目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第五章 第7話「エリア13。もういい加減にしろ……」

 エリカが尾行している3人は、初台から京王線に乗って新宿でJR中央線に乗り換えた。新宿の駅も中央線もひどく混んでいるので尾行はそれほど難しくはない。

 駅のホームで電話をかけるふりをして、エリカは3人の顔を撮影してメールで局に送った。電車が三鷹で特急の通過待ちをしている間に照会結果が返ってきた。

 一人は違法薬物の所持で逮捕歴があり、もう一人は特殊詐欺で逮捕起訴されて執行猶予中だった。

「ゲーノー人の、ろくでもないお取り巻き?」

 エリカはため息交じりに小声で言った。誰だか知らないが、何でこんな連中を出入りさせるのだろう。3人は立川駅で中央線から南武線に乗り換えた、そのころからエリカは嫌な予感に襲われていた。

「どこ行く気だ? こいつら」

 3人は揃って西国立の駅で降りたので、エリカの不安は一層激しくなった。

 こいつらは西三丁目公園ダンジョンに向かっているのではないのだろうか。何をやる気なのか知らないが。あそこで犯罪がらみのことをやられるくらいなら、まったくハズレの尾行だった方がまだマシだった。

 さらにエリカは、誰かが自分か3人をつけている気配を感じていた。そっと周囲をうかがってもそれらしい人の姿は見えないのだが、西国立の駅を出た時からそんな気配を感じるのだ。

「用があるのは、あたし? それともあいつら?」

 正体不明な追跡者の気配を探っているうちに、エリカの不安は的中していた。3人は時々スマホを見ながら西三丁目公園に来てしまったのだ。こんな時間のこんな公園に、こいつらがブランコに乗りにくるはずがない。目的は間違いなくダンジョンだ。

 まだダンボの杉村さんは受付にいて、3人と押し問答になっていた。もう受付も終わる時間なのに、まったくの初心者が懐中電灯だけでダンジョンに入ろうとしているのだから誰だって止める。最終的に3人は、受付の机を蹴り倒して中へ入って行ってしまった。

「杉村さん、お怪我はないですか?」

 3人の姿がダンジョンに消えると、エリカは杉村に駆け寄って机を起こすのを手伝った。

「ああ……御崎さんか。別に、何でもないけど。あいつらは何がしたいんだろうね? あんたも、こんな時間に何をしに?」

「仕事で、あの3人を見張ってました」

「なんかやったの?」

「いえ。まだやってはいないんですけど……これからもやらないで欲……」

 背中に何かの気配を感じてエリカは振り返った。ダンジョンの入口には誰もいないが、人が動いたような気配を感じたのだ。

「杉村さん。いま、後ろ。誰か通りましたか?」

「いやぁ……あんたの陰になって、何も見えなかった」


 りりんがエリア13の『例の場所』に入るのを嫌がったので、パスして22まで行くことにした。新しく作られたホールだ。

 まだ遭難者ロストは出ていないし、マッシュルーム栽培も行われていないかそここはクリアなのだ。

「出たら、たぶん9時近いぞ」

「あたしは平気です。圭太さんは?」

「家に電話しておけば大丈夫……あ?」

 スマホを出したところで着信が来た、おっちゃんからだ。

「はい。空吹です」

「あー! 繋がってよかったぁ!」

 杉村のおっちゃんが本気で安心したような言い方をしたので、俺は逆に不安になった。

「何かあったの?」

「さっき……5分ぐらい前だけどな、おかしな3人組が入って行ったんだ。どこまで行くとも言わないし、道具もろくに持ってないからダメだって言ったんだけどよ、無理やり入って行った。なーんか危なそうな奴らだから、出くわさないように気をつけろ」

「あー、わかりました。こっち、22まで行きますから。9時になると思います」

「またそんな時間まで……まあ、気をつけてな」

 俺はスマホを持ったままでちょっと首を傾げた。こんな時間にろくな装備もなしでダンジョンに入る奴らは何がしたいのか。考えながら家に電話を入れると、珪子が帰ってきていた。

「あー。俺、ダンジョン入ってて、ちょっと遅くなるかもしれないから」

 電話をポケットに戻して、またちょっと考えてからりりんに聞いてみた。

「今日、ここに来るって誰かに言った?」

 おっちゃんが心配して電話するほど柄が悪い奴らがりりんのファンだとは思えないが、一応聞いてみた。

「いえ……圭太さんだけ」

 りりんが目的でなかったら俺か、だが俺は誰かに恨みを買うようなことは……。

「ちょっと、してるかな?」

 前に13のホールにいて俺が死ぬほど脅した4人、警察に自首して逮捕されたのは2人だけだ。一人はダンジョンを出たあと行方をくらませて、もう一人はダンジョンから出て行ったかどうかもわからない。

「どうしたんですか?」

「何だか怪しげな3人組がさっきここへ入ったらしい。杉村のおっちゃんが、気を付けろって言ってきた」

 でも気を付けたところで出口はひとつしかない、そこで待ち伏せされたらどうにもできない。まあ、そいつらが本当に俺たちを追いかけてきたらの話だけど。

「どう……します?」

「22まで行こう。ろくに装備持ってないそうだから、あんまり深くまでは来ないだろう」

 俺とりりんは慎重に、でもできるだけ急いで奥へ進む。後から来る奴らへの障害物になるので、スライムなんかはそのまま放置しておいた。

「テレビのコマーシャルに出る話、どうなったの?」

「あ、契約になるみたいなんですけど。広告代理店って個人とは契約はできないから、名義だけ母に社長になってもらって。事務所作ることになりました」

「えー? 大変だね、お金かかっちゃうんじゃないの?」

「んー、なんか。司法書士さんに頼まないとダメなんですけど、手数料がけっこう高いみたいです」

 モンスター退治をしなかったので、1時間ほどで俺とりりんはエリア22に到達した。

「りりん。こいつ、ちょうどいいんじゃないか?」

 壁一面をスライムが覆っている。りりんの『声』で溶けるかどうかを確かめるにはちょうどいい。

「あー! あー。あー?」

 発声練習みたいに、りりんがスライムに向かって声をぶつける。でも、何も起こらない。

「あのときの声、鼓膜じゃなくて頭蓋骨とか背骨にまでビリビリきたぞ」

「エリカさんから離れろーって?」

 りりんがちょっと考えながら言った。

「そう。クソスライムー! って」

 りりんが大きく息を吸い込む音がした。

「この。クソスライムー!」

 思わず俺は耳を塞いだ。スライムがプルプル震えて、俺の背中にもソクソクするような感じが伝わってきた。

「もっとだ! りりん」

 俺は耳を塞ぎながら言った。次にりりんが発したのは、もう人間が出せる声じゃなかった。耳を抑えているのに鼓膜が、鼓膜じゃなくて頭蓋骨がビリビリ震える。背骨までミシミシきしむような気がした。

 そしてスライムが溶けた。ネバネバがなくなって、水みたいに壁を流れ落ちていく。

「溶けた!」

 まだ痺れて変な音が鳴る耳に、かすかにりりんの声が聞こえた。

「間違いない。それ、りりんのスキルだ」

 りりんの目的は達成したので、エリア22のホールに向かう。何だかわからないけど勝手に広がった行き止まりだ。エリカと一緒に来て、その後は入っていない。

「うわー」

 ヘッドライトで照らし出された空間にりりんが声を上げた。13に比べるとずっと小さいけど、きれいなドームになっている。

「何ですか? ここ」

「よくわからない。ただの行き止まりでダニの巣だったのに、誰かがこんなにした」

「どうやって?」

 りりん聞かれたけど、俺は肩をすくめるしかなかった。

「ああぁー。あー」

 りりんが甲高い声を出すと、それがドームの中で反響を起こして長く尾を引く。

「どーんなー、言ぉ葉ぁがぁー、あなた、に、伝わーるのーかなー」

 ドームの真ん中に立ってりりんが歌い始めた。声が反響して、四方八方から俺に降りかかってくる。

「なぁーがぁーいー時ぃーが、すぎたのーにー、いつでーもーあなーたは、そばぁあーでー明ぁーるく、微笑んでーたー」

 これは、本当にりりんの声なのだろうか。なにか、得体のしれない力に俺の全身が圧迫されているような気がした。

「疑うことなんかーない、いつだって、勇気さえあればー、未来を捕まえられる」

 りりんが発しているのは、スライムを溶かしたように声であって声じゃない。そしてこれも歌であって歌じゃない。何か、体を奥深くからかき回されているような気がする。

 不意に思い出した。自転車、親父の後ろに乗って、多摩川の河川敷で遊んだ。あれは、いつのことだったのだろう? バッタをおいかけてトンボを捕って、親父との間にそんな時間があったことを俺は急に思い出していた。

「やめて……りりん……」

 俺は弱々しい声しか出せなかった。水たまりに転んで、俺が頭から泥だらけになっているのに親父は笑っていた。最初はそれで怒っていた俺も、いつか一緒に笑っていた。

 急に、思い出の映像が消えた。りりんが歌をやめて俺を見ている。

「どうしました?」

「え?」

 りりんに聞かれて、俺は自分の顔が濡れていることに気がついた。気がつかないうち涙を流していたらしい。

「いや……」

 何を言っていいのかわからなくて、俺は手で顔を拭った。

「気が、済んだら……戻ろうか……」

 震えている声で俺は言った。


 行儀の悪い3人はもたもたとエリア1を進んで、エリア2の分岐で止まってしまった。

「どっち行くんだ?」

 片方はエリア3へ、もう片方はエリア13へのショートカットだったが崩落しているはずだった。ダンジョンスターを見ればどっちに進めば正解なのか分かるのだが、その存在も知らない3人はどうしたらいいのかそこで相談を始めた。

「どうする?」

「やっぱ、中で待つの。無理じゃねーの?」

「この中でしかチャンスがねーんだよ!」

 西三丁目公園は住宅地の中だった。あまり人のいない公園では昼間だろうが夜だろうが風体の悪い人間がたむろすれば人目につくし、下手をすれば通報される。

 輝沢りりんがどうやってここへ来るのかもわからないから、待ち伏せができるのはやはりここしかないのだ。

「ここで待って……かっ攫って? それからどうする?」

「まあ待てよ……時間はあるんだ。もうちょっと行って、調べてみよう」

 3人は二つある奧の通路をしばらく進んで、崩落して行き止まりになっているところまでやって来た。

「くそっ! 行き止まりかよ!」

 『トシ』が通路を塞いでいる岩屑を蹴りつけると、そこが崩れて『ぼこん』と穴があいた。

「何だこれ? 壊れるじゃんか」

 3人で蹴りまくると、すぐに穴は広がって人が潜れるほどになった。

「行ってみるか?」

「塞がってたなら、普通こっちは行かないんじゃねえの?」

「あ、そうか」

 3人が引き返しかけたとき、蹴り開けた穴から悲鳴のような声が響いてきた。

「なんだ?」

「女の声みたいだったぜ、行ってみよう」

 それはりりんが『スライム溶かし』をやった声だった。もの凄い音量の声がダンジョン中に充満したのだ。

 洞窟の傾斜は次第に急になって、1時間もしないうちに3人はエリア13に到達していた。

「おい。誰か来るぞ」

 3人は通路を見える脇道に隠れて、近づいてくる灯りを待った。声が聞こえてきた、男と女。

「明日、どこまで行く気?」

「たぶん……ハプニングが撮れるまで。ダンゴムシぐらい出てくれたら……」

「そう、都合良くは行かないと思うよ……りりんと、リポーターと。あとは誰が一緒?」

「たぶん、ディレクターさんとカメラと音声さん。もしかしたらADさん」

 その二人は、22から戻る途中の圭太とりりんだった。

「いま……りりんって言ったな?」

 トシが2人に確かめた。

「言った」

「明日じゃなかったのか?」

「かまわねー。本当にりりんだったら、今やっちまおう。明日の方が面倒だ」

 3人は圭太とりりんが近づくのを待って、通路に立ち塞がった。

「輝沢りりんちゃん?」

「……はい」

 3人が照らす百均ライトの中に立ちすくむ二人、男はでかいが女は小さい。照らし出した顔は、間違いなく輝沢りりんだった。

「ちょーっと、俺たちと一緒に来てもらえないかな?」


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?