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第四章 第1話「ダンジョンを駆けるもの」

 一人だけで西3丁目公園ダンジョンに入るのは、ずいぶん久しぶりな気がした。ここしばらくは誰かを案内してばかりだったので、ガラスの材料集めがろくにできていなかったのだ。

 キャンピングカート曳きながら歩いて、スライムの粉を掃いて集めてクラフト袋に詰めていく。エリカに出会うまでずっとやっていたことだ。

「50メートル……」

 でも今回はちょっと作業が多い。50メートルおきに、DQの光ケーブルに反射テープを貼り付けていくのだ。何のためにこんなことをするのかと言うと、りりんを誘導するための目印だ。

「前の……炎上させちゃった『チャりんジ』、あれのリベンジやりたいんです」

 俺の工房にJKのコスプレでやって来たりりんは、本気の表情で言った。

「同行スタッフなしで。一人だけで、何も持たないで」

 ムチャクチャって言うか、それはほとんど自殺行為だ。

「全部の行程、走ります。危ないときはパルクールのスキルで切り抜けます。空吹さんには、エリア13までの目印つけてもらいたいんです」

 ヘッドランプとウエラブルカメラだけを身に着けたりりんは、反射テープの目印だけを頼りにダンジョンを突っ走って、13西で折り返してそのまま走って出ると言った。ほとんど狂気の沙汰だ。

「やめろって言われて、やめるくらいなら。最初から言わないよな……」

 俺が言うと、りりんは黙って頷いた。

「空吹さんに断られたら。迷惑かけないように、全部一人だけでやります」

 『死体拾いに行くのは俺だぞ』と言いそうになって、あまりにも不吉なので言葉を吞み込んだ。深刻な雰囲気を察した圭子が、そっと工房を出て行った。

「なんで……そこまでやるの?」

 聞くとりりんは目を伏せた。

「言いたくない?」

 りりんは目を伏せたまま小さく頷いた。

「成功したら……空吹さんにだけ、言います」

「迷惑かけないって言うけど……いま俺に話しただけでもう迷惑かけてるぞ」

 りりんがちょっと表情を動かしてうつむいた。

「……ごめんなさい」

 頼みを断って、もしりりんに万一のことがあったらたぶん俺は一生引きずる。それとも、俺が断らないと見込んでいるのか。一人で芸能界を渡ってきているりりんなら、そうやって人を思い通りに動かすテクを身につけているかも知れない。

『俺……エリカのおかげで、無垢じゃなくなったかも』

 エリカとつるむ前だったら、疑いもせずにりりんの頼みを聞いたかも知れない。なのに今は、こんな可憐なりりんが死ぬ気でやろうとしているのを一歩退いて考えている。

「あたし……やっぱり、勝手すぎですね……」

 『ぽろっ』と、うつむいたままのりりんの顔から水滴が落ちた。

「わかった」

 俺はそれ以上考えるのをやめた。

「何をすればいいんだ?」

 りりんの頼みは難しいことではなかった。それにりりんの命がかかってしまうことを別にすればだが。

「お礼は……します」

 りりんが言ったけど、俺はりりんから金なんか受け取りたくなかった。

「でも、魔王様をお金で雇うなんてできませんから。私の体で払います」

 一瞬俺は声が出なかった。そして不覚なことに顔が熱くなった。

「デートしてあげます」


 そんなわけで今、俺はエリア13までのケーブルに反射テープを貼り付ける気の遠くなるような作業を続けている。

 りりんがアタックするのは明日で、俺はその直前に10台の小型ビデオカメラをダンジョンのあちこちに取り付ける。すべてがりりん自身のウエラブルカメラとダンジョン内のカメラで記録され、ライブで配信もされる。

 俺はりりんが来るまでエリア13のホールに留まって、最後にカメラを回収しながら撤収することになる。反射テープ剥がしはひどく時間がかかるので次の日以降だ。

 翌日、俺は暗いうちに家を出て西3丁目公園に向かった。探索パーティーが来る前にアタックを終わらせるのだ。

 りりんはもう来ていて、カメラの切り替えと配信と記録を行うオペレーターが一緒だった。

「おはようございます」

 さすがにりりんの笑顔がこわばっている。オペレーターの人にカメラの取り扱いを教えてもらって、ちょっと打合せ。面倒なことはそれほど多くない。

「それじゃ、取付が全部終わったら電話します」

 13西には電波が届かないので、本ルートとの間にWi-Fiの中継器を3台置かなくてはならない。この中継機同士を接続するのだけがちょっと面倒だった。

「カメラの場所とか見たいから、途中までついて行っていいですか?」

 りりんが言った。

「いいけど……」

 りりんはテープを貼る位置やカメラを固定する場所を見て、少し戻ってヘッドランプで照らして確認している。そして走って来ると、いきなり俺に抱きついてきた。

「ちょっ……なに……」

「こわいー!」

 俺の胸に顔をうずめて、りりんがかすれた悲鳴のような声を出す。やっぱり、怖かったのだ。俺は一人でダンジョンに入ることに慣れてしまって恐怖は感じないけど、タレントであっても普通の女の子が怖くないはずがなかった。

「やめろよ……今からでも」

 俺は手のやり場に困りながら言った。まだりりんとは体を抱きしめるような関係じゃない。

「もう、公表しちゃったし……それより。やりたい……やらないと……」

 まだ話してくれてはいないけど、りりんにはこれを実行しなくちゃならない理由があるらしい。たち昇ってくるりりんの髪の香りで、俺の心臓は爆発しそうだった。

「ギュッて……してください」

 言われて、俺はおずおずとりりんの体に腕を回して抱いた。

「もっと……強く。うんと強く」

 ご命令なので、遠慮なく力を込めた。

「はぁうぅ……」

 りりんが息を吐く音。りりんの腕も俺をきつく抱きしめてきた。キスまで求められたらどうしようと、俺はほとんどパニックになりかけた。

「ごめんなさい……ホントにごめんなさい。こんなことまでさせちゃって」

 そう言ってりりんは俺の体に回した腕を解いた。名残は惜しかったけど、俺もりりんの体から腕を離した。

「魔王様の力貰ったから、もうだいじょうぶです」

 りりんが弱弱しくほほ笑んで、乱れた髪を手で梳いた。

「デートの約束は守りますから。絶対、成功させます!」

 そう言い残してりりんは走って出ていく。俺はしばらくのあいだ立ちすくんで、心臓やらあちこちの興奮が収まるのを待たなくてはならなかった。

「空吹です。いま13で、カメラと照明の設置終わりました」

 準備が終わったのは午前6時半だった。それから、地上からカメラのテスト。13ホールの中にセットした照明の位置を直さなくてはならなかった。ついでに這い出てきたスライムを退治した。そして午前7時すぎ。

「なんか、凄い人が集まっちゃいましたー。りりん、行きまーす!」

 スマホからりりんの声。もう、俺は何もできない。後は祈りながら待つだけだった。さいわい今はWi-Fiがつながるのでライブの映像を見ることができた。

 ウエラブルカメラにはブレ補正がついているのだろうけど、画面が斜めになったり時には横向きになって酔いそうになる。曲線のところでりりんは壁を走っているらしい。

「違う、そっちじゃ……」

 りりんは何度かコースを間違えて、反射テープが見えなくなったことに気が付いてすぐに戻った。そしてスタートしてから40分後、りりんがエリア13のライトの中に駆け込んできた。

「はあっ!」

 俺が構えたカメラの中で突き当りの壁を駆け上がって宙返り、さらに空中で1回ひねり。着地した瞬間、りりんがちらっと俺を見た。そしてそのまま走って出ていく。

「すごい……もう、人間業じゃない」

 俺はそうつぶやいて機材の片づけを開始した。LED照明を外して三脚を畳んでキャンプ用カートに丁寧に納める。

「何も持たないで……」

 カメラをケースに入れながら、俺は何となく口にしていた。この西3丁目公園ダンジョンは、素手の女の子が入ってくるほど安全になってしまったのだろうか。

「じゃなくて、りりんが普通じゃないんだよな……」

 そう思うしかなかった。ダンジョンが安全であっていいはずがない。トンネルじゃないのだから。

 撮影の道具を全部片付けて、Wi-Fi中継器を取り外す前にりりんの様子を見た。相変わらず快調に走っていたが。

「あっ!」

 俺は思わず声を出した。画面が激しく揺れた、それも走っている揺れ方じゃない。りりんが姿勢を崩したのだ。

「あぐう!」

 りりんの悲鳴。斜めになって壁にぶつかって、映像が切れた。

「りりん!」

 よく見ると映像が切れたわけではなかった、画面の右端に茶色い物が映っている。どうやら地面が映っているらしい。するとりりんはうつ伏せに倒れてしまったのだ。

「りりん! しっかりしろ!」

 聞こえるはずがないのに、俺は思わず叫んでしまった。


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