は向上し仕事も順調、神崎青年は悠々自適な御用聞きライフを満喫していた。彼としては毎度吐いちゃうような過酷な任務ばかり押しつけられるのだから、たまにはゆっくりさせてくれよ、という気分だった。――実際、今回は兄の玲央から贈られた休暇のようなものだったが。
「ボス、そろそろ起きて下さいよ。お昼寝は一時間半までですよ~」
事務所のソファで昼寝をしていた神崎は、イケメンゲルマン事務員のカールに揺り起こされた。
時刻は既に午後の二時をまわり、とっくに昼休みは終わっている。神崎の自室よりも涼しくて寝やすいオフィスは格好のお昼寝スポットだった。無論ソファはフカフカで、人間どころか神すらダメにするブツに買い換えてある。
――つまり、神崎はハナから昼寝をする気マンマンというわけだ。
気持ち良さそうに寝ている
「うーん……。いま何時?」
神崎は眠そうに目をこすりながらカールに訊いた。もう二時過ぎてますよとため息交じりに言われると、神崎はもそもそと体を起こした。
「まったく、これが今月ひと月で三億ドルも売った男なんですかねぇ……」
「俺じゃなくてもそのくらい誰でも売れる。今までこの国まで商売をしに来る根性のある奴がいなかったに過ぎないよ」
神崎は横目で彼を睨みながら気怠そうに言うと、机の上で冷めるに任せたコーヒーのカップを取り、親会社から送られた分厚いファックスの束を読み始めた。内容は、先日神崎が調達を依頼した中古兵器の購入リストだった。
「あ……ん?」
神崎は眉根を寄せ、ファックスの何枚めかでふと手を止めた。
「たく、あいつら頭沸いてやがる……」
神崎の機嫌の悪いときは汚い日本語を使っているとき、と相場が決まっているので、これは悪い報せだな、と
普段彼等と神崎との会話はドイツ語だったが、彼等にとっては、神崎に日本語で罵られるよりも、ドイツ語で罵られる方が数倍恐ろしいらしい。
最後までファックスの内容を確認し終えると、彼は険しい表情のまま
「…………で、何でこんなもの買ったんだ? 必要なものがないならないで、勝手に買わないで何でこっちに一報入れてこないんだ」
購入担当者は、神崎のリクエストした中古の自動小銃が、別の業者に押さえられてしまった、とこわごわ説明を始めた。
「で、ちょい高だけど? ふん、こっちの方が性能が上だから、いいんじゃないかと思って? ……ふざけるな!」
神崎の怒鳴り声で、課員全員が身を縮みあがらせた。
「誰が性能のいいモノに変更しろって言ったんだ! これじゃ、アホどもがすぐブッ壊すに決まってるじゃないか! 数揃ってなくてもいいから、あるだけ押さえて発送しろ。あ、忘れずに一度メンテしてからだ。足りない分は継続して仕入れろ。いいな!」
ガチャン!
神崎は、受話器を乱暴に置いた。
ふと丁稚ーズがビビリ上がっているのに気づいた。
……ひどく気まずい。
いたずらに怯えられるのも切ないので、神崎は仕方なく丁稚ーズにコーヒーを入れてやることにした。使い捨てのカップを人数分並べ、コーヒーサーバーにセットしようとしたところで電話が鳴った。電話はカールが間髪入れずに取ったようだ。
――ロシア語で対応している所を見ると、政府関係者だろうか。
「ボス、大統領府から、ボスに出演……? の依頼です」
カップをいじっている神崎の背後から、カールが
「突き指してるからダメだ、って断っておいてくれ」
大きくため息をつくと、神崎はコーヒーサーバーのスイッチを入れた。
◇
神崎有人は民間軍事会社
――とは言いづらく、実際は珍しく出来たガールフレンド(?)との交流が楽しくて、毎日毎日、夜が訪れるのを心から待ち遠しく感じていた。
日本との時差は四時間、彼女のログイン時間が七時。
それに合わせるように、昼間は
夕食も、食堂からトレーごと自室に持ち込んで、ゲームの片手間に食事をするといった徹底ぶり。ただの暇つぶしだったゲームが、今や彼の生きがいにまで格上げされていた。
愛しいFlawのアカウントから個人情報を手に入れることくらい、神崎には朝飯前ではあったが「さすがに野暮だ」と思い、このお付き合いを自然に任せていた。
営業成績的に結果オーライならば、多少早上がりして「ネトゲで女の子と待ち合わせをする」なんてことは、全て『正当化される』はずなのだ。
――彼はそう、強く信じていた。
だってマジ売り上げ出してるもん。文句あっか。
神崎有人は思う。しょーもないことを。
――いや、まだ本当に女の子と決まったわけではないけども、というか、女の子じゃない可能性もそれなりにはあるのだろうけど、でも多分俺の勘じゃ女子だし、しかし、猫な人はいろいろ問題ありそうで要注意そうだってことも、この業界に長い自分には重々承知な特記事項ではあるけども、でもでもしかし。
――別に自分は「奉仕種族」ってわけじゃないし、誰かに喜んで欲しいだけー、とか、役に立ちたいー、とかってつもりで付き合ってるわけじゃないし、つかそんな純粋なことを考えるほどピュアな男じゃないし、というか、いい加減荒み切って薄汚れている自覚は激しくあるわけで。
――つかこんな、メンヘラ傭兵兼戦神崩れなんか、世の中のゴミだからとっとと死んでしまえばいいのに、とか毎日思っているくせ自殺する根性もないから、ズルズル何万年も生きてるわけで。いや、一度だけしたことあったっけか。あんときゃたしか、刃物で喉を景気よく掻き切ったんだっけか。すぐに見つかって、兄貴に首を縫合されちまったんだっけな。……余計なことしやがって。
――ともかく、下心ははっきりとある。百%自覚はある。しかし、一般的な下心とはベクトルがちょっと違うから、一般的見地で「下心はない」と見なされているだけに過ぎない。しかしそのくだらない下心のせいでしょっちゅう自爆していることは最重要機密だ。
というわけで、頭が沸いてる彼は毎日、陽が傾く頃が待ち遠しかった。
片思いでも構わない。ちゃんと「いる」誰かを想っていたかった。
それほどまでに、彼の心は飢え、乾き、潤いを求めていた。
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>Log in time 15:02:53
>Server No.10 : Tricorn
>Welcome back! Alphonce!
>【Home Town】
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「ふぅ、なんとか間に合ったぞ、と。もうインしてるのかな?」
多少出遅れたせいか、慌ててログインをする神崎。
メニューを開き、それほど多くもないフレンド登録者のリストを開く。
「あ、いたいた。待たせちゃったかな?」
この日は、件の彼女と一緒にレベル上げをする約束をしていた。
最近彼女がようやくパーティプレイに慣れてきたので、格段にレベルの上がり方が早くなっていった。しかし、自分からパーティに入ることの出来ない彼女のために、彼がパーティリーダーとして、一緒にレベル上げをする冒険者を募る役目を担っていた。つまり、彼女は神崎に「寄生」してレベル上げをしていた。
神崎は、少しだけ不安に思っていることがあった。それは、自分がいなければ彼女がプレイ出来なくなってしまう、ということだった。寄生に慣れすぎるのはどうなのだろう、と思う反面、こんなに厳しい思いをしなければ満足に遊べないゲームシステムの方にこそ、問題があるのでは、と複雑な気持ちになる。しかしそれは、このゲームをプレイする全員が抱える、重い問題でもあった。
――とにかく、側にいられる間は彼女を支えよう。
――邪な気持ちで一緒にいる事の、せめてもの罪滅ぼしとして。
彼女とパーティを組むために、いつものようにチャットで呼び出してみる。
===== ===== ===== =====
Alphonce:
こん~(^^)/
Flaw:
こんばんは~
Alphonce:
もう用意とかいい? PT組むよ?
Flaw:
うーん、・・・今日はちょっと調子わるいから・・・お話しだけさせてもらってもいいですか?
Alphonce:
え? ゲームなんかやってて大丈夫なの?
Flaw:
レベル上げじゃなければだいじょぶですー
Alphonce:
なら、いいんだけど(-_-)
===== ===== ===== =====
「ふむ…………」
やはり、彼女は入院しているのだろうか。いやな予感が神崎の脳裏をよぎる。
===== ===== ===== =====
Alphonce:
じゃ、うちの入り口開けるから、中で話そう
Flaw:
はーい、いまいきまーす
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神崎は、PC用の個室に彼女を招いた。
室内でなら、周囲の会話なども入らず、かつ知り合いの目なども気にならないので、二人水入らずでゆっくりと会話を楽しむことができる。そう思い、部屋に招いたのだ。
しばらくするとFlawが部屋に現れた。
彼女は、普段狩り場へ出かける時の装備品ではなく、種族固有の民族衣装を身に纏っていた。やはり獣人キャラであるFlawには、こちらの方が似合う、と神崎は思った。
彼女はしばし部屋を見物するとおもむろに床に腰掛け、Alphonceも側に腰掛けた。
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>Flawさんが入室されました――
Flaw:
おじゃましまーす。うわ~、なんか家具すごいたくさんあるんですね~
Alphonce:
いらっしゃーい。ガラクタばっかりだけどね~。大体が季節イベントでもらったやつばっかかな。クリスマスとかイースターとか七夕とか。
Flaw:
イベントとかよくわかんなくって、そういうのぜんぜん持ってないです~
Alphonce:
え? ログインするときの画面に、お知らせが書いてあるでしょ?
Flaw:
あ~・・・読み方がよくわかんないから、いつもスルー・・・
Alphonce:
ええ~、もったいない(-_-) じゃ、こんどイベントあったら教えるから。
Flaw:
教えるだけ、ですか?
Alphonce:
ん? えーっと・・・
Flaw:
アルさんは、一緒には、行ってくれないんですか?
Alphonce:
うーん・・・
Flaw:
だめ?
Alphonce:
だめじゃないけど・・・最近俺とばっかりプレイしてるし、イベントのときくらいはフラウさんももっと他のフレンドとかと遊んだ方がいいんじゃないかな、って。
Flaw:
じゃ、行く人が他にいなかったらいいのかな?
Alphonce:
わざと縁切るのナシね。余計悪い(-_-メ)
Flaw:
そんなことしないです~、冗談ですー。
Alphonce:
一つ聞いてもいいかな。ちょっと踏み込んだことだけど、無理に答えなくてもいいから、差し支えなければ教えて。
Flaw:
いいですよー
Alphonce:
もしかして、キミが今いる場所って・・・病院?
===== ===== ===== =====
画面の向こうで、Flawはしばし無言になった。
――やはり、触れてはいけなかったのだろうか……。しかし……。
だが数秒後、彼女は答えた。
===== ===== ===== =====
Flaw:
そうです。ずっと入院してます。
Alphonce:
そうなんだ、教えてくれてありがとう。もしそうなら、もっと負担をかけないようにしないとな、って思ってたんだ。最近、結構ぶっ通しでレベル上げとかしてたから・・・
Flaw:
心配してくれてたんですか?
Alphonce:
そりゃあね。俺が引っ張り回しているようなもんなんだから、フラウさんのコンディションとかに気を配るのは、PTリーダーとしては当然だと思ってるんだけど。
===== ===== ===== =====
(どの口が、PTリーダーとして、なんて言ってやがるんだ。この嘘つきめ……)
彼女の依存度が日増しに上がっているのは入院していることと無関係ではないだろう。自分も彼女に依存している。だが、あくまで保護者のように振る舞ってもいる。
……俺は、卑怯だ。
自分を慰めるために彼女を利用しているんだ。
神崎は己の偽善者ぶりに、嫌気が差していた。
===== ===== ===== =====
Flaw:
ありがとうございます
Alphonce:
ううん。こちらこそ気遣ってあげられなくて、ゴメンね。
Flaw:
私、
Flaw:
自由にいろんな所に行ったり、野原を走り回ったりとかできるのって
Flaw:
ここしかないんです
Alphonce:
ここ・・・だけ?
===== ===== ===== =====
「マジかよ……」
正直ショックだった。
神崎は胸が締め付けられた。そんなに長期間入院しているのか、と。
――自由な場所が、こんな陳腐な箱庭しかないなんて……。
連れ出してやりたい…………。
彼は強い衝動に襲われたが、必死にそれを押さえ込もうと努めた。
「カタリかもしれないじゃないか……落ち着け、有人」
言い聞かせても、気持ちは自分の都合のいい方へと、どんどん流れていく。己の意思とは全く関係なく。既に手遅れだった。
===== ===== ===== =====
Alphonce:
俺も、自由になれるのは、ここしかないかもしれない。
Alphonce:
身内や肩書きの問題で、どこに行ってもしがらみがついて回る。だから、誰も俺のことを知らないここでだけ、俺は俺でいられる。だから極力ここに来てる。
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(どうしたってんだ……こんなこと語るつもりもないのに)
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Flaw:
そうなんですか・・・わたしなんかより、ずっと大変そうですね。かわいそうに
Alphonce:
へ?俺が?・・・そ、そう?そうなの?
Flaw:
だって、体が病気だとか不自由だとかっていうのは、なんていうか「不便」なだけなんで、そのうちそれが日常になって慣れるけども、
Flaw:
心が縛られてたりとか、不自由だとか、ホントの自分を見てもらえないのって、慣れっこないし、ずっとくるしいままじゃないですか。わたし絶対耐えられないと思う
===== ===== ===== =====
神崎は愕然とした。
『心が不自由な方が、耐えられない』
彼女のその言葉に、一瞬頭が真っ白になった。そして、腑に落ちた。
心が不自由。
――そうか、それが、呪いか。
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Alphonce:
・・・俺の方が重症だったなんて・・・
Flaw:
あー・・・気を悪くしちゃったらごめんなさい。私がそう思ってるだけだから
Alphonce:
いやフラウさんの言うとおりだ。こちらこそ気を遣わせてしまって。
Flaw:
そんなことないですよ。いつも気遣ってくれてるのアルさんじゃないですか。いつもダメージくらってばっかりなのに、他の人よりマメに回復してくれたりとか、
Flaw:
適度に休憩いれてくれてたりとかするし、助かってます
Alphonce:
当たり前じゃないか。キミを一番大事にすることなんて
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『――キミを一番大事にすることなんて』
「あ……しまった……俺……何を」
これは事故だった。タイピングの早い神崎ゆえの事故、「誤爆」だ。
脳内変換を行っている最中にポロっと本音がこぼれてしまったのだ。
気が付いたときには遅く、エンターキーを押して送信してしまった後だった。
===== ===== ===== =====
Flaw:
え・・・
Alphonce:
あ、いや、そういう意味じゃなくて、その、前衛なのだから最優先で、って意味だから、深い意味ぜんぜんないから
Flaw:
そうですよね。これゲームだし、そんなことないですよね
Alphonce:
ない、とは言い切れないけど、世間でも時々ある話だし・・・
Flaw:
そうなんだ!じゃアリなんだ、そういうのって!
Alphonce:
あ、いやいや、そういう人もたまにいるってだけで、俺は全然そういうつもりじゃないから
Flaw:
わたし、アルさんのこと好きですよ
===== ===== ===== =====
「あ――――――――、やっちまった……地雷踏んだ…………」
神崎は、両手で顔を覆ってベッドにひっくり返った。
今さら修正しても、もう遅い。逡巡する気持ちが、ゲームに恋愛など介在しない、とはっきりと切り捨てることが出来なかった。
(バカバカバカバカ俺のバカ野郎)
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Alphonce:
それ・・・どういう意味で?
Flaw:
そのまんまです
Alphonce:
もちろん、友達として、だよね
Flaw:
ちがう
Alphonce:
えーっと・・・もしかしてすごくうれしいことかもだけど。。。どうしたらいいのか俺としてはちょっと・・・
Flaw:
迷惑?
Alphonce:
いや・・・・・・迷惑じゃないけど・・・・・・・
Flaw:
アルさん、回りくどすぎる。というか、いつもおじさんぽくてめんどくさい。めんどくさいから、電話かけていいですか?番号教えてください
Alphonce:
え・・・
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(ま、マジ? 本当に女の子なのか?)
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ」
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Alphonce:
・・・ああ、いいけど。というか、海外なんで電話代すごくなっちゃうから俺からかける。番号教えて
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「おいおい……回りくどいって……。参ったな。……あ、番号きた」
画面に表示された彼女の携帯番号を手元のイリジウムに一つ一つ確認しつつ打ち込む。人工衛星にアクセスする、呼び出し音が鳴るまでの無音時間が、やけに長く感じる。ごくり。と生唾を飲み込んだ。
一体、なんて言えば。――傷つけなくて済むのか。諦めてもらえるのか。
(諦めてほしくなんかないくせに)
うるさい、やめろ、バカ。俺には――