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第四章 第6話「りりんとガッツリデート」

 りりんとの待ち合わせは、JR中央線の吉祥寺駅だった。俺が高校に通っていたときに使った西国立の駅では電車は10分に1本ぐらいしか来ない。でも吉祥寺駅は快速と各駅停車が入れ替りでやってくる。

 平日なのに駅の中は混雑していて、待ち合わせに指定されたアトレの中にある改札は人がぞろぞろ出入りしている。約束の時間の5分前、りりんに似た女の子が改札から出てきた。

「おはようございます、魔王様」

 その女の子が俺の前に来て言った。りりんに似てるのではなく、りりんだった。

「恐れながら本日は、この私めが魔王様を一日エスコートさせていただきます」

 りりんがスカートをつまんでちょっと膝を曲げて、ちょこんと頭を下げた。普段はポニーテールにしているのに、今日は背中にかかるロングヘア、おまけに一部分だけピンクっぽい色の髪が混ざっている。

「そんなに、髪……長かったっけ?」

「エクステです、ワンタッチの」

 白いヒラヒラがついた丸襟ブラウスに淡いピンクのカーディガン、ひざ丈の茶色いふわっとしたスカート。普段とぜんぜんイメージが違う。

 キラキラしたアクセサリーが付いたメガネのせいで、りりんだと知っていなかったらさっきのように気がつかない。

「いろいろ……変身するんだな」

「お仕事でもしょっちゅう変身してますから……先にお昼で、いいですか?」

「うん……」

 エスカレーターで1階に降りながら、りりんが俺を振り返った。

「勝手に決めちゃいますけど、いいですか?」

「いいけど」

 今日は何から何までりりん持ちなので、俺に選択権はない。

「次郎系のガッツリラーメンですけど、平気ですか?」

「別に、かまわない」

 カフェのランチより気楽でいいけど、ガッツリラーメンと言うのが何となくりりんらしいような気がする。考えてみたら、りりんと食事なんて初めてだった。

 狭い道を縫うように歩いて、黄色いテントの小さな店にたどり着いた。

「魔王様、大盛り行きますか? ブタマシとか」

 小さな券売機の前でりりんに聞かれて、俺は少々たじろいだ。これはマジ物のガッツリラーメンに違いない。

「いや、並でいい。チャーシュー……ぶ厚いんだろ?」

「1センチぐらいあります」

 ここでは、並は「小ラーメン」らしい。りりんは「大ブタ」という、アイドルにあるまじきボタンを押した。少し並んで入店待ち、並んでいる男たちがりりんをチラ見している。

 あろうことか、りりんは席でトッピングを聞かれて。「ヤサイとアブラお願いします」と答えた。

 出てきたものは、標高15センチほどの野菜の山に脂身の固まりがどろりと流れ、ぶ厚い肉が4枚折り重なっている恐るべきものだった。俺の「小」より、ふた回りはボリュームがある。

「本当に……それ、食えるんだろうな?」

「当然です。いただきまーす!」

 りりんは自信満々で箸を割った。麺はゴワゴワで、スープは醤油辛くて脂っこい。箸でちぎれるほど肉が柔らかいのが良かったが、俺はラーメンを食うのにこんなに苦労したことはなかった。

 りりんの丼を見ると、あれだけそびえていた麺と野菜がほとんど見えなくなっている。あの小さな体のどこに入ったのか。

「ごちそうさまでした」

 スープだけ少し残して、りりんは手を合わせて言った。さすがに店員には輝沢りりんだとばれた。どこからか色紙が出てきて、りりんは上機嫌でサインを描いていた。

 いつの間にやったのか、りりんはインスタグラグムを更新していて『リベンジの撮影スタッフと昼食会。でも私の独断でガッツリです!』と書いている。ファンに見られたときの予防線らしい。

 俺にとってはヘビーな昼食のあと、りりんは俺を駅の反対側に連れて行った。井の頭公園だ。りりんと交際しているわけじゃないけど、やっとデートらしくなった。

「あの……エリカさんから、聞きました」

 公園への階段を降りながらりりんが言った。

「お父様の……遺品、見つかったって」

「うん……」

 エリカも余計なことをする。

「すいません。こんなとき……何て言ったらいいのか、わからなくて」

「無理にお悔やみなんて言わなくてもいいよ……生きていないことは、もうわかってたんだから」

「お葬式とか……するんですか」

「何もしない」

 ちょっと会話が途切れたまま、二人で池を渡る橋を歩いた。

「魔王様のお力添えを頂いたおかげで。リベンジは、あっという間に再生百万回達成しました」

「その、魔王様はやめてくれ」

「でも、空吹さんはよそよそしくて嫌です。だったら圭太さんって呼んでもいいですか?」

 考えてみたら、俺はいつの間にか「りりん」と呼び捨てにしていた。

「それでも、いいけど……」

「圭太さんに『りりん』って呼ばれるの、私は割と好きなんですよ」

 りりんに手を引かれて、ボートハウスでサイクルボートに乗る。スワンボートの、白鳥の首がついていないヤツだ。

「あはははは……これは、圭太さんにまかせますー!」

 りりんはちょっとペダルを漕いだだけでやめてしまった。

「ここ、春は桜がすごくキレイなんですよね」

「吉祥寺は、来たことないなー」

 漕いでいる間はボートの後ろについている水車がバシャバシャとうるさい。池の真ん中あたりで漕ぐのを止めて、りりんと恋人になった気分で池の景色を見回していた。

「まだ……契約になってないんですけど」

 りりんが俺に顔を向けて言った。

「テレビコマーシャルの仕事することになったんです」

「へえ……よかったじゃない」

「クライアントさんが、ユーチューブのリベンジを見て。このコンセプトだって、思ったらしいんです」

 『コンセプト』ってのが、俺にはよく理解できなかった。

「オンエアは秋ぐらいで、たぶん来月になったら正式に契約だと思います」

 なんでいきなりりりんが仕事の話しを始めたのか、俺はちょっと困惑しながら聞いていた。

「契約したら、たぶんあんまりムチャなことできなくなるから。今のうちにやっておきたいことがあって……また、圭太さんにお願いしたいことがあるんです」

「また……ダンジョン?」

 俺が聞くとりりんは頷いた。

「西3丁目公園は。いま、入らない方がいい」

「そこじゃないですけど……あそこ、また何かあったんですか?」

「よくわからないけど、大型のヤツが出た」

 それでダンボは一時ダンジョンの閉鎖をした。でも噂を聞いた『でかいバケモノ』狩り目的のパーティーがどんどん来てしまい、入口の柵を勝手に開けて入るバカが後を絶たなかった。

 仕方ないので通常通りに受付を再開したが、さいわい今のところヤツと遭遇したパーティーはいないようだ。

「どこに……」

 りりんに聞きかけて、高尾のダンジョンでお兄さんが行方不明になっていたことを思い出した。

「お兄さん、探しに?」

 りりんが頷いた。確か高尾山の奧にある、ダンボが管理していないダンジョンだ。中でスマホの電波は通じないしダンジョンスターのガイドもない、もの凄く危険だ。

「どうしても……探したいのか?」

 りりんはうつむいて、小さく頷いた。

「下の兄、あおってダンジョンに行かせたの。あたしなんです……」

「なんで……」

 言いかけて、あまり詳しく聞かない方がいいと気がついた。

「あたし……沖縄の、嘉手納かでなの生まれなんです」

 それは、ウィキペディアで調べて知っていた。りりんの、実の父親は誰だかわからないらしい。

「小さすぎて、沖縄のこと何にも覚えてないんですけど。大阪にいたときのことはちょっと覚えてます。そのあと母は東京に来て、蟹沢屋かにざわやさんで働いて。結婚したんです」

 つまりりりんは、母親の連れ子なのだ。

「上の兄は、あたしを普通に扱ってくれたんですけど……下の兄には、いじめられて……イタズラされて……ひどかったんです。それに、楡坂にれざかのオーディションに、勝手に応募の書類出したの。下の兄なんです」

「勝手に?」

 りりんは顔を上げて、メガネを外してちょっと指先で目をぬぐった。

「なにを考えてそんなことしたのか、わかりますか? 母親違いの、アイドルの、妹……それをオモチャにする気だったんです」

「う……マジで?」

 りりんは頷いて、ショルダーバッグからティッシュを出してちょっと鼻を拭った。

「私そのとき高一でしたけど、兄が何考えてるか、もう最初から解ってましたから……オーディションで、メチャクチャやったんです。なのに、逆に、それがうけて審査通っちゃったんです」

「望んで、ないのに……アイドルに、なっちゃった?」

 りりんが泣きそうな顔で頷いた。

「輝沢りりんも、兄が考えた名前で……私は、完全に、兄が考え出したアイドルにされちゃったんです!」

 りりんがメガネを外して両手で顔を覆った。

「でも……楡坂の寮から学校に通えたから、ずっと兄には会わないで済んだんですけど。楡坂を卒業して、しばらく実家にいたら。やっぱり、また始まったんです……」

 そこでりりんは声が出なくなったらしい。うつむいた顔から涙がいくつか落ちた。

「わかった、もういい……」

 俺は、エリア13西で男たちを無表情に蹴りつけるりりんの姿を思い出していた。たぶんりりんは、兄からの性的ないじめでトラウマを抱えてしまったのだろう。これ以上つらい話しをさせたくなかった。

「それでりりんがキレて、ダンジョンに行ってユーチューブで有名になって見せろって言ったら。本当に行った……」

 りりんがハンカチで目元をおさえて、頷いた。

「高校卒業したのに。進学も就職もしないで、家の仕事も手伝わないで……お金ないって文句ばっかり言ってましたから。輝沢りりんの兄で、日影沢ダンジョンで配信やって稼げるって思ったのかも知れません」

 たぶんりりんは、その兄の死を確かめることで決着を付けたいのだろう。俺はスマホで『日影沢ダンジョン』を検索してみた。探索で入ったような記事は見あたらない、でも行き方だけはわかった。

 JR高尾駅北口から小仏こぼとけ行きバスで日影バス停下車、そこから徒歩約60分だ。そのバスも平日は1時間に1本しかない、誰も行かないはずだ。

「帰りに……ダンジョンから何か持って帰るかも知れないし……バスはダメだよな」

 ダンジョンはキャンプ場の外れにあって、車がないと無理だ。

「エリカに、連れて行ってもらうしかないけど。いいか?」


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