三月十一日の早朝、神崎有人は成田空港を発ち、約十四時間かけて中東のドーハ国際空港に降り立った。さらに小型機を乗り継いで数時間、丸一日がかりで、この小国Aに到着した。
GBI社『ミリタリー・コンシェルジュ・サービス部 中東支部長』神崎有人の赴任先は、国境から五十キロほど奥まったA国最大の軍事基地――のはずだった。一応は軍事基地であることには間違いはなかったのだが、神崎の落胆ぶりは酷かった。
神崎は基地に到着早々、
「暑いのはイヤじゃあああ! 俺ぁ帰るううう!」
と叫んで、空港併設のGSS社拠点から乗ってきた冷房の効いた装甲車に回れ右しそうになったが、速攻で運転手のマイケルに蹴り出されて無事着任するに至った。
ここまで彼が冷房にこだわるのは、今回の仕事がデスクワークだからだ。暑さをガマンしてのデスクワークなど考えるだけおぞましい。絶対に空調のある所にしてくれと念を押していたにもかかわらず、施設のあまりのオンボロさに
さらに、骨董品クラスのポンコツ兵器や、用途不明な兵器、使い物にならない兵器が敷地内のそこここに転がっていた。恐らく、悪い売人にでも捕まったであろう様が容易に見て取れた。
(なるほど……ね)
神崎は腹落ちした。確かに、『顧客に必要なものを適切におすすめする軍事コンシェルジュ』こそがA国が最初に必要とする者であると。
◇
さて少々遡り、グレッグ隊長の持ち込んだ面倒事とは――
空港内にあるGSS社の警備指揮所には神崎の旧友、現場を束ねる治安維持チームの指揮官で筋肉ダルマのグレッグ隊長がいる。だがこの男どうもオツムがよろしくない。そのため、ちょっと賢い神崎は、しょっちゅう面倒事を頼まれてしまう。今回ばかりは見つからないようにコッソリ着任しようとしたのに、マイケルがドジを踏んで指揮所で二時間ほど足止めを食らってしまった。
神崎青年よりも一ヶ月ほど前に現地入りをした、先発隊のGSS社々員・武装警備員一七〇名は、顧客の注文どおり早速国境周辺や都市部、主要施設の警備を始めていた。
国境付近では若干小競り合いはあるものの、最新鋭の武装を纏った傭兵達の姿が早速威嚇効果を発揮し、目立った衝突は発生していなかった。ひどく荒れていた都市部でも、彼らの姿を見た市民の暴動は一斉に治まった。
特に市内では子供ら向けにアニメーションの上映会なども開かれ、市民の溜飲を下げることに日本コンテンツが多大に寄与していた。
しかし――。水面下では深刻な問題が発生していた。
現地入り早々、グレッグ隊長に見つかってしまった神崎は恨めしそうに送迎役のマイケルをにらんだ。詰所に強制連行される彼を苦笑しながら見送るマイケル。
詰所に入るなりグレッグ隊長は開口一番、「有人、助けてくれぇ!」治安維持チームの現場の社員たちにも同様に泣きつかれてしまった。
聞けば、契約時の計画と、実際の計画が噛み合っていない、顧客の指示がちっとも現状と噛み合っていない、さらに長らく続いた戦争で弱体化した国軍や警察の再編成計画も、自分でやるやる、と言いつつほとんど手つかず。……全くもってひどい有様で、さすがの神崎でも頭を抱えてしまった。
「こ、これは……コンサルティング以前の問題だ!」
「だろ!? 頼む。知将・神崎と呼ばれたお前にしか出来ん!」
グレッグ隊長がGIカットの金色タワシで床を掃除しながら涙目で訴える。
「とにかく、あとで必ず埋め合わせするから! な?」
「どこで土下座なんか覚えたの? まーた悪いドラマでも見たんでしょー」
結局神崎はグレッグ隊長に拝み倒されて渋々警備計画の見直しをする羽目になった。しかしそれは、神崎の性格をよく知った上での、グレッグ隊長の演じた「茶番」でもあった。
不幸なことに今回警備計画を作成した人物は、火急の用事で早々にアフリカに行ってしまい、呼び戻すこともできない。現在このキャンプには、神崎以外に戦略レベルでの作戦立案スキルを持つ社員が不在である。
今から本社にオーダーを出したとしても、絶賛人手不足のGSS社では後任の派遣に相当時間がかかるはずだ。会社はそこまで読んだ上で自分を派遣したのか、と一瞬イヤなものが脳裏を過ぎったものの、イレギュラーに対応するのも社主の弟たる自分の役目、と諦め半分で神崎はグレッグ隊長の話を聞くことにした。
「……ったくしょうがないなあ……。今回そういう任務じゃないんだけどね、俺」
と、顔をぽりぽりと掻きながら、グレッグ隊長の手渡した赤字のやたらと入った紙の束を面倒臭そうに受け取る神崎。しかし数万単位の兵を動かす事でさえ朝飯前な彼にとって、たかだか数百人規模の兵を盤上に置き直すことなど苦でもない。
――あくまで置くだけなら。
グレッグ隊長は現場の指揮は得意だが、大きな警備計画そのものを根本から見直す知的な作業は彼にとって相当な苦痛らしい。ゲームで言うと、FPSは得意だが、戦略シミュレーションは苦手、ということになる。
神崎は、グレッグ隊長がうやうやしく差し出した、神崎の好物の冷たいドクペを喉に流し込みつつ、資料の束をパラパラめくり、情報を頭に流し込んでいった。
神崎の見立てでは、組み直し自体は大したことはなく、金も問題ないが、実現するためには時間と人員が必要だった。一通り資料に目を通した彼は、
「これ以上は情報が足りない。必要なものをピックアップした」とリストを渡し、グレッグ隊長に更なる資料を要求した。
資料が集まるまでの間、神崎は同僚たちからヒアリングを開始した。民間軍事会社というのは基本的に
「金だけ持ってて、なんとなく外注しちゃうヤツが一番迷惑なんだよ!」
神崎は勝手気ままな顧客に腹を立てていた。このまま顧客に振り回され続けていたら、遅かれ早かれ社員から死人が出ていたことは間違いなかったからだ。いくら自分たちが一介の雇われ兵士だからといっても、ムダ死にさせられてはたまらない。
追加資料を持ってきたグレッグ隊長が尋ねた。
「ところで、お前こないだ、どこぞの頭の悪い陸軍大将の影武者やってたよな」
「影武者って、意味間違ってるよ。もう、どこでそんな日本語覚えたのやら……。俺がやったのは、バカ大将殿の代わりに、全軍の指揮をやったってだけ。少し前に流行ったゴーストライターならぬ、ゴーストゼネラルってカンジですかね……」
あれも酷い仕事だった……。と、神崎の脳裏に苦々しい記憶が蘇った。
他人に国の大事を任せるなど、正気の沙汰とも思えない仕事だったが、上司の菊池に言わせれば、国の大事だからこそ任せられる者が国にいなければ、金を積んででも雇うのは当然だろう、と。
しかし、皆がそんなことをしていけば、最後には自分たちのような傭兵同士が殺し合うような世界になっていく。
――それこそ、正に茶番だ。
神崎はその後一週間で治安維持チームの立て直しと増強に成功、さらに国軍と警察の再教育プログラム「リフレッシュ・コンサルティング・サービス」の受注も獲得することになる。
半ば休暇気分でやってきた神崎にとって、着任早々付き合わされた「茶番」の数々に、先が思いやられる気分だった。