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第五章 第8話「マトリの捜査でマジ△関係?」

 完全に油断していた。りりんの歌に頭も体も揺さぶられていたこともあったけど。おっちゃんに注意された連中がこんなところまで来るとは思っていなかったのだ。

 いきなりライトを浴びせかけられるまで、そいつらに気がつかなかった。

「輝沢りりんちゃん?」

 なれなれしく呼びかけられて、俺はやっと『やばい』と気がついた。

「……はい」

 りりんが返事をしてしまった。

「ちょーっと、俺たちと一緒に来てもらえないかな?」

「だめだ」

 俺はりりんを庇うようにして前に出た。俺のヘッドライトに浮かび上がったのは、見るからに危なそうな3人だった。

「お前に用はねーよ。引っ込んでな」

 そう言われて引っ込むことなんかできない。俺は音を立ててハンマーのヘッドで地面を突いた。

「俺も彼女もお前らには用がない。どいてくれ」

「用がねーのはお前だけなんだよ!」

 一人が踏み出してきて、俺を蹴ろうとした。俺は一歩引きながらハンマーの柄でそいつの脚をすくい上げようとした。

「ヘェイ!」

 そいつは飛び跳ねるようにしてハンマーの柄を避けた。まずい、ケンカなんかに慣れている奴らだ。俺のこけおどしなんか効きそうにない、どう考えても分が悪かった。

「……りりん」

 俺は後ろにいるりりんに小さな声で言った。

「スライムがいたところまで、戻ろう。ゆっくり」

 りりんが何歩か後じさる、俺はちらっとそれを伺ってゆっくり後ろ向きでさがる。

「おい、逃げンなよ。俺たちはりりんちゃんとお話したいだけなんだよ。ファンなんだよ」

 たとえ本当にりりんのファンだって、こんな危なそうな連中にりりんを渡すわけには行かない。

「なんで……こんなところまで追いかけてくるんだよ」

「いいじゃねーか。たまたま見かけたんだよ……おい、逃げんなって言ってンだろ!」

「りりん! 走れ!」

 奧へ入ってしまえば中を知っている俺たちの方が有利だ、どこかで奴らをまくことができるかも知れない。正面突破を試みるよりは可能性があるはずだ。

 スライム。通り過ぎながら思い切り叩いた、硝子の破片になってバラバラ剥がれ落ちる。後ろで奴らが罵りわめく声。ダンジョンスターを見ている余裕なんかない、たぶんりりんは通信ケーブルをたどって走っているはずだ。

『あいつら……ダンジョンスター使って来たのか?』

 3人の誰もスマホを出していなかった。たぶんダンジョンスターは見ていない、だったらどうやってエリア13まで迷わないで来れたのか? 考えている余裕はなかった、もう俺のすぐ後ろまで足音が迫っている。

 『ここで踏みとどまってりりんを逃がす』俺はとっさにそう決めた。

「りりん。行って!」

 俺は叫んで足を止めて、振り返りざまにハンマーを振った。

「うおっ!」

 手応えはあったけど浅い、かすった程度だろう。俺は通路を塞いで立ち止まり、ハンマーを両手で構えた。

「おーぅ。やる気だぜこのガキ」

「ムダだって、痛い思いしないうちにおとなしく帰んな」

「この中で……好き勝手、できると、思うな」

 息を切らしながら、精いっぱいの脅しを言ってやった。3対1で勝ち目なんか絶対ないけど、殴られたって蹴られたってりりんを逃がせば俺の勝ち。そう思うしかなかった。

「警告はしたからなー。どうなっても知らねーぞ」

 一人がどこかから細い小さな棒を取り出した。片手で『パチン』と開くと、ライトに反射して白く光るものが出てきた。折りたたみのナイフだ。

『くそ』

 俺はハンマーのヘッドを奴らの方に突きだした、リーチの差でナイフは届かない。たぶん。

「そんな土建屋の道具でケンカできると思ってンのか? ああ?」

 ナイフをひらひら動かしながら一人が迫ってきた。俺は後じさりそうになる足を踏んばって、そこを動かなかった。

「おらぁ!」

 白い光、ハンマーを持つ俺の手を狙ってくる。ハンマーを突きだして防ごうとした。だが男が空いた手でハンマーの柄をつかんだ。

「がっ!」

 腹を思い切り蹴られて、俺は息が詰まって目の前が暗くなった。

「この!」

 ハンマーを振り上げようとした瞬間、目の前に火花が散った。背中に地面に転がる石がめりこむ感触。俺は仰向けに倒れたらしい。起き上がろうとすると胸を踏みつけられた。

「寝てろ! このガキ!」

「ガキじゃ……ぐっ……」

 脇腹を蹴られて息が詰まった。

「やめてぇぇ!」

 もの凄いりりんの声が洞窟に反響した。俺の、横向きになった俺の視界の中で3人がたじろぐのがわかった。視界が黒い髪で塞がった、りりんが俺に覆い被さっている。

「やめて! やめてください! あたし、一緒に行きます! だから、彼に乱暴しないで!」

 りりんが戻ってきてしまった。

『だめだ……りりん……』

 そう言いたいけど、肋骨が痛くて呻き声しか出ない。

「おーぅ、彼氏ぃー。りりんちゃんがああ言ってるぜ。うらやましいなぁー」

 3人の下品な笑い声。こいつらをハンマーで叩きのめしてやりたいところだが、体を起こすこともできなかった。

「それじゃ、りりんちゃん。一緒にきてくれるー? ちょーっと、みんなでパーティーなんかいいよねー」

 視界が戻った。りりんが、左右から腕をつかまれて連れて行かれるところだった。

「りり……ん……」

 腕と膝を引き寄せて、体を横向きにして。それだけで痛くて目の前が暗くなった。何とか体を起こすと、3人とりりんはなぜか立ち止まっている。

「……誰だ」

 男の一人が言った言葉が、洞窟に気味悪く反響した。

「ぐうっ!」

 重い衝撃音、そして呻く声。ひとり、前のめりに倒れた。

「おいっ!」

 りりんの片腕をつかんでいる一人、そう叫んだ瞬間何か金属音がした。

「ぐあっ!」

 そいつがりりんの腕を放して両手で顔を覆った。そいつの向こう側に誰かいる。スーツを着てネクタイをした男。

 男の片手が動いた。顔を覆ったままのヤツは、派手な音をたてて仰向けに倒れた。

「誰だ、お前!」

 まだ立っている残りの一人が、りりんを引きずるように後じさりながら言った。

「牧原の伯母さんがなぁ、お前ら片付けろって言ったんだ。知ってるだろ? 雅道のおばさん、牧原理恵子」

 スーツを着てメガネをかけた、ダンジョンにまったく不似合いな男は低い声で言った。

「それが、何だってンだよ!」

「お前らみたいなクズがいると、雅道が面倒ばかり起こすんでな。消えてもらえだとさ」

「なん……」

 残りの一人はそれ以上声を出せなかった。スーツの男が一歩踏み出した瞬間に、そいつは崩れ落ちるようにして地面に倒れたのだ。

「あ……」

 俺は『危ない』と声を上げようとした、でも声が出ない。最初に倒されたヤツが体を起こして、またナイフを取り出したのだ。でもそいつが立ち上がろうとした瞬間に、風を切る音がした。

「がっ!」

 そいつは見えない足に頭を蹴られたようにのけ反って、ナイフを落として倒れ込んだ。何かが飛んで来たように思えたけど、今のは何だったのか。

「圭太さん、圭太さぁん……」

 りりんが泣きながら俺にすがりついてくる。

「いててて……りりん。そこ、痛いから」

「空吹君じゃないのか?」

 スーツの男がナイフを拾ってポケットに入れ、俺に声をかけてきた。

「俺を……知ってるん、ですか?」

「ここにはよく入っているからね、俺をふくめてみんな君には世話になっている……有藤って者だ」

「え?」

 すると、この人は探索者か実況のパーティーメンバーなのか。

「ゆっくり立って」

 有藤さんに手を引かれて立ち上がった。体があちこちに傷みが走って、メキメキ音を立てそうな気がした。

「なんで……あいつらを……」

「あー……さっき、俺があいつらに言ったこと、忘れてくれるかな?」

 俺はまだ半分麻痺している頭で思い出した。牧原理江子とか雅道とか、タレントさんの名前だった。

「ああ……何でしたっけ? よく聞こえませんでした」

「それでいい」

 有藤さんが笑いながら言う。

「輝沢さんもね。知らない方が良いことだから」

「……はい」

 有藤さんに肩を貸してもらって、俺とりりんはのろのろ出口に向かう。

「輝沢りりんを助けたなんて光栄だよ。俺、ずっと楡坂にれざかのファンなんだ」

「ひゃっ?」

 有藤さんがそう言って、りりんが変な声を出した。

「楡坂はさ、メンバー均一化させないでそれぞれの個性第一で押して来てるじゃない……あ、こっち。13からのショートカット、あいつらが蹴り開けたんだ」

「えっ?」

 そんなことも有藤さんは知っていた。かなり西3丁目公園ダンジョンに精通している。そして途中ずっと、有藤さんは『坂グループ』のことを話していた。地上に出た時には、やっぱりもう午後9時近かった。

「どうやって帰るんだ?」

「自転車で、来ました」

「輝沢さんも?」

「はい」

 有藤さんはちょっと考えていた。

「まあ……君たちの関係については詮索せんさくしないよ。空吹君は一般人だし。とにかく、急いでここを離れて。俺はもう少しここにいて、奴らが出てきたらもう一回眠らせるから」

 体はあちこち痛くて熱を持っているけど、俺は懸命に自転車を漕いでりりんを西国立の駅まで送り届けた。

「明日。11時集合だね?」

「だめ。無理してこないでください」

「湿布貼って、ひと晩寝れば治るよ」

 自動改札機の前でりりんは立ち止まり、体ごと振り向いて俺に抱きついてきた。

『うっ……』

 肋骨が痛んで息が詰まったけど、何とか声を出さないで済んだ。

「それじゃ……気を付けて。また、明日」

 ずっとこうしていたい気はあるけど、痛いのはどうにもならない。名残惜しいけどりりんの肩をそっと押して放した。

 何度も振り返って手を振るりりんを見送って、俺はやっと普通に息ができるようになった。

「やばい……俺。本気でりりんのこと好きになったかも……」


 圭太とりりんが去った後の西3丁目公園、ダンジョンの入口から出てきたのは御崎エリカだった。

「あたしがよそ見している隙に入ったの、あんただったのね」

 ダンボのテント脇に立っている人影に、エリカは声をかけた。

「石投げてくれたのは、あんたか」

 テントの陰からLED街灯の明かりに出てきた有藤が笑いながら言った。

「あたしは御崎エリカ。あるところの依頼であいつらを追っていたの」

「その、『あるところ』がどこだか知っているけどね。有藤肇ありとうはじめだ、職業は芸能マネージャー。趣味でダンジョン探検をする」

「芸能マネージャー?」

 エリカが不審そうに聞き返した。

「中で俺が言ったこと、聞こえただろ?」

「牧原理江子とか雅道とか……」

「そう。あなたが『あるところ』に関係していると知った上で言うけど、俺は牧原雅道のマネージャーさ」

「はあ?」

 一瞬、取り繕ったエリカの態度が崩れた。

「芸能マネージャーが、ずいぶん簡単に半グレを片付けたわね。何を使ったの?」

「こいつさ」

 有藤はスーツのポケットからキーホルダーを取り出して見せた。鍵が10本ほどついているのは良いとして、キーホルダーは妙に長くて黒い棒だ。

「クボタンと言う、まあ自衛用の武器だ。鍵で顔をひっぱたくと、もの凄く痛い……ところで、俺はあいつのマンションを『あるところ』の人たちが張ってるのも知ってる」

「そうなの? でも……」

 エリカはこの混乱した一連の状況を整理しようと、考えを巡らせながら言った。

「張り込みと……有藤さんがここでやらかしたドタバタは、どう関係あるの?」

「詳しいことは言えない。だが俺はあいつらの手から輝沢りりんを守る必要があった、だから助けた。空吹君はその巻き添えだな」

 牧原理江子と、甥の牧原雅道。それと輝沢りりんと半グレの3人。その間にどんな関係があるのか。

「これ以上話すことはできない……あいつらが出てこられるかどうかわからないけど、あんたはそれまでここで張るんだろ? 見張ってるから、トイレ行くなら今のうちだよ」

 ちょっと腹立たしい気はするが、エリカは申し出に従うことにした。

「あいつらは、出てきたらたぶん雅道のマンションに行ってあいつを締め上げるだろう。連中が入ったらすかさず踏み込まないと、ヤバいことになるだろうな」

 そう言った有藤を、エリカは長いこと見つめてから言った。

「牧原雅道のマネージャーとして、この件をどうするつもり?」

「知らない。俺はもうあいつらに愛想が尽きた。雅道にも、その伯母にも。下手をすれば全責任を俺におっ被せようとするかも知れない。もう二人とも、俺の辞職メールを読んだはずだ。俺は違法薬物のことは知らないことになっているし、あんたらの邪魔はしないよ」

 そう言って有藤は、エリカに小さく手を振って去って行く。エリカは小さくため息をついて、現在の状況をSNSで報告した。


 半グレの3人が西3丁目公園ダンジョンからよろめき出てきたのは午前5時少し過ぎで、ここからどこへ行くにしても西国立駅から南武線に乗る以外の交通手段はなかった。3人は立川行きに乗ったので、恐らく有藤が言った通り雅道のマンションへ向かうのだろう。

 エリカは3人が乗った隣の車両から監視を続け、早くも通勤客で混み始めた立川駅で中央線東京行きに乗り換えた。

 3人が京王線初台の駅で下りたところで、エリカは張り込みの捜査員にSNSでもう一度注意を促した。

 3人がイライラしながらオートロックを開けてもらう様子を、マトリの捜査員が離れて監視していた。3人がエレベーターに乗った頃合いを見はからって、管理会社から借り出していたキーでオートロックを解除、待機していた刑事と一緒にマンションへ突入した。

 23階、牧原雅道の居室はドアに鍵がかかっていなかった。捜査員はチャイムを一回押しただけで一斉に部屋へなだれこむ。中ではまさに、3人が牧原雅道に殴る蹴るの暴行を加えているところだった。

「警察だ! 動くな!」

 刑事の大音声の一喝いっかつで、中にいた全員が硬直していた。半グレの3人は暴力行為の現行犯でそのまま手錠を掛けられ、顔を腫らした牧原雅道はマトリ職員が引き起こしてソファに座らせた。その左右に職員が座り、ビデオカメラで撮影も始まった。

「牧原さん。何で来たかわかってるよね? このマンションに怪しい物があるよね? それ素直に出して」

「何の……こと、ですか?」

 鼻血を拭いながら雅道が言った。寝室に入って行った職員が、奇妙な形のガラス器具を持って来た。

「牧原さん。これはなに?」

 雅道は蒼白な顔をうつむけて、消えそうな声で言った。

「吸引、パイプ、です」

「何の? 吸うものはどこにあるの?」

 家宅捜索はエリカの仕事ではなかった。突入が始まった時点でエリカの役目は終わりである。眠いしお腹は空いているし、あれやこれやで気分は最悪だった。

「せめて……コーヒーぐらい」

 生憎、近くにはカフェどころかハンバーガーショップすらなかった。駅の自動販売機で缶入りのカフェオレを買い、ホームで電車を待ちながら少しずつ飲んだ。

「別に……圭太と付き合ってるわけじゃないし……」

 そうつぶやいてエリカは鼻で大きくため息をついた。


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