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第三章 第2話「ダンジョンを冒す者」

「国土交通省と、厚生省と……今度は文部科学省?」

 桐島さんが帰ったあと、俺はあれこれ考えながら呟いた。まるで役所が揃ってダンジョンに注目し始めたような感じだ、何かの利権が出てきた……はずはない。

 エリカはダンジョンの中で作られている違法な何かを調べているのだけど、文部科学省は何をしたいのだろう。

 いくら考えても俺の頭で理解できることじゃないので、諦めてスライムガラス作りに戻ることにした。今週の、自分に課したノルマはあと30枚だ。 

 無事に今日6枚目のスライムガラスを型枠から外して徐冷棚に移した。半日かけてゆっくり室温にまで冷ますのだ。

「いつまで……これ作ってたらいいんだろ?」

 いまのところ、俺が作れる製品で売り物になるのはこれしかない。でもこの500枚を納入した後で、追加の注文が来るかどうかもわからないのだ。

 それに、この先西3丁目公園のダンジョンにスライムが出なくなることだってあるかも知れない。

「就職するにしたって、高校も卒業してないんじゃな……」

 考えれば考えるほど、俺の将来には不安ばかりが拡がる。

「通信制……やっておこうかな」

 仕事しながら授業を受けることができて、学費もすごく安いのだ。高校卒業資格があれば、いつか大学も受験できる。俺が大学へ行って何になるのかわからないけど。

 いろいろ悩みながらスライムガラスの材料をるつぼに移していると、スマホに着信。エリカだった。

「ちょっと、頼みたいことがあるの。いまいい?」

「ちょっと……10秒待って」

 俺は材料を移したばかりのるつぼを電気炉に入れた。話している間に熔けるだろう。

「待たせたな、願い事を聞いてやる」

「魔王様のお力を、お借りしとうございます」

 るつぼでも熔けそうな激エロい声でエリカが言った。

「何なの?」

「なによ……せっかくお芝居してあげたのに、少しぐらい合わせなさいよ」

 そんなことを言われても、俺は演劇の心得なんかないしエリカにエロネタなんか振られても返せない。俺の女性経験は妹と手を繋いだことくらいしかないのだ。

「りりんが、あんたに嫌われたかもしれないって気にしてたよ」

「えっ?」

 りりんの名前を出されて、俺はちょっとたじろいだ。

「何で……りりんが?」

「ダンジョンでキレて、クズ野郎蹴り倒してたでしょ? あの子体調悪いと、自分を制御できなくなるんだって」

「体調……で、あんなになる?」

「あんた分かってないでしょ。女性特有の体調よ」

 そう言われて何のことだが理解できて、俺は顔が熱くなった。

「楡坂を卒業になったのも、それが関係あるみたいだよ。集団の中には居づらいって言ってた」

「そうなんだ」

「話しを聞いたらちょっとは気遣って、メールぐらいしてやれ」

「あ……うん」

 そうは言われても、どんな理由でメールをしたらいいのかわからない。

「それで……お願いなんだけど、魔王様」

「何で俺が魔王なの?」

「こないだりりんを送って行ったときに、二人で話しててそう決めたの」

 だったら俺はエリカをサッキュバスとか呼んでも良いのだろうか。

「りりんは飛び回るからフェアリー。これコールサインみたいでいいでしょ?」

「エリカは?」

「当ててみなさいよ」

「……サッキュバス?」

「腹立つけど、あたり。ただし魔王様しか襲わないわよ」

 エリカは冗談で言ったのだろうけど、俺はちょっとたじろいだ。情けない魔王だ。

「それで……明後日なんだけど、ダンジョン入る予定ある?」

「いや、予定はないけど。付き合えって言うなら……」

「あたしも行くんだけど、他にも大勢。その保安要員としてあんたを雇いたいの」

「それって何のツアー?」

「マトリのガサ入れ」

 たぶんそうだと思っていたけど、やっぱり13西の中で作られていたのはダンジョンマッシュルームだったのだ。

「まあ拘束する相手もいないだろうから、遺留品の運び出しだけよ。危険なのはモンスターだからあんたに頼みたいの。ちゃんと手当も出るから」

 まあ、それなら悪い話じゃない。2日後の朝、俺はいつものハンマーとリュックひとつで西3丁目ダンジョンに向かった。エリカはもう来ていて、杉村のおっちゃんを話をしていた。

「おはよう、大勢さんは?」

「もう来る頃よ。あの書類、サインとハンコ捺してきた」

「うん……」

 書類は書留で送ってきた厚生労働省からの現地案内人業務委託の依頼書類と、その請書のことだった。作業時間は朝9時から最長午後3時までで、報酬は2万円。まあ悪くないバイトだ、死体に触ることもないだろうし。

 ただしお金は厚労省から直接俺に支払われるのではなく、ダンボ経由で俺の口座に振り込まれる。ダンボにいくらか中抜きされるかも知れない。

 待つほどもなく、約束の時間より少し早くマイクロバスとトラックがやってきた。マイクロバスからスーツ姿やジャンパーを着た人がゾロゾロと降りてきた。その中に、手錠をかけられた男が二人いた。

「自首したのはあの二人だけ、一人は行方がわからない」

 ダンジョンの中でりりんにノックアウトされたやつらだった。ひげも剃ってジャージみたいな服を着ていたので、すぐにはわからなかった。エリカがスーツを着た一人に挨拶している。エリカが俺を手招きしたのでそこへ行った。

「ダンジョン保安管理協力会の空吹さんです。今日、中の案内と危険排除をお願いしています」

「関東厚生局麻薬取締部特別捜査課課長の荻原です。今日はよろしくお願いいたします」

「あ……はい。こちらこそ。よろしく、お願いします」

 偉そうな人にお辞儀をされて、俺はへどもどしてしまう。エリカが必死に笑いをこらえている。

 俺とエリカを先頭にして、マトリの職員10人と手錠をかけられた二人がダンジョンに入る。後にも先にもこんな大人数のパーティーが一度に入ることはないだろう。

 あまりにも濃い人間の気配を警戒したのか、ダンジョンの中を進んでもスライムぐらいしか現れない。誰かがうっかり踏むと危ないので、全部ガラス化させておく。回収もしないからサクサク奥へと進む。

「この中が『エリア13の西』です。安全確認のために私と空吹さんで先に入ります」

 1時間20分で、呆気ないほどに何事もなく13西の『例の場所』に着いてしまった。マトリの大勢様をそこに残して、俺とエリカが先にホールに入る。かび臭いのはやっぱりそのままで、棚やゴミなんかもそのまま残されていた。

 棚の間で何かが動いた。LEDライトの中に浮かび上がったのは1メートルもありそうなダンゴムシだった。4匹もいる。

「ひい……」

 エリカが悲鳴を上げそうになった。

「大丈夫。あれは無害だ」

 ゴミをあさりに来たのだろう。ダンゴになったのに足をとられない限り危険はない。でかいヒルが一匹いて、こいつは危険なので叩き潰してガラスにした。

「この、棚とか……外に持っていくの?」

「静かに!」

 エリカが緊張した小声で言った。

「あの人たちに、音を立てるなって言ってきて。戻ってきて」

 俺にもその理由がわかった。ホールの奥、天井に開いている穴から音が聞こえてくるのだ。俺は音を立てないように静かに走って、マトリの大勢さんにそれを伝えた。

「ライト消して」

 エリカの傍に戻るとそう言われた。

「奴らの仲間?」

「たぶんね」

 エリカとひそひそ話している間にも、天井からの音は大きくなってくる。はっきりと、誰かがハシゴを降りてくる音になった。そして、天井の穴から時々チラチラと光も射してくるようになった。

「恐らく、ここに残った証拠のブツを消しに来たんだと思う」

 二人で棚の陰に隠れて、エリカが小声で言った。なんか一気にヤバいことになってきた。

「エリカと一緒だといつもこんなだ」

「栄誉だと思ってよ、魔王様」

 金属が擦れる嫌な音、天井の穴からアルミのハシゴが降りてきた。男が二人降りてきて、ヘッドランプで辺りを照らす。

「いねーぞ」

「どこ行きやがった」

 ここにいたはずの4人のことだろう。

「ツブテで二人とも倒すから、逃がさないようにして」

 エリカはそう言うと、棚の陰から出てわざと音を立てた。穴から降りてきた男たちがこっちを向いた。

「なんだおま……」

 男がそう言いかけた時、エリカの腕が風を切る音をたてた。

「ぐうっ!」

「ぐはっ!」

 エリカが投げた小石を胸と腹にそれぞれくらって、二人ともそこに倒れこんだ。

「危ないモノ持ってるかも知れないから、気を付けるのよ!」

 飛び出そうとした俺にエリカが声をかけた。一人がもがきながら立ち上がって、腰から何かを抜き出した。それが何なのか確かめる余裕なんかない。

 俺はハンマーを突き出して、走る勢いのままそいつの胸をヘッドで突いた。声も出さずにそいつは吹っ飛んで、持っていた何かが鋭い音をたてて落ちた。刃物だ、ドスだ。

 もう一人、エリカが抑え込もうとして取っ組み合いになりかかっている。俺は男の背後から近寄って、男の首にハンマーのヘッドをひっかけて引き倒した。その額に『ごつん』とハンマーの頭を乗せてやる。

「動いたら、頭を叩き潰す」

 そう言うと、男はつかんでいたエリカの腕を放した。エリカが体を探ると、そいつもドスを持っていた。

「凶器を所持して人を襲おうとした。あんたを私人逮捕する」

 マトリの大勢がホールに入ってきて、ダンゴムシを追い出してあっちこっちにライトを置いた。初めてホールの中の様子がよくわかった。何人かがハシゴを登っていく、あの竪穴はどこにつながっているのだろう。

「ここはもう……ダンジョンじゃない」

 騒々しく人たちが動き回るホールの中を眺めて、俺は急に空しくなった。未知のものに人間が挑戦するからダンジョンなのだ。ダンジョンが何かに使われてしまったら、そこにはもう魅力も何もない。


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