待ち合わせはJR有楽町駅の国際フォーラム口改札だった。エリカが自動改札を出てあたりを見回すと、『エキュート』の案内版の横に
今日はジーンズなんかのカジュアル厳禁と言い渡してあるので、たぶんH&Mあたりで
「現役アイドルがスッピンで出てくるのか?」
エリカが横に立って声をかけると、輝沢りりんはちょっと驚いたような様子でスマホから顔を上げた。
「おはようございます。ちゃんとメイク、してますよ」
りりんが言ったが、きっとファンデーションとリップ程度だろうとエリカは思った。
「今日一緒してくれるのは、大学の同期なんだけどね」
ビックカメラの横を歩きながら、エリカはりりんに説明した。
「同い年で、テキヤの親分さんなの」
「テキヤって、何の仕事ですか?」
たぶんりりんは知らないだろうと思っていたが、やはり知らなかった。
「テキヤさんはね。神社とかのお祭りで出る屋台、いろんな種類がある屋台の場所決めから材料の手配をみんなやるの。でもヤクザなんかとは違うのよ」
信号が点滅し始めた横断歩道を二人は早足で渡った。
「ヤクザ……暴力団みたいに、反社会的ってのじゃないから。ヤクザが恐がるのは警察だけど、テキヤさんが恐いのは保健所だから」
「保健所? どうしてですか?」
「食中毒出してテキヤが営業停止なんてなったら、屋台の人が困るでしょ?」
「あ……そうですね。あ、ここ、帝国劇場?」
「改装でいまやってないけどね。来たことあるの?」
「ないです……日比谷の、宝塚は一回は観てみたいです」
「チケットないって言うけど、芸能人ならツテでなんとかできるんじゃんない? ともかく、同期でテキヤの親分は片勢麗奈って言うんだけど。ヤクザじゃないからね、ヤクザは禁句。いい?」
「了解ですっ!」
二人は皇居のお堀に面した東京會舘のいかめしい入口をくぐり、古めかしい教会を思わせるメインバーの扉を開けた。
「片勢って人と待ち合わせ」
エリカが告げると、マネージャーはおごそかな物腰で二人をカウンターに案内した。カウンターには白いスーツを着た女性が一人だけ座っていた。
「その子がいま話題のアイドル?」
二人がカウンターの近くまで行くと、女性が振り返ってそう言った。カウンターにはもうカクテルグラスが置いてあった。
「元アイドルで、今は歌手を目指してるの。輝沢りりん」
「よろしく、お願いします。輝沢りりんです」
りりんが立ったままぺこんと頭を下げた。
「堅っ苦しくしないで、片勢麗奈よ。エリカからあたしのこと聞かされた?」
「テキヤさんの……親分さん……」
りりんが答えると、麗奈が小さな声で笑った。
「まあ……親分じゃなくて顔役だけどね。今はお祭りの屋台だけじゃなくて、フリマなんかも仕切ってるんだよ」
「え? そうなんですか?」
「まあ、立ってないで座りなさいよ」
麗奈とエリカに挟まれると、りりんはひときわ小さく見えた。
「二十歳?」
「はい」
「ぜん、ぜん、見えないでしょ」
エリカが言うと麗奈が声を出さずに笑った。
「きっとここに一人で来たら入れて貰えないね、保護者と一緒って言われる」
それからカウンターの中で微笑んでいるバーテンダーに声をかけた。
「
「ないです。ぜんぜん」
「だって、ちょっとアルコール弱めにして」
やがてりりんの前に置かれたのは、オレンジとパイナップルがあしらわれた賑やかなグラスだった。
「マイタイでございます。ラム酒にオレンジリキュールを加えて、レモンとパイナップルのジュースで割った物です。ハワイアンカクテルと呼ばれます」
バーテンダーの説明に、りりんはかしこまったようにちょこんと頭を下げた。
「高階さん、ソルティドッグをもう一杯。エリカは?」
「マティーニ、ドライでお願いします」
エリカの前に置かれたのは、絵に描いたようなカクテルだった。
「誕生日おめでとー」
3人は静かにグラスを合わせた。
「ああ……りりん、名刺持ってきてる? 麗奈と名刺交換しておきなさい」
「輝沢さん、産まれどこ?」
「沖縄の嘉手納なんですけど、すぐ大阪に移ったらしくてぜんぜん記憶ないんです」
「今は高尾山口のそば屋さんが実家」
「そば屋?」
エリカが言うと、麗奈がちょっと意外そうに聞き返した。
「蟹沢屋って、お店です」
「ああ……ケーブルカー駅の横でしょ? 入ったことあるよ」
「え?」
「薬王院は毎年お参りに行ってるから、あの辺のそば屋は全部入ったことあるの」
「あ……ありがとう、ございます」
「いま、土日のどっちか。りりんがそば打ってるらしいよ」
「そば打つの? アイドルが?」
「調理師免許も持ってます。そば打ち見にくるお客さんはすごい多いんですけど、駅前が混雑するから回数減らしてくれって言われてます」
りりんはようやくマイタイのグラスに口をつけた。
「あ……おいしい。ジュースみたい」
「サワーよりもアルコール度数は低いはずですよ」
バーテンダーがオイルサーディンの皿を出しながら言う。
「りりんは胃袋でかいから、酒も強いかもね」
「いっつも大食いするわけじゃありません。気合い入れる時だけです」
「そんなに?」
「麗奈、3ポンドの肉って想像つく?」
エリカが言うと、麗奈がちょっと考えた。
「3パウンドって……1キロ400くらい?」
「この子そんなステーキ、ペロッと食べるのよ」
「あのあと、丸一日何も食べられませんでした」
りりんがそう言って、エリカも麗奈も苦笑した。
「それだけ食べなきゃダンジョン突っ走れないわよね……ねえりりん」
「はい?」
「あの、CMのメイキング見たけど。ダンジョンのセット走るの30回撮り直したって、ホントに?」
「ホントです。セットが回転するのにタイミング合わせるまで10回かかって、よろけたり転んだりでリテイク20回やって。OK出たのテイク35らしいんですけど、半分くらい意識飛んでて覚えてないです。終わってマジ泣きしました」
りりんは麗奈に勧められて、2杯目はジンフィズを頼んだ。
「え? 牛乳?」
目の前でバーテンダーがシェーカーに注いだ白い液体。その瓶も、どう見ても牛乳瓶だった。
「むかし。戦争が終わってから、ここはアメリカ軍の将校クラブでした。将校さんが朝からお酒を飲んでいることがわからないように、ミルクに見えるように工夫して作ったそうです」
バーテンダーが穏やかな笑顔を浮かべながらシェーカーを振った。
「そんな……昔からあったんですか? ここ?」
「創業から103年よ」
シェーカーからグラスに注がれたジンとミルクをソーダで薄めて、見た目は確かに牛乳だった。
「あ……あ……なんか、すごい甘くて爽やかです。これ、好きかも」
「ありがとうございます。アメリカの将校さんたちが飲んだレシピより、ジンは半分くらいにしてあります」
エリカは3杯目のドライマティーニ。カウンターに置かれたグラスの縁にぴったり納まる量がシェーカーから注がれる。
「すごい……」
りりんが本気で感嘆した声を上げると、白い上着を着た年かさのバーテンダーがにっこりと笑った。
「エリカ、立川の、あの道路とかに穴空いたの。あんたに関係あるの?」
「直接じゃないけどね……」
エリカはグラスを取り上げずに、カウンターに置いたままそっとひと口マティーニをすすった。
「2回ともあたしダンジョンの中にいたんだ」
「うわ、よく無事だったね」
「それで、2回とも空吹圭太が行方不明者を捜索に行ったの」
「え? 二回目も?」
りりんが目を剥いた。
「二回目の時は、ひとり半分生き埋めになりかかってたそうよ」
『牧原雅道が』とまで、エリカは言わずにおいた。
「それよりまずいのは、グランドに穴が空いちゃった幼稚園でね……修復するのに一千万円かかるんだって」
「え? 建物そんなに壊れたんですか?」
りりんに聞かれて、エリカはちょっと首を振ってグラスを取り上げた。
「穴はグランドだけで、埋めればいいんだけど。中の状態を調査してからじゃないと工事ができないんだって……その調査に何百万もかかるんだって。でも子供が減って予算厳しいから、そんなお金がない」
「結構昔からあるところでしょ? あの幼稚園」
5杯目のソルティドッグを空けて、麗奈が言う。
「もう75年とか言ってたけど……圭太の妹ちゃんもそこ出てて、廃園になるかも知れないって泣いてた」
「クラウドファンディングとかできないの?」
「それじゃ時間がかかりすぎて、やっぱり維持できないそうよ。あんまり時間かかっちゃうと、工事の間よその幼稚園に行った子供が卒園して戻ってこなくなるし」
「うわー。絶望的」
「だったら……」
りりんがジンフィズを飲み干して、グラスを置いて言った。
「あたしが。ユーチューブで、チャリティーのライブ配信やります!」
いきなりりりんがそんなことを言いだしたので、エリカも麗奈も呆気にとられていた。
「大丈夫? りりん、酔っ払ってない?」
「酔って……ないと、思います。それならきっと、すぐお金集まります」
「ちょっと、一千万だよ?」
「行けると思います。目標の金額出して、リアルタイムで集計して」
そう言い切るりりんに、エリカと麗奈は不安そうな顔を見合わせた。