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第五章 第5話「ダンジョン-地殻を蝕むもの」

 港区虎ノ門にある白山トラストタワーの23階では、アズサホールディングス会長への定例報告会が行われていた。

 その終わり近くに、会長の孫であり文部科学省参事官補の桐島志保きりしましほが立川市の高琳寺こうりんじで起こっている異変を報告した。

「墓がある寺を、私物化したと言うことか?」

 浅田会長が不機嫌さを顔に表して言った。

「そうなっています。墓地を工事現場のように囲っているので、誰も入ることができなくてお墓参りもできません」

「けしからん。霊園は勝手に閉鎖してはならんはずだ」

「東京都からの問い合わせには、閉鎖ではなく本堂の改修工事に伴っての一時的な処置と答えがあったそうですが。工事が行われている様子はありません。それに高琳寺は経営が破綻しているようです、納骨堂の……」

「寺の破産は気の毒だが、それがダンジョンとどう関係がある?」

 会長が志保の説明を遮った。

「その閉鎖されている墓地の中にダンジョンがありました。墓参りの邪魔になりかねないと、寺が塞いでしまいましたが」

「ダンジョンが目的で寺を乗っ取ったとでも言うのか?」

 会長がそう言うと、志保が小さく頷いた。

「調査が行われていませんので断言はできませんが、現状を見るとそれも疑われます。墓地を囲んでいる塀には、なぜか車が出入りできるシャッターがあります」

 会長が呻くような声を出して腕を組んだ。

「その……役所がどうすることもできん物を、ここで話してどうする?」

「高琳寺ダンジョンと西3丁目公園ダンジョンは中で繋がっている可能性が高いと、ダンジョン関係者の間では見解が出ています。実際にそうなのか、3Dマッピングデータの収集を兼ねて最新型探査機を入れることはできませんか?」

 出席者の中にいた、DQコミュニケーションとアサダネットの社員が顔を見合わせた。

「いま光ケーブルの延伸工事を続けていますが、同時に探査機を入れることはできません」

 アサダネットの茶色い作業着を着た女性が答えた。

「ケーブル敷設より優先すると思うか?」

「中国資本の会社が日本の寺院を乗っ取って、中で毒キノコを作っているのを黙って見過ごすことはできません」

 志保が答えると浅田会長の表情が少し変わった。

「新型の探査機はどこにある?」

「現在筑波の研究センターで最終の調整中です。大宮のダンジョンで実証試験を行って、能力に問題がないことは確認済みです」

 DQの技術センター長が答えた。

「よし最優先で西3丁目のダンジョンに配置しろ。経費のことなど考えなくていい……そう言えば、DQモバイルのテレビコマーシャルはどうなった?」

 急に話を振られて、DQコミュニケーションの営業部長が姿勢を正した。

「次のクールに向けて改変を進めております。前回までの女優陣は使わず、無名の若手タレントを起用する予定です。今回は新型端末とのコラボになりますので、全ての経費もメーカーと折半です。それにより年間約7億円の宣伝費削減が見込まれます」

 会議室が静まりかえった。『本当にそれでいいのか?』と、居並ぶ出席者の心の声が聞こえてきそうだった。

「それにメーカーは合意したのか?」

「折衝中ですが、経費の削減については好意的な反応です」

「よし、浮かせた予算は全部ダンジョン関係の設備費に回せ」

 会長が頷きながら言った。

「そんな大改変で、もし業績に悪影響が出たら株主に何と説明するのですか?」

 冷水を浴びせかけるような桐島志保の発言だった。皆が言いたくても言えなかったことをあっさりと言ってのけた志保に、そこにいた全員が感謝した。だが同時に、この後に何が起こるのかと固唾をのんだ。

「コマーシャルで株価が下がると思うか?」

 会長の質問に、営業部長は一瞬躊躇ちゅうちょしてから答えた。

「それを放映して。ただちに……株価に、影響は出ないとは思いますが」

「何年か前の、女王様が出てくるCMは酷評されていましたが。あの時はどうでしたか?」

 桐島志保が営業部長に質問した。

「あのときは……いや。新規の販売は、伸び悩みましたが……」

 人気タレントを使ってセットだけで1億をかけた豪華な演出。それで大幅な料金の値下げを打ち出したにもかかわらず、契約数は思ったほどには増えなかったのだ。

「CMに十億かけようが一億で済ませようが、たいした変わりはないと言うことか」

 浅田会長が苦笑を浮かべながら言った。

「次に予定している無名の若手タレントとは、どんなものだ?」

「企画会議用のデモがございます」

 営業部長が慌ただしくパソコンを操作して、プロジェクターで映像が映し出された。

『DQ PROJECT 025 DEMONSTRATION』のテロップに続いて、いきなり小柄な女性がアクロバットのように宙を跳ぶシーンから始まった。

「うわ」

「おお……」

 あちこちで声が上がる。DQコミュニケーションの会議室でりりんがやった、パルクールのデモンストレーションシーンだった。

『輝沢りりん 沖縄県出身19歳 元楡坂46選抜メンバー』

 りりんのストップモーションに紹介のテロップが被る。そして西3丁目公園ダンジョンのアタックラン。画面下にテロップが出た。

『小型で堅牢タフなPFR41と、いかなる場所でも高速接続可能なDQのイメージ』

「実家は高尾にあるそば屋で、義兄が行方不明になっていることを除いて身辺に懸念するような事項はありません」

 りりん本人も気付かないうちに、しっかり身辺を調査されていたのだ。

「いいじゃないか」

 横向きで壁を突っ走るりりんを見て会長が言った。それでほぼ決定であった、牧原理江子の出る幕など最初からなかったのだ。

「もっと、ダンジョンの存在を世間に知ってもらわなくてはならん。まだ、危険を承知で物好きが探検しに入る洞窟としか思われていないからな」

 これまで会長の指示でDQを初めとするアズサホールディングスが、ダンジョン関係に注ぎ込んだ資金は5億円を超えている。

 ここまでは傘下の子会社や関連会社に分担させる形で決算に問題が発生しないように凌いできたが、DQが単独で7億円を利益の上がらないダンジョン調査に資金を投入すれば、さすがに株主からは疑問の声が上がるだろう。

 そこまでして、なぜ浅田会長はダンジョンに固執するのか。誰もがそこを知りたがってはいたが、質問が許される雰囲気ではなかった。

「この、特別会議も5回目になった」

 会長が腕のオメガ・スピードマスターに視線を向けて言った。

「ここまで、恐らく君たちは理由もわからず私の指示に従ってきた。何の意味があってこれほどダンジョンに時間と費用を注ぎ込むのか、疑問を感じていたはずだ」

 会議室にいる全員が、呼吸も忘れて浅田会長の言葉を聞いていた。

「その。大元に存在する『あること』を、私はあえて知らせずにいた。プロジェクトが動き始めるまでは、余計な混乱を抱え込みたくなかったからだ……ようやくそれを説明する時が来た。これから聞くことは許可があるまで社内にも漏らすな、メモも禁止する」

 浅田会長は会議デスクの端にいる桐島志保にちょっと合図した。

「これは社内の回線とは隔離されている。真柴教授、聞こえていますか?」

 プロジェクターの映像に、書類や本に埋もれそうになっているスーツ姿の男性が映った。

「よく聞こえております。浅田会長、お久しぶりです」

「貴重な時間を取らせてしまって申しわけありません。私の方ではプロジェクトが順調に動き始めて、形の上ですが全社を挙げての取り組みになりました」

「政府と全国民に代わって感謝いたします。会長、ありがとうございます」

 真柴教授はそう言って頭を下げた。これはいったい何の話しなのか、会議室の一同は混乱しながらウェブで行われている会話を黙って聞くしかなかった。

「彼は東洋理工大学の真柴英明教授。地質工学が専門で、またの名をダンジョン博士と呼ばれている。こちらは人数が多いので、失礼ながら紹介は省かせていただきます。では教授、お願いします」

「かしこまりました会長。ではパワーポイントに切り替えて説明いたします」

 プロジェクターの映像が切り変わってパワーポイントのタイトルが出た。

『ダンジョン - 地殻を蝕むもの』



「こんにちはー!」

 りりんが工房をのぞき込んで大きな声で言った。平日のお昼前だから母はパートで珪子は学校、家には俺一人だ。

「圭太さん、突然すみませーん」

 朝に電話が来て『今日は工房にいますか?』と聞かれたのだ。ここ何日かステンドグラス用の薄板を作る試行錯誤しこうさくごでダンジョンに入ることもなくて、ずっと工房だった。

「実は、お昼持って来たんです」

 りりんが『どすん』とリュックを机に置いた。

「お昼って?」

「今朝あたしが打ってきたおソバです」

 作業台にタッパーを並べ始めようとしたので、慌てて居間へ連れて行った。

「これ。2人前茹でて、しめてあります」

 大きなタッパーに、薄灰色のそばがぎっしり詰まっている。

「本当に、これ二人前?」

「うちの『もり』って、1.5人前あるんです」

 にこやかにりりんが言った。

「ちょっとまて……それじゃこれ、実質3人前じゃないのか?」

「あっ……そうですね。あはははは……」

 それにプラス、茹でていない生そばがやっぱり二人前の実質三人前。つけ汁とトロロとネギとワサビまで持って来ている。

「これ……全部りりんが打ったの?」

「はい。魔王様への貢ぎ物ですから、頑張りました」

 可愛くガッツポーズをして見せてくれるが、俺はもう見ただけで腹一杯になっていた。

「それで……ちょっとお願いがあって……」

 二人でそばをすすりながら、りりんが言った。エリカもりりんも、食い物とお願いはセットで来る。

「日影沢で……あたし、声でスライム溶かしちゃったじゃないですか?」

「うん……」

「あれ。本当にあたしのスキルなのか、もう一度試してみたいんです」

 ダンジョンにつれて行って欲しいと言うことらしい。

「日影沢はもう嫌だけど。公園のダンジョン、連れて行ってもらえませんか?」

「いいけど……あそこいま、割と深くまで行かないと出ないぞ」

「だから圭太さんにお願いするの」

 りりんがにっこり笑って言った。


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