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第三章 第4話「アズサホールディングス」

 港区虎ノ門四丁目、営団地下鉄日比谷線神谷町駅のほど近くに白山トラストタワーが聳えている。その周囲に後から後から『〇〇ヒルズ』と称する高層ビルが建ってはいるが、オフィスビルとしての格は現在でもこちらが上だった。

 その23階には、海運業から始めて今は物流全体を担うアズサホールディングスの本社があった。遠くに浜離宮を望む一角には会長室があり、シンプルでありながら重厚なデスクには珍しく浅田功徳会長の姿があった。

「厚労省の……麻薬取り締まりが動いた件は、前もって何かつかめなかったのか?」

 72歳の会長は、先月動脈の人工血管置き換え手術を受けていた。そのため声に力がないが、まだ眼の光は充分に強い。

「動く前に情報が漏れるようでは、マトリは仕事になりません」

 デスク前の応接ソファーに腰を下ろしているのは文部科学省の参事官補、桐島志保だった。空吹圭太のところに現れた時と同じく、黒っぽいスーツに薄い黒のストッキング。靴だけはパンプスではなくハイヒールだった。

「まあ……そうだろうな」

「その、立川市の西3丁目公園ダンジョンですが。マトリの捜索とは別で、おかしなことで話題になっていますが……ご存じですか?」

 桐島志保は湯呑みの蓋を外して取り上げた。顔の前で湯呑みを止め、慎重に匂いを嗅いだ。

「何ですか、これ?」

「黒文字だ。精神を落ち着かせ、血圧を下げる……おかしなこととは?」

 志保はそっとひと口黒文字茶を口に含み、わずかに眉を動かした。

「ハーブみたいですけど、何となく木の香りもしますね……輝沢りりんというアイドルがいて、テレビに出ていますがユーチューブの配信も行っています」

 志保はそっと湯呑みを置いて続けた。

「マトリの捜索が入る6日前に、そのアイドルタレントがユーチューブの撮影で西3丁目公園ダンジョンに入りました。そしてマトリが捜索を行ったエリア13で襲われて、別のパーティーに救助されました。その一部始終が捜索の後になってからユーチューブで公開されています」

「襲ったのは何者だ?」

「わかりませんが、助けに来たパーティーの若い男に袋叩きにされていました。動画では腰ミノを付けていましたけど、普通の人間だったと思います。この件に関係する情報はどこにも見つかりませんでした」

「腰ミノ!」

 浅田会長が笑い声を上げて、大きな湯呑みから黒文字茶を一口飲んだ。

「ただ、マトリの捜索のニュース映像で手錠を掛けられた男が二人映っていました。輝沢りりんを襲ったのはその人間である可能性は高いと思います」

「どこの組織なのか知らんが。腰ミノをつけて小娘を襲うようでは、たいした奴らではないな」

「恐らく、証拠になる品を処分し終わるまでの見張りだと思います。それ以前にエリア13では、行方不明になった探索パーティーが複数いますので」

「肝心の毒キノコは、とっくに運び出された後か……」

「マトリ関係の人間に接点がありますので、何か情報が取れるかも知れません」

「まあ、毒キノコなんぞ些細な問題に過ぎん。お前がそんなことに時間を割く必要はない」

 会長はため息をつくようにそう言って、黒文字茶をゆっくりと飲んだ。

「それより、機会があればお前もダンジョンに入ってみろ」

「いやです」

 無遠慮に志保が答えた。

「早く巫女のお務めに戻りたいです」

「それはお前の才能を無駄にしているだけだ」

「お祖父ちゃん! 火産霊命ほむすびのみことをお祀りして東京を護ることは無駄じゃないの!」

 いきなり癇癪を起こした志保に、浅田会長は鼻で息をついて眼下の景色に視線を向けた。だが桐島志保が巫女を務めている愛宕山は他のビルの陰になって見えなかった。

 会長室のドアがノックされた。

「会長、皆様お揃いです」

 ドアの向こうから秘書が声をかけてきた。

「さて……皆の尻を叩きに行くか」

 浅田会長はゆっくりと立ち上がる、すかさず志保が脇に回ってその体を支えた。

「リハビリにも力を入れんとな……」

「言うだけじゃなくて、ここにウオーキングマシン置けばいいじゃない」

「歩いているのに景色が変わらん、それが気に入らん」

「そーゆう問題じゃないでしょ」


 会議室の広く長いテーブルの左右には、背広姿や作業着の男女10人が着席していた。浅田会長が席に着くと、全員が座ったまま一斉に頭を下げた。桐島志保は会長席から離れた大型モニター前の席に静かに腰を下ろした。

「始めてくれ」

 会長が小さな声で言うと、一人が小さく頭を下げてパソコンを操作した。大型モニターに日本の白地図が浮かび上がる。

「まずダンジョンの増減です。都内で2箇所が新たに確認されました。練馬区大泉学園町、青梅市の小曾木です。大泉学園については既にダンジョン保安管理協力会の対応が始まっています」

 ほかに長野県、岐阜県、京都府、鳥取県、高知県、大分県でダンジョンが発見されていた。

「あいかわらず、規則性は見えずか……」

 白地図に打たれたダンジョンの赤い点は全国で68箇所、北海道と島根県を除く各地に出現している。東大阪にあったダンジョンはモンスターが出現しなくなり、そのうち地下水でほとんど水没してしまったので大阪府には現在のところダンジョンが存在しない。

「神戸市の五助山ダンジョンで、ネット回線の敷設が開始されました。現在第9エリアまでマップ作成が進んでいます」

「都内の敷設は進んでいるのか?」

 会長の問いに、報告していた者がちょっと表情を曇らせた。

「先週から立川市のダンジョンで延伸工事を行っていましたが、作業ドローンの故障で止まっていると報告がありました」

「立川市と言えば、あの西3丁目公園ダンジョンか?」

「はい、そうです」

 その答えに、浅田会長は不満そうに息をついて言った。

「あそこはやたらにいろいろと起こるな」

「会長、厚労省による捜索の件はご存じですか?」

 端の方に座っていた一人が言った。

「マトリの捜索が入ったことは知っている。毒キノコは感心せんが、マナを消費してくれるのは悪いことではない。欧米ではダンジョンに人が入ることを禁止している、それでダンジョンのマナは消費されずモンスターが出続ける。だから……」

 そこで浅田会長は咳払いをして、一度息をついた。

「マナを枯れさせるためにも、もっと探検の人間が出入りできるようにダンジョン内ネットを普及させる必要があるのだ。作業ドローンはもっと増やせないのか?」

「現在至急に10台の製造を依頼していますが、オペレーターの養成が追いつきません」

 作業服の女性が答えた。西3丁目公園ダンジョンに来た嘉月紀代実が着ていた物と同じ作業着で、胸に『アサダネット』のロゴがプリントされている。

「作業ドローンは完全自動ではありませんので、要所要所でオペレーターが細かいコントロールを行う必要がありますが。それには実際にダンジョン内を歩いた経験が必要です」

 女性の後を受けて、同じくアサダネットの作業服を着た男性が言った。

「最も安全度が高いと判断されているのが、立川西3丁目公園ダンジョンです。現在週一度4人ずつでダンジョントレーニングを行っています」

「安全度は、何で判断するのだ?」

 会長の質問に誰も返答ができず、一瞬室内に沈黙が流れた。

「安全度は、主にモンスターの遭遇率とその排除率で判断されます」

 一番端にいた桐島志保が答えた。

「これはダンジョン管理保安協力会で記録を取っています。立川西3丁目公園は排除報告が最も多く、遭遇率も低下しています。他では排除報告が西3丁目より少なく、遭遇率もほとんど低下していません」

 部屋の空気がわずかにざわついた。

「西3丁目が、そうなっている理由はわかっているのか?」

 浅田会長が聞くと、桐島志保は頷いた。

「西3丁目公園ダンジョンにだけ、スイーパーと呼ばれる人物がいます。彼はモンスターをガラスに変える特殊能力を持っていて、それをダンジョンから持ち出しています。そのあたりが遭遇率の低下、つまり個体数の減少に繋がっているのかも知れません」

「その……彼は、ガラスにしたモンスターをどうするのだ?」

「融かして、装飾用の板ガラスを作っています」

「えっ?」

 部屋の全員が口々に声を出した。

「それは……興味があるな」

 会長が呻るような声で言った。

「すると……もう、そのスイーパーと会っているのだな?」

「はい。空吹圭太という男性で、まだ16歳です」


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