『俺は好き放題、おにぎりを、食べたかったんだぁなあ』
◇
神崎が駐在している小国A最大の軍事基地で日本の代表的携行食『おにぎり』の量産体制が整ったのは少し前のこと。
神崎は公共事業のプレゼン資料を作る傍ら、
早速大型炊飯器を十台導入、おにぎりの型も多数仕入れた。昨今では日本の100均も中東に出店しているので、細かい調理器具などはラクに仕入れることが出来た。
機材と物資が到着すると神崎は早速、厨房スタッフの指導を始めた。注意すべきはコメの研ぎ方と、炊けた際のほぐし方、おにぎり型への詰め込み方である。
水分の多いジャポニカ米は潰してはいけない、ときつく注意した。そして提供の際、おにぎり本体はラップ包装し、海苔は自由に取る方式になった。
量産されたおにぎりは、副司令の鳴り物入りで軍に紹介されたことも手伝って、再訓練中の国軍兵士や警察官のみならず、GSS社のコントラクター、GC社の職員の間で大ブレイクした。
具の一番人気は神崎の考案したラム肉の佃煮で、次いでツナマヨ、チリビーンズの順だった。神崎は、その後もヒマを見て新メニューの開発に勤しんでいる。
こんな大事になっているが、そもそも神崎は海外で日本食が食べたかっただけで、他人が作ってくれるに越したことはないのだ。
しかし、彼がこの
その彼はいま、「おかか」と「梅干し」の到着を心待ちにしていた。
◇
毎日がピーカン、夜は満点の星空。
基地周辺の空気はカラカラに乾いていた。
時刻は現地時間の午後一時。
間もなくGSS社中東支社からの輸送機が一機、週に一度の『納品』にやって来る。
今回の荷物は、神崎が中東支社に発注した様々な物資だ。燃料、武器、弾薬、精密機器、医薬品、食糧、日用雑貨、衣類、電化製品、健康器具、ゲームソフト、雑誌、そして神崎の心待ちにしていた和食品「おかか」や「梅干し」まで多岐に亘る。
発注者も様々だ。顧客、治安維持チームや非戦闘員、関連企業の建設技術者、はては国軍兵士や現地雇用した基地従業員とその家族からの注文もあって、毎回定期便の輸送機の中は、文字通り弾けそうなほどパンパンになっていた。
輸送機は基地の格納庫兼パッキングセンターの前に横付けされ、大量の荷物をぱっくり開いた口から次々と吐き出している。
黄色いこまねずみこと、真新しいフォークリフトたちは、輸送機と荷物の間をちょこまかと忙しそうに動き回っていた。
色とりどりのコンテナやパレットを運び出し、それらを格納庫前の
臨時の荷捌きと化した格納庫の前は、オアシスを訪れたキャラバンのバザールの如く足の踏み場もなく、スタッフの仕分け作業を待つ間、全ての荷物は等しく日に焼かれていた。
今日の神崎青年は、珍しくオフィスの外にいた。超暑がりの彼が、だ。無論、恋焦がれていた「おかか」と「梅干し」のお迎えが主目的である。神崎は目下、汗だくになりながら近所のバイト学生や後方支援担当の社員たちとともに発掘作業、もとい荷受け作業を行っていた。
彼は積載品リストを挟んだバインダーを片手に、輸送機とコンテナの間をせわしなく、時にスタッフに細々と指示をしたりと、さながら『こまねずみ』のように歩き回っていた。
普段は
尚、日焼けに弱そうな色白のイケメンゲルマン青年たちは、神崎から大量の宿題を出され、おとなしく事務所でお留守番である。
「ふ~、暑いなぁ」神崎は軍手の甲で額の汗を拭った。
「旦那は普段クーラーの効いた所に居すぎなんだよ」
荷捌き所で一緒に作業をしている地元のアルバイトの若者が神崎をからかった。彼は近くの街に休暇で帰省している医大生だった。
「やかましい、俺は汗っかきなんだよ!」
暑さでイライラしているせいか、神崎は、ついついバイト相手に怒鳴ってしまう。ボーリングの玉のように黒光りのするスペイン産スイカの入った木箱は、とばっちりで蹴飛ばされていい迷惑だ。
「だいたいあいつら物を注文し過ぎだと思わないか? おかげで作業が面倒でかなわん」
今度は同僚の日系アメリカ人の青年、寺西を相手に神崎はグチを垂れ始めた。
「それで売り上げ上がってんだろ。お前の成績には代わりないじゃん。イヤなら受注制限すりゃいいんだし」
寺西はケチャップ缶の入ったダンボールを、パレットに載せたダンボール箱の上に乱暴に積み上げた。
「おい、そのダンボールには梅干しの瓶が入ってんだから気をつけろよ! 割れたらどうすんだよ」
「あー悪い悪い」
「たく、大事な商品なんだから丁重に扱えよ」
神崎は奪うように梅干しのダンボールを保護すると、ぶつくさ言いながら安全な場所まで運んでいった。
梅干しの箱を安全圏に置き、今度はおかかの箱を捜索中の神崎の顔が、急に険しくなった。
「あん……?」
神崎は、飲み干したクラブソーダの缶を、いきなり目の前の若い社員に力いっぱい投げつける。
「ぎゃッ!」
空き缶は文字通り「カンッ」と軽快な音をたて、男の後頭部に直撃した。
男の栗毛頭にクリーンヒットした缶は軽く凹みを作ると、砂混じりの滑走路に落下してカラカラと乾いた音をたてて転がり、最終的にはスイカの入った木箱にぶつかって止まった。
「いってーな! 何しやがんだよ、アル!」
缶を頭にぶつけられたラテン系の細身の若い男――ピエールが怒鳴った。
「うるせえ、俺をプリン体で殺す気か! ボケ!」
機嫌が悪くなると、途端に口も悪くなる。
目を吊り上げた神崎が、輸送機でやって来た中東支社の仕入れ担当者ピエールを罵倒した。そして相手に口を挟む隙を与えずに、「貴様、これ見て見ろ」と、目の前にある大量のビールケースを指さした。
「えー、なにがだよ」
渋々ケースの前にやって来るピエール。
「俺の注文した銘柄と違うじゃねえか、どういう事だ」
ピエールは後頭部を痛そうにさすりつつ、半笑いで言い訳を始めた。
「しょうがねえじゃん、今回の便に間に合わせるにゃあそれしかなかったんだからさぁ。一応それでもここいらじゃぁ貴重な「ノンアルコールビール」なんだぜ? 次回はご注文の品を持って来てやるから、当座はガマンしてくれよ、カンザキ支部長様」
と、ウインクをして極東からやって来た
「ピエール、そういう問題じゃない。何でも用意すんのが我が社のポリシーだろ?」
神崎は腕組みをして、ウインクのお返しとばかりにピエールをにらみ返す。
「といってもなぁ、ないもんはないんだから……」
神崎は思った。日系総合商社たる我が社では、どこの同業他社よりも顧客の要望には迅速丁寧かつ細やかに対応するのがポリシーのはずだ。
――だが、しかし、この目の前に厳然として存在する不愉快極まりない状況は一体何なのだ?
(……ん? ああ、そうか)
神崎はしばらく考えたあと、頭の中で、手のひらを拳でポンと叩いた。
自分は「社員」であって「顧客」じゃない。
だからいい加減な対応をしてもいい。
――そう判断された、という訳か。
しかし、我が社の社員として、その判断はいかんだろう。自分がきっちり注意せねば。
……にしてもだな、自分を一体誰だと思って……、と、おっと。
下っ端の奴が、そんなこと知っているはずはなかった。
『神崎有人』が何者かなんて。
多国籍企業GBI社COO副社長であるなんて。
CEO『神崎怜央』の弟だなんて。
「あー……晩飯までに終わるのかな、コレ……」
作業の果てしなさを想って大きなため息をつき、再びおかかを捜索する旅路に戻る神崎青年だった。