モノレールの立川南駅から少し南に行ったところに私立の『子供ランドわかば幼稚園』がある。創立は昭和の初めで、地域でずっと親しまれてきた幼稚園だった。
午後3時を過ぎてほとんどの園児は帰宅して、残っているのは預かり保育の幼児と課外の英語教室で授業を受けている数人だけになっていた。
「今野さん」
保母の一人が設備管理の男性職員を呼んだ。
「園庭が、何かちょっと変なんです」
「園庭?」
男性職員は大きな遊具と、トレードマークであるコブシの木が立つ園庭を見回した。
「どこが?」
「滑り台と桜の木の間、事務棟の前が……何だか、地面がたわむような気がするんです」
「たわむ?」
「一昨日気がついたんですけど、もっと前からだったかも知れません」
保母と男性職員は園庭に出て、問題の場所に立ってみた。
「普通に歩いていたらわからないんですけど、走ると何だか『ぼよん』って沈むような感じがして」
「曙町の交差点みたいに、穴開いたりしないよね」
「いやだ、こわーい!」
男性職員はそこで軽く跳ねてみた。
「うん……何か、変だな。何でだろ?」
「ね?」
「これは、どこに相談したらいいのかな?」
そう言いながら男性がもう一度大きく跳ねて着地したときだった。男性の足が地面に沈み込んだ。
「うわっ!」
バランスを崩して尻餅をつくと、地面に亀裂が走った。
「危ない危ない、逃げて!」
保母は跳ぶように走って逃げ、男性職員は這うようにそこから離れた。
『ぼすん』
鈍い音がして園庭の地面が陥没して、直径2~3メートルの穴が開いた。
「残ってる園児、避難させて! 電話、警察!」
パニックになる職員たちをあざ笑うように、穴から茶色い土ぼこりのようなものがフワフワと立ち昇った。
俺とエリカは何事もなく……まあスライムを叩いてガラスにして虫を追い払ってと言う程度のことはやりながら、エリア25まで降りてきた。
「ここからあと2区画進んで、分岐の先がお寺」
「まあ、そこまで行かなくても良いけど。どこか適当な行き止まりないかしら?」
「きっとダニいるぜ」
最近は『横道制覇隊』と言って、ダンジョンスターに記録されていないルートを選んで入って行くパーティーも多くなったそうだ。
DQの新サービスで、オフラインで歩数や方向を記録して後からダンジョンスターにアップロードできるようになったのだ。走破したパーティーの名前も記録されるから、みんな争うように未開拓のルートを探している。
当然そんなルートには行き止まりも多いから、横道を開拓するパーティーは必ず殺虫剤を持って行く。なので行き止まりに巣くっていたダンジョンダニもどんどん減っているようだ。
「ここ、あんま深くないし。走破されてだいぶ経ってるから、いいかも」
走破済みで、横道のさらに横道もない行き止まりに入って時間を無駄にするパーティーはいない。だから打ったタガネにいたずらされる危険も少ないはずだ。先に入って行き止まりにダニがいないことを確かめて、俺はエリカを呼んだ。
「この、新品のタガネ。打ち込んでみて」
エリカにわたされたタガネは、前に見た先が尖ったものではなくマイナスドライバーのような形だった。
「これ、削ったり割ったりするので、打ち込むヤツじゃないぞ」
「もうそれしか売ってないのよ」
俺はタガネを壁にあてて、小さいハンマーで叩いた。小石が混じった硬い土なので力をこめればタガネは簡単に刺さる。
「これで、後は?」
2本打ち込んで俺はエリカに聞いた。
「何日かしたら回収して、ダンジョン博士に調べてもらう」
タガネに、本当にマナエネルギーが入り込むことがわかれば……。
「それで……これにマナが入るってわかったら、ダンジョンの外に出してからどうするの?」
「そこまでは考えてない。でも、キノコ屋さんは有効に使っているようね」
俺はハンマーをベルトに挿しこんだままで手を止めた。
「そうか……これ、外で使うと……そこがダンジョンになっちゃうんだ。あ……」
そこで俺は、もうひとつ気がついた。
「新宿?」
エリカが頷いた。
「キノコ屋さんたちは、ここでマナタガネを作って新宿のあそこで使っているのね」
「それ……ヤバくない?」
ダンジョンからマナを取りだしても、それで別のダンジョンを作ったのでは意味がない。
「ヤバイよねー」
エリカが壁に打ち込んだタガネに指をあてながら言った。
「ダンジョンの外にマナのパワーが移るとして、1本でどれくらいの面積に感染が広がるのか……外にマナ感染が起こったとして、それは有限なのかとかね」
エリカが『感染』って言葉を使ったので、俺は体中がゾクゾクした。
「これはもう厚生局だけの案件じゃなくなってきてる……はっきり言って災害レベルだわ。国で何か手を打ってくれないと……」
「桐島さんが……新型災害だっけ? そんな仕事じゃなかったっけ?」
「文科省ね。まあ……ダンジョンをどうするって話しじゃなくて、とりあえずポスト作ったって感じね。ねじ込んだのは浅田さんかも知れないけど」
エリカは指先についた砂を払い落として、ショルダーのファスナーを閉じた。
「国交省も一度だけ来たけど、もう本腰を入れてくれないと手遅れになるわ……よし、帰ろう」
外の通路を数人の足音が通って行く、午前中から入ったパーティーがそろそろ引き上げてくる時間だった。
ここから入って曙町のあそこまで、俺が知っているルートだと行くだけでも4時間くらいかかる。新しいルートを発見しようとしているパーティーもいるだろう。
俺とエリカはケーブルがあるメインの通路まで出て、西三丁目公園に向かって歩き始めた。
「エリカは……結婚とか、しないの?」
「なんでいきなりそんなこと聞く」
エリカが振り返りもしないで不機嫌そうに答えた。
「だって、俺を……何て言うか、狙ってるじゃないか」
「せっかく年下のオトコが身近にいるんだ。気があるふりしてやれば、自尊心くすぐられるでしょ?」
それは、俺に気があるのかないのかどっちなのか。エリカはしょっちゅう言うことが変わる。
「あんたは100パーセント安全みたいだからね、それじゃあたしが面白くない」
俺は腹の底でため息をついた。やっぱりからかわれているらしい。マジでそのうち襲ってやろうかとまで考えてしまった。
「あ……」
一瞬だけ、空気が動いた。この間の、曙町の陥没と似ている。
「どうした?」
「何か。こないだの、お寺のときみたいな……」
そこまで言ったときに、ダンジョンの奧から『ふわっ』と風が流れてきた。
「ヤバイ! まただ!」
俺はエリカの背中を押すようにして走り出した。奥の方からも、何かわめきながら走って来るパーティーがいる。
暴風は襲ってこなかったけど、俺とエリカは1時間でエリア25のあたりから公園までたどり着いた。新記録だ。
「おい。どした?」
汗まみれでよろめき出てきた俺とエリカを見て、杉村のおっちゃんが立ち上がった。
「また……陥没、じゃないかな」
俺は息を切らせながら答えた。
「どこで?」
「25より……奥……」
そのとき、俺たちの後から3人パーティーが出てきた。全員土ぼこりまみれだ。
「どこが崩れた?」
「よくわからない。27あたり」
3人はそのまま公園を出て行った。ドックタグも返却していないことに俺は気がついたけど、それを言う前に杉村のおっちゃんが声を上げた。
「あいつら、4人で入ったぞ! 一人出てねー!」
おっちゃんは入場記録に書かれてある番号に電話しているようだ。
「あいつらデタラメ書きやがった。使われてない! やっぱりロクでもねーヤツらだ!」
「陥没させて、見捨ててきたの?」
エリカが言った。そうだったら最悪だ、あいつらは中で何をやっていたのか。俺は一度息をついて覚悟を決めた。
「おっちゃん。ライト、電池代えて!」
「ああ?」
「救助に行く」
「ええ?」
エリカが目を剥いた。
「生き埋めになってるかも知れない。早く助けないと!」
俺はリュックからタオルを出して顔に巻き付けた。たぶん現場の近くはホコリだらけで。
「もうひとパーティー、まだ3人出てないんだ」
「わかった!」
「やめな! 危ないってば!」
叫んだエリカに俺は笑いかけた。タオルの下だから見えないと気がついたけど、外すのは面倒だった。
「俺はスイーパーだ。いまここには俺しかいない!」
おっちゃんが差し出したライトと水を受け取って、俺は再びダンジョンに走り込んだ。