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第三章 第8話『魔窟にガラスの雨が降る』

 エリカは両腕を背中に回されて、インシュロックという樹脂の結束バンドで手首を繋ぎ合わされた。一度固定してしまうと、インシュロックはニッパーで切るしか外す方法がない。

「こないだマトリがエリア13にガサ入れしたとき、ドジなヤツが二人降りて行って立ち回りになったって?」

 エリカの体を視線で舐め回しながら濱田が言った。

「知らないわよ」

「掃除に行った奴らが掃除されるってのも、情けない話しだよなあ?」

「知らないって言ってるでしょ!」

「そんなことは、まあどうでも良いんだがよ……」

 濱田はポケットから小さなフォールディングナイフを取り出して刃を開いた。

「こんなところで出会ったってのも、何かの縁としか思えねえな」

「なに……すんのよ」

 さすがにエリカの表情がこわばった。

「いつかの時はおかしな小僧に邪魔されちまったが、その続きをやろうじゃないか」

「お断りよ!」

「ところがお断りできねーんだな」

 濱田はエリカが着ているブルゾンの襟元に、刃が外を向くようにナイフを挿し入れた。そのまま『すーっ』とナイフを滑り降ろして行くと、エリカの衣服が音もなく切れていく。

「ひい……」

「動くんじゃねえ、動いたら肌に傷がつくぞ」

 ナイフの切っ先が、ブラのフロントホックにあたった。濱田が少しナイフを横にずらすと、『ぶつん』と音がしてブラの真ん中が切れた。エリカの、見事な胸の谷間がスマホのライトに浮かび上がる。

「ひきぃ!」

「残念だけどよ、今日は撮影の道具がなくてなあ。スマホだけでやるしかないな」

 その時だった。

「救助、いりますかー!」

 通路に繋がる枝道から声が響いてきた。濱田が小さく舌打ちをして、他の二人に合図をした。二人は左右に分かれて壁にはりつく、もし入ってくる者がいれば叩き伏せるのだ。

 しかし、ダンジョンにおける正しいマナーを知らない濱田は対応を誤っていた。

 声をかけられたと言うことは、遭難者と間違われたのだ。無事を知らせる返事をすれば、声をかけてきたパーティーはそのまま素通りしていく。しかし返事がなかったら、安否を確認するために来てしまうことがあるのだ。

 はたして、通路をLEDの灯りがやって来るのが見えた。狭い通路から少し体を屈めて入って来た人間めがけて、一人が思い切り拳を打ち下ろした。

『ごん!』

 人の体ではない、固い物を叩く音がした。

「ぐあっ!」

 悲鳴を上げたのは殴った方の男だった。

「なにすんだよ!」

 入って来た男は体を起こすなり、棒のような物で小突き返した。

「ぐうっ……」

 低い呻きを残して、一人が崩れ落ちる。

「何だてめえは!」

 乱暴ごとは得意なはずの相方が一瞬で倒されて、かなり怯みながらもう一人がわめく。

「うるせえ! 掃除屋だ! お前らダンジョンでなにやってやがる!」

 長身の侵入者は棒のような物で地面を突いて言い放った。よく見れば、それは柄の長いハンマーだった。

「ああ? 掃除屋だぁ? てめえ、また邪魔しに来やがったな!」

 エリカの衣服を切り裂いていた濱田が、侵入者の男に向かって言った。


 俺はエリカが目を開いていることを確かめると、『敵』を確かめた。ハンマーを殴ったドジなヤツはノックアウトした。もう一人は腰が引けている。そして、どうやらエリカを痛めつけようとしていたヤツは俺を知っているようだ。

「またってことは、俺は前にもあんたと会ったのか?」

「圭太。そいつ、あたしをスライムで張りつけにしたヤツよ!」

 エリカに言われて、やっと思い出した。

「あー、えーと……」 

 何と言い返したらいいのか、それよりこの状態をどうしたらいいのか。考えなくちゃならないことが多すぎた。

「まあ……結果として。たぶん、邪魔することになると思う」

 自分でも間抜けな答えだと思った。男3人……ひとりは俺が吹っ飛ばしてまだ倒れたままだが、あと二人は立ちすくんでいる。きっと呆れているのだろう。

「あいにく、邪魔はさせねーよ」

 ナイフをちらつかせている男がエリカの横に行って、エリカの顔の前でナイフをひらひら動かした。

「今日は、カメラはないが刃物ヤッパはある。おめーがそこから一歩でも動いたら、女の顔に傷がつくぞ」

 典型的なヤクザの脅しだった、そして本当に効果的だ。俺は動けなくなってしまった。

「ヒロ、そいつを見張ってろ。トージはどうした?」

「のびてます。あいつのハンマー殴っちまったみたいです」

「しょーがねぇ野郎だ……」

 俺は必死で考えた。この場をどう切り抜けてエリカを助けたらいいのか。ハンマーを投げつけてナイフ野郎を倒して、目の前のヤツと取っ組み合うか。勝てそうな気はするけど、ハンマーが外れたらどうなるのか……。

「立てよ、座ったままだとズボンと一緒に脚も切れるぞ……おら立て!」

 ナイフ野郎に言われてエリカがのろのろと立った。ブルゾンの袖が切り開かれて、それがズタズタになってエリカから剥がれ落ちた。

「うちの若頭が、なぜかあんたにご執心でよ……殺すなってお達しだが、事故ってのは起こるものさ……だろ?」

 ナイフが、エリカのジーンズに向けられた。『すっ』と擦ったようにしか見えなかったのに、ウエストのところがざっくり切れて下着が見えた。

「やめ……」

「動くなって言ってンだろ!」

 思わず声が出て、一歩踏み出しそうになった。前に立ち塞がっている男が、俺を遮るように動いた。

「うぐぅ……」男の横に倒れているヤツが、変な呻き声を出した。

「あ……」

 俺は視線だけ動かして、その男がスライムに覆われかけていることに気がついた。いつの間にか入ってきていたのだ。あのままだとあの男は窒息させられる。

「やばいよ……あっちの、あの人……スライムにたかられてる」

「なに言ってやがる、バルソン焚いて虫は全部追い払ったんだよ」

 スライムには殺虫剤など効かない。それを知らないらしい。

「ヤバイって、絶対ヤバイって……死んじゃうよ」

「ぐあ……がふっ!」

 顔までスライムに飲み込まれた男が、よろけながら立ち上がろうとしている。全身を完全に覆われたら最後だ、スライムの粘着力で動けなくなる。

「おいトージ!」

 やっとヤバい事態に気がついた男がスライムを引き剥がそうとしている、でもスライムを手でつかむなんて無理なのだ、たちまちその男も両手をスライムに包まれてしまう。

「うわ、うわあ!」

 狂ったように両手を振り回すけど、そんなことでスライムは離れない。こんな対処法も知らないなんて、こいつらはシロウトだ。

「動くな! じっとしてろ!」

 ムダなのは承知で、俺は二人に声をかけた。先に全身を包まれたヤツだ、早くしないと口も鼻も塞がれて息ができなくなる。

「おい! 何してる!」

 ナイフ男が異変に気がついた。

「スライムだ! いつの間にか入ってた!」

 俺はよろよろ歩くスライムまみれの男の足をハンマーでひっかけて転ばせた。背中のあたりをハンマーで叩いて、まずスライムがそれ以上広がらないようにガラス化させる。

「こいつ……だけか?」

 床にはほかにも3人転がされている。

「圭太! こっち! 早く!」

 エリカの金切り声。俺が来た時にはもう転がされていたうちの一人が、スライムに下半身を覆われている。意識がないのか声も出さない。

「くそっ!」

 周囲から叩いて、その人の下半身を包んだままスライムをガラス化させる。走って戻って、ヤバイヤツの続き。頭をハンマーで細かく叩いて、スライムが全部ガラスになったところで頭の左右を蹴る。前にもやったことがある、顔からボコッとスライムが外れた。

「息できるか? 鼻に入ったのは無理に取るな! 口で息してろ!」

 もう一人、両手を必死に岩にこすりつけている。それでもやっぱり取れない。とりあえず、死なないだろうからそいつは後回しにする。

「おい……」

 俺はナイフ野郎に向き合って睨みつけた。

「おめー。たいしたヤツだな」

 男が俺にナイフを向けて言った。

「俺のパートナー……いたぶりやがったな」

「なんだ。こいつはお前の女か?」

 男はまたナイフをエリカに突きつけた。

「パートナーだって言ってるだろ……」

 エリカの、切り裂かれたシャツとブラの間からちょっと乳首まで見えている。俺は死に物狂いでそれを意識の中から追い払った。

「何でもいいんだがよ、取引だ。ここを出るまで女は預かる、外に出たらお前にわたす」

 ナイフ野郎が何か言っているが、俺はぜんぜん聞いていなかった。横にある固まったスライムをハンマーで叩いて粉にして、手に取った。

「光ファイバーってのも。あれ、ガラスだよな……」

「ああ? 何のことだ?」

 俺は指の間からスライム粉をザラザラ落としたまま、腕を横に振った。

『シュシューッ』

 激しく空気が漏れるような音。ザラザラ流れ落ちていたスライム粉が光る線になった。

「おらあ!」

 ボールを放るように、俺はナイフ男に向かって光る線を投げつけた。

『ピキピキピキ!』

 硬い物が割れるような音、スライムガラスの白い線が細かく割れて男に降り注ぐ。

「うわぁー! 痛い痛い痛い! やめろー!」

 ナイフを取り落として男が狂ったようにわめく。男の手にも顔にもガラスの針がつき刺さって、まるでハリセンボンみたいな状態になっている。

 人間だか妖怪だかわからない姿になった3人は、幽霊のような歩き方で逃げて行く。『待て』と言う気も起こらなかった。

「空吹さぁーん! 大丈夫? 何があったんですかー? あの人たちどうしたんですかー?」

 嘉月さんたちはまだ待っていたらしくて、3人と入れ違いに入ってきた。

「ため息つく間もないわね」


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