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第十章 第2話「りりん、神と会う」

 瀧山育人たきやまいくとは、珍しく汐留にある大鳳たいほうアセットマネジメント本社にいた。普段は日本と海外を行ったり来たりで、ほとんど出社することはない。

 なぜDQコミュニケーションが利益の出ないダンジョン内の通信サービスに力を入れているのか。DQの株主としてそれを探らせていたのだが、どうやら指示は親会社のアズサホールディングスから出ているらしい。

 そうなってくると大鳳アセットマネジメントの社員の手に負えるものではなく、CEO(最高経営責任者)である瀧山育人が出るしかなかった。そして策を講じて電話会議にこぎ着けた結果、アズサホールディングス会長である浅田功徳の指示であることがわかった。

 それは考えてもみなかったことだったが、ここまできて引き下がるわけには行かなかった。育人はごり押しで浅田会長とオンライン会談の約束を取り付けたのだ。

 表の仕事なので有能な裏秘書である工藤明日香を使うことができず、育人はほぼすべてを自分でやらなくてはならなかった。『表』の秘書たちは、脚では明日香に並んでも能力は比較にならないのだ。

 浅田会長との会談はZoon Meetingsを指定された。

「浅田会長。ご多忙のところ、お時間を頂戴いたしまして恐縮です。大鳳アセットマネジメントCEOの瀧山育人です」

『CEOの就任で、わざわざ弊社まで挨拶にお見えになって以来ですな』

「ご記憶に留めていただいて嬉しいです。お時間を取らせては申しわけありませんので、早速ですが本題に入らせていただきます。会長の傘下にあるDQコミュニケーションでは、ここ数年ダンジョン内の通信サービスに力を入れていらっしゃいます」

『うむ。確かにダンジョン内の公衆無線LAN敷設を、促進しているよ』

「私どもはDQコミュニケーションの株式を1%保有していますが、今年の株主総会ではダンジョン内通信サービスについての説明がなかったと聞いております。新しいCMでもダンジョンをイメージする映像となっていました……」

『利益が出ていないダンジョン内の通信サービスをなぜ続けるのか。ご懸念はそこですか?』

 浅田会長は育人の質問をすっ飛ばして、いきなり育人がこうとしていた要点に話しを持って行った。

「はい……失礼とは存じますが」

『いや、心配はごもっともです。ところで瀧山CEO、あなたはダンジョンについてどのような知見をお持ちですか?』

 いきなり浅田会長に質問されて、瀧山育人は一瞬言葉に詰まった。こんな質問が来るとは思っていなかったのだ。

「世界各国で、発生する……何と言うか、異変ですが。日本だけは、ダンジョンへの立ち入りが規制されず、自由に探検が行われています……それと、立川の道路陥没が、ダンジョンが原因であることが疑われている。そんな程度です」

 モニターの向こうで浅田会長が頷くのが見えた。

『欧米や、日本を除くアジア一帯では、ダンジョンは災厄と認識されています……台湾では恐らく日本を真似てでしょうな、ダンジョン探検が流行り始めたようです。ダンジョンの中に発生する、モンスターと呼ばれる巨大昆虫についてはご存じですか?』

「スライム、ワームなどの名前は聞いたことがあります」

『なぜ、そんなモンスターが発生したと思いますか?』

「……いえ」

 何となく話をらされている。そんな疑念が頭をかすめたが、育人は浅田の話を聞いてみようと思った。


 瀧山育人とWEBで会談を行っている浅田会長は、虎ノ門の白山トラストタワーにある会長室にいた。そこから直線距離でわずか300メートルほど、六本木のテレビスタジオでは輝沢りりんが冷や汗にまみれていた。

「落ち着け……」

 自分に言い聞かせてりりんは足を踏み出した。向こうのスタジオでは『スーパーソングステーション』のカメラリハーサルが始まっている。

 だがりりんが過呼吸を起こしそうなほど緊張してるのはリハーサルのためではない。今日は2時間も早くスタジオ入りをして、チャリティーライブのためにあちこちに頭を下げて回っているのだ。

「楡坂は……ぜんぜん、平気だったのに……」

一昨日は、かつて所属していた楡坂のオフィスに行って恐る恐る楽曲の使用を願い出てみた。意外なほどあっさりと、プロデューサーは曲の使用をOKしてくれた。『悲しいインビテーション』とほかに2曲、現在りりんの持ち歌は2曲だからこれで5曲。

 しかしりりんはあと1曲、どうしても歌いたい曲があった。

 目的の控え室前で呼吸を整えて、りりんは胸に手をあてて心臓を静めようとした。控え室番号札の下には『水希永美理様』と印刷された紙が貼られている。それを見て、りりんはまた動悸がはげしくなってしまった。

「ヤバい……心臓、爆発して、死ぬかも……」

 水希英美理は、りりんが大好きでよく口ずさんでいる『Forever in my heart』を大ヒットさせた歌手だ。

 それまでテレビ出演もなかったのに、デビューシングルがいきなりミリオンセラーという伝説を残している。りりんが生まれる前からのトップシンガーで、もう神様のような人だった。

 そんな神様に、りりんは厚かましくチャリティーライブで楽曲の使用をお願いしようとしていた。水希さんのマネージャー経由でお願いできればそれでいいと思っていたのだが、何と水希永美理本人がりりんに会って話しを聞きたいと言ってきたのだ。

 偶然にもスーパーソングステーションで出演が重なり、ここの控え室で水希英美理にお目通りすることになってしまった。

 りりんはすでにじっとり湿っているハンカチで顔を拭い、二回深呼吸してから震える手で控え室のドアをノックした。

「はい」

 若い女性の声、電話で話したマネージャーだ。確か水希さんはもう50歳を過ぎている。

「あの。お、約束、いただいてた。輝沢、りりん、です」

 声が震えていた。

「あっ、はーい!」

 ドアが開いた。りりんは喉がゴクッと鳴ってしまった。

「し……つれい、します」

 控え室に入ると、もうステージ衣装に着替えている水希英美理がりりんに笑いかけた。

「ああ……忙しいのに、ごめんなさいね」

『あの声だ』

 りりんは、水希英美理の声を聞いただけで夢心地になった。

『あたし……ソロで、歌手になって。スパソンのスタジオで、水希英美理さんと会ってる……』

 一瞬もう死んでもいいとまで思ってしまった。

「輝沢、りりんです。お時間、い、ただいて、すみません」

 緊張で呼吸が浅くなって、言葉がぶつ切りになってしまった。

「そんな緊張しないで、はい深呼吸」

 英美理に言われて、りりんは2回大きく深呼吸した。

「今からそんなじゃ、本番で声が出ないわよ……チャリティのーライブ配信で、私の歌を唄いたいの?」

「はい。あの……立川の、幼稚園が、地面陥没しちゃって。工事のお金がないので、再開、できないんです」

 深呼吸で吸い込んだ息で、りりんは一気にそう説明した。

「あなたがいた幼稚園?」

「いえ。友達の、妹さん、なんですけど……そこ、もう、70年とか。歴史あるところなので、みんな心配しているんです」

「事務所は、それOKしたの?」

「輝沢さんは個人の事務所で、お母さんが社長をしてお一人だけだそうです」

 マネージャーがそう言うと、水希英美理が目を見はった。

「ごめんなさい。輝沢さん、おいくつ?」

「このあいだ、二十歳になりました」

 りりんが答えると、水希永美理とマネージャーが顔を見合わせた。

「あたし、二十歳の頃って……歌ってるだけで精一杯で、何もできなかったわ」

 水希永美理がため息をつきながら言った。

「もう、そんな時代になっちゃったんです……輝沢さん、企画の会社は入ってるの?」

「いえ。ぜんぶ自分でやります。ユーチューブの製作お願いしているところと、あと友達に手伝ってもらいます」

「それで、目標一千万?」

「はい」

「会場はどこ?」

「あの……」

 りりんは一瞬口ごもった。自分は水希さんが理解できないことをやろうとしているらしい。水希さんが東日本大震災復興支援でチャリティーライブを開催したのは、九段の日本武道館だった。

「立川の、ダンジョンの中です」

 水希さんもマネージャーも、絶句するのがわかった。頭がおかしいと思われたかも知れない、りりんはまた動悸がしてきた。

「もう、これ以上は聞かない。あたしが理解できることじゃないわ……輝沢さん、何を歌いたいの?」

「フォーエバーインマイハート、歌いたいんです。子供の頃から、ずっと、好きで。カラオケで歌うと涙が出るくらい……」

「歌って」

 りりんは心臓が止まりそうになった。まさか、本人の前で歌うことになるとは考えもしなかった。でも、断ることができるはずもない。りりんは目を閉じて呼吸を整えた。

「どーんなー言葉がぁぁー、あなたーに、伝わるのかなぁー。多くーの時がすぎてーもーあなたは、そばで笑ぁーってる。疑うこともない、いつだって、少しの勇気があれば……」

「輝沢さん」

「はいっ!」

 りりんは息が止まって体が痙攣した。

「歌い出しはね。囁くくらいの気持ちで、『多くのー』のところから少しずつボルテージを上げていくのよ」

 そこで水希永美理が歌い出して、りりんは体中に鳥肌が立った。

「水希さん、もう時間です」

「ああ……輝沢さん。歌の使用は認めます、でもチャリティーでも著作権料取られることがあるから、前もって協会に相談するのよ」

 控え室を出てからも、りりんは夢の中にいる気持ちだった。

「何が何でも……成功、させて、やる!」

 廊下の真ん中でガッツポーズをとるりりんを、スタジオのスタッフが笑って見ていた。


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